02 ダンジョン攻略を終わらせる一撃
「やっぱりスマホの充電を開始するのって電池残量が二十パーセントを切ってからだよね。だから俺、残り三十パーセントくらいだったら充電を始めるまでに適当なアプリを起動して減らす時間があるもん」
「ふーん、そうなんだー」
「我が家のバッテリー担当大臣」
「すごーい」
かりそめの恋人になってから、持ち前の会話スキル(レベル1)を駆使しながら楽しく雑談を初めて一時間。
いつもの調子で考えれば、このまま時間が進んで朝になって目が覚めるまでには二時間くらいの猶予がある。
この街には正常に機能している時計もスマホもないので正確な時間まではわからないが、体感的にまだしばらくは秋奈さんとの逢瀬を続けられそうだ。明日以降も同じ夢を見られる保証はないから、雑談以上のこともやってみたい気分もあるけれど。
ま、何事も焦りは禁物。
ゆっくりと人生を楽しむことにしよう。
「そういえば、最初に言っていたダンジョンとか探索者っていうのは何だったの? 俺が迷い人かもしれないとかも言ってたよね」
「あ、やっぱり気になる?」
さらりとつぶやいただけなのによく覚えていたね、みたいな顔をする。
教科書に赤ペンで線を引いた単語以外は忘れてしまうレベルの馬鹿だと思われているのか、あるいは自分が変なことを言っている自覚がないのか。
「そりゃあね。普通の会話じゃないっていうか、初対面の人に投げかける言葉としては意味わかんないもん」
さすが夢って感じだが。
しかし、これは簡単なように思えて難しい問題かもしれない。
当たり前の理屈や常識が通じない荒唐無稽な出来事が多い夢の世界。だとすれば、疑問に感じたことを尋ねたところで納得のいく答えが返ってくるんだろうか。
彼女の口から説明が始まって、日本を飛び越えてオセアニアの常識を語り始めるくらいに支離滅裂な論理が繰り広げられたら、壊れたAIを相手にするようなものかもしれない。
さりとて、受験や就職活動に必要な知識ってわけでもないだろうし、意味がわからないまま放置しても何も問題はないけどな。
特に何かを考えるでもなく、学校の休み時間によくするようにぼーっと待っていたら、この質問を沈黙だけでは押し通せないと勝手に判断したらしい彼女が口を開いた。
誰が相手でも絶対に隠しておかなければならない重要な秘密というわけでもなさそうだ。
「そうだなあ、君はゲームって何かやったことある? ジャンルはなんでもいいんだけど、わかりやすいので言えばRPGとかアクションとか」
「おっけー、おっけー、これまでの会話から俺のことを取り立てて趣味がないつまらない人間と判断したかもしれないけど、これでもゲームくらいならやったことあるよ。任○堂とかS○NYとかが出してる家庭用のゲーム機はもちろん、スマホのアプリゲームも有名どころをいくつか。やりこんでるってほどではないけどね」
好きか嫌いかの二択でいえば好きだけど、時間があるときに暇つぶしを兼ねて遊ぶのが好きなだけで、別にうまくはない。親戚の子供と遊んだ対戦ゲームでは年下が相手でも向こうに手を抜いてもらわないと一勝もできないレベルで、知識的にもそんなに詳しくはない「にわか」だ。
柔らかく表現するなら「ライト層」とでも言えばいいか。
腕利きのゲーマーとして何かを期待されているのなら困る。
「安心してよ。ゲームが壊滅的に下手っぴでも、そういうのがあるってことを知っててくれてれば大丈夫。私が言ってたダンジョンとかボスっていうのは、そういうゲームに出てくるやつみたいなもののこと。ここまではイメージできる?」
「できるよ。……でもここ街じゃん。洞窟とか、魔王城とか、そういうダンジョンって感じがしない。敵らしい敵もいないし」
