07 学校
ボスを倒して手に入れた宝玉を使って、新しいダンジョンを生み出す。
次なるダンジョン攻略のためにそう決めた俺たちではあったけれど、それを実行するのは次の日にしよう、ということになった。
探索するにしても、敵と戦うにしても、しっかり体力を回復してからのほうがいいらしい。
わからなくはない。無理をすれば凡ミスが増えるのが世の常だ。
なので、その日の夢は三人で適当に雑談をして終わった。
それから朝が来て、夢の終わりに一人で目を覚ます。
「楽しかったけど、これ、結局は全部が俺の妄想なんだよな」
悲しいけれど夢とはそういうものだ。
実際に秋奈さんが一人の人間として存在するわけではないし、本物の紅谷さんと会話ができているわけでもない。この経験を自分以外の誰かと共有しているわけではないのである。
寝ている間だけ開催される孤独な一人遊びでしかない。
「まあ、考えたってしょうがないか。とにかく今日も学校へ行こう。そして夜に夢の続きを見るんだ……って、また同じ夢を見れるとは限らないけどな」
どういうわけか不思議と同じ夢ばかりを見ているが、それも絶対ではない。今夜から夢の内容がガラリと変わって、秋奈さんとは違う、全く知らない人たちが出てきてもおかしくはない。
通常、夢は打ち切り漫画みたいなものだ。
あの夢の続きを見たいと思っても、そうそう簡単に見られるものではないのである。
「おー、今日はなんか元気いーなー。悩みがなくなったのかー?」
学校、教室で永杉が声をかけてきた。
宿題の確認がしたいとか、そういった用事が特にあるわけでもなく、無視できないくらいに元気よく見えたらしい。
昨日までとは違って夢の中で秋奈さんを傷つけることがなかったし、小さいとはいえ最初のダンジョンをクリアしたので、多少は気が楽になっているからだろう。
「うん、いろいろあってさ。昨日までの悩みはいったんなくなってくれたよ。全部がきれいさっぱりってわけじゃないけどね」
「そっかー、よかったなー」
「まあ、今夜に見る夢の内容次第では、また新しい悩みを抱えちゃうかもしれないんだけど」
ハハハ、と苦笑する。
もしも昨夜の夢の続きを見ることができるのなら、秋奈さんや紅谷さんと一緒に新しいダンジョンに挑戦するつもりだからな。
うまくやれればいいんだけれど、俺は自分の夢の中でさえ主人公としては落第点なのだ。
結構な確率で秋奈さんを犠牲にしてしまいかねない。
そうならないように頑張るしかないが。
「何をやってるのか知らないけどよー。後悔しないよーに、がんばれよー」
「うん、頑張る」
頑張るには頑張るけれど、頑張ってどうにかなるものなのだろうか?
自分が見ている夢ではあっても、展開やストーリーを決める脚本を担当しているのは無意識の自分だ。多くの場合、主体的に行動することは難しく、奇想天外な筋書きに振り回されて終わってしまう。
ともあれ、永杉に対して決意表明をした以上、居眠りをせずに授業をこなして放課後を迎えた。
高校生活に不熱心な俺は塾も部活もバイトも何一つやっていないので、教室で永杉と別れた後はどこにも寄らず家に帰ることにする。
今夜の夢が楽しみだなぁ、なんて考えながら、とぼとぼと階段を下りている途中だった。
――ドカアアアァァァン!
と、あまりにも聞き馴染みのある爆発音が響いたのだ。
実際に攻撃されたわけでもないのに、一瞬、めまいのようなものを感じて視界が揺らぐ。
「……え? 今のは何だ?」
驚きと動揺のあまり、思わず足を止める。
今は夕刻。
これが夜であれば、ベッドの中で聞こえる爆発音は俺が入眠して夢を見始める合図だった。
なら、これは?
――もしかして俺は夢を見始めたのか?
――いつの間にか眠ってしまったのか?
そんなわけないだろうと思いつつも、そうとしか考えられない異様な雰囲気を肌で感じる。
周囲からは音が消え、人の気配も消え去っている。
現実とは思えない異様な空間。
まるで無人の学校に迷い込んでしまったかのようだ。
「いやいや、何を考えているんだ俺は。常識的に考えて、歩いている途中でいきなり夢が始まるなんてありえないだろ」
椅子やソファに座っていたなら理解はできる。自分では眠るつもりがなくても、ぼんやりしていて居眠りをしてしまった経験なら何度でもあるからだ。
だけど今の俺は立って歩いていたんだぞ?
