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二十

 二〇二三年の正月九日、月曜日は成人の日である。都子はその前日、ギリギリ滑り込みで二十歳になった。法律上の成人は前年の春に十八歳に引き下げられて、それに伴って都子も既にその時成人扱いとなったのだが、それ以来初めて迎える成人式であるし、抑々成人式は全国的に、従来通り二十歳に対して行われるらしい。だから今年は都子が成人式の対象で間違いはない。それに今では「二〇歳のセレモニー」等と銘打っているので、間違える者もいないだろう。

 然しそれ以前に、都子は成人式になど行く心算はなかった。そんな益体も無い式典に、わざわざ苦労して振袖等着て、履き慣れない下駄で肉刺(まめ)を拵えながら、顔も名前も知らないオヤジの高々三十分程度の説教を聞く為に人混みに出掛ける……考えただけで気が遠くなる。友人に逢いたいなら勝手に逢えば好いのであって、成人式でもなければ逢えない友達等、元々逢う心算の無い相手なのだから、そんな無理して逢いに行くことは無いのだ。

 その為当日は、相変わらず実家の炬燵に潜り込んで、蜜柑など食っていた。佑香なんかは何やらウキウキしながら成人式に出かけて行った様だが、その佑香と夕方にお茶をする約束になっている。それ迄は炬燵で転がりながら、正月に録り溜めしたビデオの消化なんてことをしている。

 ぼんやりビデオを見ていると、昼過ぎ辺りからスマホがひっきりなしに鳴る。感染症対策で居住地区毎に午前と午後に分けて開催しているのだが、都子の住んで居る辺りは午後に振り分けられているのだ。大抵は佑香からのメッセージなので、適当に放置して、ビデオがCMに突入する度に纏めて確認する。

 ――今から行って来まーす!

 ――振袖見てや!

 佑香の自撮り写真が付いているが、顔とVサインばかり目立っていて肝心の着物が好く判らない。

 ――沙梨と小夜ちゃんいた!

 ――後で二人も合流するって!

 一々ビックリマークが付いていて、甚だテンションが高い。読んでいるだけで疲れて仕舞う。一旦スマホを伏せて、トイレに立った。

 トイレから戻ると、スマホがブンブン震えている。凡てメッセージの通知だ。

 ――小学校ときの連中と!

 写真が付いているがごちゃごちゃしていて誰が誰やら。

 ――中学の数学の吉田先生や! 覚えてるか? 今教頭やて!

 数学は苦手だった、と思い出しただけだった。苦手と云いつゝそこそこの成績は収めていたのだが。

 ――すごい人! 成人こんなにおるんや!

 写真には人混みが写っている。感染症対策とは何ぞや。有って無いような対策である。本気で対策するなら完全リモートにすれば好いのに。いっそ動画配信サイトで垂れ流すだけに――それこそ誰も見ないか。

 ――なんか始まるっぽい! また後で!

 暫く静かになるかなと、都子はビデオの続きを再生した。

 四十分後、再びスマホがブンブン鳴る。丁度ビデオも区切りの良いところだったので、テレビを切ってスマホを確認した。

 ――今終わった! お酒飲み行こ! 沙梨と小夜ちゃんもおるで!

 ――阪神尼の駅前な!

 お茶の筈が、如何やら酒を呑むことになったようだ。都子はうーんと伸びをして、暫く放心した。ずっと縮こまっていたので、今の伸びで眩々っと来たのだ。座り眩みとでも云うのか。

 「はぁ、しんど」

 そう呟きながら、炬燵から出ると、スカジャンを羽織ってマスクをして、草臥れたリュックを肩に引っ掛ける。

 「佑香と酒飲んで来る!」

 「何やて! あ、そうか、二十歳か」

 「ほなっ!」

 「調子乗って呑み過ぎんなや!」

 母の忠告を背に、都子は家を出た。何時もなら自転車で出掛けるところだが、今回は飲むと云っているので徒歩で向かう。そう云えば佑香達は如何遣って来るのだろう。成人式会場は確か、JRに近い体育館だった筈だ。メッセージを送って訊いてみると、どうもタクシーを拾っている様だ。

 ――JR駅前からタクっとる

 ――沙梨のおごり!

