01 頭内爆発音症候群
小学生の頃はおとなしく授業を聞いているだけで学校の成績はよく、真面目そうだというだけでクラスメイトや先生からの評判も悪くなかった。
なのに中学では下り坂。ちっとも努力しないくせに「自分はできる人間だ」という根拠のない自信だけは持っていて、テストの直前に一夜漬けを頑張るだけ頑張って、やっとこさ平均点を取るような日々だった。
そして迎えた高校生。いまいちやる気が出ない授業はおろか、家でも怠惰な毎日を繰り返し、気が付けば成績は下の下。取り立てて趣味もなく、やることと言ったらスマホでゲームや動画を楽しむ程度。
あれよあれよという間に成績が悪くなって、定期テストの順位もガクッと下降して、さすがに将来に対する危機意識が芽生えてきた。
――どうしようかな、俺。
――このままだと進学はおろか、大人になったときに仕事もできなさそう。
そんなこんなで高校生になってから不安と心配事が枕のお供となって一段と寝つきが悪くなり、なかなか眠りにつけない寝苦しい夜が続いていた。
なかなかどころか、ど真ん中。
言葉にするなら、なかなかなかなかなかなか、くらいだ。
あまりに眠れなさ過ぎて、夜遅くにうとうとして眠くなってきても「どうせすぐには眠れやしないんだよな……」なーんて考えてしまって、ベッドに入るのが面倒に感じてしまえるほどである。
睡眠にいいとされるものを飲み食いしても効果は見られず、ストレッチも運動も疲れるだけで思うように眠気を誘発せず、どう頑張っても無理なものは無理。
結果的には二時とか三時にならないと寝られやしないのに、午前零時くらいに覚悟を決めて横になってしまうのは、そうしないと結局は徹夜の状態で翌日を迎える羽目になるからだ。
午後のお昼寝タイムであるシエスタが許可されていない日本社会、平日の学校を睡眠不足の状態で迎えるのは、正直だるい。というか下手をすると死んでしまう。
そこまでいかずとも、調子が悪ければ気絶くらいはするだろう。
というわけで、頑張って今のうちに寝る。
よし、寝よう!
「うーん……」
はい、苦行。
今日も今日とて元気のない睡魔に負けてあげるための戦いが始まった。いつものように布団にもぐって「眠れ眠れ」と思いながら目を閉じて、何度も右へ左へ寝返りを打つだけの無駄な時間を辛抱強く消費する。
寝ろ、寝ろ。
ほらほら、今すぐ寝ろよ、自分。
「…………ううーん」
いや、無理だ。やっぱり眠れない。眠れないったら眠れない。
これさあ、みんなどうやって眠ってるの?
入眠の難易度おかしくない?
あの手この手も万策尽きた。どうやっても夢の世界に入れなそう。
「ああ、どうやら今夜も駄目みたいだな……」
頑張っても頑張らなくても、数時間後に迎える朝に向かって一分一秒ずつ時間がじれったく進んでいくだけ。すやすやと心地よくスムーズに寝入ることは不可能。
ベッドや枕に体を預けて、四肢を投げ出して仰向けになって目を閉じて、不安と焦りを感じながら何を考えるでもなく、くたびれて気絶するように寝落ちするのを期待するしかない。
そう思って無の感情で目を閉じたまま、おおよそ三十分くらい過ぎたころだろうか。
――ズゴドガボゴオオォォォン!!!!!!
