35. 嫌ですけど?
一週間後――。
夕暮れ時のカフェは、琥珀色の光に包まれていた。
窓から差し込む西日が、テーブルの上のコーヒーカップを優しく照らす。立ち上る湯気が、まるで小さな天使の梯子のように光の筋を描いていた。
「ねぇ、シャーロットちゃん」
常連のマルタが、カップを片手に身を乗り出してきた。
「王都での大事件、知ってる?」
皺の刻まれた顔に、悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
「え? 何かあったんですか?」
シャーロットは努めて平静を装いながら、手にしていたカップをそっとソーサーに置いた。
「大聖女シャーロット様が、魔王を従えてドラゴンに乗って現れたんですって!」
マルタの声には興奮が滲んでいる。
「あなたと同じ名前よ? なんて素敵な偶然かしら!」
「だ、大聖女……?」
シャーロットの頬が引きつった。まさか、そんな大袈裟な呼び名がついているなんて――――。
「そうよ! 偉大なお方でね、天から授かった奇跡の薬を王都の人々に配って、死の病から救ったんですって! まるで御伽噺の世界のお話だわ!」
マルタは目を輝かせた。
「へぇ、そんな凄い方が実在するなんてねぇ。同じ名前なので、あやかりたいものです……」
シャーロットは悟られないように適当に合わせながら、手元のスプーンでコーヒーをかき混ぜた。カチャカチャという音が、妙に大きく響く。
マルタがずいっと身を寄せてきた。
年季の入った笑い皺が、いたずらっぽく深まる。
「でもねぇ……」
声をひそめ、まるで秘密を打ち明けるように。
「魔王を従えてやってくるなんて……あの二人、もしかして……デキてるんじゃない?」
ブフッ!
シャーロットは思わず口に含んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。慌てて手で口を押さえる。
「デ、デキてません! た、ただの知り合いです!!」
声が裏返った。
頬が熱い。きっと真っ赤になっているに違いない。
「へ?」
マルタがきょとんとした顔で首を傾げる。
「あんた、何か知ってるの?」
「あ……い、いえ……その……」
シャーロットは必死に言い訳を探した。額に汗が滲む。
「だ、大聖女様が魔王と付き合うだなんて……あってはならないことですよ!」
「うーん、確かにねぇ」
マルタは顎に手を当てて考え込む。
「一番神聖な方が人類の敵と仲良しっていうのは、ちょっと心配よね。本来なら悪の権化である魔王を、エイッてやっつけるのがお仕事でしょうに」
「あ、ま、魔王さんも……」
シャーロットは慌てて弁護の言葉を探す。
「最近は改心……したのかもしれませんよ?」
なぜ必死に庇っているのか、自分でもよく分からない。
「ん?」
マルタの眉がよった。観察するような、探るような視線――――。
「あんた、どっちの味方なのよ?」
「えっ!? い、いや、その……」
まさにその時――。
カランカラン♪
救いの鐘が鳴った。ドアベルの澄んだ音が、張り詰めた空気を和らげる。
「いらっしゃいませー!」
シャーロットは飛びつくようにカウンターから立ち上がった。
やってきたのはフードを被った大柄な影。夕日を背に受けて、まるで伝説の英雄のようにも見える。
「いらっしゃいませー!」
駆け寄りながら、これで話題を変えられると安堵した。
「ん? 『魔王』とか聞こえたような……? 何の話だ?」
フードの奥から、怪訝そうな声。
「い、いえ! 何でもないです! 何でも……」
しかし――。
「王都に現れた大聖女シャーロットと魔王は、デキてるんじゃないかって話をしてたのよ」
マルタがあっけらかんと爆弾を投下した。
シャーロットはぎゅっと目をつぶり。茹でダコのように真っ赤になる。
「はっはっは!」
ゼノヴィアスが愉快そうに笑い声を上げた。
「我の魅力に、そろそろシャーロットも気づく頃だろうな」
フードの隙間からシャーロットの顔を、まるで答えを探すように見つめてくる。
シャーロットはプイッと横を向いた。
視線を合わせたら、何か大切なものが溢れ出してしまいそうで。
「いや、あんたじゃなくて魔王の話よ」
マルタが苦笑しながら言う。
「ふはは、我には同じに思えるがな!」
ゼノヴィアスは意味深に笑う。そして、一歩シャーロットに近づいた。
「それで? そろそろ受け入れてくれる気になったか?」
優しい声。けれど、その奥に隠しきれない期待と不安。
「え? 嫌ですけど?」
シャーロットはツンと澄ました。
でも、心臓が早鐘を打っているのがバレないだろうか。
「これはまた手厳しい……」
ゼノヴィアスは苦笑いを浮かべる。けれど、すぐに何かを思い出したように懐を探った。
「そうだ、これ。面白いハーブが手に入ったから、シャーロットにもおすそ分けだ」
ゼノヴィアスはそっと小袋をシャーロットへと差し出す。