「それは説明のために選んだ言葉の綾っていうのかなぁ……。とにかく、この街がゲームでいうフィールドみたいなものでね、この広い街のどこかにモンスターとか敵がいっぱい出てくるダンジョンがあってね、その奥にはボスがいたりするの」
「ふむう。えっと……つまり、この夢の中の街にあるダンジョンを見つけて、そういうのを攻略していく感じ? それをやる人を探索者っていうの?」
「そうそう、そういう感じ。お察しの通り、私みたいな人を探索者って呼ぶのも間違いない。まあ、今までの反応からするに君は探索者としての自覚がないみたいだからね。ここに迷い込んだだけの迷い人。やりたくなければやらなくてもいいよ」
なるほど。そういう「設定」の夢なのか。
この街は広いフィールドで、この街のどこかにボスが待ち受けるダンジョンが存在する。それを探索者の一人として攻略していく遊び。
一応はクリアするのが目標のゲームと違って、この世界が所詮は俺が見ているに過ぎない夢ならば、何をしても何をしなくても誰にも責められやしない。どこかに存在するダンジョンを放置して、目が覚めるまで秋奈さんとの雑談に興じていたとしても、それはそれとして「いい夢を見た」と思えるのかもしれない。
できたばかりの彼女と雑談をして過ごす。それもまた一興。
さて、どうするかな。
と、連勤終わりに迎えた貴重な休日の予定を立てる感じで考えてはみたものの、働いた経験のない俺は悩むまでもなく決めた。
「ダンジョン攻略をやってもやらなくてもいいっていうなら、この夢の主人公である俺はやるほうを選び取るよ。たぶんそれが秋奈さんがやっていることなんだよね? だったら俺も秋奈さんを手伝いたいな」
「……やりたいならやったらいいと思うけど、私を手伝いたいって? 君が? どうして?」
「だってほら、俺たちって恋人だから」
愛する人のためなら危険を承知で力になりたがるのも当然じゃん、くらいの気持ちを込めて、すごい頼れるっぽい感じの表情で答えた。
決まったな。惚れちゃうだろ、これ。
「邪魔かも」
振られた。
「ゴメン、かっこつけないで本当の理由を言うよ。秋奈さんを手伝いたいのはさ、どうしようもなく俺が暇だったからなんだ。この街って広いだけで誰もいないし、お店とかも閉まっちゃってるから面白いことが何もないんだよ」
「まだろくに探索できてないけど、そんな感じはするね。君以外に人の気配が全然ない。真新しい廃墟タウンって感じ」
「それにさ、やっぱり面白そうじゃん。敵が出てくるダンジョンを攻略するなんてゲームっぽくて」
どうせ夢だから、絶対に勝てないレベルの強敵が出てきて倒されたって、夢の中の俺が死ぬだけで現実世界の俺は死なないだろうしな。
体験型のVRゲームみたいなものだ。没入感たっぷりのアトラクションとして楽しめそう。
「そっか。だったら一緒についてきてもらおうかな。一人よりは二人のほうが攻略も楽しめそうだしね」
「一緒に……いい響きだ。本当の恋人みたい」
「はいはい」
はいは一回でいいと子供のころから教わってきているはずなのに、二回も言う。二重否定は強い肯定を意味するものだって国語の授業の時に習ったけど、二重肯定は最強の肯定だろこれ。
いつか結婚もできるんじゃないかと想像して、にんまりした。
は? みたいな顔されて無視された。
悲しくなったので黙っていると、秋奈さん主導で話が進む。
「で、攻略するからにはダンジョンの入り口を探さないといけないんだけど……ねえ、どこか心当たりはある? ここに来るのは今日が初めてってわけじゃないんだよね?」
「いつも一人でうろうろしていた経験から言って、一つもない」
「頼りな……」
「嘘!」
ギリギリセーフで発言撤回に成功!