 「マジか」

 下手したら向こうが先に着くかも知れない。都子は稍早足になりかけたが、直ぐ足を止めて、

 「待たせたらえゝやん」

 そして再び最初のペースに戻した。

 駅前に着いたが、未だ三人の姿はない。タクシーで来るなら南口だろうか。北だと駅迄一寸歩くことになるので、着物の佑香としては南に着けたがるのではないだろうか。――そもそも着物の儘で来るのかな? 他の二人は如何だろう。呑みに行くと云っている訳だが、駅前の呑み屋って何処なんだろう。北口と南口、どっちが呑み屋が多いのか、呑んだことが無いので判らない。券売機の辺りまで来て、銀行のキャッシュコーナーが目に入ったので、手持ちが少ないことを思い出し、出金する為にそこへ向かった。

 「都子見っけ!」

 キャッシュコーナーから出て来たら、和装の佑香が出迎えた。

 「うわぁ、またそんなカッコで。だっさいなぁ」

 「どこがや」

 トレーナー、ジーパン、スカジャンに草臥れたデイパック。確かに新成人らしくは無いが、これが普段の出で立ちである。

 「ミヤちゃん、久しぶり! すごい服装やね」

 沙梨にも笑われた。沙梨も和装で、佑香の水色系統に対してピンク系統の柄なので、好対照を為している。沙梨の背後には小夜子も居た。

 「あれ、小夜ちゃんは着物やないんや」

 小夜子は洋装で、それでもそこそこ華やかな装いではある。

 「うん……着物レンタルでも高いし……」

 都子だけが明白に浮いている。だが都子は全く気にしていない。

 「何や小夜ちゃん、猫被りモードかいや。うち等の間では素でえゝのに」

 「えー? 素やけどなぁ」

 「そういや小夜ちゃん、コンタクト?」

 「え? してないよ、裸眼」

 「あれ?」

 「ん?」

 「阪神で眼鏡……」

 「あ、伊達……えと……」

 「それも演出か!」

 「え……えへへ」

 「やから、バレとるからそう云うのんえゝて!」

 小夜子はぺろりと舌を出した。

 「テヘペロなんかで騙されんど」

 「せやから都子古いねんて」

 佑香が突っ込むと、都子は「テヘペロ」と云って舌を出す。

 「自分で云うとりゃ世話ないわ」

 「ほんで今日は誰の(おご)りなん?」

 「いやいや、なんでやねん! てか今、都子お金下ろしとったやんね? てことは都子の奢りちゃうか?」

 「預けとったんや」

 「このタイミングでか!」

 沙梨がけらけら笑いながら、「奢ったろか? (たこ)付くで」

 「いや、沙梨だけはえゝわ。後が怖い」

 「どぉゆう意味やねん!」

 「じゃあ、あたし?」

 小夜子が云うと、都子は鳥渡仰け反った。

 「うわ、小夜ちゃんは沙梨より怖いか判らん」

 「どうゆう意味や!」

 沙梨と小夜子の二人に同時に突っ込まれた。如何やら小夜子は地が出た様で、

 「もぉ、天現寺さんにだけは敵わん」

 と云って笑っていた。

 「苗字とか他人行儀やから、ミヤちゃんでえゝよ」

 「ほな、ミヤちゃん。平野さんも、ユウちゃんでええ?」

 「えっ? あ、うん」

 佑香は未だに、素の小夜子に慣れない様で、しどろもどろに返答している。

 新成人ばかりの四人組だが、沙梨は夏生まれなので四人の中では一番に二十歳を迎えており、この日迄にも既に何度か呑み屋を経験していた。二番目が秋生まれの佑香で、年末生まれの小夜子が続き、最後が昨日二十歳になったばかりの都子である。

