第2話 あだ名
旧部室棟のいちばん奥にある、その正体不明の部屋。
窓際の壁に、一枚の紙がセロハンテープで貼られている。
放課後探検隊
夕暮れ倶楽部
秘密結社☆アフタースクール
その全部に、赤ペンで容赦なくバツ印。
端っこには、九条の字で「全部却下」。
そのさらに脇に、いろはの丸っこい字で「ひどい」。
紙は、窓から入り込む風に、ぺらぺらと情けなく揺れていた。
ソファの背もたれにあごを乗せたいろはが、それをじっと見つめる。
「……あのさ」
沈黙に、いろはの声がぽとりと落ちた。
「私たちのあだ名ってさ。誰が決めたの」
折りたたみ机の向こう。教科書を出すふりをしながら菓子袋を整えている甘利が、首だけ向ける。
「急だな」
「ふと思って。だってさ」
いろはは指を一本ずつ折って数えた。
「クジョー、コンビニ、シオリ、オチ、ボツ。冷静に並べると、私だけひどくない」
「並べなくてもひどい」
窓際で椅子に座っている九条が、即答した。
「そこは否定してほしいとこだよね」
「無理があるだろ」
「私もそう思う」
本を読んでいる栞が、ページだけめくりながら同意する。
「シオリのそういうとこ、たまに刺さるんだよ」
* * *
「まず、クジョーから確認していこう」
いつの間にか、いろはは立ち上がっていた。机の上にノートを開き、タイトルを書き込む。
あだ名由来調査会
「勝手に会を発足するな」
「委員長、私」
「委員何人だよ」
「五人。全員強制参加」
いろはは、ずい、と九条を指さす。
「第一号。クジョー。由来は」
「見て分かるだろ。名字が九条だからだよ」
「そのままかよ」
「不満あんのか」
「私だけコンセプト強すぎない」
「コンセプトって言うな」
甘利が、ぽりぽりとポテチをつまみながら口をはさむ。
「でもさ。クジョーって、ちょっとゲームの主人公感あるよな」
「何その雑な褒め方」
「裏切らなさそう。一番最初に仲間になるタイプ」
「初期メン感出すな」
「でも正式名称はクジョウだよね」
栞が本から目を上げた。
「伸ばすとカッコよくなるという風潮」
「誰の風潮だよ」
「ボツの風潮」
「私のせいか」
「次。コンビニ」
いろはの視線が、菓子の山の主に移る。
「はいっ」
甘利はなぜか元気よく挙手した。
「由来は?」
「毎日コンビニに行くから」
「そのままかよ第二弾」
「先生に言われたんだよ。お前、ほぼ店員だな、って」
「先生発祥かよ」
「でも俺は誇り持ってるからな。コンビニ」
「誇りの安売りだな」
九条がぼそっとこぼす。
「いや考えてみろ。みんなが放課後に必要とするものは何だ」
甘利はポテチを掲げた。
「糖分と塩分」
「医者に怒られそうな答えだな」
「その両方を、俺は提供している。つまり」
甘利は胸を張る。
「俺は、みんなの社会インフラ」
「うさんくさい自己紹介やめろ」
「次。シオリ」
いろははくるりと振り返り、ソファの背もたれにひじを乗せて栞を見る。
「由来は?」
「名前が栞だから」
ものすごくシンプルな答えが返ってきた。
「一番まともだ」
いろはが感心したように頷く。
「でも名字の黙のほうがインパクトあるよね」
「黙、って呼ばれたいか?」
九条が眉をひそめる。
「いじめの第一歩っぽい」
「分かる」
甘利も即頷きした。
「黙。しゃべらないで、って圧かけてる感じあるもんな」
「元からあんまりしゃべらないから合ってるけど」
栞は自覚ありげに自分の喉元に指を当てる。
「だからシオリでいい」
「自己完結早いな」
「はい、問題のオチ」
いろはが、じりじりと落合のほうへにじり寄る。
落合は、いつも通りスマホを握りしめていたが、にじり寄られても特に反応しない。
「落合の落、からオチ」