危ない。便利そうなアプリを実際に使ってみたら欲しい機能が一つもなくて即座にアンインストールされがちなリアクションというか、恋人以前に友達としても完全に役立たずな人間として切り捨てられるところだった。
ダンジョンなら心当たりがある! というほどの強い確証はないにしても、それっぽい場所の候補なら一つある。
あまりに退屈だったので意味もなくいろんなところをうろうろしてきたけれど、一か所だけ意図的に近づいていない場所があるのだ。
「よかった。君なりに思い当たる場所があるみたいだね。じゃあ、そこまで案内してくれる?」
「いいけど、そこがダンジョンとは違っててもがっかりはしないでね」
「がっかり? するかも」
「えっ、するの?」
何ということだろう。
雰囲気を和やかにするために発した軽口――違ってもがっかりしないでね――のつもりが、期待はずれで落胆される可能性が出てきた。デートの目的地に設定していた喫茶店が店休日だったらリサーチ不足というか、そんなんで幻滅されるリスクが誕生している。
おかげで足が重くなった。
自慢じゃないが俺みたいな人生二軍の人間は他人からの好感度を積み上げるよりも崩れ去るほうが簡単で、あっという間なのだ。
塩と砂糖を間違えるような些細な失点であっても、避けられるなら避けたい。
「いや、そこまで身構えられても。冗談だよ。違っててもがっかりしないって」
「ならよかった。がっかりを恐れずに何度でも失敗できる」
「何度でもは、やめて」
「うん」
俺は素直だ。頑張れと言われれば頑張るし、やめてと言われればやめられるように善処する。
それで結果がついてくるかは別。
ともかく案内することにしよう。
普段から自分の足跡をマッピングしながら歩いているわけではないので、頭の中に正確な地図が描かれているわけではないにせよ、なんとなくの記憶で目的地までの道は覚えていた。
そうだ。ここだ。
いかにも、というような、にわかには近寄りがたい異様な雰囲気がある。
「やっぱりここか……。うまく言葉にできないけど、どうにも普通とは違う怪しい気配がするというか……。どう? ここが秋奈さんが言っていたダンジョンだと思う?」
「そうだね、たぶんここがダンジョンだと思うよ。それにしても……家?」
一歩先を歩いていた俺に続いて足を止めた秋奈さんが不思議そうに目の前の建物を見上げる。
そこにあったのは、いかにも普通の一軒家。
不穏なオーラ以外には、おかしなところが一つとして見当たらない。日本のどこにでもありそうな木造二階建ての住居だ。
「よくわからないんだけど、こういう普通の家はダンジョンにならないの?」
「えっとねー、ならないこともないよ。大きさや規模が決まっているわけじゃないから。あるいは……そうだね、実は敵がいないだけで街全体がダンジョンになっていて、この家がボス部屋ってだけかもしれないけど」
「ふーん、そっか。別にどっちでもよさそう」
「実際、どっちでもいいんだよ。詳しい定義を言うなら敵が出てくるのがダンジョンで、敵が出てこないのをフィールドとかタウンとか呼んでるって話なんだけど、どんなものにも例外はあるからね。基準はあいまいなの。印象だけで判断してダンジョンっぽいのをダンジョンって呼んでるだけの人もいるし」
「へえ、そういう人が見たらこの家はダンジョンなんかじゃないって言う感じ?」
「うん。逆に、敵が出てくるなら犬小屋だろうが公衆トイレだろうがダンジョンと呼ぶべき、って人もいるよ」
「なるほど。本当にどっちでもいいのか」
じゃあ俺も雰囲気で呼び分けよう。
今はダンジョン攻略を楽しみたいので、ここはダンジョン。
それでいいじゃないか。
「……ってことで、危険なダンジョンへと足を踏み入れる準備はできてる? どんな敵が待ち構えているかわからないけれど、死にたくないなら戦わなくちゃならないよ」
「平気平気、そういうゲームみたいな夢は今までに何度も見てきたことがあるからさ。俺がヒーローになって世界を救う夢。まあ、同じくらいに殺されちゃう悪夢も何度だって見てきたけど」
「不安」
「ん? 何?」
「ふ、あ、ん。頼りないってはっきり言っておく?」
