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十九

 大学は東京の四谷だが、今日も都子は尼崎に居る。母は事情を了解しているが、父はなんだか不思議そうにしている。

 「都子ぉ、あんた少し控えなあかんで。お父不審がっとるがな」

 土曜の朝から父がどこぞへ出かけて、母と二人きりになった時、そう(たしな)められた。

 「ゆうて、楽やねんもん。土日位えゝやん。あー、こっから通いたいわ」

 「折角家賃払っとんのに、勿体ないやん」

 「そやなぁ」

 居間の座卓に突っ伏して、都子はぼんやりと応える。

 「兎に角あんたの能力は、自家の中ではあたししか知らんことや。婆ちゃんのことだってあたしとあんただけの秘密やからな」

 「何でお姉とお父に云うたらあかんの」

 「秘密ゆうのは最小限に絞らな、リスク増えるだけやからな。不必要に広めたらあかんの。秘密聞かされた方かてしんどなるしな。これも婆ちゃんからの教え」

 「婆ちゃん苦労したんやな」

 「そやで。娘のあたしもな」

 「まあそこは、わりかし如何でも――」

 「薄情(もん)! せやからあんた友達でけへんねん」

 「おるよ」

 「佑香ちゃんだけやろ」

 「そんなことも無い――と思うけどなぁ。知らんけど」

 「まああんたの優しさは中々他人(ひと)に伝わり難いからな」

 「そやねん。うちほんま優しい子やのに」

 「そう云うところ駄目なところやな。も少し謙遜せな」

 「謙虚やで」

 「意味知らんで云うとるやろ」

 「いやいや。謙虚云うたら都子さん、都子云うたら謙虚の塊さんやん」

 「矢っ張り意味判らんで云うとるわ」

 「はぁ?」

 都子はそこで(ようや)く顔を挙げると、その儘後ろへと倒れ込んで、座布団を枕にして転がった。

 「だぁれもうちのこと、解ってくれへん」

 「何ガキみたいなこと云うとん」

 「ははっ」

 軽く笑って、眼を閉じた。その儘うとうとする。

 「こらぁ、寝るなら布団行き」

 「寝ぇえへぇん」

 「数秒で寝る勢いやん」

 「んー?」

 「ところで、佑香ちゃん元気?」

 「何や唐突に。元気ちゃうか?」

 答えながら、むくりと起き上がった。

 「ルームメイトやねんから、もうちょい興味持ち」

 「生活時間ちゃうからなぁ。あいつ理系大学やん」

 都子はフランス文学科一年生、佑香は別の大学の数学科二年生。浪人した所為で一年置いてかれているのも、生活リズムが合わない要因の一つとなっている。

 「文学で一浪なんかするから」

 「一年目は法学狙ったからしゃあない」

 「身の程弁えへんから。お姉みたいにとっとと片付いて仕舞えばえゝのに」

 「相手がおればなぁ」

 都子は他人事の様に、ケラケラと笑った。

 この二人は文学部が簡単かの様に云っているが、法学部程ではないものの、都子の入った大学の文学部はそれなりに高難易度だった筈である。

 「ほんでフランス語はペラペラになったんか」

 「話題ポンポン飛びよんなあ。あんな、外国語学部とちゃうねん。文学や。そらまあフランス語遣るけど、話すより読む為やん」

 「そうかいな。で、読めるんか」

 「入学して数ヶ月やん、未だ、フランス語めんどいって気付いたぐらいや」

 「めんどいの」

 「男と女で言葉変わるからな」

 「あらやだわ、みたいなことか」

 「ちゃうわ」都子はケラケラ笑って、「モノやら何やらに性別あんねん。男名詞と女名詞で、冠詞が変わんねん」

 「何やそれ。意味解らん」

 「un(アン) garçon(ギャッソン)une(ユヌ) fille(フィーユ)

 「なんて?」

 「男の子、女の子、や」

 「何がちゃうん」

 「un garçon、男の子。une fille、女の子。男は un(アン) で、女は une(ユヌ) や。どっちも英語で云うところの、a や。a boy、a girl の、a」

