06 宝玉
かろうじて相手の顔が判別できる程度で、現実よりもたくさんの星が出ている外のほうが明るく見える薄暗い寝室。
姿勢よく横になっていた状態から身を起して、けだるげな様子でベッドに腰かけた紅谷さんが大きく伸びをする。
「ふわぁ~あ! いやー、両目から涙が出てくるくらいに嬉しいね。ずっと続いていた金縛りが終わって、ようやく自由に動けるようになった。これってやっぱり、遠藤たちが幽霊を倒してくれたってことだよな?」
「たぶんそうなるんじゃないかな」
「なるほどねー、じゃあ本当に助けに来てくれたのか。……ほら、だったら隣に座りな。お礼してやるよ」
「お礼って……まさか」
具体的に何をすると口にはされていないものの、なんだか嫌な予感がする。
背後に秋奈さんがいることもあって、素直に隣には座りたくない。
あんまり喜んでいない俺の気持ちを察しているのか、あるいは気づいていないのか、いたずらっぽくニヤニヤと笑う紅谷さんがベッドをぽんぽんと手で叩く。
「約束だもんな。ほっぺにキス。ほら、早く隣に座れって。チューくらいしてやるよ」
「えっ……」
何をやられるかと思えば、やっぱりか。
夢を見るたびに続いていたという金縛りが終わって、小躍りしたいくらい嬉しいのは事実だろうけれど、それとこれとは話が別だ。
頬とはいえ、キスだと?
恋人でもない男子と?
現実世界ではろくに女子と交流していないこともあり、こういう発言が冗談なのか本気なのかもわからない。
うろたえて反応もできずにいたからか、背後から冷たい声がした。
「……キス?」
ボスが消えてからも中には入ってこず、部屋の入口の所に立っている秋奈さんだ。
紅谷さんとの関係を誤解されては一大事なので、浮気を疑われた旦那みたいに俺は慌てて振り返る。
「違うよ! お礼なんか俺はいらないって断ったから! 紅谷さんが勝手に言ってるだけ!」
「勝手にってなんだよ。好きだったんだろ? 中学の時は告白してきたくせに」
「中学の時はね! けど今は高校生です! 告白したのは事実にしても、君に振られてからは恋愛感情もなくなってる!」
そうだ。そうに違いない。今の俺は紅谷さんのことをちっとも好きではない。
いや、あくまでも恋愛感情がないというだけであって、嫌いにまではなっていないが。
悪口だらけの裏垢も、結局のところ疑惑止まりなのだ。
「ねえ、遠藤君。そうは言いつつも、まんざらでもなさそうじゃない? キス、本当は誰でもいいの?」
「心外だな。そんなわけないじゃないか。秋奈さん一筋だよ、俺は」
「どうだかなぁ……」
出会って三日目の段階で友達としても信頼関係を築けていないから仕方ないとはいえ、じろじろと俺と紅谷さんを交互に見比べている秋奈さんは完全に疑ってしまっている。
考えてみれば俺が彼女に告白したのは出会った瞬間だ。付き合えれば誰でもいいと考えている軽薄な男だと思われているのかもしれない。
……そんなことはない。
たとえ一目惚れであったとしても、俺は秋奈さんだからこそ付き合いたいと思ったのだ。
ほとんど印象だけで、過去も性格も知らないことのほうが多いけどな。
「おい、遠藤。黙ってないで私にも紹介してくれよ。それが噂の秋奈ちゃんか?」
「ああ、うん。この人が秋奈さん。こんな俺と付き合ってくれている最高の彼女だよ。遊びの関係じゃなくて結婚前提ね」
とか言ったら、それを聞き逃せなかった秋奈さんが隣に来て俺の頭をコツンと小突いた。