「おお、配慮と気遣いのオブラートを破り捨てた率直な反応でわかりやすくって助かるね。ダンジョンって、たぶん怖いのが出てくるんでしょ? お化けとか、幽霊とか……。ね、そんなに不安なら手を握っておく?」
と言って、お姫様をエスコートする王子様みたいな気分で手を差し出してみる。
少女漫画に出てくるイケメンたちとは比べ物にならないくらいのモブ人間ではあるが、それでもいいなら握ってくれていいんだぜ。
「そういう不安とは違うっていうかなぁ……。それにさ、ちゃんとわかってる? 戦うんだから手は自由にしておかないと。この中がダンジョンじゃなくって、敵と戦う必要のない遊園地のお化け屋敷ならお願いしたかもね」
「やった。お化け屋敷でのデートが決まったら秋奈さんと手をつなげるの確定じゃん」
「確定じゃない」
怒っているわけでも嫌がっているわけでもなく、苦笑半分で呆れているような反応。
正直、悪くない。
本当に確定かもしれん。
「かも、は、俺の中では確定演出ね。絶対にダメなら、直接的に絶対にダメだって言ってくれないと。……あのさ、話は変わるけどダンジョンに出てくるモンスターとかって捕まえて仲間にすることはできないの?」
「そういう道具やスキルがあればできるかも。でも私にはない。君にもなさそう」
「じゃあ倒すしかないのか」
「そういうこと」
わかった。とにかく敵が出てきたら倒せばいいのね。
けど、いったいどうやって?
剣とか弓とか金属バットとかの武器もないし、魔法やスキルが使えるとも思えない。
本日二度目の自慢じゃないですが俺はどこにでもいる普通の男子高校生です。
いや、運動が苦手で部活とかやってないから普通の高校生よりも弱いかもしれない。
すぐ死んじゃいそう。まさか今から始まるのって悪夢じゃないよな?
「まだ敵と戦ってもいないのに死にそうな顔しないでよ。不安さが増すじゃん。大丈夫? 魔法とかスキルとか、なんかできそうな感じある?」
「なんかって言われてもな……。ゲームみたいにステータスやアイテムボックスが表示されるわけでもないし、今のところ何かできそうな感じは一切ない」
「そっかそっか、できそうな感じが一切ない感じね。ということは自分に何ができるか戦ってみないとわかんないタイプか。事前に作戦とか立てられなさそうだね。残念」
あっけなく残念がられたけれど、表情や声色的に、本気で残念がられている様子もない。
もともと一人で探索者をやっていただけに、最初から俺の存在は戦力として数えられていないのかもしれない。
とはいえ、戦いは戦いだ。比喩としての戦いではなく、本物の戦いだ。人間同士の格闘技でも勝てるイメージが湧きにくいだけに、いきなり敵が出てきて囲まれて、おろおろしている間に反撃もできずに倒されちゃったら悲しいな。
やる気は十分、知識や経験は限りなくゼロに近い。敵との戦闘の場面で自分に何ができるかわかるまで、ちょっと後ろに下がって様子を見ていよう。
専念するのは後衛とかサポートだ。
「何やってるの? 君が案内してくれたんだから先に入りなよ」
駄目だった。
二の足を踏んで意気地なしだと思われては沽券にかかわる。
なので、こうなったら出たとこ勝負だと覚悟を決めて先頭に立ち、ノックもせずに扉を開く。
「おっ、開いた」
夜の街に存在する他の建物とは違い、侵入者を阻むための鍵はかかっていなかった。無人の街と同じく室内に住人は一人もいないのか、脱いだ靴は玄関内に一足たりとて見当たらない。
玄関から続く家の中は……魔物どころか人間の気配もなく、見たところ普通だ。
板張りの廊下があって、いくつか部屋があり、狭くて急な二階への階段もある、一般的な日本家屋。
ダンジョンというか、ただの家。
お宅訪問だな。
状況が状況なので、常識的に守るべきマナーを無視して靴を脱がずに土足で敷居をまたいでいく。
うーん、夢じゃなければ許されない背徳感。
「こうして実際に足を踏み入れる前に聞けばよかったけど、どんな敵が出てくるの? 警察?」
「それ現実世界の侵入者に対する敵ね。しかも倒しちゃ駄目なやつ」
うむ。