という、耳を覆いたくなるほどのビッグサウンドが俺を襲った。
「うわっ! ば、ば、ば、爆発!」
ドカーンとか、ボゴーンとか、言葉で表現するのも難しいくらいにとんでもない爆発音が鳴り響いたのだ。
いや、これ、とんでもない、というのはちっとも大げさな表現ではない。部屋の壁を貫通してきた音の圧力だけで鼓膜が破れても不思議ではないと思える規模の、すさまじい爆音だった。
はっきり言って心臓に悪い。
テレビのバラエティー番組で見るような爆破ドッキリも所詮はスピーカー越し、臨場感でいえば比べ物にならない今のそれは段違いの爆発音。膨らませに膨らませた巨大風船がついに限界を迎えて割れたとか、近所で盛大なパーティーが開かれていてクラッカーが一度にたくさん鳴ったとか、そんなクラスじゃない正真正銘の大騒ぎ。
愉快な想像をするなら家の真上で夜空いっぱいの打ち上げ花火が咲いたんじゃないかと思えるほどではあるが、その正体がなんであるにせよ、目を見開いて飛び上がってもおかしくないレベルの異常事態である。
「な、何が起こったんだ……? 今の、すごい爆発だよな?」
すっかり気が動転してうまく頭が回らないけれど、これはきっとただ事ではないだろう。世間を揺るがす事件か事故か災害か、もしくはテロか戦争か。きっと翌日からは連日ワイドショー。近隣住民としてカメラを向けられて、証言者の一人としてテレビやネットのニュースで全国デビューも待ったなし。
しかしそれはそれ。安全に翌日を迎えられればの話。
バクバクと激しく脈を打つ心臓に急かされて慌てて膝立ちになり、混乱したまま頭の中をよぎったのは、アクション映画でよく見るド派手な爆破シーンだ。
体が振動するほどの音を出してくる映画館の音響設備であれば、現実の出来事と勘違いするほどの臨場感にも自分なりに納得はつけられる。
けれどここは小さなスマホとしょぼいスピーカーを備えたテレビモニターしかない俺の部屋であり、住んでいるのはハリウッドの撮影スタジオではなく日本の地方都市。
テロだの戦争だのと、びっくりするほど世界情勢が不安定になっている世の中とはいえ、前触れなく近所で大事件が起きたとは考えにくく、ド派手なカーチェイスや宇宙人の侵略があったとは思えない。
現実的な可能性を考えると近所で火事でもあってガス爆発が起きたのか、そうでなければ家の庭に落雷があったか、はたまた隕石が落っこちた可能性もある。
「ふう……」
ひとまず、ゆーっくりと、ため息。
すーはーすーはーと何度かゆっくりと繰り返して、自己ベスト更新を狙って全力で短距離走を走った直後みたいに生き急いでいた呼吸を整える。
うん。大丈夫。
よしよし、ちょっとは頭が冷静になってきた。
しかし完全にリラックスして腰を落ち着かせるのは当分先だ。先ほど中断した今夜の睡眠チャレンジに戻るにはまだ早い。
俺が寝ている二階の寝室に直接的な被害がなかったとはいえ、これがもしも至近距離で起きた爆発事故だとすれば、家の壁を平気で吹き飛ばす規模の二発目が来ないとも言い切れないのだ。
爆心地から距離があるおかげで直接的な爆発の被害がここまで届かずとも、どこかで火災が発生しているなら火の手は近づいてくる。
まずは命が大事と着の身着のままパジャマ姿で避難するなり、無責任な傍観者に徹さずスマホの緊急通報で消防車や救急車を呼ぶなり、何をするにも状況を正しく知る必要がある。
「……ん?」
だがしかし、これはいったい、どうだろう?
ドタバタと慌てて部屋を出てすぐ、何かがおかしいことに気が付いた。
対岸の火事どころか手前も手前、それこそ庭先くらいの距離で天地を揺るがす大爆発が起きたはずなのに、まったく騒ぎになっていない。死傷者多数の事故か事件か災害か、なんにせよ命にかかわる大変な緊急事態だと思って焦っているのは世界でも自分ばかり。
テレビもネットも平常運転、あまりにも周りが平和すぎる。
――さっきのは幻聴? 勘違い? 寝ぼけていた?
