28. 運命がもたらす予感
「私はこの『ひだまりのフライパン』で、みんなの笑顔と触れ合っていたいんです! 世界の半分なんて要りません!」
「い、いや……え……?」
ゼノヴィアスは完全に言葉を失った。
五百年生きてきて、初めてのプロポーズ。まさか断られるなんて、想像もしていなかった。
「そもそも」
シャーロットは腰に手を当てた。
「私、ゼノさんのこと何にも知らないし、それで結婚とかないですよ」
正論だった。
ぐうの音も出ない正論。
「お、おぉ、そうか、そうだったな……」
ゼノヴィアスは慌てて立ち上がった。
「では、我のことをまず理解してもらおう! 我は魔王城に住んでおってな……えーと……」
必死に自己紹介を始めようとする魔王。その姿には、もはや威厳の欠片もない。
だが、シャーロットの表情が急に曇った。
「それに……」
声が震える。
「今は、王都が疫病で大変で……」
涙が、頬を伝った。
うつむくシャーロット。その小さな肩が震えている。
「疫病?」
ゼノヴィアスは眉をひそめた。
「なぜ、シャーロットが関係あるのだ?」
「実は……」
シャーロットは顔を上げた。涙でぐしゃぐしゃになった顔で、それでも真っ直ぐにゼノヴィアスを見つめる。
そして、ポツリポツリと語り始めた。
王都での孤独な日々。
夜な夜な、一人で薬を作り続けたこと。
誰にも知られず、感謝もされず、それでも人々を守ろうとしたこと。
そして――追放されてしまったこと。
「レシピは聖女に託したのに……きっと、作ってくれなかったんだわ」
シャーロットの声は、罪悪感に満ちていた。
「私がもっとちゃんと説明していれば……もっと強く頼んでいれば……」
堰を切ったように、言葉が溢れ出す。
ゼノヴィアスはそっと悲しみに暮れるシャーロットを引き寄せた。
「今も、王都では人が死んでいく……私が救えたかもしれない命が……うわぁぁぁぁん」
ゼノヴィアスの胸の中で嗚咽が漏れる――――。
今まで溜まりに溜まっていた感情が、怒涛のように流れ出していく。
ゼノヴィアスは、黙ってその告白を聞いていたが突然、声を上げた。
「そうか! 『天使様の薬』とは、シャーロットのものだったのか!」
目を輝かせる。
「さすが! 我が妃にふさわしい!」
ゼノヴィアスはシャーロットの顔をのぞきこむ。
「だから、妃にはなりませんって!!」
シャーロットは涙目で抗議した。
「でも……なんで『天使様の薬』を知ってるんですか?」
不思議そうに首を傾げる。
「フハハハハ!」
ゼノヴィアスは胸を張った。
「魔界をなめてもらっては困る! 世界中あちこちで、我がインテリジェンスが暗躍しておるのだ!」
得意げに説明を始める。
「最近王都で不思議な薬があること、それが青カビから生成されていること……全て調査済みだ!」
「へっ!? そこまで……」
シャーロットは驚愕した。
秘密裏に進めていたはずのプロジェクト。その全てを、この魔王は知っていたというのか。
「では、もしかして……」
希望に満ちた声。
「おう!」
ゼノヴィアスは誇らしげに頷いた。
「我が魔王城の精鋭のノームたちが、すでに量産をしておる!」
そして、にやりと笑った。
「良ければ……王都に提供してもいいが?」
その瞬間――――。
「ゼノさん!!」
シャーロットは、思わずゼノヴィアスの手を取った。
両手で、ぎゅっと握りしめる。
その温もりに、ゼノヴィアスの心臓が跳ね上がった。
「本当に!? 本当に薬があるの!?」
キラキラと輝く瞳で見つめられ、ゼノヴィアスはその純粋な輝きに射抜かれた。
頬が、じわりと熱くなる。
「あ、ああ……もちろんだ」
声が、かすかに震えた。
「す、すごいわ……」
シャーロットに希望の笑みが広がる。
「ど、どうだ? 余の力を見直したか?」
ニヤリと笑う。
「す、すごいですよ!」
シャーロットは感激で震えていた。
「あ、でも、結婚は……」
慌てて付け加える。
「ははは!」
ゼノヴィアスは豪快に笑った。
「こんなことで結婚は迫らんよ」
優しい眼差しでシャーロットを見つめる。
「もっと我を知り、我と共に過ごしたくなった時……」
一呼吸置いて。
「その時が、誓いの時だ」
そこには運命がもたらす予感があった。
「あ、ありがとう……」
シャーロットの顔に心からの笑顔が咲いた。
まるで、春の陽だまりのような、温かい笑顔――――。
その笑顔を見た瞬間、ゼノヴィアスは確信した。
この笑顔のためなら世界の半分も何も、全てを投げ出してもいい、と。