「出てくる敵はダンジョンによるよ。スライムやゴブリンみたいなモンスターだったり、SFとかに出てきそうなロボットだったり、ホラー映画やパニック映画の幽霊とか宇宙人だったり。探索者のための攻略本はないから、実際に出てくるまではわかんないかな」
「ふーん、びっくり箱みたいなもんか」
これが現実世界なら怖くて一歩たりとも先に進めないが、どんなに強くぶたれても痛みを感じない安全な夢の世界なら、何が出てくるか楽しみでさえある。
猛獣だろうがゾンビだろうが何でも来いだ。
どうせなら戦いがいがあるやつのほうがいい。経験値やドロップアイテムをたっぷりくれそうだし、普通じゃお目にかかれないすごいモンスターとかが出てきてほしいな。
巨体のドラゴンとか。
「いやー、どうかなあ。どこにでもあるような普通の一軒家にドラゴンって、たぶん身動きできないくらいに窮屈だと思うよ。リゾート地にありそうなプール付きの豪邸ならわかるけど、この家の玄関くぐれる? 廊下も歩けないほどギッチギチじゃないかな」
「ドラゴンはドラゴンでも擬人化されたドラゴンでさ、普段は人間サイズくらいに小さくなって生活してるとか。どっかの居間に座ってて、お茶飲んでたりして」
「それ精神的に倒しにくくない?」
「だったら仲間にしよう。異世界ファンタジーもののゲームやアニメに出てくるドラゴン娘とかすごくタイプなんだよね」
強いし可愛いしな。とか思っていたら隣から冷たい声。
「なんで娘」
「あっ……別に息子でもいいです。仲間になってくれるならおじさんでも」
この変態オタク、みたいな白い目で見られたので背筋を伸ばす。
いいじゃないか。誰に迷惑がかかるわけでもない夢の中でくらい、強くて可愛い仲間たちに囲まれた美少女パーティーを夢見たって。
リアルに考えるなら、異性が一人もいない男ばかりの友達パーティーでも十分に楽しそうだけどな。お情けで彼女として付き合ってくれている秋奈さんの出番は今日だけで、明日からは見知らぬ男子高校生たちと一緒にダンジョン攻略する展開になっても俺は全然構わない。
いっそおじさんでも本当にいいというか、なんなら性別不明のロボットとかでもいい。
言ってしまえば俺は暇だから誰かと遊びたいだけなんだ。
急いで恋人を作りたいわけではない。恋愛なんて大人になってからでもいい。
「ちょっと、ほら、敵! ぼんやりしないで!」
「え、ほんとだ! 敵! ぼんやりしてる!」
びくびくしながら扉を開くこと二回ほど空振りを食らって、一階には何もいないんじゃないかと緊張感が途切れつつ、三度目に入った部屋の奥。
家族団欒の雰囲気で食事ができそうな長方形のテーブルの向こうに敵がいた。
もわもわとした煙みたいな白い人影。
はっきりとした顔はなく、ホラー映画でよく見る幽霊みたいだ。
「探索者の先輩らしく私がやってもいいけど、たぶんそんなに強くなさそう! 特訓だと思って攻撃してみて!」
「おっけ、この俺に任せてくれ!」
なんて口では勇ましく言ってはいますがね、ろくな戦闘訓練もないまま漠然とした指示で「攻撃してみて!」って言われても。
丸腰の男子高校生には武器も魔法もないんですが。
だけど不安は全くない。
なにしろここは俺が見ている夢の世界。
主役であり創造主でもある俺にはきっと誰もが驚く特別な力が眠っていて、どんな敵でも一撃で倒せるはずなのだ。
「うおりゃああああああ!」
軽い助走で部屋に入り、数歩目のところで左足を使いカーペットが敷かれた床を蹴って、走り幅跳びの先にパンチングマシーンが置いてあるつもりで敵にとびかかっていく。
上半身を半回転させて振りかぶった右手で、渾身のストレート。
敵はその場から動かず、真正面から直撃。
「あれ?」
なのに全く手ごたえがない。
攻撃が届く直前にエイムがずれて外れたのではなく、しっかり敵の体に当たったはずなのに衝撃がなかった。相手が幽霊みたいなものだとしても、何かに触れたような感触さえない。
どうやら俺のパンチが相手の体をすり抜けたらしい。
「なんてこった! こいつには実体がない! これじゃ本物の幽霊じゃないか!」
「どいて! 邪魔!」
「あ、はい! しゃがんどきます!」
ザシュウウウウ!!