結局その日は何事もなく眠ったが、数日後に再び爆音が発生したので俺は飛び起きた。
今どこかですごい爆発音しなかった!? 家族に聞いても薄い反応。それどころか馬鹿を見る目でこちらの相手をする。ヘタクソな演技で驚かそうとする仕掛人を見ているドッキリの被害者というか、あきれた声で「こんな夜中に爆発なんてあるわけないでしょ、ふざけてないで早く寝なさい」ときた。
このあたり一帯どころか、この街のどこにいても聞こえたに違いない大爆発だったにもかかわらず、のんきに眠っているのか友人やクラスメイトからの連絡も一切ない。
これはおかしい。恥ずかしい。大山鳴動して鼠一匹、自分が山ならネズミさえ出てきていない。あるいは無自覚なオオカミ少年か。
冷静になろうとしても先日と同じように心臓がバクバク言っているので落ち着ける精神状態ではなく、いつまた爆発が聞こえるかと思えば数時間は気が気でなくて眠れない。自分の頭の後ろに設置された巨大な風船に空気が送り込まれ続け、油断したところでパァン! と破裂するようなものなのだ。
これはいったい……。
よもや、とうとう俺はおかしくなってしまったのか?
いつまでたっても気が休まらないのでは仕方がないので、たっぷりと時間を使って一人でじっくり考えてみる。
どこからともなく爆発音がするのは決まって夜、それも布団でうとうとしている時だ。
「ほほう、なるほど……」
これは何か睡眠と関係があるだろうと思って調べてみると、ちょうどぴったり同じ現象がネットに紹介されていた。
その名も『頭内爆発音症候群』というわけだ。
疲労やストレスなどが原因で寝つきが悪い時に発生しやすい現象であり、うまく眠れないときに脳がちょっとした勘違いをしてしまい、自分の頭の中だけで爆発音が聞こえてしまうとか。あまり大げさに言いふらさないだけで、それなりに多くの人が経験していることだそうだ。
もしこれが本当ならもっと有名になってもよさそうなものだが、初めて聞いた。世の中にはまだまだ自分が知らない不思議なこともあるものだな、と思って高校で気軽にしゃべれる唯一の友達である永杉に話をしてみると、意外にも彼は心配するような表情をする。
「それって本当に大丈夫かー? ネットで簡単に調べた情報だけで自分の症状を決めつけるのってやめたほうがいいんじゃねー?」
「……確かに」
あまりにもぴったりと当てはまっていたおかげで一度は納得していたものの、まるで自分のことのように心配して不安がっている彼に言われて思い直した。ネットやテレビ、書籍などで見かけた情報を鵜呑みにする。難しいことや興味のないことについて、手早く集められる情報で満足して自分の頭で考えることを放棄しがちなのは、子供のころから続いている悪い癖だ。
しかしこれは悩ましい問題である。聞いてくださいお医者さん、たまに誰にも聞こえないはずの爆発音がするんです、などと言って病院に行くのもどうしたものか。
ただの勘違いですね、などと言われて終わりではなかろうか。だとすれば診察料がもったいない。いかにもそれっぽい名前がついている頭内爆発音症候群というのがネット上に誤って書き込まれた間違った情報でしかなく、医学的には一件たりとも報告されていない架空の症状だとすれば、ありえない妄想を真剣に訴え続けているうちに精神科を受診するようにと進められるかもしれないではないか。
どこかの組織が大規模に電磁波攻撃を行っていて、僕たち日本人の脳に夜な夜な爆発を起こしているんです……などと真剣に言い出し始めれば、自分でも気づかぬうちに陰謀論者の仲間入りだ。
ようこそ、なんてされたくない。
「ドカーン!」
「え、何?」
「これくらいかー?」
「ああ、寝る前に聞こえた爆発音? いや、もっと大きかったね……おとなしく眠っていられないくらいだから」
「ふーん、そっかー。口で再現するのは難しい感じなんだなー」
そうだ。難しい。なにしろ今までに聞いたことのないレベルで大きな音だった。爆発によって生じる衝撃波のような音の圧力だけで寝室の壁が吹き飛ぶんじゃないかと思ったほどだ。これは普段から音漏れが不安になるくらい壁が薄いのも原因にあるが。