「恋人なのはあくまでもここにいる間だけの話でしょ。遠藤君を一人で放っておくのはかわいそうだから付き合ってあげているだけで、結婚はお断りしたはず」
「そうだっけ」
「そうだよ」
それは残念だ。かっこいいところを一度として見せられていないのでしょうがないけれど、最初に会ったときから心変わりはしてくれていないらしい。
ダンジョン攻略を始めてから二回も殺しちゃってるから無理もないが。
こうして付き合ってくれているだけでも十分優しい。
「振られてんじゃん」
「おっとっと、紅谷さん。その言い方は語弊があるね。厳密に言えば彼女には振られてないんだな。暫定的なものであるにしても、こうして付き合ってくれているから」
ここにいる間は、という条件付きではあるものの、恋人は恋人だ。結婚前提のお付き合いが明確に否定されてしまったとはいえ、普通の友達よりは上のはずだ。
はっきり振られた紅谷さんに説明するのは悲しいがな。
と、ここで紅谷さんが俺ではなく秋奈さんに顔を向けた。
「好きでもないのに遠藤の相手をしてあげるなんて、お優しいんだね。だけどそれ、冷たくない? 本気で付き合えるわけでもないのに」
「それは……」
「いわゆるキープってやつじゃん。かわいそう。脈がないなら振ってあげるべきでしょ」
さらに秋奈さんを追い詰めようとするので、かりそめの彼氏として慌てて間に入る。
「ちょっと紅谷さん、あんまり秋奈さんをいじめないでくれるかな。気が変わって恋人関係を解消されたら悲しいじゃん」
遊びでも嘘でもいいのだ。どうせ夢だから。
もし正式に交際を受け入れてもらえて本気の恋愛をしてくれたとしても、現実の世界で彼女と結婚できるわけでもないのである。
ふーんと顎を突き出した紅谷さんが俺を見る。
「じゃあお前、私と遊びでも付き合いたかったか? 本気の相手じゃなくてもよかったのか?」
「……当時はね。今はそうじゃないけど」
「マジかよ。まあ、それがいわゆる友達からお願いしますってやつか……」
「そうそう」
それだけ言って会話を打ち切る。
なんとなく顔をそらしてみれば、視界の下のほうで何かがキラリと光を反射した。暗くてよくわからないが、ベッドの下に小さな球が転がっているのが見えた。
ピンポン玉やビー玉よりも小さい、パチンコ玉くらいの大きさの黒い球だ。
ただならぬ気配を感じたのでベッドの近くに行ってしゃがんで、四つん這いの状態になって右手を伸ばして拾う。
「何やってんだよ、変態かよ。人のベッドの下に手を突っ込むなよ」
遠慮なくゲシ、と音が鳴るくらいの重さで背中に足を乗せられた。
即席の足置き台にされてしまって、体重をかけられてしまって立ち上がれない。
無理に抵抗すると危ないので、まずは戦利品である黒い球をつかんで手を引っ込める。
「これ、もしかして秋奈さんが言ってた宝玉かな? 想像していたよりもずっと小さいけど」
「え。見せて」
「ほら、これ」
「あ、それそれ。それが宝玉だよ。よかった。ちゃんとあったんだね」
「こらこら、私に踏まれたまま二人で会話すんなよ。あと宝玉って何? 私の部屋に何があったんだ」
ぐりぐり、と背中の上で足を動かされる。
同年代の女子に踏まれるなんて本来は屈辱的な扱いかもしれないが、夢なので痛くはない。というか気持ちいい。
やっぱり夢なんだな。深層心理で望んでいることが起こっているのかもしれない。
先んじて弁明しておくと俺はMじゃないがな!