バランスを崩して倒れ込むようにしゃがんだ頭の上で風切り音がして、内側からの風で窓がガタガタと揺れた。
カーペットが波を打って、ほこりが舞い上がり、熱を感じさせないLEDの電灯がちらつく。
数秒ほど待って恐る恐る顔を上げてみれば、そこにいたはずの敵の姿は跡形もなく消えてしまっている。
なんか知らんが勝ったらしい。
「死ぬかと思った」
「初めてだと怖いよね。でも大丈夫、今のはそんなに強い敵じゃないよ。あと何発か攻撃を食らっちゃってても死にはしなかったはずだよ」
いや、敵じゃなくて秋奈さんの攻撃で。
目の前の敵よりも、後ろの秋奈さんのほうが怖くない? 俺のこと大事な仲間だと思っているなら大切にしてくれるだろうけど、今の立場だと邪魔になったら敵と一緒に倒されちゃいそう。
コンビを解消されてしまいかねないので、不安に思ったことは黙っておく。
連携するにも身を守るためにも、状況の把握は肝心だ。今後のためにもさっきの彼女が具体的に何をしたのだろうかと、注意深く秋奈さんを見る。
いつの間にやら、その手に剣らしきものが握られている。
鉄でできた刃ではなく、ゆらゆらとした水色の、いかんとも形容しがたい物質の剣だ。
「うわすごい。なにそれ」
「風の剣」
「かっこいい……」
なんとなく風属性って緑色のイメージがあるけど、この世界では水色なんだ、と思う俺。そもそも現実の風には色なんてついてないけどな。
言うなれば透明属性。
なんにせよ、美術品みたいに美しい。
「見て。武器だけじゃなくてハンディの扇風機にもなる」
こんな俺であっても褒められたのが嬉しいのか、普通の剣にはない実用性を見せつけてくる秋奈さん。
手に持っている間は常に少量の風が吹いているのか、水色のガスで構成されたような剣先を顔の横に立てて、気持ちよさそうに涼んでいる。
「ほら」
と言って、自慢げな笑顔で俺に近寄ってきた秋奈さんは剣先を俺ののど元に突きつける。
うーん、確かに気持ちいい程度の風がある。
「あ、涼しい……」
いや、冷える。
どちらかというと肝がな!