九条が説明する。
「まあ、そうだよな」
「それプラス」
甘利が、ニヤリと笑った。
「こいつの声がだいたい会話の締めに来るから」
「……そんな事ない」
当人が、画面から目を離さないまま否定する。
「あるだろ。さっきも何もしてないのに、ボツの精神的ダメージにオチが付いた」
「人のダメージにオチ付けないでもらえます?」
「じゃあ本人に聞こう。オチ、自分のあだ名、どう?」
「……別に」
「出た。『別に』」
「感情をどこかに置いてきたのかお前は」
「ちゃんと持ってる」
ほんの少しだけ、落合の眉が動いた気がした。
「さあ、最後の問題児いこうか」
いろはは、すっと自分を指さした。
「ボツ。由来は?」
「それ昨日も聞いたろ」
九条が即座にツッコむ。
「記憶の定着には反復が必要なの」
「お前の記憶力を心配しろ」
「えー、じゃあ改めて。企画が?」
「ほぼ全部没になるから」
「ほぼって付けたとこで救いになってないよね」
「事実だからな」
甘利が指を折りはじめる。
「映画撮ろう、バンド組もう、廃墟行こう、合コンしよう、脱出ゲームやろう、タイムカプセル埋めよう」
「やめて、数え上げるのやめて」
「今ので何個だ」
「七」
「七没」
栞が淡々と数える。
「今日までで、たぶん三十は超えてる」
「私の高校生活の三十が没に消えたの」
「まだ増える予定」
「未来を没扱いすな」
* * *
「よし、分かった」
いろははぱん、と手を打った。
「私は今日、ボツを卒業します」
「何の宣言だよ」
「もっとカッコいいあだ名がほしい。響きが良くて、青春感あって、主人公っぽいやつ」
「一つも条件満たしてない現状を受け止めろ」
「今から新あだ名会議を開催します」
いろははノートのページをめくり、新しいタイトルを書いた。
新ボツ命名プロジェクト
「タイトルがすでにひどい」
九条が眉を押さえる。
「じゃあまず候補」
いろははペンを握り、迷いなく書き始める。
「一つ目。プリンセスいろは」
「没」
九条の判定が一秒で下る。
「早い早い。理由を言え」
「プリンセス要素がゼロ」
「ゼロって何。せめて二くらいない?」
「じゃあ聞くけど、プリンセスっぽいところ言ってみろ」
「……プリン体は好き」
「痛風予備軍じゃねえか」
「次いこう」
「開き直りが早いな」
「キャプテンいろは」
「何のキャプテンだよ」
「放課後の」
「範囲が曖昧なんだよ」
「アフタースクールキャプテン」
「英語にしただけで濁った空気が増したな」
「夜明けの風いろは」
「中二病か」
「クジョー、人の青春を病気呼ばわりしないで」
「病気って付くくらいにはこじらせてる」
「じゃあ、いろは様」
「没」
「ひどくない? 丁寧に呼ばれたい」
「丁寧さと敬意は別物だぞ」
「炎の企画女王いろは」
「字面からして不安しかない」
「ボツマスターいろは」
「それもう自分で認めてるじゃねえか」
「じゃあ、伝説の企画職人いろは」
「伝説になる前に全部没ってんだよ」
「つまり」
九条は、軽く息を吐いた。
「全部没」
「ここでも没判定乱発しないでもらえます?」
「ボツのボツ案会議」
栞が、さらっとサブタイトルを付けた。
「副題付けないで」
「じゃあさ。みんなで考えてよ」
いろははペンを机に投げ出し、両手を広げる。
「私ひとりの案だと偏るから。客観的に見て、私に似合うカッコいいあだ名を」
「難題押しつけてくるな」
「シオリから」
いろはに指名され、栞は少しだけ首をかしげた。
「いろは」
「うん」
「ボツ」
「現状維持かい」
「最適解」
「最適解って言った今」
「コストゼロ、認知度高い、呼びやすい」
栞は、自分の指を折って条件を挙げていく。
「ブランドとして完成してる」