 「みんな呑み屋とか行ったことあるんか?」

 都子が皆を見回しながら問う。

 「あたしは無いわ」佑香が応える。

 「友達おらんから?」

 「都子やないねんから! 友達だらけじゃ!」

 「だらけもどうか思うわぁ」

 「やかまし! 年内忙しゅうて、それどころではなかったんや!」

 「さよか。――小夜ちゃんは沙梨と呑んでそうやな」

 「呑んどるけど、家呑みばかりやな。店では未だ無いんよ」

 「ほう、さよか。意外」

 「まだな、外呑みは警戒しとんねん。素が出たらあかんから」

 「はぁ、難儀やなぁ。今日はえゝんか」

 「この四人やし、個室やゆうとるから」

 「個室なん?」沙梨に訊く。

 「そやで。しっぽり飲める」

 喋りながら歩いている内に、如何やらその店に着いた。駅前雑居ビルのエレベータに乗り込み、上へ向かう。

 「呑み屋ってこんな感じなんやぁ。なんか怪し気」

 「ビルの中ばかりではないよ。もっとオープンな酒場なんかもあるけど、今回は個室が好かったからな」

 沙梨はいろいろ飲み歩いてそうなことを云う。

 「店の奥に捕らわれて逃げ出せんくなる感じ」

 「如何なネガティブ印象やねん!」

 受付で沙梨が名前を告げると、四名様ですね、こちらへどうぞと、用意された席へ通された。

 「いつの間に予約?」都子が不思議そうに沙梨に訊く。

 「元々二人捕まえて呑む心算やったから。準備えゝやろ?」

 「っつうか、勝手やな」

 「そっちに別の予定あったらキャンセルしとったやん」

 「当日キャンセルはあかん」

 「そう云うと思って」沙梨は邪悪に笑う。

 「やっぱ勝手やった。ま、沙梨らしいわ」

 「どう云う意味やろ?」

 そんなことを云っている間に、部屋に着いた。座卓かと思われたが、テーブルの下が掘ってあるので足が下せる。部屋が狭い為和装の二人はやゝ苦労していたが、座って仕舞えば楽な様だった。

 「これはでも、トイレ行き難いかも知らんな」

 「和服の二人、出入り口近い方に座りや」

 都子の提案で席替えをする。和装の二人は再び苦労して立ち上がり、席を移ってほっと息を吐く。出入り口に近い席に佑香と沙梨が並んで座り、その対面に都子と小夜子が座った。四人が落ち着いたところで、見計らっていたかの様に店員がお絞りを持って現れた。

 「先にお飲み物お願いしまーす」

 「ミヤちゃん、呑みたいもんとかあるか? 最初ソフトにしとくか?」

 「ソフト? ああ、よぉ判らんから君等と同じので」

 「ユウちゃんは? 酒の経験は?」

 「親となら年末から呑みまくりやん。ビールでえゝよ」

 「小夜もそれでえゝな? じゃ、中生三本、グラス四つで」

 「かしこまりました。こちらお通しになります」

 店員は小鉢を四つ置くと、戸を閉めて去って行った。そのタイミングで全員マスクを外した。

 「うぁー、お絞りあったかぁ」

 都子がお絞りで顔を拭いているのを、他の三人が凝視していた。

 「うわぁ、ミヤちゃんオヤジやなぁ」

 「あんた今日もすっぴんか」

 「ん? うちは化粧せえへん。仕方もよぉ判らん」

 「女子力がぁ……」

 「んなもん要らん」

 「ミヤちゃんらしい」

 沙梨はコロコロと笑った。

 「ほんでこれは何や」

 「お通し。席料みたいなもんや。テーブルチャージ」

 沙梨が説明する。

 「席料だけ取ったら申し訳無いから、一品付けますよって、日本人の心意気やん」

 「申し訳無いなら取らんかったらえゝねん」

 「それはちゃうよ。ゆうたら、机、椅子、何なら建屋の減価償却分を、お客さんから均等に頂いてますって話や。大体三百円前後が相場かな。厳密に合計金額が、とか云う訳ではないけれど、まあ元々計画できない料金やからな。料理に上乗せしたら客の食欲なんかで差が出てまうやろ、均等に取るための席料や」