ちょっと剣先がずれただけで、さっきの敵みたいに俺も死んじゃいそうだ。
かわいがってるペットをなでさせて満足したみたいな彼女が剣をしまって、正面から隣に移動してくれたのを確認してから、安心して口を開く。
「魔法みたいに出したり消したりできる剣か。切れ味もいいみたいだし、俺にもそういう武器があればいいんだけどな。さっきみたいな敵が出てきたら殴るだけじゃどうしようもない」
「いいんじゃない? そのために私が一緒にいるんだし」
「ん? これからも一緒にいてくれるってこと?」
「んなわけないじゃん……と言いたいところだけど、まあ、いられる間はね。ダンジョンのこと教えちゃったし、あとは知らないって君を見捨てるのは薄情すぎる気がする。少なくとも武器や魔法の一つくらい使えるようになるまでは一緒にいてあげるよ」
「ありがとう。だったらいつまでも使えないといいな」
言った瞬間、返事が来るよりも早くに肩をつかまれた。
小声で「確認なんだけど」と言ってから、肩に置かれた秋奈さんの指に力が入る。
「……向上心、ある? ない?」
たぶんこれ、答えを間違えたらバッドエンドに直行するような二択の選択肢。
しかもきっと回答までの制限時間付き。
「もちろんあるよ。怠惰と無責任さに表面が包まれているかのように見えるかもしれませんが、これでも俺は向上心の塊です。一刻も早く秋奈さんの役に立ちたいと考えているほどに」
「ならよかった。すべてが面倒になって見捨てちゃうところだった」
「あぶな……答えを間違えたら見捨てられるところだった」
「ほらほら、行くよ。早くボスを見つけてダンジョンをクリアしよう」
「そうだね。なんたって俺は向上心の塊だからね。見た目には努力とかしてなさそうに見えるかもしれないけど、中身は――」
「はいはい、わかったから、じゃあ先に行って」
「任せてくれ! この俺に!」
あまりにも静かな夜の街、家の外はおろか山の向こうまで響くくらいの大声で答えた俺は腕まくりして、次の部屋へ向かう。
今ならどんな敵が出てきても自分一人で戦えそうな気分だ。
気分だけな。
「あっ、敵! さっきのと同じやつ!」
「よし、向上心の塊が爆発するぜ! 食らえ! 遠隔パンチ!」
まだ距離があるうちから腕を振りかぶって、先ほどの敵と同じ姿をしている白い影に殴りかかる。
あくまでもウォーミングアップのシャドーボクシング。人間に備わっている腕の長さから考えて届くわけがない。威嚇にもならない空振りだ。
万が一にも届いたところで相手は幽霊だから、すり抜ける。
なのに、次の瞬間、敵は真っ二つになっていた。
「す、すごい。これが俺の、力……?」
そこにあったのは馬鹿でかい剣。
空中に向かって正拳突きをした俺の右腕の動きに合わせて、突如として肩から生えた透明な太い腕が、学校の更衣室なんかにあるロッカーの扉ぐらい大きな剣を横薙ぎにしたのだ。
胸くらいの高さで、水平に。
記録を塗り替えたホームラン王に輝くスラッガーのフルスイングくらいの勢いで。
巨大なドラゴンほどではないけれど、一般家庭の室内で振り回すには大きく、敵に剣先が届くまでの道筋で壁や扉にも一本の傷が入っている。
「ほんと、すごい……」
かすれたような声に振り返ると、苦しそうに胸を抑えた秋奈さんがその場に膝をついた。
足元には、大量の出血。
敵にやられたのではない。自分でも予期できぬまま飛び出してしまった俺の規格外の攻撃が、すぐ近くにいた秋奈さんまで巻き込んでいたのだ。
「あ、秋奈さん……! ごめん、俺のせいで!」
「だ、大丈夫。……あーいや、この傷の感じだと大丈夫じゃなさそう。たぶん死んじゃう。でもさ、そんなつらそうな顔しないでよ。これは夢だから、私が死んじゃったって気にしなくていいんだよ」
「秋奈さん!」
「じゃあね。今日は楽しかったよ」
急いで駆け寄ろうとした次の瞬間、足を踏み出す前に秋奈さんの姿が消滅した。
今の一撃で死んだ?
いや、俺のミスで殺してしまったのだ。
「そんな……夢だからって、こんなあっけなく……」
全身から力が抜けていく。
彼女が消滅して一人きりになったところで、ダンジョン探索を続けようとも思わない。
その場にへたり込んだ俺の夢はそのまま、後味の悪い悪夢で終わった。




