6. 真っ赤な宝石
とぼとぼと歩いていると、小さな花屋の前で、ふと足が止まった。
店先には色とりどりの花々が、鮮やかに並んでいる。向日葵が太陽を追いかけるように顔を上げ、薔薇が朝露を纏って輝き、小さな勿忘草が可憐に微笑んでいる。
その花々の中で、シャーロットの視線が一点に釘付けになった。
真っ赤な宝石のような実がいくつも実っている鉢植え――――。
「こっ、これは……!?」
震える手で鉢植えに近づく。鼻を近づけると漂う、懐かしい青臭い香り――――。
朝日を受けて、まるでルビーのように輝くその姿に、シャーロットの心臓が高鳴った。
「プチトマト!?」
その瞬間、まるで宝物を見つけた子供のように重かったカゴも忘れ、弾むような足取りで店の中に飛び込む。
「こっ、この鉢植え、どこで手に入れたんですか?」
カウンターで花の手入れをしていた女主人が、シャーロットの勢いに目を丸くする。
「ああ、それ?」
女主人は苦笑いを浮かべながら、エプロンで手を拭いた。四十代半ばだろうか、日に焼けた頬に笑い皺が刻まれた、人の良さそうな女性だ。
「郊外のガンツじいさんが作ってる……トマトだったかしら? 変わった植物よ。『観賞用にどうだ』って持ってきたけど……」
女主人は肩をすくめる。
「赤い実が毒々しいって、誰も買わないのよね。正直、私も処分に困ってたところよ」
「でも、これ……食べられるんです! とっても美味しいんです!」
シャーロットの言葉に、女主人の顔色が変わった。
「食べる!? あんた、この赤い実を? 毒があるんじゃないの?」
「い、いえ、大丈夫です! 本当に美味しいんです! 甘酸っぱくて、瑞々しくて……」
シャーロットは必死に説明するが、女主人の表情は半信半疑のままだ。でも、その真剣な眼差しに何かを感じたのか、しばらく考え込んだ後、小さくため息をついた。
「まあ、あんたがそこまで言うなら……ガンツじいさんの農場は、ここから東に向かって、丘を一つ越えたところにあるわ」
女主人は、丁寧に道順を説明してくれる。
「ガンツのじいさんは変わり者だけど、悪い人じゃないわ。ただ、ちょっと……いや、かなり頑固なところがあるから、気をつけてね」
シャーロットは何度も頭を下げ、震える手で鉢植えを手に取った。
「これ、買わせてください!」
「え? 本当に? でも……まあ、持ってってちょうだい。お代はいらないわ」
「えっ!? でも……」
「捨てようと思ってた物だからね。それに価値を知ってる人に貰われた方がトマトも嬉しいでしょ? はっはっは!」
女主人は楽しそうに笑った。
「あ、ありがとうございます!」
ローゼンブルクの人の温かさにシャーロットは泣きそうになった。誰もが笑顔でゆとりがある。計算高くあることが尊ばれる王都ではとても考えられない。
私もこうありたい――シャーロットは心からそう思った。
手提げ袋に大切に収めたプチトマトの鉢植え。小さな赤い実が、まるで希望の灯火のように、シャーロットの心に光を灯していた。
◇
翌日早朝、朝露がまだ草木を濡らす時刻。シャーロットは期待と不安を胸に、教えられた道を東へと向かった。
石畳の道はやがて草の生える土の道となり、町の喧騒は鳥のさえずりと風の音に変わっていく――――。
丘を登るにつれ、視界が開けてきた。振り返れば、ローゼンブルクの町が朝靄の中に優しく佇んでいる。
小川にかかる石橋を渡り、大きな樫の木を目印に曲がると、そこに農場があった。
いや、農場というより――実験場?
他の農場とは明らかに違う光景が広がっていた。畑は幾何学的に区切られ、見慣れない作物が整然と並んでいる。支柱には几帳面に番号が振られ、まるで研究者の実験圃場のような雰囲気だ。
「おや? 誰だい?」
しわがれた声に振り向くと、畑の奥から一人の老人が姿を現した。
日に焼けて皺だらけの顔。真っ白な髭は胸まで伸び、鋭い眼光が訪問者を値踏みしている。手には泥のついた鍬を持ち、長年の農作業で鍛えられた身体は、年齢を感じさせない力強さを秘めていた。
「はじめまして、私シャーロットと申します」
シャーロットは深くお辞儀をする。
「町で新しくカフェを開こうと思っていて……実は、あなたが作っているトマトを分けていただきたくて……」
その瞬間、ガンツの表情が一変した。
警戒と驚きが入り混じった顔で、じっとシャーロットを見つめる。まるで、幻聴を聞いたかのような表情だ。
「トマトを知ってるのかい? しかも、欲しいだと?」
声には信じられないという響きが含まれている。
「はい! トマトは素晴らしい食材なんです! ぜひ見せていただけませんか?」
ガンツはしばらく黙って立っていたが、やがて大きくため息をついた。