 「はー、成程なぁ――って、それ一品出してもうたら、意味ないのんちゃう?」

 「そこはそれ、原価殆ど掛かっとらんのやろ、お通しは」

 「む。そうなんか。てかこれなんや」

 「タコの酢味噌和えやな」

 「旨いど」

 「それは良かった」

 沙梨は笑った。そこで戸がノックされ、店員が顔を出した。

 「中生になります」

 「はーい、貰います」

 店員から沙梨が受け取り、瓶とコップをテーブルへと置いていく。置かれたコップへ佑香と小夜子がビールを注ぎ、各人の前へと配置する。

 「おお、見事な連携」

 「都子だけが何もしとらんな」

 佑香の指摘に都子は口を尖らせて、

 「遠いねんもん」

 続けてコースの料理と取り皿が配られる。一通り行き渡ったところで、店員が退室し、沙梨がビールグラスを高々と掲げる。

 「はい、皆グラスを持って! 成人おめでとー! カンパーイ!」

 沙梨の音頭で乾杯し、ぐっと飲む。

 「ぷはーっ!」

 「好い飲みっぷり!」

 都子は一気にコップの半分程飲んでいた。胃と喉が熱くなった気がする。

 「はー、こんな感じかぁ」

 「うふふふ、美味しいぃ」

 右隣で小夜子が怪しく笑っている。都子は稍身を引いた。

 「なあなあ、沙梨」

 「ん? どしたん?」

 「小夜ちゃん豹変したりせえへん?」

 「そんな漫画やあるまいし、普通やで。普通に地ぃが出る」

 「ちょい大人しくしとこ」

 都子が小さくなっていると、小夜子が凝と見詰めて来て、

 「こらぁ、ミヤちゃんお酒デビューなんやから、もっとパーッと行き!」

 「これは豹変ではないの?」

 「地ぃや」

 沙梨は構わずマイペースである。横で佑香が目を丸くしている。

 「そうやぁ、あんたらに訊きたかってん!」

 小夜子が佑香と都子に絡む。

 「なっ、何や?」

 「あんたらあの日、一体何した? 沙梨連れ去って何悪巧(わるだく)みしよった」

 「そ、そんなん沙梨に訊きや」

 「ゆうてえゝのん?」

 沙梨が気拙そうに云う。

 「あー……うーん……そやなぁ、小夜ちゃん口固い?」

 「ダイヤモンド級や!」

 「今一信用ならん返事やな」

 「固いのは固いよ。演じきれる位やから」

 沙梨が太鼓判を押す。

 「あゝ、そうやね。うん。解った。――沙梨、ちょいと小夜ちゃん借りるで」

 「なにするん」

 都子はそれに答えず、コップを持った小夜子を連れてスッと消えた。そして数秒後に帰って来た時、小夜子はゲラゲラ笑っていて、都子は疲れた顔をしていた。

 「おお、遂に小夜ちゃんもあたしらの秘密共有か!」

 佑香が手を叩いて喜んでいる。

 「何分ほど出掛けてたん?」

 「小一時間……疲れたわ、ビール一杯で大分陽気になんねんな」

 「あははは、楽しかったわ! ミヤちゃんのパリ案内素晴らしい! 酔い覚めた! 腹減った!」

 「あー、またパリ行ったんか」

 「ミヤちゃんこれでまた一時間余計に年取ったな。実はずっと前に二十歳になっとったんちゃうか?」

 「あー……辻褄合わせしとらんからなぁ。生きてる時間で云うなら去年の内には二十歳になっとるわ。但し行政的、法的には飽く迄昨日で二十歳」

 「なんやそれぇ、どうゆうこと? 説明せんかーい」

 唐揚げを齧りながら、小夜子が都子をぺしぺし叩いている。佑香が代わりに説明する。

 「今な、小夜ちゃん達消えてから数秒で戻って来たやんか。でも旅行は一時間ほどして来たんやろ? つまり小夜ちゃん達が過ごした一時間は、あたしら含めこの世界の人達にとっての数秒やねん。それはつまり、小夜ちゃんと都子が皆より一時間程長く生きたってこと」

 「一時間老けたってこと!? うぉらあ、みこやぉ! おどれ何さらしてけつかんどるんじゃあ!」

 「うわ、堪忍してや、一時間やん」

 「そか、一時間か」

 そして小夜子はあははははと笑った。

 「え、これが小夜ちゃんの地ぃ?」

 佑香が沙梨にこっそり訊く。

 「まあ、鳥渡陽気ではあるけど。まあまあこんなもんやで。あの頃このキャラでやり返されなくて良かったと、心底思う。あたしなんてことしてたんやろな、ほんまに」

 「ほんでも今、もっと危ない関係やんか」

 「まあ、日々ヤられてますわ」

 沙梨はけらけら笑った。それはそれで楽しそうな笑顔である。

 「んー、沙梨? 何のお話?」

 「小夜の魅力について」

 「ほか、ならよい」

 佑香はぶるっと震えた。

 「やぁ、然しそうかぁ、そんなことしとったんやなぁ、あの日」

 「ゴメンな。基本この件は誰にもゆわんって、都子のお母さんとも約束したことやから。このこと知っとうの、この四人と、都子のお母さんと、後は警備会社の顎の人だけやから」

