24. 不思議な花
「ほっ、本当ですか?!」
震える声で、シャーロットは男たちに向き直る。
「王都で……疫病が広がっているんですか?」
「あ、ああ、そうらしい」
シャーロットの勢いに押されながら、男の一人が答えた。
「俺の知り合いの商人が逃げてきたんだが、もう地獄絵図だって。死体を焼く煙で空が黒くなってるそうだ」
「そ、そんな……」
シャーロットの顔から血の気が引いていく。
ガクガクと膝が震え始めた。立っていられない。世界がぐるぐると回る――――。
シャーロットはへなへなとその場に崩れ落ちた。
(私が……私がちゃんとしていれば……)
胸が締め付けられる。息ができない。
(聖女に託したレシピはどうなったの? もっと詳しく説明すべきだった? 何か手違いが?)
頭の中で、無数の「もしも」が渦巻く。
でも――――。
(今更、何ができる?)
自分はもはや辺境に引っ込んでしまったただのカフェ店主。王都まで何日もかかる。今から青カビの培養を始めても、『天使様の薬』ができるのは何か月も先。
間に合わない。
何も、できない。
その残酷な現実が、シャーロットの心を打ちのめした。
「だ、大丈夫ですか!?」
ルカが血相を変えて駆け寄ってくる。
「ご、ごめん……」
シャーロットは震える手で額を押さえた。冷や汗が滲んでいる。
「ちょっと……上で休んでくる」
「えっ!? でも……」
「お願い、ルカ君」
懇願するような目で見つめられ、ルカはうなずくしかなかった。
「わ、分かりました。お店は任せてください」
シャーロットは、よろよろと階段を上っていく。
その背中はいつもの輝きを失い、罪の重さに押し潰されそうになっていた。
◇
夕方――――。
シャーロットが階段を降りてきた時、その顔は別人のようにやつれていた。
泣き腫らした目。青白い頬。震える唇。
「ごめん、大丈夫だった?」
掠れた声で尋ねる。
「お店は何とか回しました」
ルカが心配そうに答えた。
「でも、シャーロットさん……無理しないでください。顔色が……」
「大丈夫よ」
シャーロットは無理に微笑んだ。だが、その笑顔は今にも崩れそうだった。
「ありがとう、ルカ君」
震える手でエプロンの紐を結ぶ。いつもなら軽やかな動作が、今日は重い。
何とか厨房に立ったが、心はどこか遠くにあった。
(私が救えたかもしれない命……)
包丁を握る手が震える。
(私のせいで、今も誰かが……)
涙がこぼれそうになる。必死にこらえる。
やがて、陽が西に傾き始めた頃――――。
チリン。
聞き慣れたドアベルの音。
「いらっしゃい……」
振り返ると、そこにはいつものフードの男――ゼノが立っていた。
だが、今日は何か違う。
手に、不思議な花を持っている。
それは、この世のものとは思えない美しさだった。花弁が虹色に輝き、まるで宝石でできているかのよう。かすかに光を放ち、見る者の心を癒すような不思議な力を感じさせる。
「これを……」
ゼノは少し照れたように、その花をシャーロットに差し出した。
「シャーロットに」
シャーロットは震える手で、その花を受け取った。
「……ありがとう」
でも、声に力がなく、いつもの輝くような笑顔もない様子にゼノは眉をひそめた。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
「……何でもない」
シャーロットは俯いた。
「どうぞ、おかけになって」
花を花瓶に生けると、厨房に向かう。
だが――――。
手が震えて、卵がうまく割れない。
フライパンの火加減を間違える。
チーズを入れ忘れそうになる。
出来上がったオムライスは、いつもより固く、形も歪んでいた。
「……ごめんなさい」
皿を置きながら、シャーロットは謝る。
「今日は、うまくできなくて」
ゼノは黙って一口食べた。
確かに、いつもとは違う。でも――――。
「構わん」
優しい声で言った。
「シャーロットが作ったものなら、何でも美味い」
その言葉に、シャーロットの目に涙が滲んだ。
「何があった?」
シャーロットはゼノの真剣な眼差しにキュッと口を結ぶ。
「俺で良ければ、相談に乗るぞ」
シャーロットはぎゅっと目を閉じた。
言いたい。
この苦しみを、誰かに聞いてほしい。
でも――――。
彼に王都の惨状を話して、何になる?
彼を巻き込んで、どうする?
いろいろな思いがシャーロットの胸の中で渦巻く。
シャーロットはふと、花瓶でほのかに光を放っている美しい花に目をやった。
それはシャーロットを元気づけようとするかのように、静かに七色の光の微粒子を放っている。それはゼノのシャーロットへの想いを表しているかのようだった。
「あのね……ゼノさん……」
シャーロットが重い口を開いたその時だった――――。
ガァァァン!
扉が、まるで蹴破られたかのように激しく開いた。