「ごめんね……紅谷ちゃん、だっけ? ムカつくかもしれないけどさ、どいてあげて」
「あ、ごめんごめん。彼氏さんを足蹴にしちゃって」
「それは謝らなくてもいいよ。その彼氏に私なんて二回も殺されちゃてるんだから、それに比べれば」
「え? それほんと? 遠藤、お前……」
自分の彼女になんてことしてんだよ、と言わんばかりの軽蔑の目が俺に向けられた。
現実だったら犯罪行為だもんね、無理もないね。
超弩級のDV彼氏と思われてドン引きされて距離を取られたからか、それと同時に足も下ろしてもらえたので俺は立ち上がる。
「二回ともスキルが暴発しちゃってさ。不可抗力だよ」
「は? スキル? 何言ってんの?」
また踏むぞ、なんて足を向けてくるから怖い。
サイコパスな殺人者とか思われて警戒されているのかもしれん。
「どう説明しようかなあ……。俺、何かを人に説明するのがすごく苦手なんだよね」
「知ってる。だから教えてもらうときは秋奈ちゃんに頼むよ。無理すんな」
「というか、そもそも本当に殺しちゃってたら秋奈さんはここにいないでしょ」
「まあ、それはそうだけど……。さすが夢。意味わからん」
俺もそう思う。
だったら無理して説明する必要もないか。
ふわっと会話が終わったタイミングで秋奈さんが俺に声をかけてくる。
「ねえ、その宝玉、いる? いらないなら私がもらっておくよ」
「うーん……。ところで、これって何? ボスを倒したらもらえるドロップアイテムなんだよね? 可能性の塊とか言ってたけど」
宝玉というからには何か特殊な力があるのかもしれんが、さすがに漠然とし過ぎている。金銀財宝なら凡人にも理解しやすい宝なんだけどな。
栄養剤とかだったりして。
「簡単に説明するなら……」
「うん」
「願いが叶うっていう感じ」
「ああ、アニメや映画なんかでもよくあるやつか。だったらすごくいいじゃん。それで、この宝玉はどんな願いを叶えることができるの? 世界征服とか?」
「世界征服はどうだろ……聞いたことないな。よくあるのは新しいスキルを手に入れるとか、強い武器や便利な乗り物を手に入れるとか、そういうやつだね。基本的には宝玉の大きさに応じて願いを叶える力が変わるんだ。小さな宝玉は小さな願いしか叶えられなくて、大きなことを願うなら大きな宝玉が必要になるの」
「ふうん」
と返事をしたら、そばで聞いていた紅谷さんが白い目を向けてきた。
「お前、彼女にもその返事やってんのかよ」
「やっちゃってる。自慢じゃないけど男女関係なく誰にもね」
「振られるぞ」
「これでも自覚はあって気を付けてはいるんだけどね……」
「へえ……」
ほんとに自覚あんのか? みたいな顔を二人ともにされてしまった。
薄暗いからよく見えないのだけが救い。
気まずくなって視線を手元に落とす。
「これ、どんな願いなら叶えられるんだろ……」
不思議な力で叶えたい願いなんて、大きなものから小さいものまで無数に思いつく。
もっとも、ここが夢の世界であることを考えれば何を願っても現実には影響がないけれど。
秋奈さんと本物の恋人になりたい、なんて願うのはどうだ?
「悪用されちゃう前に言っておくと、人の気持ちを変えるようなのはすごく大きな宝玉じゃないと無理だからね。強制的な命令とか、主従関係とか」
「そうなんだ。これくらいの大きさの宝玉だったら、どういう願いが普通なの?」
「多くの場合、もっと大きな宝玉を手に入れるためにダンジョンを作るかな」
「ダンジョンを作る?」
「そ。たとえばここは遠藤君が無意識に発生させた街でさ、ボスがいるのは小さくて簡単なダンジョンだけど、次は宝玉の力でちょっと大きなダンジョンを作るの。そして、そこで手に入れた宝玉を使ってまた次のダンジョンを作る。それを何度となく繰り返していけば、最終的に巨大な宝玉を手に入れられるってわけ」
「なるほど。ゲームみたいにどんどん難しいダンジョンに挑戦していくわけだ」
レベルを上げたり新しいスキルを獲得したりしながら、ってところか。
今は俺と秋奈さんの二人だけだけど、ここより難しいダンジョンに挑戦するとなると仲間も増やしていくんだろうか。
「ゲームのことはよく知らんけど、わらしべ長者みたいね。遠藤たちはずっとそんなことやってきたの?」
「いや、俺は初めてだよ。秋奈さんは? いろいろと夢の世界について知っているみたいだから、俺よりは先輩だよね? もしかしてプロの探索者?」
「私は……」
何かを言おうとして口を閉ざした後、くちびるに人差し指を持って行った秋奈さんが俺と紅谷さんの顔を見比べる。
沈黙が重い。何を答えるにしても、冗談を口にしそうな雰囲気ではない。
就活の面接に挑んでいるんじゃないかと思えてくるほどの真剣な表情をしている。
「……ね、二人とも。今なら引き返せるよ。その宝玉の力を使って、二人の記憶を消してあげることができるんだ。非日常の世界に足を踏み入れるのって、楽しいことばかりじゃないから」
何を言っているんだか、って感じ。
馬鹿げた問いかけに対する俺の答えは決まっている。
「消すわけないじゃん。秋奈さんとの思い出は今の俺にとって一番の宝物だよ。これからも一緒にいたい。できればずっと」
「……ん、そっか」
喜んでいるのか困っているのか、いまいち判断がつかない微妙な反応。
一緒にいたくないと拒絶されないだけ嬉しいけども、欲を言えば笑顔を見せてほしかった。
紅谷さんがちらりと外を見る。
「私の記憶も消さなくていい。その宝玉に願いを叶える力があるってんなら、どうせなら面白いことに使ってよ。夢の世界で自由に動き回れるなんてストレス発散にもちょうどいいしね。現実世界では羽目を外せないから。ここでなら遠藤に何を言っても心は痛まないもんな」
「それはちょっとくらい痛めてよ」
お互い様だけどな!
