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追放令嬢のスローライフなカフェ運営 ~なぜか魔王様にプロポーズされて困ってるんですが?~  作者: 月城 友麻


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22/56

22. 我の名は

 男はゆっくりと、スプーンを手に取る。


 一口――――。


 フードの奥で、小さく息を呑む音がした。


 そして、昨日よりも落ち着いて、でも一口一口を大切に味わうように食べ始めた。


 シャーロットは、その様子をそっと見守った。


 ルカも、皿洗いの手を止めて、固唾を呑んで見つめている。


 やがて――――。


「……美味い」


 低い声が、静かに響いた。


 たった一言。


 でも、その言葉には昨日よりも深い何かが込められていた。


 シャーロットの頬が、薔薇色に染まる。


「ふふっ。良かった」


 窓の外では、夕陽が完全に沈もうとしている。



         ◇



 空になった皿を前に、ゼノヴィアスは放心したように座っていた。


 まるで、美しい夢から覚めたくない子供のように。


 シャーロットは、そっと空になったグラスを手に取った――――。


 グラスに注ぐ水の音が、静かな店内に心地よく響く。


「どうぞ」


 優しく差し出されたグラスを、ゼノヴィアスはぶっきらぼうに手に取った。冷たい水が喉を通り、ようやく現実に戻ってきたようだ。


「カフェは……、あまり行かれないんですか?」


 シャーロットが柔らかく尋ねる。


「こ、ここが……」


 ゼノヴィアスの声が震えた。


「初めて……だ」


 その告白に、シャーロットの目が優しく細められた。


「ふふっ、そうだったんですね」


 彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「カフェって、いいところでしょう? これからカフェ巡りをされてもいいかもしれませんね」


 明るく提案するシャーロットだったが――――。


「わが国には……カフェなどない」


 低い声には、どこか寂しげな響きがあった。


「え?」


 シャーロットは目を丸くした。


「カフェが……ない?」


「そうだ」


 ゼノヴィアスは深くため息をついた。


「こんな洒落た文化など……我が国にはない。そういう……国なのだ」


 言葉の端々に、何か複雑な感情が滲んでいる。


「ふぅん……」


 シャーロットは首を傾げた。そして、無邪気に続けた。


「その国の王様は、何を考えているのでしょうね? こんな素敵な場所を作らないなんて……」


 ブッ――――。


 ゼノヴィアスが飲みかけていた水を吹き出しそうになった。


 ゴホッゴホッ!


 激しくむせる。


(まさに、その王が俺なのだが……)


 だが、そんなことは言えるはずもない。それにどんな言葉も自分への批判にしかならない。五百年の治世で、カフェなど興味すら持たなかった自分への。


「だ、大丈夫ですか?」


 シャーロットが心配そうに背中をさする。またしても、あの温かい手が。


「カ、カフェについて、ここで勉強させてもらおう……」


 苦し紛れにゼノヴィアスは呟いた。


「ふふっ、ぜひ!」


 シャーロットは満面の笑みを浮かべた。


「お国にも、カフェを広めてくださいね」


「あぁ……」


 ゼノヴィアスは苦笑した。


 魔王がカフェを作る。想像するだけで、部下たちの困惑した顔が目に浮かぶ。


 でも――――。


(悪くない、かもしれない)



     ◇



 やがて、ゼノヴィアスは立ち上がった。


 今日も金貨を置こうとして、先払いしたことを思い出し――ふと、足を止めた。


「お、お前……」


 振り返り、シャーロットを見つめる。


「何か欲しいものは、ないか?」


「シャーロットです」


「え……?」


 ゼノヴィアスは戸惑った。


「『お前』じゃなくて」


 シャーロットは少し頬を膨らませた。可愛らしい抗議の表情。


「私の名前は、シャーロット。覚えてくださいね?」


 その瞬間、ゼノヴィアスの時が止まった。


 シャーロット――――。


 その名前が、深く深くゼノヴィアスの心に刻まれる。


「シャ……シャーロット……」


 恐る恐る、その名を口にする。まるで、壊れやすい宝物を扱うように。


「いい……名だ」


 心からの賛辞だった。ありふれた名前、でもなぜか美しい響きが心にしみてくる。


「ありがとうございます」


 シャーロットは嬉しそうに微笑んだ。


 そして――――。


「お客さんは?」


「え?」


「お客さんのお名前ですよぉ」


 にっこりと笑いながら、シャーロットはゼノヴィアスを見上げる。


 ゼノヴィアスは困った。


 魔王ゼノヴィアス。その名を名乗れば、全てが終わる。この温かい時間も、この優しい笑顔も――――。


 だが、偽りの名を告げることもできない。偽名を騙るなど魔王としてのプライドが許さないのだ。



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