 佑香が稍身を引き気味にしながら、説明する。

 「あ、あのアゴさんは知っとるんや」

 「まあ同類やったし。あの場合それ隠してたら何も話進まんかったしな」

 都子は殆ど身構えずに小夜子と会話出来ている。

 「ふーん、知らぬはあたしばかりなり」

 「やからごめんてぇ。今日で共有したゆうことで、今後よろしゅうにな。絶対誰にも云わんといてよ」

 「云わんわ――あ、そんで、沙梨が怖かったってやつ、あたしも遣ってみたい」

 「は?」

 「あたしにもしてやぁ。沙梨とは体験共有したい!」

 「いや、そう云うもん?」

 都子は沙梨を見た。沙梨は複雑な顔をしている。

 「あんときは小学生やったからなぁ。今はまた感じ方違ってそうやけど。――てか何でそれ小夜が知っとるん」

 「ミヤちゃんがゆうとった」

 「あんた何をどこまで話しとん」

 「え、洗い浚い」

 「まじかぁ……あんな、小夜? あれはあたしが受けた罰やから」

 「罰ちょうだい、おねがいぃ」

 「マゾか」

 「沙梨と同じがえゝねんてぇ」

 「ああもぉ、知らんど!」

 そう云って都子と小夜子は再び姿を消した。

 「ええっ、ちょっと!」

 慌てる沙梨の前に再び現れた小夜子は、ゲラゲラ大笑いしていた。

 「楽しかった! 何か、あんなん大好き!」

 「ええ……」

 沙梨は眉を寄せて困惑している。

 「せやけど、見掛けと音だけやんなぁ。も少し体感でけるようなんがえゝわ。押し潰される感じとか、落下感とかあってもえゝかな」

 「ええ……駄目出しされとぉ」

 都子も困惑している。

 「都子、何時だか小夜ちゃん最強説唱えとったな。あたし今、すごい納得したわ」

 佑香がビールを飲み干しながら、真剣な顔で云う。

 「こんな意味でゆうてないけどな!」

 「何であたしが……最強なん? あたし……そんなんちゃうし……」

 「今更それえゝよ! つか、いつでも普通に被れるんやな、猫!」

 「怖いわぁ」

 都子と佑香が順繰りに突っ込むと、座が爆笑に包まれる。

 「ビールお替り――あ、待って、違うの呑む」

 佑香がメニューを確認している横で、小夜子が話題を変える。

 「そういやミヤちゃん、フランス文学って、なんで?」

 「へ、何でってなぁ……一年目法学あかんかったから、文学にしたんや」

 「諦め早いよな。いや、そや無くて。何でフランス?」

 「ルブラン原文で読みたかってん」

 「ルブラン?」

 「モーリス=ルブラン?」

 沙梨の質問に都子は首肯いた。

 「そっちかぁ!」

 「そっちってどっち。あ、あんず酒サワーにしよ!」

 佑香は店員の呼び出しボタンを押してから、再度訊き直す。

 「そっちってどっち」

 「いや、フランス文学って、カミュの異邦人とかかと思ってたら、真坂のルパン!」

 「ふーじこちゃん?」

 「ちゃうわ! オリジナルのアルセーヌ・ルパンの方や! まあ確かに、あれもフランス文学やな、娯楽物やけど」

 「沙梨詳しいねぇ」

 「普通や」

 「えー、あたし文学とか略判らん」

 「理系やから?」

 「ユウちゃんは理系なん?」

 小夜子が今度は佑香に興味を示す。

 「佑香は数学科や。男の園」

 「なんそれ! 好い男おる?」

 「小夜ぉ!」

 「あっ、ごめーん。てへぺろっ」

 小夜子は自分の頭に拳骨を置いて、舌を出した。

 「小夜ちゃんもてへぺろゆうた。そんな死語使うの都子だけや思ってた」

 「いや、ミヤちゃんリスペクトやん」

 「何やそれ!」

 都子が仰け反ると、笑いが起きる。

 「そう云う小夜ちゃんは何しとん?」

 佑香が質問で返す。

 「あたしは演劇の学校(がっこ)

 「ほんまもんの女優やった!」

 「えー、あたしなんか未だ未だよぉ」

 「『よぉ』って、きしょいわ!」

 「ミヤちゃんひっど!」

 「都子が非道いのん昔からや」

 「佑香ひっど!」

 都子がやり返す。

 「知っとぉで、ミヤちゃんが非道いのん、小学校の時からや」

 「何を知っとるんよ」

 「あたしが、教科書の件ありがとうって云いに行ったら、『小夜ちゃんの為やない、教科書可哀想やったからや』って」

 「よぉ覚えとんな! 怖いわ」

 「あれであたしは、いたく傷ついたものよ」

 「そんな痛かったんか」

 「ちゃうわ!」

 「いやいや、絶対傷付いとらんやん、なんか残念そうな顔しとったけども、そう云う感情ではなかったやろ!」

 「如何云う感情?」

 小夜子は猫被りで聞き返す。

 「ああ、こいつには通じへんかぁ、的なガッカリ顔やったで!」

 「何ゆうとんか解らんわぁ」

 「あー、それで都子、そん時に見抜いとってんなぁ」

 佑香は寂しそうに云った。

 「あたしは全然気付かんかった」

 「ユウちゃん、それが普通。ミヤちゃんは鋭すぎ。ほんで小夜は(ずる)い」

 「そうや、狡い」

 都子は沙梨に同意した。

 「何が狡いねん」

 「あの教科書。綺麗にしたんは図工の先生とうちや」

 「それがどないしたん」

 「あれは不思議やったなあ。大抵の線は直ぐ消えるんやけど、所々やたらひつこい線が有ってなあ」

 小夜子は不自然に黙って、都子の言葉を聞いている。

 「消え易いのんは、花とか、犬猫、虫とか、人とか、何かしら意味のある絵柄やのに、そのひつこい線は、何のデザイン性も無い、出鱈目な線やねん。名前んとこなんか、これでもかって。でも不思議なんはな」

