第12話 祝いの飾り紐と空白の台帳
彼は私のそばにいる、と言ってくれた。
その言葉の熱が、夕暮れになっても身体の芯に残っている。
厨房には、これまでにないほどの活気が満ちていた。
ダズが私の店に残ると決まったこと、そして彼が「英雄」としてではなく「一人の男」としてこの町に滞在することを、ミレイさんが面白おかしく触れ回ったせいだ。
結果、店の前の小さな広場で、即席の歓迎会が開かれることになった。
「リネット、パイが焼けたよ! 次はどうするんだ!」
「ハンスさん、それを大皿に移してください! 私はローストポークを切り分けます!」
厨房の中には、エプロンをつけた常連客たちがひしめき合っている。
普段は食べる専門の彼らが、今日は私の指示で動いてくれる。
オーブンから取り出したばかりの肉塊にナイフを入れる。
ザクッ、という音と共に、香ばしい肉汁が溢れ出す。
その豊かな香りが、私の決意を祝福しているように思えた。
「よっと、重いなこれ!」
「気をつけて運んでくださいね!」
大皿を抱えた男たちが、次々と広場へ出て行く。
私も料理を載せたワゴンを押し、外へと出た。
広場は、夕陽と松明の明かりで黄金色に染まっていた。
長テーブルが並べられ、私の作った料理が所狭しと並んでいる。
そしてその中心には、ダズがいた。
彼はいつもの軍服ではなく、シャツの袖をまくり上げたラフな姿で、コップ酒を片手に町の人々と笑い合っている。
「お、主役のお出ましだ!」
誰かが私に気づき、声を上げた。
一斉に視線が集まる。かつては怖かったその注目が、今は温かい。
「リネットちゃん、すげえご馳走だ!」
「やっぱりあんたの料理が一番だよ!」
口々に浴びせられる称賛に、私は照れくさく笑ってワゴンを止めた。
ダズが人ごみをかき分けて、私のそばに来る。
「……すごいな。これ全部、お前が仕切ったのか?」
「みんなが手伝ってくれましたから。私はただ、指示を出しただけです」
「それが凄いと言ってるんだ。ここには、お前の味方がこんなにいる」
彼は眩しそうに広場を見渡した。
その横顔を見て、私は胸がいっぱいになる。
私の居場所はここにある。そして彼も、その景色の中に溶け込んでくれている。
「さあ、始めようか」
ミレイさんが音頭を取り、宴が始まった。
音楽が鳴り、笑い声が響く。
私は料理を取り分けながら、幸せを噛み締めていた。
自分の作ったもので、誰かが笑顔になる。
その当たり前の光景が、今は何よりも尊い。
宴もたけなわになった頃、広場の中央にある大きな木に、飾り付けをすることになった。
町の人々が持ち寄った色とりどりの布やリボンを編んで作った、長い長い飾り紐だ。
これを木に巻きつけるのが、この町の祝いの習わしらしい。
「リネット、ダズ様! あんたたちで仕上げを頼むよ!」
ミレイさんに背中を押され、私たちは飾り紐の端を持たされた。
太く編まれた紐は、ずっしりとした重みがある。
多くの人の手が加わった、絆の重さだ。
「……やるか」
ダズが私を見て、ニッと笑った。
その笑顔は、昔と変わらない悪ガキのものだ。
私たちは紐を持って、木の根元へ進んだ。
「せーの!」
掛け声と共に、紐を高く放り上げる。
美しい弧を描いて、紐が枝に絡みつく。
わあっと歓声が上がり、拍手が巻き起こる。
ダズは私の隣に立ち、皆に向かって片手を上げた。
「この町はいいところだ。飯は美味いし、人は温かい」
彼の声が通ると、広場が静まり返った。
「俺はもう少し、ここに厄介になるつもりだ。……大事な相棒が、ここにいるからな」
彼は視線を私に移した。
「相棒」。
恋人とも、幼馴染とも言わず、そう呼んでくれたことが嬉しかった。
共に人生を歩む、対等な存在として認めてくれたのだから。
「ダズ様、俺たちはいつだって歓迎するぜ!」
「リネットちゃんを泣かせたら承知しないからな!」
野次が飛び、また笑いが起こる。
私は赤くなった顔を隠すように、ダズの袖を軽く引いた。
「言い過ぎですよ」
「事実だろ。お前がいなきゃ、俺の胃袋は満たされない」
彼は私の耳元で囁き、そっと私の手を握った。
飾り紐の下、誰にも見えない位置での秘密の接触。
その掌の熱さが、私の居場所を確かなものにしてくれた。
宴が終わり、後片付けが始まった頃。
私はミレイさんに手招きされて、店の裏口へと回った。
「どうしたんですか、ミレイさん?」
「ちょっとね、見せたいものがあるんだ」
いつになく真剣な表情の彼女に、私は少し身構えた。
ミレイさんは懐から、一枚の書類の写しを取り出した。
古びた羊皮紙だが、そこに書かれた文字には見覚えがあった。
「これ……私の、追放令状の写し?」
「ああ。役場にいる古い馴染みに頼んで、こっそり調べてもらったんだ。あんたがどんな理由でここに来たのか、気になってね」
彼女は書類の一箇所を指差した。
「ここを見てみな」
指差されたのは、追放の理由と、承認印が押されるべき欄だった。
そこには、不可解な空白があった。
本来なら、家長である父の署名と、王宮からの正式な認可印があるはずの場所。
そこに、不自然な余白がある。
「……変ですね。これがなければ、追放は正式には成立しないはずじゃ」
「そうなんだよ。それに、日付もおかしい。あんたが家を出た日より、三日も後の日付になってる」
ミレイさんの声が低くなる。
「つまりね、この書類は何者かが急いででっち上げたか、あるいは正規の手続きをねじ曲げて処理された可能性があるってことさ」
背筋に冷たいものが走った。
ただ「不要だから」と追い出されただけだと思っていた。
けれど、もしそこに誰かの悪意や、政治的な意図が隠されているとしたら。
「この空白が何を意味するのかは分からない。でも、あんたの周りには、まだ見えない何かが蠢いてるかもしれないよ」
ミレイさんは警告するように言った。
私は書類を見つめたまま、動けなかった。
ダズが言っていた「王都での厄介なこと」という言葉が、不気味な重みを持って蘇る。
「……ありがとうございます、ミレイさん。これ、預かってもいいですか?」
「ああ。用心しなよ」
書類を受け取る手が、微かに震えた。
広場からは、まだ楽しげな笑い声が聞こえてくる。
ダズはそこで笑っている。
私を選んでくれた彼。
けれど、その選択は、もしかしたら彼をこの不気味な陰謀に巻き込むことになるのではないか。
私は書類を懐にしまい、広場の方を振り返った。
飾り紐が風に揺れている。
その鮮やかな色彩の向こうに、見えない影が落ちているような気がした。
それでも。
私は深呼吸をして、顔を上げた。
今は、この幸せを守りたい。
彼が私を選んでくれたこと。私がここにあることを許されたこと。
その事実に嘘はないのだから。
「待たせちゃダメだわ」
私はエプロンを締め直し、光の方へと歩き出した。
不安はある。謎もある。
でも、私を選ぶということは、彼にとってどんな代償を生むのだろう?
その答えを知る日が来るとしても、今は隣で笑っていたいと思った。
夜空の下、ダズが私に気づいて手を振った。
私は笑顔で駆け寄る。
二人で結んだ飾り紐の下へ。
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