きっと爆発音なんて幻聴だ。気のせいに過ぎない。
ぼーっとしていた自分の勘違いだろうと思い、わざわざ立ち止まって考えるのをやめて、下に向かって歩くのを再開する。
このまま階段を下りて行って一階に行けば、たぶん誰かいるだろう。タイミングが悪くて校舎の中にいなくても、校庭とかグラウンドのどこかに、俺以外の人間が一人くらいはいるはずだ。
そう思って階段の終わり、一階の床を踏んだ瞬間だった。
「え、なんだこれ? 水……?」
ピチャリ、という、校舎には不似合いな足音がしたのだ。
何かと思って足元を見れば、雨が降った後みたいに廊下が濡れていた。
「どういうことだ? 普通に外は晴れているから雨漏りしたってわけでもないだろうし、どこかの水道から水が漏れてるんだろうか」
ということは、さっきの爆発音は水道管が破裂した音かもしれない。ちっとも騒ぎになっていないのが不可解ではあるけれど、もしかしたら俺の気づかないうちにみんな避難を済ませているのかも。
こんなに水があふれるくらいの非常事態なんだから、誰かが気づいて校内放送で注意を呼びかけてくれてもいい気がするけどな。
「動かないでください」
「……え、何?」
「もう一度言います。動かないでください」
「何? 動かないでって、もしかして、俺?」
「あっ、だから動かないで!」
あたふたと焦ったような声がした方向を振り返れば、そこには一人の女子が立っていた。
長いストレートの黒髪で、そう高くはない俺と同じくらいの身長で、見慣れた制服は一切着崩しておらず、いわゆるクラス委員長みたいに性格がしっかりしていそうな少女だ。
初対面なのに不良扱いされてしまったのか、なぜか俺に銃口を突き付ける警察官のような過度な警戒心を向けている。
さすがに不服なので、なるべく穏やかに声をかける。
リボンの色などを見たところ一年の制服なので同学年らしいが、声をかけてきた相手が敬語なので俺も敬語だ。
「何か誤解しているのかもしれませんが、別に悪いことはしてませんよ。むしろ俺のほうが聞きたいくらいなんです。廊下が水浸しなんですけど、一体何があったか知ってます?」
「動かないで!」
「え、いや、質問したいだけなんですが……。この状況について、あなたは何か知ってるんじゃあ?」
と、この状況の説明を求めて足を踏み出すと、
「あっ! もう! 動かないでって! 何度言ったらわかるんですか!」
ちょっと俺が動いただけなのに、ナイフで武装した強盗犯を相手にしているみたいに彼女は大声を上げる。
事情はわからないが、すごく怒っている。怖い。あまりに非常識だ。
積極的には関わらないほうがいいのかもしれない。
「あのう、まずは事情を説明してもらえます? 逃げたほうがいいなら素直に逃げますし、こうしてほしいっていう指示があるなら従いますよ」
「だから動かないでください! いいですか、こっちは簡単にあなたをやれるんですからね!」
「……はい? やれるって?」
なんか物騒な言葉が聞こえたな。
たとえ生徒会長であってもそんな権限ないだろ。
しかし彼女は強気だ。
「ええ、やれますよ。私、あなたが悪い人間かどうかを確かめに来たんです。もし悪い人間だと判断すれば、遠慮なくやります」
なんだそれ。意味がわからん。真剣な顔で大真面目に言っているのが、一周回ってシュールなギャグに思えてくる。
実はドッキリとか冗談で、からかわれているのかもしれない。
どっかからスマホで録画とか配信をしてるのか。迷惑系JKか。
よくわからないが、とりあえず弁解しておく。
「俺、悪くないですよ。何もしてないので」
クラスルームが終わって、家に帰ろうとして廊下を歩いているだけだしな。
どうやら期待通りの答えではなかったらしく、むっ、と機嫌が悪くなった彼女が声を低める。
「嘘をつかないでください。持ってますよね、宝玉」
「ほ、宝玉……!」
ぎくりとする。
なぜならそれは、現実世界の人間が知っているはずのない言葉だからだ。
いや、宝玉という単語そのものは知っているだろう。
辞書的な意味で言えば、ただの「宝の玉」だ。ダイヤモンドみたいな宝石とか、ピカピカ光る銀色のパチンコ玉とか、それを言葉にする人間によって具体的に想像するものは違うだろうけれど、それはそれ。
非日常の世界にしか存在しない特別なアイテムを意味するとは限らない。
……ただ、どうだ?