 「なんでちゃうの」

 「そんなン知らんわ」

 「けったいな道に進みよったなあ」

 「ホンマになあ。こんなん未だえゝねん。例えばこのテーブル、これ女やねん。une(ユヌ) table(ターブル)

 「なんやて?」

 都子は机の上の本を手に取って、「これは男。un(アン) livre(リーヴゥ)

 「はぁー」

 本の間から(しおり)を抜いて「さあ、これはどっちや」

 「差すから男」

 「(ひん)無いわあ。でも正解。un(アン) signet(シニェ) やからな」都子はスマホを見ながら答えた。

 「まあ何にしろ、頑張りや」

 「めんどなったな」

 母はふふっと笑って、台所へ去った。都子は再び横になって目を瞑る。

 「寝るなら布団行きやー」

 台所から声が飛んで来るが、答えはなく、暫くすると寝息が聞こえて来た。

 「もぉ、しょうない娘や」

 母は薄いタオル地の毛布を持って来て、都子に掛けた。

 都子が寝てから一時間程経った頃、昼を前にして父が帰って来た。

 「坊主や、坊主」

 「何やまた釣れんかったか」

 「この辺魚おらんのやな」

 「んなわけあるかい。腕の問題やろ」

 親達がガチャガチャ(うるさ)いので、都子が目を覚ました。

 「なんやぁ? お父また、釣り竿散歩行って来たんか」

 「何や釣り竿散歩て」

 父が振り返って訊く。

 「釣り竿持って歩いて釣り竿持って帰るだけの散歩や」

 「おま……次こそは大物釣ったるからな、見とれよ!」

 「はは、まあ精々きばりや」

 父は都子の正面の席に着くと、胸隠袋(ポケット)から煙草を取り出す。

 「外で吸ってやぁ」

 都子はそう云いながら、庭を指した。

 「ほんま、肩身狭いのぉ」

 父はぶつぶつ恨み言を云いながら、灰皿を持って庭へ行く。

 「外で吸ってから帰って()ぃや。庭かて風向き次第では臭い来るからな」

 都子が文句を云うと、母が台所から出て来て、庭へと続く掃き出し窓を閉めた。

 「ほんまは止めて欲しいねんけどなぁ。ご近所迷惑やし、煙草代年々(たこ)ぅなるし」

 「半分以上税金やろ。熱心な納税者や。優遇措置とかあっても良さ気やけどな」

 「吸わさん為に高してるようなとこあるからな、優遇なんかする訳無いわ」

 「厳しい世界や」

 「吸わんかったらえゝねん」

 煙草を吸い終わった父が部屋へ戻ろうとしたが、鍵が掛かっていて入れない。窓をどんどんと叩いて何事か喚いている。母が窓に近寄って、鍵を開けるかと思いきや、

 「二十分は入ったらあかん! 臭い消える迄そこに()れ!」

 と叫んで、台所へ消えた。

 「厳しい世界や」

 都子はそう呟くと、再び毛布を被って横になった。父は庭で蹲みこんで、しょぼくれている。隅に生えてるタンポポに向かって何事かぶつぶつ云っている。横になった儘そんな父を眺めている内に、再びうとうとしてきた。

