31. 夜空を切り裂く咆哮
「いやいやいや!」
長老は必死に手を振った。
「あんたはそう気軽に言うが、戦争するかどうか決めるのは魔王なんだぞ!?」
唾を飛ばしながら力説する。
「魔王が! 人間に! 貴重な秘薬の提供など! 許すわけがない!」
「いや?」
ゼノヴィアスは首を傾げた。
「許すが?」
きょとんとした顔。
「あ、あんたの意見は聞いてない!」
長老は苛立ったように叫んだ。
「魔王が! 魔王がどう考えるかじゃよ!」
「だから」
ゼノヴィアスは、さも当然のように。
「余が良いと言っている」
「……へ?」
長老の口が、ぽかんと開いた。目を細め、ゼノヴィアスをじっと見つめる。
そこにいるのは、どう見ても二十代の精悍な青年。
ちょっと態度は尊大だが、まあ若者にはよくあること。
でも――――。
「あの……魔王様が特別に大丈夫って言ってくれてるんですよ!」
シャーロットが慌ててフォローした。
「あんた……」
長老の指が、ゆらゆらとゼノヴィアスを指差した。
「魔王?」
まるで、信じられないものを見るような目。
「余を指差すな!」
パシン!
ゼノヴィアスが不機嫌そうに、長老の指をはたいた。
「し、失礼……」
長老は混乱したまま、シャーロットの袖を引っ張った。
「ちょっとちょっと、こっち来て……」
テントの隅へと引っ張っていく。
「はぁ……」
シャーロットは苦笑いを浮かべながらついていった。
「彼は……」
長老が小声で囁く。
「魔王の何なの? 息子? 弟? それとも使い走り?」
「ご本人ですよ?」
シャーロットはあっさりと答えた。
「いやいやいや!」
長老は激しく首を振った。
「魔王ゼノヴィアスと言えば! 五百年前にこのあたり一帯を焦土にした恐るべき魔人だよ!?」
声がだんだん大きくなる。
「知ってますよ?」
「身の丈三メートル! 角は天を貫き! 吐く息は業火!」
「へっ? はっはっは……それは誇張ですよ」
シャーロットはそのたくましい想像につい笑ってしまった。
「じゃぁ……本当に彼が魔王?」
長老は信じられないという顔で、ゼノヴィアスをチラッと見た。
「そうだって言ってるじゃないですか」
シャーロットは眉を顰める。
「ほはぁぁぁ……」
長老の顔が真っ白になった。
そして――。
ドサッ。
腰を抜かしたように、その場にへたり込んだ。
「ま、魔王……本物の……魔王……」
ガタガタと震えが止まらない。
気分一つで街を焼き、
魔法一発で一個大隊を吹き飛ばす、
史上最悪最強の人類の敵。
その伝説が、まさか目の前の若者だなんて――――。
「誰が魔王でもいいじゃないですか」
シャーロットは呆れたように言った。
「今は薬が大切なんです」
そして、きびきびと続ける。
「ワイバーンが薬を持って来るので、そこの広場に降ろしていいですか?」
長老は、もはや思考停止状態で、ただコクコクと頷くばかりだった。
魔王が、薬を。
人類の敵が、救いの手を。
もう、何が何だか分からない。
でも――――。
(薬が来る。シャーロット様がおっしゃるならそれだけは、確かだ)
震える手で十字を切りながら、長老は祈った。
この絶望の都に安寧が訪れますように――――。
◇
テントを出て、広場に立った二人。
夜風が、死の匂いを運んでくる。
「そろそろやってくるぞ」
ゼノヴィアスが静かに告げた。
そして、天に向かって手を掲げる。
ボンッ!
紫色の光球が、まるで打ち上げ花火のように夜空へと昇っていった。
それは普通の照明弾とは違う、どこか幻想的な輝き。ゆらゆらと空中を漂いながら、まるで生きているかのように脈動している。
「うわぁ……綺麗……」
シャーロットが思わず呟いた時――。
バサッ……バサッ……。
遠雷のような音が、夜の静寂を破った。
重く、力強い羽ばたき。
それは確実に、こちらへ近づいてくる。
シャーロットは音の方向に目を凝らした。
月明かりの中、何か巨大な影が――。
「まさか……あれが……?」
声が震える。
それは、想像をはるかに超える大きさだった。
翼を広げれば、アパート一棟分はあろうかという巨体。
鱗は月光を受けて銀色に輝き、
長い首は優雅なS字を描いている。
ワイバーン――伝説の飛竜が、現実として目の前に迫ってきていた。
「ギュォォォォオ!」
咆哮が夜空を切り裂く。
それは威嚇ではなく、主への挨拶のようだった。




