7. 挑戦状
「……ついて来な」
案内された先で、シャーロットは息を呑んだ。そこは、まさにトマトの楽園だった。
背丈近くまで伸びた茎に、大小様々なトマトが実っている。真っ赤に熟したもの、まだ青いもの、そして見たこともない黄色やオレンジ色のトマトまで。プチトマトは房なりに実り、大玉トマトは掌に余るほどの大きさに育っている。
独特の青臭い香りが、辺りに満ちていた。それは、シャーロットにとっては懐かしく、愛おしい香りだった。
「素晴らしい……」
思わず感嘆の声が漏れる。キラキラと目を輝かせながら、シャーロットはトマトたちを見て回る。
「これだけあれば、オムライスもトマトソースも作り放題!」
「待ちな」
ガンツの低い声が、シャーロットの夢想をさえぎった。
振り返ると、老人は腕を組んで難しい顔をしている。
「確かにわしはトマトを作っとる。二十年以上もな。だが……」
ガンツの視線が、愛情と諦めの入り混じったものに変わる。
「町に出荷しても『毒々しい』『酸っぱくて青臭い』と誰も買わん。最初は『いつか分かってもらえる』と思っとったが……」
老人の肩が、わずかに落ちた。
「自分で食うだけのために作るのも馬鹿馬鹿しくてな。そろそろ止めようと思っとったんじゃ。結構育てるの大変なんだわ、これが」
二十年の苦労と孤独が、その言葉に滲んでいた。
「いやいや、トマトは最高に美味しいんです! たくさん買いますから、ぜひ作り続けてください!」
シャーロットは身を乗り出した。
しかし――――。
「じゃが、お嬢ちゃんが買っても、お客が食べなかったらゴミになるだけなんだぞ?」
ガンツは冷徹な視線を投げかける。
「だっ、大丈夫です! トマトの美味しさを私がみんなに紹介します!」
シャーロットは両手のこぶしをグッと握りブンと振った。
その熱意に、ガンツの硬い表情が少しだけ和らぐ。
「ふむ……」
顎髭を撫でながら、じっとシャーロットを見つめる。やがて、その瞳に挑戦的な光が宿った。
「そこまで言うなら……一つ条件がある」
「な、なんでしょう?」
「わしは今まで、トマトは生で食うか、せいぜい塩をかけるくらいしか知らん」
ガンツは、にやりと笑った。
「もし、本当に美味い『トマト料理』とやらを食わせてくれたら……、考えてやってもいいが?」
挑戦状を叩きつけられたシャーロットの目が、炎のように輝く。
「お任せください!」
いきなり降ってきた試練だが、シャーロットは勝利を確信していた。それだけトマトのポテンシャルを信頼しているのだ。
◇
ガンツの家は、農場の隣にある石造りの質素な建物だった。
台所は意外にも整然としていて、年季の入った調理器具が丁寧に手入れされて並んでいる。シャーロットはエプロンを身につけると、早速調理に取りかかった。
まず、ガンツが差し出してくれた真っ赤なトマトを手に取る。
(いいトマトだわ。愛情を込めて育てられたのが分かる)
鍋に湯を沸かし、トマトのお尻に十字の切り込みを入れた。沸騰した湯にさっとくぐらせ、すぐに冷水へ。
「ほう……」
ガンツが興味深そうに覗き込む。
するりと皮が剥けるトマト。それを手際よく刻んでいく。果肉からじゅわりと果汁が溢れ、まな板を赤く染めた。
フライパンにオリーブオイルを注ぎ、みじん切りにしたニンニクを投入。火にかけると、たちまち香ばしい香りが立ち上る。
「ニンニクの香りが移ったら……」
刻んだトマトを一気に加える。
ジュワァァァ!
勢いよく水分が蒸発し、甘酸っぱい香りが台所中に広がった。木べらで優しくかき混ぜながら、トマトが煮崩れていく様子を見守る。
「なんだなんだ、この美味そうな匂いは……」
ガンツの声には、期待が混じっていた。
「トマトは加熱すると旨みが出てくるんですよ」
塩、胡椒で味を調え、スプーンですくって味見をする。
「うん、美味しい! ふふっ」
その嬉しそうな表情に、ガンツも思わず笑みをこぼす。
別の鍋では、パスタが踊るように茹で上がっていく。タイミングを見計らって湯切りし、真っ赤なトマトソースと絡める。仕上げに粉チーズをたっぷりと振りかけ、摘んできたバジルの葉を添えた――――。
「さあ、召し上がってください」
シャーロットは最高の笑顔で、湯気の立つパスタをテーブルに運んだ。
「えぇ……こんな真っ赤なパスタ……大丈夫かよ、おい……」
ガンツは眉をひそめながら、恐る恐るフォークを手に取る。
くるくるとパスタを巻き取り、ゆっくりと口に運ぶ。
その瞬間――――。
「こ、これは……!」
老人の目が、まるで子供のように見開かれた。
「どうですか? ふふっ」
シャーロットは期待に胸を膨らませて見守る。
ところが――――。
ガンツはズルズルと勢いよくパスタをすすった後、急に腕を組んで黙り込んでしまった。眉間に深い皺を寄せ、何やら考え込んでいる。
「あれ? お気に召しませんでした?」
不安になったシャーロットが首をかしげた、その時。
ガタン!
ガンツが突然立ち上がり、そのまま何も言わずにドアを開けて飛び出していった。