ご近所付き合いが得意でなく、他人との距離を近く感じるアパートやマンションに昔から苦手意識のある俺にとって、周囲からの視界を遮る塀に囲まれた一軒家に住まわせてもらっている時点で環境にばかり文句も言ってられないとはいえ……。
「まー、せいぜい気を付けることだなー」
「うん。そうする。自分の頭の中にだけ聞こえる爆発音なんて何をどう気を付ければいいのかわからないけど、少なくとも過度な悩みやストレスを抱え込まないように努力するよ」
「どーにもならないことがあったら相談しろよー」
「ありがとう」
と、これで終わったのが高校一年生の夏休み前。
以後、ちょくちょくどころか時間経過とともに頻度を増して発生するようになった巨大な爆発音が俺の寝入りを邪魔し続けた。
こんなんじゃ普通に生きていけない……とか弱気になってストレスや疲労を感じていたのは最初の数週間ほどで、なんだかんだイレギュラーが日常になって慣れてくると、頭の中で発生する爆音をきっかけにして眠りに入るようになった。
それだけでなく、馬鹿みたいに大きな爆音がスイッチになって、夢まで見るほどだ。
どういうわけか夢の舞台は毎回同じで、誰もいない無人となった街。
それも、いつも決まって太陽が沈んで静かになった夜の世界が広がっていた。
誰もいない深夜の街を自由に歩き回れるなんて、夢の中でしか味わえない最高の非日常感じゃないか! などとテンションが最高潮に盛り上がったのは最初の数回程度であり、いつまでたっても自分以外に登場人物が出てこない退屈な夢なのですぐ飽きた。
「一人で気ままに散策するにしても、さすがに毎日同じ場所じゃあつまらないよなぁ……。ひどいときは数時間くらい目覚めてくれないから、望んでもいない長い夢のせいで疲れが取れないまま翌日を迎えるし」
つまり、どちらかというと夢を見るのを苦痛に思い始めたのである。
いつ出発するかもわからない「睡眠」という電車を根気強く待ち続けて、ようやく出発したかと思えば「就寝駅」から「起床駅」まで数十分から数時間かかる長距離移動をスマホなどの暇つぶしなく過ごさなければならない感じ。
暇や退屈なんて言葉では言い表せないくらいの苦痛である。
びっくりさせられるだけの爆発音より、よほど深刻な問題だ。
せめて誰かいてくれれば違ったのに。欲を言えば可愛い美少女がいいけれど、この際だから老若男女の誰でもいい。いっそ人間でなくたっていい。
大切なのは暇をつぶしてくれる会話相手だ。
夢の中でなく現実の世界でだって、本当の意味で一人になったら自由を謳歌するよりも孤独に耐え切れず死んでしまいたくなるだろう。
というわけで誰か存在しろ!
誰でもいいから返事しろ!
おーい!
ハロー! ニーハオ! ナマステ! でも使い慣れた日本語以外だとまともに会話できないから、せっかくの登場人物が日本語の通じない外国人だとちょっと困るぜアデュー!
見晴らしのいい大通りから呼びかけるだけでなく、押し売りの迷惑なセールスマンになった気分で手当たり次第に家のドアを叩いてみても意味はなく、人間はもちろん犬も猫も、命あるものは何も出てきてくれない。
多くの場合、建造物の出入り口には現実と同じく鍵がかかっているため、「無人のお宅訪問だ! お前らの部屋を見せてみろ!」と入ろうとすれば石か何かで窓を割って侵入するしかなく、それがまた夢の世界への嫌悪感を助長させた。
俺が見ている夢なんだから俺のために都合よくあれよ、という意味で。
「どうせ誰もいないのになぁ……って、ん? 今の、もしかして爆発か?」
ぶつぶつしゃべっていると、不意にどこか遠くから爆発音が聞こえたような気がした。夢に入る前ならいつものことだが、夢に入った後で聞こえるのは初めてのことだ。
となれば気のせいかもしれない。あまりにも退屈で心の底から他人の存在を願望しているだけに、今の俺は期待通りの幻聴を生み出す余地がいくらでもあるので、実際に聞こえたのかどうか自信がなくなる。
これまでの経験において、夢の世界で楽しいイベントが発生した前例が一度もない以上、ついに来た! と何かを期待しても肩透かしの確率は高い。
「ま、いいや。確かめに行ってみよう」
それでも結局は爆発音に向かって踏み出すことにした。
好奇心旺盛というか、すごく暇だからな!
