表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された私が作るご飯を、英雄になった幼馴染が毎日食べに来ます!  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/12

第11話 戻ってきた手袋と選ばれた朝

町の声が私を止めた。彼にも、その熱が伝わったのだろうか。


昨晩のスープの温かさが、まだお腹の底に残っているような気がした。

翌朝、私はいつもより少し遅い時間にアパートを出た。

行李は部屋の隅に押しやったままだ。中の荷物を解くのは、今日一日が終わってからにしよう。まだ、心のどこかで「本当にこれでいいのか」という迷いが燻っているから。


上着のポケットに手を入れる。

革の手袋が、そこにある。

今日はこれを彼に突き返すためでも、隠し通すためでもなく、ただ「あるべき場所」に戻すために持ってきた。

もし会えなくても、ミレイさんに預ければいい。もう、逃げるように置いていく必要はないと思えた。


店へ続く小道を歩く。

砂利を踏む自分の足音が、昨日までより少しだけ力強い。

「ここにいていい」と言われた。必要とされた。

その事実がお守りになって、私の背筋を伸ばしてくれる。


店の裏口が見えてきたあたりで、私は足を止めた。

また、彼がいる。

一昨日の拒絶の朝と同じ場所、同じ立ち位置。

けれど、今朝のダズは腕を組んでいなかった。

壁に背を預けることもなく、ただ真っ直ぐにこちらを見て立っていた。


逃げ出したい衝動が一瞬頭をもたげる。

「関わるな」と言われた言葉が、古傷のように疼く。

でも、私はもう逃げないと決めたのだ。

拳を握りしめ、私は彼に向かって歩を進めた。


「……おはよう、リネット」


彼の方から声をかけてきた。

その声には、先日のような冷たさも、刺々しさもない。

ただ、ひどく疲れたような、それでいてどこか吹っ切れたような響きがあった。


「おはようございます、ダズ様」


私は立ち止まり、努めて明るく返した。

彼との距離は二メートルほど。

手を伸ばせば届くけれど、踏み込まなければ触れられない距離。


「昨日の夜、店が随分と騒がしかったようだな」


「……ええ。おかげさまで、スープが完売しました」


「そうか。……お前が作ったのか」


「はい」


彼は短く息を吐き、視線を少し下げた。

その手には、何も持っていない。


「俺は、お前にここを去れと言ったつもりだった」


心臓が縮む。

やはり、彼は私が残ることを良しとしていないのだろうか。


「でも、お前は残った」


「……はい」


私は顔を上げて彼を見た。

彼の瞳は、私を責めているようには見えなかった。むしろ、眩しいものを見るように細められている。


「ミレイから聞いたよ。『あの子を追い出すなら、まずは私を倒してからにしな』と脅された」


彼は苦笑した。

その表情を見て、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。


「それに、町を歩けば誰も彼もがお前の料理の話をしている。『あのスープがないと始まらない』『あの子がいなくなったら暴動が起きる』とな」


「それは、大げさですけど……」


「いいや、事実だ。お前はもう、この町の一部になっている」


ダズは一歩、私に近づいた。

革靴が砂利を踏む音が、私の心臓を直接叩く。


「俺は怖かったんだ」


唐突な告白だった。

英雄と呼ばれる彼が、「怖い」なんて。


「俺のそばにいれば、お前はまた傷つくかもしれない。俺の敵がお前を狙うかもしれないし、貴族たちが有る事無い事を噂するだろう。だから、遠ざけるのが正解だと思った。お前を守るためには、俺が我慢すればいいと」


彼は言葉を切ると、痛ましげに顔を歪めた。


「だが、間違っていた」


「ダズ……?」


「お前がいなくなると考えただけで、俺は……何も手につかなくなった。剣を握っても、書類を見ても、お前の顔が浮かんで消えない。お前がいない世界で英雄になんてなって、何の意味がある?」


その言葉は、どんな甘い愛の言葉よりも重く、私の胸を貫いた。

彼もまた、迷っていたのだ。

私と同じように。役割と感情の間で。


「リネット、聞かせてくれ。君がここにいると、僕は困ることがあると思うか?」


彼は昔の口調に戻っていた。

幼い頃、私が失敗して泣いている時に、「僕がついてて困ることある?」と聞いてくれた時と同じ声。


私は首を横に振った。

言葉が出なかった。


「僕はお前が邪魔だなんて、一度も思ったことはない。むしろ逆だ。お前がいないと、僕は自分が何のために戦っているのかさえ見失う」


彼はもう一歩近づき、私の目の前に立った。

彼の体温が伝わってくるほどの距離。

鉄と革の匂いが、朝の冷気を追い払うように私を包む。


「俺は、お前を選びたい。世間がどう言おうと、俺の経歴に傷がつこうと構わない。俺の人生には、お前が必要だ」


「……でも、私は追放された身で……」


「関係ない。誰が何と言おうと、俺が守る。そして、お前が作った飯を食って生きていく。それが俺の望みだ」


涙が溢れた。

「迷惑だ」と思い込んでいた自分が、恥ずかしくなるほど真っ直ぐな言葉。

彼は私を「守られるべき弱者」としてではなく、「共に生きるパートナー」として必要としてくれている。


私は震える手で、ポケットから革手袋を取り出した。

使い込まれてくたびれた、片方だけの手袋。


「これ……忘れてましたよ」


涙声で差し出すと、彼は少し驚いたように目を見開いた。

そして、優しく笑った。


「ずっと持っていてくれたのか」


「……捨てられなくて。貴方が置いていった温もりみたいで」


彼は私の手ごと、その手袋を包み込んだ。

大きくて、ごつごつした手。

剣ダコのある硬い掌が、私の冷えた指先を温めていく。


「ありがとう。……これがないと、剣が滑って仕方なかった」


「ふふっ、英雄様でもそんなことあるの?」


「あるさ。俺だってただの人間だ。お前がいなきゃ、手袋一つ満足に管理できない」


私たちは、涙を流しながら笑い合った。

朝霧が晴れ、陽の光が差し込んでくる。

二人の影が、足元で一つに重なっていた。


「リネット。ここにいてくれ。俺のそばに」


「……はい。私は、ここにいます」


私はしっかりと頷いた。

もう迷わない。

誰かの許可を待つのではなく、私がここにいることを、私自身が許す。

そして彼もまた、私を選んでくれたのだ。


彼の手が離れ、手袋が彼のポケットに収まる。

けれど、掌に残った熱は消えなかった。

それは「約束」の熱だ。

幼い日の落書きのような約束が、今ここで、形を変えて結び直された気がした。


「さあ、店を開けないとな。客が待ってる」


「ええ。今日も美味しいものを作らなきゃ」


「手伝おうか?」


「ふふ、皿洗いなら雇ってあげますよ」


軽口を叩きながら、私たちは並んで店の裏口へと歩いた。

その背中はもう、遠い存在ではない。

手を伸ばせば届く、隣にある温もりだ。


けれど、ふと思う。

彼が私を選んだこと。それが公になれば、きっと王都では大きな問題になるだろう。

彼はそれをどう乗り越えるつもりなのだろうか。

「選ぶ」という言葉の重さを、私はまだ本当の意味では理解していなかったのかもしれない。


「彼は本当に私を選んでくれたのか?」


その問いは、不安ではなく、これからの未来への覚悟として、私の胸に刻まれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