「ボツがブランド化してるのおかしくない」
「もうそれ、ボツ株式会社だな」
甘利がポテチをつまみながら笑う。
「コンビニがパッケージ作ってやるよ。ボツ味」
「どんな味だよ」
「企画会議で一回は出るけど採用されない味」
「具体性のない地獄みたいな味やめて」
「じゃあ甘利。何か無いか」
いろはは、藁にもすがるような目でコンビニを見つめる。
「そうだな」
甘利は腕を組んで、わざとらしくうなった。
「ムダエネルギーいろは」
「ひどくない?」
「放課後に全力で使い道のない企画ばっか考えてるから」
「使い道のないって言うな。夢があるって言え」
「夢にしてはごりごりに現実に負けてる」
「クジョーがたまに的確なんだよ」
「じゃあ、ネーミング変えるか」
甘利は続きを出してきた。
「放課後ジェネレーター」
「ちょっとカッコいい」
「ムダの部分を削ってスタイリッシュにした」
「略してホウジェネ」
「呼びづらいにも程があるだろ」
「ホウゲンみたいで地方色出る」
「地方色って何。私どこの方言キャラなの」
「残ってるのはオチだけだな」
九条が、ゲーム世界に沈んでいる落合をちらりと見る。
「オチ。なんか案」
「……」
しばらくの沈黙ののち、かすかな声が落ちてきた。
「いろは」
「なに」
「ボツでいいと思う」
「この流れでそれ出す?」
「……似合ってる」
落合は、画面から目を離さないまま、淡々と言い切った。
部屋の空気が、一瞬だけ静止する。
「似合ってるって今言ったよね」
「言った」
間髪入れずに答える栞。
「褒めてないよね」
いろはがじり寄る。
「……褒めてない」
「正直か」
* * *
「分かったよ。そっちがその気なら、こっちだって考えがある」
いろははくるりとノートを閉じた。
「報復に出るなよ」
「今から、みんなのあだ名を私がリニューアルします」
「やっぱり報復か」
「まずクジョー」
いろはは、にやりと笑う。
「新しいあだ名は、ツッコミマシーン」
「機械扱いやめろ」
「口を開けばツッコむ。自動。電源はいらない」
「電池切れさせてくれ」
「省エネ設計」
「余計なお世話だ」
「じゃあ、第二候補。人間ブレーキ」
「何だそれ」
「私の暴走を止めるから」
「つまり一生踏まれ続けるブレーキか」
「そう。すごいでしょ」
「何がだよ。ひたすら負荷しかないじゃねえか」
「採用でいい?」
「よくない」
「次。シオリ」
いろはの視線が、読書少女に向く。
「候補その一。歩く図書館」
「本は貸さない」
「貸し借りシステム拒否された」
「候補その二。零デシベルガール」
「音量ゼロみたいに言うな」
隣の椅子から九条が突っ込む。
「でもよくしゃべる日でも一デシベルくらいだよね」
甘利が悪ノリする。
「それ、人間の可聴域に乗るのか」
「その辺りでぎりぎり存在を主張してる」
栞は、少しだけ考えたあとでぽつりと言った。
「黙読システム搭載少女」
「自分で変な二つ名作り始めた」
「それはそれでカッコいいから困るんだよ」
「でもあだ名にするには長いな」
「略して黙少」
「響きが物騒なんだよ」
「次。コンビニ」
いろはは指をぴしっと向ける。
「第一候補。カロリー爆撃機」
「もうちょっと優しい表現ない?」
「毎日高カロリーを上空から投下してくる」
「上空から持ってきたことは一度もない」
「じゃあ地上搬送型カロリー爆撃機」
「長くなっただけだ」
「第二候補。ジャンクフードプリンス」
「それちょっとカッコいい気がするんだけど」
甘利がまんざらでもなさそうな顔になる。
「ほら。コンビニよりモテそう」
「略してジャンクプリ」
「急に語感が悪くなった」
「第三候補。スナック経済圏」
「もはや何の生き物だよ」