 次に目が覚めた時には、卓上に素麺(そうめん)が乗っていた。

 「はい、起きて。お昼は素麺や」

 「おー、涼しげ」

 未だ夏前なのに、既に暑い日が続く。素麺も食いたくなると云うものだ。庭で蒸し焼きにされていた父も、何時の間にか部屋の中にいて、正面に座ってテレビを見ている。

 「お父、タンポポと打ち解けたか」

 「おぉ、あいつ中々えゝ奴やで」

 「ほんまか。今度うちも話し掛けてみよ」

 「はいはい、阿呆な会話しとらんと、とっとと食えや」

 母が麺つゆを卓上にどんと置くと、都子と父の間に座った。

 「然し都子は毎週帰って来とるなぁ」

 麺つゆを椀に注ぎながら、父がぽつりと呟く。

 「孝行娘やろ?」

 「いや、えゝねんけどな、金持ちやな思て」

 「バイト頑張っとんねん」

 「それにしてもなぁ」

 「お父往復どんだけ掛かる思とんのか知らんけどな、贅沢せなんだら結構安上がりやねんで」

 「ほんまか。往復三万越えや思っとるが」

 「こだまの安いヤツあんねん。往復で二万ちょいや」

 「こだまかぁ」

 「ちな在来線なら往復二万切るわ。片道九時間掛かるけどな」

 「くじかん!」

 「夜行バスって手も。巧くすれば往復で一万程や」

 「はぁ、流石やなぁ」

 偉そうに語っているが、当然都子は()れも使っていない。東京の部屋と尼崎の部屋を繋げて、一歩で来ているのだから。然しそんなことを知らない父は、

 「苦労しとんねんなぁ」

 と頻りに感心していた。母は笑いを堪えるのに必死である。

 「そんなにしてまで帰って来んでもえゝで。感染症(コロナ)も怖いし。元気で遣っとんならそれで充分や。もっと自分のことにお金使い」

 「せやな。ちょっと回数減らすわ」

 自分から云っておきながら、父は少し寂しい顔をした。都子はふっと笑っただけで、素麺を食べることに集中した。

 食後、父が居間で昼寝を始めたので、都子は(かつ)て子供部屋だった部屋へと引っ込んだ。二年前に姉が二十三で嫁に行ってからは、都子専用の勉強部屋となっていた。その押入を開けると、佑香が居る。

 「おっ、行ける?」

 押し入れの奥から佑香が声を掛ける。うっすら化粧をして、ガーリーなワンピースに身を包んでいる。

 「おとん寝とるから、起こさん様にな」

 都子は押し入れの奥へ入ると、その部屋の先にある玄関まで行って、スニーカーを手にする。そして戻る途中でデイパックを取ってその部屋のクローゼットへと入る。佑香も靴と鞄を持って都子に続いた。二人は靴を持った儘勉強部屋から出ると、静かに居間を横切って、玄関へと向かう。

