10. 渾身の一皿
すっかり開店準備の整った『ひだまりのフライパン』――――。
連日シャーロットは『とろけるチーズの王様オムライス』の試作に励んでいたが、まだ納得のいく出来に仕上げられずにいた。
貴重なトマトを両手で包み込むように持ちながら、シャーロットは厨房に立つ。
真っ赤に熟した果実が、まるで宝石のように朝日を受けて輝いている。その重みは、彼女の夢の重みそのものだった。
「今日で決めないと……」
エプロンの紐をきゅっと結び、シャーロットは深呼吸をした。前世の記憶にある、あの懐かしい味。それをこの世界で再現するために――――。
最初の試作は失敗だった。
卵が固すぎて、まるで分厚い毛布のよう。チーズがいい塩梅に溶けるタイミングと卵液の固まり具合を合わせていくのは簡単ではなかった。
「違う、これじゃない」
二作目、三作目――――。
ずっと立ちっぱなしでシャーロットは厨房にこもった。手はしびれだし、エプロンは卵液でところどころ黄色に染まった。
数え切れないほどの試作で、ようやく卵の焼き加減を掴んだ。外はふんわり、中はとろとろ。でも、まだ何かが足りない。
「もっと……もっと心が温まるような……」
ふと、シャーロットは手を止めた。
思い出したのは、前世で風邪を引いた時、母が作ってくれたオムライスの味。それは完璧ではなかったけれど、愛情がたっぷり詰まっていた。
(そうだ、あの時入れていたのは……)
次の試作で、シャーロットは卵液に隠し味を加えた。愛を込めたマヨネーズをちょっとだけ――――。
「美味しくなぁれ……」
フライパンに卵を流し込む。菜箸で優しくかき混ぜながら、チーズをたっぷりと加えていく。
「ここよ!」
半熟の状態を見極めて火を止める。
そしてチキンライスを包み込むように乗せていく、そっと、まるで大切な人を抱きしめるように――――。
最後に丹精込めて煮詰めたケチャップソースをかけて出来上がり!
立ち上る湯気。
光沢のある真紅のソース。
黄金色に輝く卵のドレス。
「……できた」
シャーロットは震える声で呟いた。涙が一粒、頬を伝った。
それは、ただの料理ではない。新たな人生を照らす希望だった。
「マルタさん!」
シャーロットは勢いよく店のドアを開けた。ちょうど前を通りかかったマルタが、驚いて振り返る。
「まあ、シャーロット。どうしたの?」
「ぜひ、ぜひ試食をお願いします! 渾身の一皿ができたんです!」
有無を言わさぬ勢いで店内に引き込まれたマルタは席に座らされた。
シャーロットが大切そうに運んできた皿を見て、マルタは小さく息を呑んだ。
「まあ……なんて美しいの……」
つやつやと輝く黄金の卵。その上に芸術的にかけられた真紅のソース。立ち上る湯気が、まるで幸せの予感のよう。
「これは……玉子料理? でも、この赤いソースは……」
マルタは恐る恐るスプーンを手に取った。年老いた手が、少し震えている。
スプーンが卵に触れた瞬間、ぷるん、とオムレツが震えた――――。
そっと押し込んでいくと、中から半熟の黄身がとろりと流れ出す。
ぐっと持ち上げるととろけたチーズが銀色の糸を引いた。
「あら……!」
マルタの瞳が輝いた。まるで、宝箱を開けた子供のように。
そして、一口――――。
時間が止まった。
マルタの表情が、驚きから感動へ、そして至福へと変わっていく。
「お、おほぉ……!」
震える声。目に涙が滲んでいる。
「す、すごいわ、シャーロット! これは……これは……!」
言葉が続かない。マルタは次々とスプーンを口に運ぶ。まるで、一口一口が奇跡であるかのように。
「この赤いソースの酸味と甘みが絶妙で……そして、この卵の優しさ! 中のご飯も、なんて味わい深いの!」
気がつけば、皿は空になっていた。マルタは、最後の一粒まで丁寧にすくい上げて食べ終え――恍惚の表情で宙を見上げていた――――。
「シャーロット!」
マルタはいきなり立ち上がると真剣な表情でシャーロットの手を取った。
「これは革命よ。こんな料理、この町……いいえ、この国のどこにもないわ」
「マルタさん……」
「『とろけるチーズの王様オムライス』……素敵な名前ね」
黒板を見上げてマルタが呟いた名前に、シャーロットは頷いた。そう、これこそが『ひだまりのフライパン』の命運をかけた看板メニュー。
二人は見つめ合い、そして同時に微笑んだ。
この瞬間、シャーロットは確信した。
この料理が、きっと多くの人を幸せにする。前世で母がしてくれたように、温かい記憶を作ってくれる。
窓の外では、夕焼けが町を黄金色に染めていた。
明日、この料理がどんな奇跡を起こすのか――――。
シャーロットは期待と少しの不安を胸に、でも何より大きな希望を抱いて、茜色に輝く空を見上げた。
新しい物語が、今、始まろうとしていた。