その宝玉を俺が手に入れたことを知っているのはおかしい。
あれはすべて俺が見ている夢の中の話。
ふうむ。なるほど、だったらこれは夢だ。
現実世界ではありえない支離滅裂な展開もうなずける。
「なんだ、夢か。気を遣って損した」
「……はい?」
「誰だか知らないけど邪魔しないでくれるかな。一秒でも早く家に帰って寝たいのに、わけのわからない夢に巻き込まれて、こうやって足止めされてさ」
「夢って……どういうことです? 夢?」
「自覚がないのはかわいそう。じゃあね」
これで話は終わりとばかり、身をひるがえして昇降口を目指す。
大量のバケツをひっくり返したみたいに廊下が濡れているのも、ここが夢の世界ならば不思議ではない。
子供の落書きみたいなもので、すべてのことに意味などないのだ。
「だから待ってください!」
「やだ」
誰が止まるか。
妄想の存在でしかない彼女の相手をしても、得られるものは何もない。
ここは無視して帰ることにする。
しかし、途中でいきなり足が動かなくなった。
「えっ、凍ってる……?」
廊下に広がっていた水が凍り、歩こうとした俺を足止めしたのだ。グッと力を入れて右足を持ち上げると、ピシピシと音を立てて氷が割れる。それほど多くない水量だったので、氷も薄く、絶対に動けないほどではなかった。
それでも驚きだ。真冬でもないのに水が一瞬で凍ってしまうだなんて。
「今のは警告です。止まってください。あなたの話を聞かせてもらいますよ」
暴力行為をちらつかせて脅迫してくる彼女。自分では悪いことをやっている自覚がないのか、こちらに対する強情な態度を崩さない。
敵か味方かで言えば、敵寄りの人間だ。
こちらの返答によっては、本当にやられてしまうのかもしれない。
「なるほど。宝玉を奪いに来た探索者、ってことか」
「奪いに来たというか、監視と忠告です。あなたが悪いことに使うつもりがなければ、ここは見逃してあげますよ。たぶん小さな宝玉でしょうし、無理して奪う必要もないでしょうから」
ろくに話もせずに先制攻撃をしておきながら、よく言えたものだ。
好戦的で話が通じないように見える彼女の相手をするのも面倒である。
秋奈さんや紅谷さんと違い、仲良くする道理もない。
「巨人斬り!」
有無を言わさず右腕を突き出し、巨人斬りを発動する。
肩から飛び出した巨人の腕が巨大な剣を水平に振るう。
廊下は狭く、左右に避けるのは難しい。
ズシャア、と音を立てて、廊下の真ん中に棒立ちしていた彼女を腰のあたりで切った。
「あ、危ないところでした……!」
ところが、間違いなく攻撃を食らったはずの彼女は生きていた。
大剣が当たる瞬間、わずかな間だけ液体となって攻撃を回避したのだ。
「剣が体を貫通した……? 実体がない幽霊には見えないし、今のはスキルってことか。自分の体を水に変化させるとか、そういうタイプかな」
「ええ、まあ……。あなたのスキルは油断できないくらい――」
「巨人斬り!」
「まあっ!」
しゃべっている最中を狙って、二度目の巨人斬り。
再び右から左へ大剣を振るう。
こちらの動きを見て、攻撃が当たるより前にスケートみたいに滑るようにして、即座に下がった彼女がスカートをひらめかせながら膝をつく。
先ほどとは違い、ギリギリで剣が届かなかったようだ。
「会話の途中に襲ってくるなんて、悪人!」
「悪人で結構! 巨人斬り!」
「やめて!」
殺されてはならぬと、慌てて逃げる彼女。追いかけるようにして俺が踏み込んでいた分、これまたギリギリだ。
こちらの攻撃を警戒しているのか、様子をうかがったまま近づけずにいる。
「やっぱり。さっき使った水になって攻撃を無効化するスキル、あまり連発できないみたいだね」
「否定はしませんよ」
「ふうん。戦ってる俺が言うことでもないけどさ、たとえ嘘でも否定はしたほうがいいよ。スキルを使った戦いで大事なのは、騙し合いなんじゃないかな」
「そうでしょうね、ご忠告どうも!」
お礼を言いながら彼女が床を指さすと、俺の足元が凍っていく。
水浸しの廊下の表面だけが凍っていくので、割るのは簡単だ。
しかし俺は非力な男子高校生である。
足元が凍るたびに何度も足に力を入れているのでは体力が持たない。
「邪魔だな、これ。ファイアボール!」
自分の足元に向かって左手を向けて、小さな火の玉を吐き出す。
それほど大きな炎ではないが、薄い氷を解かすのには十分だった。
「驚きました。使えるのは剣だけじゃないんですね」
「否定はしないよ。肯定もしないけど。スキルを使った戦いで大事なのは騙し合いだからね」
「どっちでもいいです。見ればわかります」
戦いが始まってしまったので当然とはいえ、明らかに機嫌が悪そうだ。
魔法みたいなスキルで足元の水が凍らされ、そのたびに俺が火の魔法で氷を溶かす。
なかなか接近できないので、距離に制限がある大剣が彼女に届かない。
長い廊下での戦闘、意外に大変だ。
「そこ! 集中力を切らせましたね!」
「うわ!」
水没している廊下から、鋭いタケノコみたいに凍ったトゲが飛び出してきた。
しかも一本ではない。いくつもの氷のトゲが俺を囲むように伸びた。
「直接あなたの体を狙わなかったのは恩情ですよ。うまく拘束できるタイミングを狙っていたんです」
「むむむ……」
確かに、明らかに手加減されたのを感じる。
出始めた瞬間もわからず、気づいた時には避ける間もなかった攻撃だから、直接的に体を狙われていれば死んでいただろう。
串刺しにならなかったのは、彼女がそう願ったからに過ぎない。
「う、動けない……」
手加減されたおかげで負傷はしなかったものの、うまい具合に体を拘束されてしまった。
氷のトゲから脱出しようにも、満員電車みたいに体に密着しているため巨人斬りでは攻撃しにくい。
とはいえ、スキルを使わない俺の腕力や脚力では太刀打ちできない。
こうなったら威力の強い炎を出すしかないだろう。
「ファイアボール……いや、ここは魔法に気持ちを乗せる! だったら叫ぶべき呪文はこれだ! 秋奈さん、大好き!」
ドゴオオォオオオン!