「というより、もしかして紅谷さんって俺たちと一緒に来る感じ? 中学生のころ俺を振ったのに? しかも秋奈さんとは初対面なんだよね?」
「なんだよ。一緒に行っちゃ駄目なのかよ。私が見ている夢の中の登場人物のくせに、主人公である私に歯向かうだなんて生意気だな。せっかく金縛りが終わったってのに、馬鹿みたいに長く続く夢を一人きりで寂しく過ごせって言うのか」
いや、そっちとしても気まずいでしょ……と言いたくなったところをグッとこらえる。
ここは俺が見ている夢のはずなのに、まるで本当に生きている人間みたいに不服そうな感じで言われて、俺が一人でいたころのことを思い出したのだ。
誰もいない無人の夜の街を、何時間も徘徊するだけの夢。
確かにあれは退屈で苦痛で孤独だった。
告白して玉砕した相手とは言え、目の前にいるのは俺が見ている夢の世界の紅谷さんなのだ。
現実の世界で会っているわけでもないのだから、苦手意識を発揮して避ける必要はない。
友達になるのも、やぶさかでない。
「秋奈さん、今後は彼女も一緒にってことでいい? 友達というか、仲間というか……。紅谷さん、夢の中ではちょっと性格がきついけど」
尋ねてみれば、秋奈さんがにっこりと笑う。
「紅谷ちゃんに限らず、誰かが同行するのを断る理由はないかな。別に私は遠藤君と二人きりでいたいわけじゃないからね」
「え、そうなの?」
「そうじゃないと思ってた?」
「う……」
にやり、と笑ってはくれるけれど、あくまでも愛想笑いであって、心から笑ってくれているわけではないだろうな。
言われるまでもないが、浮かれているのは俺一人。
秋奈さんには無理に付き合ってもらっている状況だ。
まあ、二人きりでなくても彼女と一緒にいられるならいいか。
「じゃあ、しばらくは三人で行動するってことでいい? 秋奈さんの負担になりそうだけど」
「問題ないよ。眠るたびに第二世界へと入っちゃう迷い人の二人を放っておくのも不安だから、しばらくは、ね」
おや? また第二世界って言葉を口にしたな。
文脈から察するに、たぶん夢の世界のことなんだろうが。
ともかく話を進める。
「何もせずに一緒にいるだけだと時間の無駄だから、夢の世界にいる間は何か目的があったほうがいいよね。というわけでこれ、次のダンジョンを生み出すために使ってもいい?」
「あ、それはちょっと待って」
「え? 何? 待てって言うなら待つけど、何かあるの?」
うん、と秋奈さんは頷く。
「この街は初心者向けの小さなダンジョンが一つあるだけだから私以外に誰も入ってこなかったけれど、新しくダンジョンを生み出すとなると話は別だよ。ダンジョンが魅力的なら、宝玉を求めて別の探索者が入ってくる可能性があるからね」
そういえば、そんな話なのか。
探索者、というと秋奈さんみたいな人たちだろうか。
「入ってくると、どうなるの? 何か問題がある?」
「基本的に、ボスを倒した時に出現するドロップアイテムを手に入れられるのは一人だけなんだ。となると、友達でもない探索者同士で協力できるのは一握りだし、お互いに不干渉で攻略の速さを競うのも珍しい。多くの場合は――」
なるべく穏やかな言葉を選んで、秋奈さんが言う。
「相手が先にクリアするのを阻止するため、戦いを挑んで邪魔し合うものなの」
なるほどな。俺たちを心配して彼女が止めたのもわかる。
「つまりそれって、殺し合い?」
それが本当だとしたら物騒な夢だな、と思えた。