 小夜子は何杯目かのコップの酒をぐっと飲み干した。お代わりを注ごうとしたが、最早瓶の中は空であった。

 「グリングリンに塗り潰しとるはずやのに、夜の字だけ判るようになっとってん。あれは作為的やったなあ」

 「ミヤちゃん、それって真逆」

 沙梨が不安な顔をする。

 「沙梨やその他大勢がした落書きなんか、可愛いもんやったんちゃうんかなぁ。あのひつこいのん、自分でしとったんちゃうか?」

 「ミヤちゃんには誤魔化し効かんなあ」

 小夜子は妖しく笑って白状した。

 「うそやん……小夜?」

 「自衛の為やで。黙っていじめ受けてなんか居れるかいや。罪状重くしたった上に、自分でしたことやからヤラレた感も薄まる。相手(おと)して自分は救われる、一石二鳥やん?」

 沙梨も負い目があるので、それ以上何も云えなかった。

 「もしかして、あたしが都子に教科書渡すまで、計算しとった?」

 佑香が不安気に訊くと、小夜子はニヤリとした。

 「さあ、そこまではな。でもユウちゃんはし易い子ではあったな」

 「あたしこん中で最弱やあ!」

 佑香は机に突っ伏した。

 「佑香気にすんなや。そんなん(せん)から皆知っとぅことやん」

 「都子それ、フォローになっとらぁん!」

 佑香は突っ伏した儘叫ぶ。

 沙梨は稍戸惑った目で小夜子を見詰めている。小夜子がそれに気付くと、悲しそうな顔をして沙梨を見詰め返し、「沙梨ちゃん、あたしんこと嫌いなった?」と、稍(しな)を作って訊いて来た。