さっきまで出していた弱い火の玉ではなく、邪魔な氷を吹き飛ばせるほどの爆発を発生させるため、感情を込めて叫ぶ。
直後、自分に向けた左の手のひらから出た炎が体を包んだ。
燃え広がった炎の熱によって氷は溶けてなくなったが、その代償は大きい。
うまく力をコントロールできず、全身が火だるま状態の大火傷だ。
ゲームみたいなHPバーがあればゼロになるギリギリ、体力が尽きて普通に立っていられなくなって膝をつく。
いつの間にかポケットに入っていた宝玉が飛び出して、ころころと廊下を転がっていく。
ああ、終わりだ。
隠すのも間に合わず、あっさりと奪われてしまうだろう。
柔らかく膝を折り、髪をかき上げながら優雅に拾った彼女が宝玉を見ながら問いかける。
「あなた、秋奈を知ってるの?」
「知ってるも何も……秋奈さんは恋人だよ。スキルや宝玉のことも彼女に教えてもらった。三日ぐらい前から、夢を見るたびに一緒にいる」
「……恋人? あなたが?」
秋奈さんのことを知っているのか、あからさまに疑うような目だ。
今にも死にそうな状態なので、無理をして声を出す。
「疑うくらいなら、俺じゃなくて秋奈さんに聞けばいいじゃないか。遠藤スガル。それが俺の名だ」
「じゃあ、この宝玉は……?」
「それでダンジョンを作って、秋奈さんと一緒に攻略する約束だよ」
「そう……」
小さくうなずいて、ゆっくりと近づいてくる。
たぶん、廊下に仰向けで倒れている俺にとどめを刺すつもりなのだろう。
そう思ったが、事実は違った。
すぐそばでしゃがんだ彼女が俺のポケットに手を突っ込んで、拾ったばかりの宝玉を返したのだ。
「……どうして? それ、奪いに来たんじゃないの?」
「違います。最初に言ったでしょう? 宝玉を手に入れたあなたが悪人かどうかを確かめに来ただけだって。あなたが悪そうな人ではないと判断したから、ここは見逃してあげるんですよ。あっさりと私に負けるくらいだから、秋奈があなたに負けることもないでしょうしね」
「秋奈さんか……仲間だから戦ったことはないけど、たぶんそう」
スキルを覚えたての俺と比べれば、おそらく秋奈さんのほうが強いだろう。
ただし、昨日までに間違えて二回ほど殺してしまったことは黙っていよう。
ばれたら宝玉を取り上げられてしまうかもしれない。
「恋人というのが事実かはともかくとして、ダンジョンを攻略していくというなら秋奈の願いを叶える手伝いをしてくれればいいですよ。あの子も、ずっと一人でいるわけにはいかないでしょうし……」
「……友達なの?」
「友達ですよ。いいえ親友です」
「だったら――」
一緒にいればいいじゃないか、と言おうとしたら、彼女が先に口を開いた。
「秋奈がどこにいるかを見つけるのは難しいんですよ。絶対に見つけられないって程じゃないですけれど、あの子も自由人ですからね。ある程度は自由にしてもらっているんです」
「ふうん」
よくわからんな。
友達だけど、四六時中いつも一緒にいるとは限らないってことか。
そんなことを考えていたら、なんだか意識が遠のいてきた。
いよいよ限界らしい。
「その宝玉、悪いことには使わないでくださいよ」
「わかってるよ」
そう答えたのを最後に、夢は終わった。