「いてて……」
すると、どうであろう。
意外や意外、ジョギング程度の駆け足で向かった先には人間がいた。
運動着みたいなハーフパンツに薄汚れた白いシャツを着た少女が一人、爆発か何かで崩れた小屋から出てきたのだ。
建物の崩壊に巻き込まれたらしい悲惨な状況。完全に倒壊した建物の中から出てきたところを見るに、運が悪ければ死んでいてもおかしくないのに「いてて」ときた。
あまりにのんきなものである。
心配する気持ちが全くないわけでもないが、見た限りでは怪我もありそうにない。
「大丈夫?」
確認するまでもなく大丈夫だろうと思いながら、歩くペースを抑えてこちらものんびりと近寄り、念願の人に会えた喜びをいったん心の奥にしまってから冷静に尋ねる。
もしこれが現実世界の出来事であれば焦って駆け付けてスマホで救急車を呼んで……と、実にいろいろやらなければならないが、ここは俺が見ている夢の世界。
どうせ彼女は都合よくできている。
あるいは、ストレスや悩みが具現化した悪夢として都合悪く。
どちらにせよ意識が覚醒している明晰夢の途中であり、ここが夢の中だとわかっている俺が焦る必要はないのだ。
「私は大丈夫だけど……君は?」
「俺?」
「うん。かなり馴れ馴れしく声をかけられちゃったけど、たぶん私の友達じゃないっていうか……友達の友達でもなさそうだし、私の記憶が確かなら初めて会う人だよね?」
と言ってくるので、今の質問に対して何か答えようと思ったら、そのタイミングもなく彼女が続けざまにぶつぶつとつぶやく。
「このダンジョンのボス……ってわけでもなさそうだし、やっぱり探索者の人?」
「え、何? ダンジョンのボス? 探索者? 俺が?」
意味がわからん。
感情を隠さずにそんな顔をすると、俺の表情を見た彼女も困惑した。
「ん……その反応からすると違うみたいだね。じゃあ一般人なのかな。それともまさかNPC?」
「一般人? エヌピーシー?」
おやおや、困った。夢の中で発生する会話にはよくあることだけれど、突拍子もないゲームみたいな話をされているらしく、何を言っているのかさっぱりわからん。
こうなったら、出会ったばかりの彼女の前で「わからないダンス」を踊ろう。振り付けは小首をかしげたり肩をすくめたりするだけ。
よーく、わかりませーん!
