二十の春
二〇二四年(令和六年)、二月、二十日、火曜日、大安。
パイプ椅子に折り畳みの会議テーブル。隅には内線電話らしきものがあり、プロジェクターやらスクリーンやらが雑に追い遣られている。実に殺風景な部屋である。
都子は会社の会議室と云うものは初めてだった。良く云えば無駄が無い、洗練された部屋である。悪く云えば詰まらない。なんだか自分が好く作る亜空間と、たいして違わない印象である。成程あの空間も、無駄が無くて洗練されてゝ、詰まらないと云うことだ。
ドアがノックされて、なんだか貫禄のある男が入って来た。
「お待たせして済みません、ここの部長させて頂いてます、佐々本と云います」
男は立った儘そう云うと、名刺を差し出した。都子は何となく座っていてはいけない気がして、立ち上がって名刺を押し頂いた。
「どうも。天現寺都子です」
「ああ、どうぞお掛けください」
そう云いながら佐々本は、都子の正面に着座した。都子もそれに続いて腰を下ろす。
「うちのクラウンから大体聞いていますが、改めて、どの様な能力かお教え頂けますか」
「えゝと……端的に云えば舞台演出です」
「実演できます?」
「はい」
都子は取り敢えず、亜空間に連れ込んだ。なんだか佐々本が軽く身構えている。
「ここは――何か幻覚に襲われたりとかはしないのかな?」
「はあ? 何ですかそれは」
「おお、大丈夫なのか。成程、クラウンより上等な訳だ」
「あゝ、あの顎の人ですか。あれは精進足りひん様で、なんか歪な空間しか作れない云うとったですね」
「うははは、そうか、精進が足りないか」
佐々本は大笑いした。
「まあ、うちは例えば、背景変えたり――」
背景が青、赤、緑、黄色、黒などへ変わり、次いで海辺、密林、砂漠などの風景へと次々切り替わる。
「音出したり――」
風の音、雷の音、爆発音、雑踏、電車の発車ベル、ドラムロールなどが次々多重に鳴り響く。
「匂いさしたり――」
花の匂い、蜜の香り、珈琲、ケチャップ、屁の臭いなどが次々襲い掛かる。
「くさっ!」
佐々本が顔を歪めたので、匂いを消した。
「気温を変えたり――」
常温から徐々に温度を下げる。
「うおぉ、寒い!」
続いて温度を上げる。
「暑い! 暑くて敵わん!」
「えゝリアクションですねぇ」
都子は常温に戻した。
「なかなか好い根性しとるな、君は」
「よぉ云われます」
「嫌いじゃないぞ!」
「それはどうも。ほんでこれらの組み合わせ、調合で、いろんな雰囲気作れます」
「雰囲気?」
なんだか判らないが、佐々本は厭な気分になって来る。不安な様な、苛つく様な、胸を掻き毟りたくなる様な……
「微妙な低音、微かな匂い、半端な気温、薄めの気圧、足元も若干振るわせたりして、総合的にもっ凄い嫌な感じになってると思います」
「なっとる。何とかしてくれんか」
佐々本は怒りを押し殺した様な感じで、静かに要求する。都子は凡ての属性を一気に反転して、一転楽しい空気を作り出す。
「おお、なんだか物凄くすっきりして、好い気分だ! 即採用だ!」
「気ぃ早いな。次は、バーチャル旅行です」
二人は机と椅子ごと、パリのシャンゼリゼ通りにいた。
「おいおい、こんなところに机置いたら迷惑だろう」
「向こうからは見えないし触れないし。微妙にずれた空間にいるので。こっちから向こうが見えとるだけです」
「器用だなぁ」
「やから、バーチャル旅行」
「ふん、成程な」
「で、時間を緩にして――」
道行く人々の動きが少しずつ緩慢になってゆく。
「止めるとこんな感じ」
完全に人々の動きが止まった。
「時間停止か。過去へは?」
「戻すんは無理です。前向いて生きて貰わんと」
「はは、説教臭いな」
「早くも出来ますよ」
人々が再び動き出し、段々せかせかとしてくる。
「余り遣り過ぎると時間経ち過ぎてまうんで、程々に」
