25. 暴力厳禁
「見つけたぞ! シャーロット!」
怒号と共に、男が飛び込んできた。
エドワード王子。
かつての婚約者が、血走った目でシャーロットを睨みつけていた。その後ろには、重装備の兵士たちがぞろぞろと続く。
「手間取らせやがって! こんな辺境に隠れていたとはな!」
エドワードは大股でシャーロットに近づいた。
「さあ、大人しく来い! お前には王都を救う義務がある!」
汚い手が、シャーロットの白い腕に伸びる。
その瞬間――――。
ザッ。
風が吹いた。
いや、違う。
ゼノヴィアスが目にもとまらぬ身のこなしで、シャーロットとエドワードの間に立ちはだかったのだ。
「シャーロットに……何をする」
低い声。
だが、その声には恐ろしいほどの怒気が込められていた。
フードの奥で、赤い瞳が不気味に光る。まるで、地獄の業火のように。
「き、貴様!」
エドワードは一歩後ずさった。本能が、危険を告げている。
だが、王子としてのプライドが、退くことを許さない。
「俺は王国の王子だぞ! 俺の行動を妨害したら、王族侮辱罪でーー」
「やってみろ」
ゼノヴィアスが一歩前に出た。
「……へ?」
伝家の宝刀である『王族侮辱罪』を気にもしない男、その予想外の展開にエドワードは鳩が豆鉄砲を食ったように凍り付いた。
「このクズが」
ゼノヴィアスの手がエドワードの胸ぐらを掴み、まるで、子供の首根っこを掴むように軽々と持ち上げる。
「ぐっ! く、苦しい!」
エドワードの足が宙に浮く。
「お前ら! 何とかしろ!」
王子の命令に、兵士たちが剣を抜いた。
シャリーン、シャリーンと剣がうなる。
ゼノヴィアスを取り囲み、一斉に飛びかかろうとした、その時――――。
「喝!」
たった一言。
だが、ゼノヴィアスが放った言葉には恐るべき力が込められていた。
魔王の威圧。
五百年の歳月が生み出した、絶対的な力の波動。
兵士たちは、まるで石化したかのように動きを止めた。顔は青ざめ、全身から冷や汗が噴き出す。膝が震え、剣を持つ手から力が抜けていく。
カラン、カラン……。
次々と、剣が床に落ちる音が響いた。
「な、何だ貴様は!」
エドワードは恐怖に震えながらも、必死に威勢を保とうとした。
「どこの国の奴だ!? 王国に喧嘩を売るというのか!? 買ってやろう! 王国軍は強大だぞ!」
その言葉に、ゼノヴィアスの口元が歪んだ。
恐ろしい笑み。
「ほう?」
まるで、面白いおもちゃを見つけた子供のような声。
「余に宣戦布告をするというのか?」
『余』――その一人称に、エドワードは戦慄した。
「小僧が……いいだろう」
ゼノヴィアスの瞳が、真紅に燃え上がった。
「王都を火の海に沈めてやる!」
ブン!と、恐るべき腕力で、エドワードの体を兵士たちへと放り投げた。
まるで、ぼろ雑巾のように。
ガシャァァァン!
エドワードの体は、兵士たちに激突し、テーブルが倒れ、椅子が砕け、食器が飛び散る。
美しい花瓶が床に落ち、ガラスの破片が星のように散らばった。
キャァァァ!
シャーロットの悲鳴が響き渡る。
だが、ゼノヴィアスは止まらない。
ツカツカツカと、倒れているエドワードに歩み寄る。その足音が、まるで死神の足音のように響く。
そして――――。
ドスッ。
黒いブーツが、エドワードの胸を踏みつけた。
「グハッ!」
エドワードの口から、苦悶の声が漏れる。
「王子とやら……」
ゼノヴィアスの声は、氷のように冷たかった。
「貴様を殺して、開戦だ」
狂気の笑みを浮かべる。
「クハハハ! 久しぶりの戦争だ! 血が騒ぐ!」
ブーツに、さらに体重がかかる。
エドワードの肋骨が、ミシミシと音を立てた。
「ゼノさん、やめて!!」
シャーロットが、ゼノヴィアスに飛びついた。
細い腕で、必死にゼノヴィアスの体にしがみつく。
ハッ!?
ゼノヴィアスの動きが止まった。
「シャ、シャーロット……」
振り返ったゼノヴィアスの顔は、困惑に満ちていた。
「こいつは、お前を害そうとしたんだぞ?」
理解できない、という表情。
「今ここで殺しておかねば、どんな災いを呼ぶか分からんぞ?」
「そ、そうかもしれない……」
シャーロットは涙を流しながら、首を振った。
「でも、ダメ!」
必死に訴える。
「ここは『ひだまりのフライパン』なの!」
震える声で、でも確かな信念を込めて。
「みんなが笑顔になる場所なの! 暴力は絶対ダメ! ダメったらダメなの!」
そして――――。
「うわぁぁぁぁん!」
シャーロットは、子供のように泣き崩れた。
今日一日溜め込んでいた苦しみ、悲しみ、後悔――全てが涙となって溢れ出した。