 「大好きやし! そんなキャラも素のキャラもどっちも!」

 沙梨が余りに力説するので、流石に小夜子も赤面した。

 「沙梨、解ったから、落ち着きよし」

 沙梨はふうふう云いながら、コップに残ったビールを飲み干すと、

 「店員遅い!」

 と叫んだ。沙梨が再度呼び出しボタンを押そうとした時、ドアがノックされ、店員が入って来た。

 「ご注文どうぞ」

 沙梨の声が聞こえたのか、偶々なのか。

 「あんず酒サワー!」

 「生ジョッキ!」

 「山田錦! 猪口二つで!」

 「都子は?」

 「うん、わからん」

 都子は空になったコップを(もてあそ)びながら、

 「佑香と同じのんで」

 「じゃああんず酒サワー二つね!」

 「猪口四つにして!」

 「えっ」三人で小夜子を見た。

 「ご注文繰り返しますね――」

 注文を復唱し終わって店員が去ると、三人一斉に小夜子を責める。

 「小夜ぉ、この二人初心者やど」

 「あたし日本酒なんか飲んだことないよ、てか、あんず酒頼んだのに!」

 「うちも呑める自信ないよ」

 小夜子は一同を見渡して、ふんと鼻を鳴らした。

 「無理なら呑まんかったらえゝねん。一応一口ぐらい舐めるかな思て、用意するだけやん。そんな騒ぎなや」

 「まあ……道理やけども!」

 沙梨は溜息を吐く。

 「小夜の云う通り、無理なら呑まんくてえゝよ。あたしと小夜で呑むから」

 「うーん、一口くらいなら」

 「えー、都子やめときぃ」

 「一口だけ飲んでみてから、決めるわ」

 「あんず酒もあるのに」

 「どっちも呑んどくし。何事も経験や」

 「そうかぁ? 程々になあ」

 山田錦が来ると、小夜子は二つの猪口に普通に注いだ後、残り二つの猪口に数滴程度入れて、都子と佑香の前に置いた。

 「香りだけでもえゝし。行けそうなら鳥渡舐めてみ」

 そして自分の猪口の酒をくっと飲み干すと、再び注いだ。

 「小夜、あんたも少しセーブせいよ」

 沙梨が心配そうに声を掛ける。

 「だいじょぶ、沙梨が送ってくれる」

 「もぉ……酒デビューして半月とは思えんわ」

 「えっ、半月なん! マジで?」

 佑香が猪口をそっと手に取りながら、小夜子を見詰める。

 「人間為せば成る」

 「聞こえはえゝけど、それこの場合あまり褒められたことではないよ」

 そして日本酒の香りを嗅いで、少し舐めた。

 「ひー、なにこれぇ! むりぃ!」

 正面で都子が、きゅっと流し込んでいる。

 「んー、もう少し頂戴」

 「おっ、ミヤちゃんイケる口か?」

 小夜子が嬉しそうに都子の猪口に酒を注ぐ間、佑香は胸元を着崩して、「うー、熱い、口ん中ひーってなっとぉ」と掌で顔を仰いでいる。

 「うわぁユウちゃん、色っぽいなぁ、眼の毒や!」

 小夜子が佑香を凝視すると、沙梨が取り乱して、

 「ちょっと! ユウちゃん(はし)たない! こら! 小夜を誘惑すな!」

 「誘惑ってあんた……なにゆうとん」

 「小夜も物欲しそうに見ない! こらぁ! 駄目やぁ!」

 「何やこのカオス」

 都子は少し冷めた目で、三人の有様を眺めている。きゃあきゃあと(かしま)しく騒いでいる友人達を余所に、都子は手酌で日本酒を進めていく。なんだか自分は酒に強いのではないだろうかと思っている。偶に口直しであんず酒サワーを飲むが、こっちは兎に角甘い。