「こわ……」
とだけ言って、相手は固まった。
効果は抜群だな。これで相手に会話を待ってもらうことができる。
……それにしてもかわいい少女だ。言っていることが支離滅裂というか、ポジティブに表現するならミステリアスさがないわけではないけれど、お姉さんじみた知的なクールビューティーさはなく、都会に染まっていない素朴さを持ったキュートな女の子という感じ。
声や見た目から判断すると年齢は俺と同じくらいで、たぶん高校生だろう。実のところ中学生でも大学生でもいいが、年齢が近いほうがしゃべりやすいので高校生だと助かる。
うん、決まり。そういうことにしておこう。
つまり彼女は女子高生というわけだ。
ダンジョンとか探索者とか、何を言っているのかわからない会話はいったん中断することにして、とりあえず正面から向き合って立つ。
「ん、何?」
などと、これ見よがしに肩をすくめ返されながら問われたけれど、すぐに答えはしない。
会話のきっかけとするにふさわしい言葉が思いついてないせいもあるが、このまま話を始めるのは我慢して、ちょっと待ってからでもいい。
ここはいったん彼女の言葉を無視して黙り、ぼんやりと観察する。
「え、何? ほんとに何? 何かしゃべってよ」
という相手からの質問とか動揺は無視する。
完全に不審者はこちら。常識とルールと法律に縛られた現実世界なら許されない反応だけど、これは夢だから許されるはず。
ともかく、落ち着いて近い距離から彼女を凝視。
「ふむふむ」
「ふむふむって……だから、何?」
ほーん、なるほど。やはりかわいい。
もしもこれが夢の世界を利用して深層心理が見せている少女だとすれば、ひょっとすると彼女こそ俺の理想のタイプなのかもしれない。
ふむふむ、そう思うとドキドキしてきた。
高校生にしては中学生っぽい幼さをちょっぴり残している顔だけでなく、そんなに高くない背丈も、肩くらいまで伸びた黒髪も、優しい声も穏やかそうな性格も、そのすべてが俺の妄想によって生み出された無意識なオーダーメイドのヒロイン。
彼女にするならこういう子、という理想の姿。
だとすれば好きになるのも当然の帰結。
あまりにも簡単に落ちてしまったが恋だ。
これは俺が見ている夢。出てくるのは理想の彼女。
であれば、きっと会話だってうまくいく。
「何? っていうかさ、えっと……」
とまあ、無邪気にそう信じたいけれど、口に出かかった言葉をストップする。単なる妄想と違って、夢であろうと会話は一人では成立しない。その相手として俺も頑張らねばならんのだ。
うっかり変なことを言ってしまったら……と考えてしまい、気さくな感じで何かを言おうとしていた俺はあっさりと口ごもった。
実際問題、夢の世界はままならないものだ。内容も展開も筋書き通りにはいかず、登場人物や舞台だって脈略なく変わってしまう。どんなに幸せで楽しい内容であっても同じ夢を何度も見られるとは限らず、明日からはまた無人の街を散策するだけの夜が繰り返されるかもしれない。
もしかしたら顔を合わせるのは今夜限りで、どんなに願っても彼女とは二度と会えないかもしれないではないか。
だったら仲良くなれるチャンスは今だけ。
もしもそうであるならば、ゆっくり遊んでいる場合ではない。我ながら強引とは思うが、手っ取り早く展開を進めよう。どうせ現実世界には存在しない少女なのだ。架空のキャラクターである夢の中の相手に遠慮するのも変な話である。
名前も知らない相手が警戒するのも忘れて、現実だったら絶対に接近しない距離まで遠慮なく踏み込んで、何でもないことのように提案する。
「好きです。付き合ってください。結婚もしよう」
決まった。
本日のプランは、これだ。
手を握るのだって恥ずかしがるような初々しい恋人となって夜のデートを満喫するのもいいけれど、明日以降も同じ少女に会える保証がないとなれば、せっかくだから彼女との新婚生活を送る幸せな夢を見たい。
そう、俺と彼女は夫婦になるのだ!
今、ここで!