 「あ、佑香ちゃん」

 母が気付いて声を掛けた。都子は人差し指を口に当てて、

 「おとんそこで寝とるから。――ちょい、梅田行って来る」

 「はいよ、気ぃ付けてな。行っといで」

 「小母ちゃん、お久しぶりです。行って来ます」

 三人は声を潜めて簡単に言葉を交わし、母に送り出された二人は、家を出た所でマスクを着ける。

 駅へ向かって歩きながら都子は佑香に訊いてみた。

 「電車乗る? 一歩でも行けるけど」

 「乗るわー、阪神電車久しぶりやん!」

 「そか。なら切符買お」

 「えー、都子ピタパ無いの」

 「無いわ、基本乗らんからなあ。てか佑香、スイカとかでなくてピタパ?」

 「もちろん。帰省用やん。ピタパはチャージ要らんから楽やん? こっちのバス鉄道は、皆これや」

 「あー、そうなんや」

 「東京でも使えるけどな。そっちはチャージ必要やから、あたしはピタパ使わん。チャージ残した儘こっち帰って来たら、相当面倒なことになるらしいから」

 「なんで?」

 「JRの券売機しかチャージ使うとこ無いねん」

 「なんそれ。めんど。カードの意味ない」

 「せやろ、せやからピタパにチャージはせんの。死に金んなる。チャージはスイカ」

 「結局スイカあるやん」

 「都内はスイカや」

 そんな会話を交わしながら、都子は切符を買い、二人で改札を潜った。

 「便利やなぁそれ。うちも作ろうかな」

 「今更? 都子には要らんやろ」

 「いやぁ、人並みの行動せなかんわぁ」

 電車に揺られて十分程で、阪神梅田駅に着く。

 「再発見。電車えゝわぁ。お腹減らん」

 「なんやそれ」

 「ワープはお腹減るねん」

 「はぁ。そしたら都子の部屋繋ぎっぱなしでお腹減り続けるやん」

 「今は切っとるよ」

 「あ、そか。繋ぎっぱにすることないんや」

 「そらな」

 梅田の地下街を歩きながら、JRの方へ向かう。

 「佑香は大したもんやな。うち未だにこの地下迷うわ」

 「いやあ、こんだけあちこち工事中やとあたしも自信なくなるわ」

 梅田の地下街、通称「うめちか」は、数年前から段階的に改装工事が始まっている。始まって早々に例の感染症騒ぎがあった所為で、工事の進捗ははかばかしくない様だが、あちこち仮設壁が出来ていたり、幕が張られたりしていて、景観も大分変っているし、道順も変わっていたりするので、慣れた者でも戸惑って仕舞う。

 「それにしても、大分人戻って来たな。一時期だぁれもおらんくなったもんなぁ」

 感染症前に比べれば未だ疎らな方ではあるが、それでも一寸歩けばぶつかる程度には人出がある。道行く人は凡てマスクをしている。

 「都子、梅田なんか来とったん?」

 「たまに覗きにな。受験勉強の息抜きに」

 「押し入れ繋いだんか」

 「あはは、まあ押し入れとも限らんけど。ゆうてウイルス怖いし」

 「じゃあ白い世界経由か」

 「そんな感じ。眺めとっただけやし。バーチャル旅行や」

 「呼んでくれたらよかったのに。もしかして海外旅行とか行った?」

 「バーチャルでな」

 「そう云うのバーチャルって云うんかなぁ……まあ、本当に行ってもたら、密入国とかンなりそうやけど」

 「なるなぁ。リアルで行く気にならんかったけどな。奴ら感染症なめまくりやねん。日本のがよっぽど安全、安心」

 「まぁ、そやろな」

 何処を如何歩いたものか、長いエスカレータに乗って、如何やらJR大阪駅の上迄来た。

 「今どこにいるか判らん」

 「なんでや。大阪駅の上やん。ほれ、そこ改札」

 「乗るんか?」

 「乗らんわ」

 改札を右に見て、その儘真っ直ぐ行って駅を越すと、くるっと振り返って長いエスカレータを上る。到着した階は反対側の端迄、飾り柱以外は(ほゞ)何もなく、だだっ広い空間の両脇には居並ぶ電灯、目の前ど真ん中には四方向に円い文字盤の付いた大きな時計塔と、通路中央に沿って申し訳程度のベンチが在り、眼下をJRの列車が行き来するのが覗える。手前左手には、小さなテラス席のカフェバーがある。

 「はぁ、なんやここは」

 「都子知らんかったんか」

 「JRの方は基本()ぉへんからな。しかし巨大な時計やな」

 「時空(とき)の広場、云うねんて。そこに書いてる」

 「何やカフェあるな」

 「ここ風通し良さげやし、一旦ここでお茶しよか思て」

 「レモンスカッシュ」

 「決めんの早!」

 テーブル席はガラガラに空いていたので、二人で飲み物を買ってから、適当に席に着いた。

 「ルクア適当に冷やかしてから、阪神戻ろか」

 「ルクア何あんねん」

 「まあいろいろ。フロアガイドでも見たらよろしいやん」

 都子は眼の前のルクアを見上げて、「ロフトあんな。蔦屋も行ってみたい」

 「建物(たてもん)別! めんどいやっちゃな、服とか見ぃや」

 「あー、服なぁ」

 「都子破壊的にセンス無いからな。選んだるわ。せっかくそんなお洒落な頭しとんねんから、それ生かさな(ばち)当たんで」

 都子は大学入学して間もない頃から、頭髪にメッシュを入れている。所々銀と青の筋が入って、なんだかロックバンドにでも居そうな感じなのだが、服装がキャラ物のTシャツに草臥れたジーパンで、アンバランスなこと甚だしい。