 「佑香学校いつから?」

 相変わらずきゃあきゃあ遣っているのも構わず、都子が突然問う。

 「へっ? いつやっけぇ……来週やったかなぁ」

 「暢気(のんき)やな。うち明日行き成りあるわ」

 「マジか、帰んの?」

 「佑香に合わせるよ」

 小夜子が不思議そうに、「えー、それって大学さぼるってこと?」と訊く。

 「いや、行くで」

 「だって東京やろ?」

 「場所はうちには関係ないねん」

 「なんやそれ」

 「自家の押入れ、東京のアパートの部屋と繋がるから」

 「あっ、それずっこいな! あたしもその機能欲しい!」

 「機能って」

 「あー、そっかぁ、あんたら移動費とか掛からん子達か!」

 「まあ基本、一歩で着くからなぁ」

 「ええなぁ……あ、沙梨! 大丈夫や! 酔い潰れてもミヤちゃんが送ってくれる!」

 「はぁ?」

 「小夜、それは図々しい」

 「いや、えゝけどな。――そうか、これがお母がゆうてたことか」

 「なんやそれ」

 小夜子が絡む。

 「いや、この能力他人にばれたら、アテにされ倒すから、絶対云うたらあかんよって云われとってん」

 「あー……」小夜子はぺたんと座り直し「うん、まあ、潰れへんから送らんでもえゝけど」

 「いやいや、小夜ちゃんはえゝねん。友やから」

 小夜子が突然都子に抱き着いて「えゝ子や」と呟いた。

 「うわ、ちょ、なにすん!」

 「小夜ぉぉ! あかーん! こんなに誘惑だらけとは思わんかったわ! ミヤちゃんあたしの小夜奪わんとってぇ!」

 「いらんわ! 持ってって!」

 そんな騒ぎを今度は佑香が冷め気味に見詰めながら、

 「あー、今週末バイトあったわ」

 と呟いた。

 「あー、そんじゃそれ迄に帰ろか」抱き付く小夜子を押し遣りながら、佑香に応える。

 「よろしく」

 「ユウちゃんも都子ルートで帰るんやな?」

 「うんまぁ、一緒に住んでるからな」

 「同棲か!」小夜子が色めき立つ。

 「いや、あんたらとは異質やから。唯の友達とのルームシェアやから」

 「何やまるで、他人をイロモノみたいに」

 「えーと、うん、まあ、そういう心算ではなかったけど、イロモノはイロモノやな」

 「あーん、沙梨ぃ、ユウたんが虐めるぅ」

 「ユウたんて!」

 沙梨はふっと微笑んで、「小夜。あんたを受け止められるんはあたしだけや。帰っておいで」

 「さりぃぃぃ!」

 「サリーちゃん!」

 「都子! ――あ、沙梨ゴメンね」

 佑香は都子の非礼を謝ったが、沙梨はゲラゲラ笑いだした。

 「サリーちゃんなんか、今どきの若いもんが識るかいや!」

 「ここには今どきの若いもんしかおらんど」都子が突っ込む。

 「ほんまや! なら知らんわ!」

 そして猶もゲラゲラ笑う。

 「思ったんやけど、沙梨と小夜って、何かみたいやな」

 「なんか? なんよ?」

 「僕らがこの世で好きなのは、お酒呑むこと騒ぐこと、さり、さよ、さり、さよ」

 「あかん、パクリやん!」

 「絵本出せるわ」

 「その絵本、発売前に発禁やわ」そう云って小夜子もゲラゲラ嗤う。

 「それ、フランスの絵本やろ?」

 佑香がよく判ってなさそうに云うので、透かさず都子が「ちゃうわ!」と突っ込む。

 「佑香が云うとんのは、サリとサヨパール」

 「小夜パールとは何事!」

 沙梨と小夜子の笑いが止まらない。

 「内容的にはそっちのが近い!」と沙梨が云うと、「あ、沙梨ひどーい! あたしあんな卑怯か?」と小夜子が異議を唱える。

 「あの子達は卑怯なんではない、悪戯(いたずら)もんで無責任なだけ」

 「なら、あたしらや!」

 「あたしあんな非道ない!」

 沙梨と小夜子の二人で盛り上がっている。佑香は自分で振った癖にその絵本のことは余り識らなかった。最初に話題にしていた方も、思い出しはしたけどなんとなくしか知らない。(いず)れも読んだことはある筈なのに、よく思い出せない。その為会話について行けず、諦めて別の話題を都子に振る。

 「ところで都子は、バイトしないん?」

 「あー、バイトなぁ……」

 「クラウンさん探しとったで!」

 沙梨がヒイヒイと笑いを引き摺りながら、話題に噛んで来る。

 「くらうん?」

 「ほら、あの警備会社の、顎!」

 「ああ、そんな名前やっけ。え、探しとるって何を?」

 「能力者! あの後、都子が来てくれへんかなーみたいなことゆうとった!」

 「それ就職話やん?」

 「バイトってゆうとった!」

 「ほー。考えとくわ。そういや名刺貰ったな」

 都子はポケットから財布を出して、中身をごそごそ探して、「あれぇ?」と云った。

 「ここに入れたと思っとったけどなぁ」

 「何や失くしたんかい。あたしの見るか」

 佑香がスッと差し出すので、都子は思わず佑香を見詰めて、「なんや、佑香あいつのファンか?」と訊く。

 「なんでそうなんねん! 物持ちと整理整頓の賜物(たまもん)や!」

 「はー、流石流石」ぱちぱちと拍手をしながら、名刺を受け取る。

 「写真でえゝわ」

 スマホで撮ると、裏面に何も無いのを確認して、佑香に返す。

 「バイト代次第やなぁ」

 「都子なら高給取りなれるよ、何しろ時間たっぷり使えるからな!」

 「それこそ婆さんなるわ! 能率も最悪! 一生かけて人並みの給料じゃ、世界一の低給取りじゃ!」

 「低給取りってなんやねん!」

 今度は佑香がゲラゲラ笑う。段々笑いの閾値(しきいち)が下がって来ている様である。

 たっぷり二時間呑んで、騒いで、場はお開きとなった。結局沙梨と小夜子は、タクシーを呼んで帰って行った。

 「いやぁ、心地()

 着崩れた振袖を心持ち直しながら、佑香がうんと伸びをした。

 「佑香、その恰好は流石にあかんな。ちと、ワープすんで」

 都子は佑香をトイレへ連れ込むと、個室のドアを開けて自宅の玄関へと帰って来た。

 「ただいまぁ! おかーん!」

 奥からバタバタと母が出て来て、「あらあらあら、佑香ちゃん、何やその恰好は! 野盗にでも襲われたか?」

 「野盗て!」都子はけらけらと笑って、「呑み過ぎて着崩れただけやん、この儘帰すん気の毒やから、お母直したって」

 「おうち直ぐそこやん」

 「これで帰ったら佑香の両親ぎょっとするわ」

 「あたしもぎょっとしたわ。――でもそうか。ここ迄(ちょく)で来たんやな。まあ一旦上がり」

 母は佑香を居間へ通すと、そこで引っ掛けてあるだけの帯の結び目を外した。

 「そういやお父は?」

 「風呂やで。入ったばかりやから暫く出て()ぉへん」

 「よっしゃ佑香、邪魔者はおらん、じっくり直し」

 「ありがとう」

 母は手際よく着付けを直し、髪のほつれも直して、佑香は見違える程綺麗になった。

 「えー、小母ちゃん凄い。あたし出掛ける前より綺麗んなった気がする」

 「そりゃ酔いの所為や」

 「佑香、写真撮ってえゝか。意外に綺麗やったわ」

 「意外とかゆうなぁ。でも写真は撮ったって!」

 都子は佑香の写真を何枚か撮った後、母にスマホを渡して、ツーショットでも何枚か撮ってもらった。

 「釣り合わんなぁ、都子がダサすぎやわ」

 撮りながら、母にも笑われた。


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