「……えらくもったいぶっていたから、いったい何を言うかと思えば。結婚? さすがにいきなり過ぎない?」
「えらくもったいぶっていたらしいけど、さすがにいきなり過ぎたか」
人間が空を飛んだり宇宙人が攻めて来たり、荒唐無稽な展開も多い夢だからとんとん拍子に話が進むかと思えば、現実を度外視する期待とは裏腹にそうはならず、あろうことか彼女にあきれられてしまった。妙なところで生真面目なところがある性格が災いしたのか、俺の夢も手順は踏みたがるらしい。
初対面でろくに会話もないまま両想いになって即結婚、なんてまさに夢物語。理由もないままに都合よく相思相愛のラブラブ状態にはなってくれず、地道に好感度を上げて彼女からの承諾を得なければならないタイプの夢か。
面倒だけどそこは重視するリアリティ。想像力の欠如とは言ってくれるな。
「じゃあ恋人からお願いします」
「じゃあって……そこは普通、友達からじゃない?」
「ふーん、そういう感じ? だったら友達になろう。でも親友とか腐れ縁とかじゃなくて、恋人一歩手前の親密なやつね」
「大丈夫なのかな、この人。ここのボスや宝を探してるって感じでもないし、仲間どころか友達もいなさそうだし、やっぱり無自覚な迷い人なのかも」
「安心してよ。支え合える仲間かどうかはともかく学校に友達が一人はいるし、君を好きだというこの気持ちについては自覚も自信もあるよ。ちっとも迷ってない。好きです。付き合ってください。結婚もしよう」
「大丈夫じゃなさそうだね」
うっすらと自覚はあるけど口にするとはひどい。どんなヒロインだ。
それともやはり自覚があるからこそ口にするのか。夢の世界の作者は俺。俺が知らないことは夢の世界の誰も知らず、何かを期待していないのなら何も起こらない。
なんて思っていたけれど、夢の中に出てくる登場人物として俺の管理下にあるはずの彼女はちょっぴり優しく微笑んだ。
「でも仲間がいなさそうな君を一人で放っておくのも心配だから、ちょっとは付き合ってあげる。付き合うっていうのは……まあ、いいや。自覚がないなら私に何かしようとしてきても簡単に撃退できるし、しばらくは暇だからさ、君がここにいる間は恋人ってことでいいよ」
「えっ、いいの?」
「うん。……まあね。ここまでストレートな告白って初めてされたし」
ふーむ、なるほど。やっぱりこれは夢だ。
めちゃくちゃな提案をしている自覚はあるのに、まさか本当に向こうから「恋人ってことでいいよ」とは、願ってもないとんとん拍子。
だったらこのまま突き進もう。許可をもらえたんなら遠慮はなしだ。
「ありがとう。じゃあキスしよっか」
「キスって、だからさ、さすがにいきなりすぎない? 結局はそういうことしたいだけ? なら恋人って話もなしにしよう」
「うーむ。気難しい」
「いや、普通、普通。むしろ軽蔑しないから優しいくらい。気難しいって……」
あきれたように肩をすくめて苦笑する彼女。よく見れば、そんな仕草もかわいらしい。
勢いのまま一方的に気持ちを押し付けてしまっている俺の言動に引くことなく、普通に相手してくれているのを考えると、確かに優しいくらいだ。さすが夢。現実なら嫌われている。恋人どころか友達になるのも難しい。通報されてグッバイだ。
だけど夢の中の彼女は一歩引くこともなければ、ぷいっと背を向けそうな気配もない。
なんだかんだと言いながら、このまま俺の相手をしてくれようとしている。
なんて優しい。
好き。
さらば現実。
俺はこの人と結婚します。
「……でもいいか。本当はキスもしたいし結婚もしたかったけど、こうやって二人でしゃべっているだけでも楽しそうだ。形式的なものだとしても、君と恋人の関係なんだって思いながらだと、そばにいるだけでも幸せな感じがする」
「そうそう、そうやって幸せを感じてて。キスとか結婚とかは冗談として受け取っておくけど、なんであれネガティブな感情を刺激するのはよくないから。楽しく会話してようよ」
楽しく会話してようよ、か。まるでセミナーか何かを受けている気分だ。
どうやら俺の深層心理は自分の心を癒す必要があると判断しているらしい。
……正解!
「だったらお言葉に甘えて楽しく会話しよう。けど、その前に名前だけでも教えあっておこうか。いつまでもキミって呼び合ってると心の距離を感じるからさ。俺は遠藤スガル。君は?」
「秋奈。風鳴秋奈。好きなように呼んで」
「じゃあ秋奈さんかな。俺たちの関係が恋人だとすると、最終的には秋奈って呼び捨てにしたいところだけど」
「そこはいったん段階を踏むんだ。別にいいけどね。踏む分にはいくら踏んでくれたって」
「ドM?」
「はったおすぞ」
というわけで、寝る前の爆発に悩まされていた俺は夢の中だけに存在する恋人と友達のように楽しく会話をして過ごすようになりましたとさ。
ちゃんちゃん。