 「頭は美容院のねぇちゃんに勝手にされたんや。これが似合うとかゆうけど、勝手にすんの犯罪ちゃう?」

 「それは悪かったな。あたしが遣らせたんや。あんた寝とったから」

 「ああ、犯罪者は佑香か」

 「犯罪者云いな! あんた実は気に入っとるやろ、あれから数か月経つけどちゃんと根元まで色入っとるやん! そんなことより服()うたるってば」

 「服なぁ。ゆうてルクアは冷やかしやろ?」

 「そやで。阪神リニューアルやん、そっち本命やから」

 「大分出遅れとるからな。お祭り感はもう無いやろ」

 「えゝねんえゝねん、そんなお祭り大したもん出て来ぉへんから。ほら、うちらどこかしら工事中の阪神百貨店しか知らんやん。全面開業は通常モードで(ゆっくり)見さして」

 「さよか。その前菜としてルクアか」

 「オードブルやな」

 「そう云う云い方すると、なんかオサレやな」

 「フランス語でなんて云うん?」

 「知らんわ」

 「なんでやねん!」

 「つか、オードブル、フランス語とちゃうか?」

 「えっ、マジか。調べよ」

 佑香がスマホでポツポツと調べている間、都子はレモンスカッシュをズーッと吸い上げて、ふうと息を継いだ。

 「ほんまや! フランス語や! 都子すご!」

 「何が?」

 「よぉ判ったな!」

 「そんなん偶々やん」

 「ほ、ほーす、どえぅるう゛?」

 「なんや、どないしたん」

 「読まれへん」

 佑香が差し出したスマホの画面には、Hors-d'œuvre とあった。

 「いや、普通にオードブルでえゝやん」

 「えゝんか」

 「いやまあ、その儘カタカナ発音ではないけど……そやな、先ず、エイチは発音せえへん」

 「あ、知っとお! ヒギンズ教授が云うてた!」

 「マイ・フェア・レディか。それ英語の方言の話な。これはフランス語」

 「違うんかぁ」

 「違う()うか、いやまあ、違うか。そもそもエイチではなくてアッシュやし」

 「ん?」

 「この文字をエイチとは読まんの。フランスではアッシュ、で、まず発音せぇへん」

 「さよか……おーすどぇうぶ」

 都子はゲラゲラ笑って、「せやから、基本オードブルでえぇねんて! あえて云うなら、最後母音付けずに弱めで」

 「おーどう゛ぅ」

 「おゝ、大分よぉなった」

 「やった!」

 「って、うちら何しとん」

 「都子のフランス語講座」

 「いや、始めて未だ半年も経っとらんのに」

 「あたしはゼロやから、えゝねん、気にしなや」

 佑香はアイスの溶け切って真っ白になったコーヒーフロートをぐっと飲み干して、

 「さて、ルクア行くか?」

 「んー、どっちでもー」

 「あれ、興味ないか? んでも、あんたに一着は買うで」

 「はー、ルクアは冷やかしやろ?」

 「それは流れ次第や。えゝもんあったら買ぅたる」

 「よっしゃ、なら行こか」

 「調子えゝな、おい!」

 二人は席を立ち、エスカレータを下ると、ルクアへと向かった。

 「なんや、オシャンティーなお店ばかりやなぁ」

 下のフロアから順に、エスカレータを乗り継ぎつゝ店内を巡る。七階まで上がったところで、見覚えのあるロゴが目に付く。

 「お、Leeやん。これでえゝやん」

 「ジーンズかいや! 却下!」

 「えー」

 フロアを回って行くと奥の方にこれまた見覚えのあるブランド名が目に入る。

 「チャンピオンや、これでえゝよ」

 「ルクア迄来てなんでやねん! 却下や!」

 「佑香厳しい」

 「もう無いわ。阪神行こ」

 「あ、せっかくここまで来たから、ロフト行こ」

 「えー」

 結局ロフトに行って、様々な雑貨に心奪われつゝ、それでも何も買わずに下りのエスカレータへと向かった。

 「五階で出るよ」

 「下まで行かんの」

 「一階より駅越え易いから」

