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19. 仮面の剥がれ落ちる時

 大聖堂の執務室――。


 かつては神聖な光に満ちていたその部屋も、今は死と絶望の匂いが染み付いてしまっている。


 聖女リリアナは、水晶の椅子に崩れるように座り込んでいた。純白だったはずの法衣は、血と汗と涙で汚れ、誇り高かった金髪は、まるで枯れた麦のように力なく垂れている。


「せ、聖女様……お、王宮から緊急の問い合わせです……」


 侍女の声はおびえ、震えていた。


「シャーロット様が……残されたという薬のレシピは、どちらに……」


 その瞬間――――。


 リリアナの美しい顔が、まるで石像のように固まった。


「レ……シピ?」


 声が、かすれる。


「はい。『天使様の薬』の作り方を記したものを、聖女様にお渡ししたと……」


 時が、止まった。


 そして、リリアナの脳裏に、あの日の光景が鮮明に蘇る――――。


 追放の朝。シャーロットが侍女を通じて届けさせてきた、一通の封筒。


 『青カビから作る薬のレシピです。どうか、王都の人々のために』


 その時の自分の反応を思い返す。


 たしか――――。


「青カビ? なんでそんな汚いものを? どういう嫌がらせなのあのバカ女!?」


 高笑いしながら、封筒を暖炉に投げ込んだ記憶が――――。


(マ、マズいわ……)


「汚らわしい! あの陰気な女、最後まで気持ち悪いものを送ってきて!」


 そんなことを言いながら、炎に包まれ、灰になっていく紙片を見て、勝利の美酒に酔いしれていた自分。


「あ……ああ……」


 リリアナの顔から、血の気が引いていく。美しい肌が、死人のような土気色に変わっていく。


 そして――――。


「くっ……!」


 歯を食いしばる。その音が、まるで獣の唸り声のように響いた。


「まさか……まさか、そんなに大切なものだったなんて……」


 だが、次の瞬間、リリアナの瞳に宿ったのは後悔ではなかった。


 それは、どす黒い憎悪の炎。


「きっと……」


 爪が掌に食い込むほど、拳を握りしめる。


「きっと、あの女は知っていたのよ! 私がそれを捨てることを! だから、わざと私に送ったんだわ!」


 美しかった顔が、醜い憎悪に歪む。


「計算づくよ! 全て計算! 私を陥れるための罠だったのよ!」


 ギリッ、ギリッと奥歯を鳴らす音が、静寂な執務室に響く。


「私だってこんなに頑張ってるのに! 憎らしい……憎らしい女! シャーロット・ベルローズ!」


 その姿はもはや、聖女などではなかった。


 仮面が剥がれ落ち、その下から現れたのは、嫉妬と憎悪に狂った一人の醜い女。


 『神の使徒』、『清らかな乙女』と名高い聖女の咆哮が大聖堂の執務室に響き渡った――――。



       ◇



 数日後――。


 王都は、まるで地獄の釜が開いたかのような混乱に陥る。


 真実は、炎のように広がっていったのだ。


 ――真の聖女は、シャーロット・ベルローズだった。

 ――彼女こそが、陰で王都を守っていた。

 ――そして、愚かな王子と偽聖女が、彼女を追放した。


「人殺しだ! 王子と聖女は人殺しだ!」


 怒号が、王城の石壁に叩きつけられる。


「俺の娘を返せ! シャーロット様がいれば、死なずに済んだんだ!」


「レシピを燃やすなんてありえんだろ! この偽聖女め!」


 数万の民衆が、松明を掲げて王城を取り囲んでいた。その目には、復讐の炎が燃えている。


 病で家族を失った者。

 身内が明日をも知れぬ命の者。

 全てを奪われた者たち。


 彼らの怒りは、もはや誰にも止められない。


 騎士団が暴動鎮圧に乗り出してはいたが、彼らの身内にも死者が多数出ている状況では市民に暴力で対抗などとてもできなかった。



           ◇



 その晩――――。


 エドワード王子は、まるで悪鬼のような形相で、大聖堂への道を駆けていた。


「どけ! どけ!」


 衛兵たちを突き飛ばし、聖域への扉を蹴破る。


 バン!


 聖女の私室の扉が、悲鳴を上げて開いた。


「お前!」


 エドワードの第一声は、野獣の咆哮のようだった。


「シャーロットに意地悪されていたというのは、本当だったのか!?」


 リリアナは優雅に紅茶を飲んでいた。まるで、この地獄のような状況など、どこ吹く風といった様子で。


 チラリと王子を一瞥すると、肩をすくめた。


「あら? 私はあなたのためを思って言ってあげたのよ?」


 涼しい顔。悪びれた様子は微塵もない。


「ど……どういうことだ?」


 エドワードの声が震えた。


「簡単なことよ」


 リリアナは紅茶をもう一口。


「あんな陰気で、地味で、つまらない女が皇太子妃? 王国の恥でしょう? だから、理由を作ってあげたの」


 にっこりと、天使のような笑顔――――。


 だが、その瞳の奥には、氷のような冷たさが宿っていた。

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