時間の流れを元に戻すと、シャンゼリゼ通りから元の会議室へと戻って来た。
「ちなみに国内で、今行きたい処あります?」
「なんだ? そうだな、桜の季節だし、吉野山とか」
「では、ドアを開けてください」
都子は会議室入り口のドアを指した。佐々本がドアを開けると、満開の桜の絶景が目の前に広がった。
「うおお! こりゃ凄い!」
「凄いのは桜ですけどね。あ、そのドアの下何も無いんで、出んとってください。死にますよ」
「いやいや、都子さん、君は素晴らしいな! 交通費ゼロに出来るわ!」
「はぁ……これ遣るとめちゃくちゃお腹空くんですが」
「一食分で何処でも行けるなら、幾らでも食わせてやるさ!」
そして佐々本は、がははと笑った。
「ちなみに、国内限定なのか?」
「いやあ、ほら、海外やと、出国や入国やって、ちゃんと手続きが必要でしょうし、それせんかったら密入国ですやろ」
「そうだな。ちゃんと配慮してくれていたのだな、素晴らしい!」
「では、危ないんで戻します」
一瞬にして桜の絶景は、詰まらない廊下の風景に変わった。
「バイトで好いのか? 非常勤職員としても登録可能だが」
「何がちゃいますの?」
「責任と給料だな」
「責任は要らんけど給料は欲しいです」
「そうは行くか。二つは抱き合わせだ」
「うーん。詳細聞いてからにしますわ」
「是非そうしてくれ。いずれにしても君は採用だ。うちに嘗て居なかった類の能力だし、何より完成していると云うのが素晴らしい! では、事務方に話は通しておくので、条件面の説明はそっちで受けてくれ。バイトでも、非常勤でも、俺は構わんし、暫く続けてから切り替えてくれても構わん」
「それはありがたい」都子は喜色満面で「ほな、どうぞよろしく」と云った。
「こちらこそ、今後ともよろしくな! ではここで、事務方が来るのを待ってゝくれ」
佐々本は会議室を出て行き、数分後に事務職らしき女性が入って来た。その人から条件面などの説明をじっくり受けた上で、都子は非常勤としての登録を選択した。
登録後、帰ろうと部屋を出ようとしたら、佐々本が息を切らせながら戻って来て、
「沖縄行かないか? 秋にな、鳥渡大口の話が来てるんだ。君の能力があるといろいろ助かると思うんだが、どうだろう」
「秋? そんな先の予定ちょっと判らんですが……まあ、行けそうなら行きますわ」
「まだ確定ではないが、おそらく二、三泊ぐらいの行程になると思う。沖縄にも支部があるので、そこを拠点としてもらう心算だ」
「はぁ。まあ、日取り決まったら教えてください」
「そうだな、また連絡する!」
そう云って佐々本は去って行った。なんだか慌ただしいおっさんである。都子はそんな感想を抱きつゝ、会議室のドアを開けて東京のアパートへと帰った。佑香が「お帰り、如何やった?」と都子を迎えた。
然し結局都子は日程が合わず、その沖縄案件には参加が出来なかった。都子の案件デビューは次の正月まで待つこととなる。それでも龍の件と云って今更の様に貰った報酬は、予想を上回る可成の額であった。
「うわぁ、しくじったなあ」
「都子どうした」
「いやあ、龍の件で報酬入ったんやけどな」
「へえ? あんたあの頃未だ部外者やん?」
「何か貰うてん。で、その額がエライコッチャ」
金額を聞いて佑香は仰け反った。
「まじか。寿司奢れ!」
「ん、まあ、それはえゝねんけど……ガッツリ噛んでの二、三泊案件なんか、それ一本でお父の扶養外れる勢いちゃうか?」
「そやな。何で断った」
「断ったちゅうか、フラ語の試験やん。何でこんな時期に、あのジジイは……」
「逃した魚は大きいな」
「あーあ、うちほんま、ついてない」
「贅沢な悩みや。取り敢えず寿司奢れ」
「もぉ、しょうないなあ。カッパ寿司でえゝか」
「どケチやん!」
都子はケラケラと笑った。
(終わり)