 「さよか」

 五階でルクアを出ると、先程の時空の広場に辿り着く。その儘向こう側迄ずっと進むと、緩いスロープを少し下り、大丸百貨店へと入る。

 「大丸やん。寄ってくんか?」

 「通り抜けるだけや」

 エスカレータで地下に下り、店を出て南へと進む。暫く行くと阪神百貨店が見えて来るので地下から入店し、エスカレータで一階へ上がる。

 「地下は総菜ばかりやったな。勝負はこっからや」

 「何でもえゝわ。八階行きたい」

 「なんで? まあ、一個ずつ行こ」

 一階にはパン屋、珈琲ショップなどがある。どうも期待外れだった様で二階へ上がると、雑貨や、アクセサリー、更に奥へ進むと化粧品等の店が並ぶ。様々な化粧品や香水の混じり合った臭いが鼻を突く。

 「うち、この臭い苦手や」

 都子が顔を顰める。

 「あんたはほんま、女子力ないよな。んまあ、ゆうてあたしも決して得意ではないけど……でも必要やん」

 「要らんわ」

 「化粧ぐらいせぇよ」

 「年取ったらな。――んもぉ、耐えられへん、上行こ!」

 都子はマスクの上から鼻の辺りを押さえて、エスカレータ迄小走りに行って、飛び乗った。上がると今度は皮の臭いが漂っていた。

 「靴か。あ、鞄もあるな。あ、財布」

 佑香が一々立ち止まりつつ、商品を物色しているが、都子は余り興味が無い様で、遠くに視線を飛ばして「お」と云った。

 「うちスニーカー見て来る」

 「待てや!」

 アシックスの店へ向かって行こうとした都子の腕を、佑香がひっ掴んだ。

 「何でここ迄来てアシックスや」

 「阪神でアシックス、そんな変か?」

 「いや……そやなくて。そう云う何時でも買えるもんに飛びつくなって」

 「財布かて何時でも買えるやん」

 「可愛いのんあるからぁ」

 「アシックスも可愛いでぇ」

 埒が明かないので佑香は手を離した。

 「もぉ、好きにせぇよ。後でそっち行くから。スニーカー見とき」

 「やったぁ!」

 都子は嬉々としてアシックスへ向かって行った。佑香は軽く溜息を吐くと、別の店を冷かしに行く。一通り見物して都子を迎えに行った時、都子はレジで会計をしていた。

 「うわ、なんか()ぅとる」

 「今のスニーカー大分草臥(くたび)れてたからな、新しいの買うたんや」

 そう云って右足を上げてみせる。元は白だったのだろうがすっかり黄ばんで仕舞って、あちこちボロボロで今にも穴が空きそうなスニーカーを履いていた。

 「幾らで」

 「六千位や」

 「高ぁ」

 「普通や」

 「さよかぁ」

 「履き替えるから待っといて」

 都子は買ったばかりの靴に履き替えると、今まで履いていた靴を店員に渡して、「これ、ほっといて」と云っていた。

 「あんたいつも、そんな感じで履き替えるんか」

 「まあそやな。佑香は靴持ちすぎやで。一つ二つでえゝねん。一つで三年は()つ。次は頑張って五年は保たしたい」

 「合わんなぁ、そうゆうとこ」

 四階に上がると婦人服売り場だった。ルクアよりは大分庶民的な店が多い。

 「あは、ここにもLeeあるやん」

 「もぉ勘弁してや。ここと、この上のフロアで何とかすんで」

 婦人服は四階、五階にある。佑香は都子を連れ廻して、あちこちの店を物色し、結局無難なブラウスとパンツを一枚ずつ買った。

 「Tシャツ、ジーパンとかでえゝのに」

 「偶にはこんなん着とけよ。結構似合うで」

 「何や気恥ずかしいわ」

 「着替えといで」

 「えー」

 ぶつぶつ文句を云いながらも、都子は化粧室へ行って、それ迄着ていたTシャツとジーパンから、今買って貰ったばかりの上下に着替えた。上は真っ白で襟や胸元に刺繍など入っている。下は濃紺のスキニーパンツだ。なんだか体の線が強調されている様で気持ち悪い。出て来た都子を佑香は手を叩いて喜んで迎えた。

