12. 神様の料理
扉まで姉弟を見送るシャーロット――――。
トムが振り返り、その小さな手を大きく振った。
「お姉ちゃん、また来てもいい?」
期待と不安が入り混じった声。まるで、宝物の場所を慈しむように。
「もちろん! いつでも待ってるわ」
シャーロットの答えに、トムの顔が朝顔のように咲いた。
「やったー!」
トムはぴょんと跳ねる。
「ごちそうさまでした! すっごく、すっごく美味しかった!!」
今度は姉が深々と頭を下げた。その瞳には、まだ感動の余韻が残っている。
「こんなおいしいの、まるで魔法みたいでした!!」
「ふふっ、ありがとう。気を付けて帰ってね」
シャーロットは優しく手を振る。
トムは何度も振り返り、その度に「美味しかったぁ!」と叫んでいた。
最初のお客が彼らでよかった。シャーロットはしみじみと子供たちの出会いに感謝する。
人込みに溶けていく。姉弟の幸せそうな姿を見守っていると――――。
「あの子たち、天使みたいな顔してたね」
「『魔法みたい』って言ってたよ」
いつの間にか、店の前に人だかりができていた。まるで、幸せの香りに引き寄せられた蝶のように。
「新しいカフェか。入ってみようか」
「あの匂い、たまらないな」
扉を開ける音が、まるで楽団の序曲のように次々と響く。
「いらっしゃいませ!」
シャーロットの声が店内に花開いた。一人、また一人とお客が入ってくる度に、店内の温度が上がっていく。それは気温ではなく、人の温もりによる熱量――――。
注文が飛び交い、フライパンが歌い、食器が踊る。
「このオムライスはまさに革命だ! 赤い魔法だ!」
髭面の冒険者が、まるで宝物を発見したかのように叫ぶ。その隣では、仲間たちが我先にとスプーンを動かしている。
「まあ、なんて優雅な味! 王都の宮廷料理より素晴らしいわ」
絹の扇子を持った婦人が、うっとりと目を細める。
厨房と客席を行き来するシャーロットの足取りは、まるでワルツを踊るよう。疲れているはずなのに、不思議と体が軽い。
その後も賑わいに引き寄せられるように次々と来客が続く。気がつけば、窓の外は茜色に染まっていた――――。
◇
一段落がついて最後のお客様を見送り、シャーロットはカウンターにもたれかかった。
冷めた紅茶が、働いた証のように甘く感じる。
(最高の一日だった……でも)
両腕が鉛のように重い。明日もこの調子なら、体が持たないかもしれない。
そんなことを考えていると――――。
チリンチリン。
振り返ると、一人の青年が立っていた。昼過ぎに来店した時から、ずっと何か言いたそうにしていた人だ。
「あの……」
青年は深呼吸を三回した。まるで、人生を変える告白をする前のように。
「僕、ルカといいます」
そして、真っ直ぐにシャーロットを見つめる。その瞳には誠実な輝きがあった。
「お願いがあって来ました」
「お願い?」
シャーロットが小首を傾げると、ルカは拳をぎゅっと握りしめる。
「僕を……僕を弟子にしてください!」
その声は、魂の底から搾り出したような響きを持っていた。
「あのオムライスを食べた時、雷に打たれたんです。いや、違う……もっとすごい何かが、僕の中で爆発したんです!」
ルカの頬が興奮で赤く染まっている。
「そ、そんな大げさな……」
「大げさじゃありません!」
ルカは一歩前に出る。その勢いに、シャーロットは思わず後ずさった。
「あの真っ赤なソース! 見たことも、想像したこともなかった! 一口食べた瞬間、世界が変わったんです。まるでーーまるで天使が舞い降りて、僕を祝福してくれたみたいで……」
あまりの熱弁に、シャーロットは困りつつも自然と笑みが浮かんでくる。
「でも、私もまだまだ未熟で……」
「未熟? とんでもない!」
ルカは首を激しく横に振った。
「あれは神様の料理です。いや、神様でもあんな料理は作れない!」
その純粋すぎる賛辞に、シャーロットは思わず吹き出しそうになった。
(誰かに手伝ってもらいたいのは事実だわ。明日も一人は辛いし……しかし……)
「お店の仕事は料理だけじゃないのよ? 掃除も接客も……」
シャーロットは言い含めるようにルカの顔をのぞきこむ。
「何でもします! 床磨きでも、皿洗いでも、薪割りでも!」
ルカは深々と頭を下げる。
「だからお願いします! あの赤い魔法を、僕にも教えてください!」
その必死な姿に、シャーロットの心が温かくなった。
「……分かりました」
顔を上げたルカの瞳が見開かれる。
「明日から、一緒に頑張りましょう」
「ほ、本当ですか!?」
ルカの顔が朝日のように輝いた。
「ありがとうございます! 一生懸命頑張ります! 命をかけて皿を洗います!」
「命はかけなくていいから……」
シャーロットは苦笑しながら、でも心の中では微笑んでいた。
ルカがたくさんお辞儀をして帰った後、シャーロットは静かになった店内を見回す。
「朝の不安が嘘のようだわ……」
ここは今、幸せの記憶で満ちている――――。
シャーロットは冷たくなった紅茶をすすり、大きく息を吸った。