「甘利経済圏、広がってるからね」
「世界が狭いんだよ。この部屋の机の上くらいしか無いだろ」
「ラスト。オチ」
いろはは、ずいと近づく。
落合は、相変わらずスマホの画面を見ている。
「第一候補。ログアウト君」
「……」
「いつも現実からログアウトしてるから」
「してない」
「第二候補。課金の亡霊」
「課金してない」
即座に否定だけは速い。
「月いくら」
「ゼロ」
「健全だった」
「第三候補。ラスト一行担当」
「小説みたいに言うな」
九条があきれ声を出す。
「でもだいたい会話の最後に何か言っていくじゃん」
「さっきもやった」
栞が淡々と補足した。
「オチが付いて、オチになる」
「落合だけに」
甘利がドヤ顔でダジャレを放つ。
「コンビニ、今のは没」
「俺のダジャレまで没るのかよ」
「ボツの権限で没を出すな」
九条がすかさず止めに入る。
「で、オチはどれがいい」
いろはが、期待をこめて落合を覗き込む。
「……どれもいや」
落合は、画面をタップしたまま、はっきりと言った。
「即答だな」
「ちなみに理由は」
「……めんどい」
「一番説得力ある理由やめて」
* * *
ひとしきりあだ名で遊び倒したあと、部屋には一瞬だけ静けさが戻る。
窓の外では、夕日の色が少しずつ濃くなってきていた。
「結局さ」
いろはが、ソファにずるずると沈み込みながら言う。
「私だけボツのまま」
「安心しろ」
九条が、ポテチの袋を折りたたみながら答える。
「安心できる要素ゼロなんだけど」
「ボツはもう、いろは自身みたいなもんだろ」
「人格と同一化しないで」
「いろはって聞くより、ボツって聞いたほうが落ち着くもんな」
甘利が軽く笑う。
「名前よりあだ名のほうが定着してる」
栞がページを閉じながら言った。
「リボツ」
「何その新語」
「リボンの位置を間違えた」
「漢字の変な遊び方すな」
「ボツはマイナスの意味じゃない」
栞は、少しだけ言葉を選ぶように続けた。
「たくさん考えてる証拠」
「……」
「何も出さない人は、没にもならない」
部屋の空気が、ほんの少しだけ変わる。
「シオリ、今のちょっと良いこと言った」
「自覚ある」
「自覚あった」
甘利がくすっと笑い、九条が頭をかく。
「まあ、確かにな」
九条は窓の外を見ながらぼそっと付け足す。
「お前が何か言い出してくれるから、俺らもヒマつぶしできてるわけで」
「ヒマつぶしって言ったね」
「事実だろ」
「事実だけど」
いろはは、ソファの背もたれに頭を預けて、天井を見上げた。
「ボツでいいのかも」
「今さらか」
「ただし」
いろはは、指を一本立てる。
「ボツは、悲しい意味のボツじゃなくて」
「何だよ」
「次の企画に続くボツ」
いろはは、どや顔で言い切った。
「……打ち切りじゃなくて、打ち切り寸前みたいな言い方だな」
九条が額を押さえる。
「エンドカードに『つづく!』って出る感じ」
「ボツ回にまでエンドカード付けなくていいだろ」
「でも実際、次の企画考えるし」
甘利が、空になった袋を丸めながら言う。
「ボツ→次の企画→ボツ→次の企画」
栞が、指で小さな円を描く。
「永久機関……」
「エネルギーの無駄遣いって言って?」
いろはがむっとして言い返すと、落合がぽつりと落とした。
「……でも、そのおかげで暇じゃない」
誰も、それにツッコまなかった。
かわりに、窓の外の空が、ゆっくりと群青に変わっていく。
――そして、この二話のどこにも、文化祭の準備は出てこなかった。
前回の次回予告で「文化祭で何かやろう」と盛大に宣言していたあの声たちは、どうやら別の世界線の住人だったらしい。
この物語の次回予告は、わりと平気で嘘をつく。