 「ええやん! かわいい! スタイルも良い!」

 「やめてや」

 都子はやゝ赤面した。

 六階はメンズとキッズと、スポーツ用品などが並んでいる。特に用はないと思って足早に通り過ぎ、上りのエスカレータに乗ろうとしたところで、なんだか見覚えのある顔と目が合った。

 「あっ」

 佑香が最初に声を出し、その声を聞いた相手が「えっ」と云った。最後に都子が思い出した様に、

 「龍」

 と云った。

 「うわ、お前ら、なんで」

 「それはこっちの科白や」

 都子は何となく佑香に目を遣った。佑香は(とて)も辛そうな顔をしていた。

 「てかお前、都子? なんか感じ変わったな」

 「今日だけ、今だけの、サービスタイムや」

 「なんやそれ」

 佑香が都子の二の腕をぎゅうと掴むので、都子はその手をそっと撫でつゝ、

 「ほな」

 と云って踵を返して去ろうとした。

 「ちょっ……待てや!」

 「唐突なキムタク! 関西版!」

 「ちゃうわ!」

 よく見ると龍は、女を連れていた。小柄でなんとなく線の細い、後ろ髪を首元で纏め、くりくりした瞳に、眼鏡を掛けた、大人しそうな……

 「んー?」

 都子が眼を細めてその女性を凝視すると、「あっ」と云われた。

 「あの、天現寺さん?」

 「誰?」

 「あたし……小田です……小田小夜子」そう云いながら、マスクを外して顔を見せる。

 「誰?」

 都子の後頭部を佑香が(はた)いた。

 「小夜ちゃん! 小学校時の! ――えっ、ちょっと、いろいろ理解が追い付かない!」

 小夜子はマスクを付け直して、「そちらは()しかして、平野さん?」

 「そうやぁ。小夜ちゃん若しかして、龍と付き合うとんの?」

 「あの……」「ちゃうねん!」

 小夜子の言葉に被せる様にして、都子の方ばかり気にしていた龍が、強目に否定した。

 「ちゃうの?」

 小夜子はくりっとした目で龍を見上げて、そう訊いた。

 「あっ! いや、ちゃうと云うか、ええと……」

 「二人とも龍君と知り合いなん?」

 「うー、これ如何答えるのが正解なんやろ……うんまあ、高校んときのな……」

 「元カレや」

 佑香の苦悩を余所に、都子がさらっと答えた。

 「えっ、そうなんだ」

 「キスもしてへんけどな」

 そう云って都子はあははと笑った。

 「純で美しい思い出なんやね」

 「美しくなんかあるかいや! 別れとんねんから」

 龍は稍蒼褪(あおざ)めて、オロオロと三人の顔を順に見ながら「ええと、その」などと云って狼狽(うろた)えている。佑香は都子の背後に隠れるようにして、龍と目を合わせないようにしている。

 「うーん、中々しんどい空気やな。――ほんで小夜ちゃんは、こいつと付き合うとるんか」

 「ええと――あたしは、そう思っとってんけど――どうもちゃうかったみたい」

 「そか。ならやめとき」

 「えー」

 龍が両手をバタつかせながら、「いや、正式に付き合うとか、ちゃんと()うとらんだけで、やな、その、気持ち的には」

 「なんやこれ。佑香、なんか邪魔しとうみたいやし、往のか」

 「うん」

 都子は佑香の手を引いて、「ほなな!」と云うと二人に背を向けて、別のエスカレータへと向かった。背後で龍が何かガチャガチャ云っていたが、二人とも貸す耳は持ち合わせていなかった。

 「うわー、しんど。なんやあれ」

 七階に着くと、佑香がそれ迄息を止めていたかの様に大きく息を吐いて、都子に掴まった儘ぜえぜえと荒い呼吸をした。

 「中々味な展開やな」

 「こんな展開嫌や、人生で一番再会しとぉない奴に……」

 「小夜ちゃんのこと、そんな風に云わんといてぇ」

 「ちゃうわ! ――あああ、小夜ちゃん! あの男だけはアカーン!!」

 「改心しとるかもよ」

 「都子本気で()うとる?」

 「いやぁ?」

 「せやんな……なあ、何とかならんか」

 「何をやねん」

 「小夜ちゃんの為にも、あの二人引き裂きたい」

 「自分無茶苦茶云うとるで」

 「そ、そうか? そうかな……」

 「他人(ひと)ン事、ほっといたりよ」

 「ううう、でもなあ、小夜ちゃん」

 「君等そんな関係でもないやろ」

 「昔のことがまだ、(つか)えとるんやな……」

 苦悩に歪む佑香の顔を都子は繁々と眺め、

 「ほんま、手の掛かる子やなぁ」

 と云うと、祐香の手を引いてトイレ迄行くと、二人の周囲から凡てが消えた。

 「はい、作戦練ろか」

 「あ、白い世界」

 「白が嫌なら……」背景が薄い青に変わる。

 「あ、いや別に、何色でもえゝけど」

 緑、黄色と変わり、真っ赤になる。

 「真っ赤は莫いかな! 落ち着かん!」

 都子はケラケラ笑って、白に戻した。

 「さて、奴等の観察から」

 二人の前に龍と小夜子が現れる。何となく透き通っていて、ホログラムのようである。ぼんやりと、彼等の周りの商品棚や壁、柱なども見える。

 「これは?」

 「緩めに繋いでみとんけど。気付かれるかな……こちらの声やら姿やらは、届いとらん筈やけど」

 龍は稍不機嫌そうに、小夜子の前をスタスタと歩いている。小夜子はそれに必死に付いて行っているが、二人の距離は大分空いていた。

 「何を不機嫌になっとんねんこいつ」

 佑香が吐き捨てる様に云う。

 「これなら引き離すのは簡単やな」

 龍が柱の陰に入り、小夜子の視界から消えたタイミングで、都子は空間を繋ぎ変えた。龍の周りの風景が一歩で一瞬にして変わり、小夜子が柱の陰まで来た時にそこに龍は居なくなっていた。

 「都子何した」

 佑香の問いに、都子は薄笑いを浮かべ、

 「龍はお帰りの様やで」

 龍の目の前に、阪神電車の改札があった。何が起きたのか全く理解できず、龍はその場に立ち尽くしている。

 「ここの地下か。やるな、都子」

 「惚れ直したか」

 「そんなん小六の頃から、ずっと惚れっぱなしや」

 「なるほど、龍とのことは浮気やっとんな……きーっ、くやしい!」

 「思っとらん癖に」

 「うん」

 「つうか浮気は龍やろ。あたしはその浮気相手や。ほんま黒歴史」

 「えゝよ、そこ深掘りせんでも。それより小夜ちゃん、誰と話しとるんかな」

 小夜子が誰かと会話をしている。元々声が小さい性質(たち)なので聞き取りにくいのだが、如何やら龍のことを話している様である。然しその話し振りには、何か違和感を感じる。都子は小夜子の周りをもう少し広めに捉えてみた。

 「おお、誰やこの女」

 すらりと背の高い長髪の女が現れた。くるくるとパーマの当たった髪の色は飛び切り薄く、瞳の色素も薄い。マスクには刺繍が入っていてお洒落である。マスクから耳へと伸びるゴム紐にぶら下がっている小さな宝石が、チカチカと輝いている。佑香が目を細くして、その女を凝視している。彼女の声が聞こえて来た。

 「どうしてこんな狭いところで見失うかなぁ」

 「ごめんなさい……」

 「小夜のこと責めとるわけやないよ。あたしももう少しちゃんと見張っとくべきやったわ……うーん、でもなぁ、気付かれたとも思われへんし」

 「矢っ張りあたしなんかじゃ、役者不足で……」

 「そんなこと無いって。こんな可愛い子やのに、何やねんあいつ」

 佑香は都子を見た。都子は二人の会話に集中している。

 「なぁ都子」

 「んー」

 「この女……」

 「見たことある気がするねんけどなぁ」

 「沙梨ちゃうか」

 「誰やそれ」

 佑香は稍大袈裟にずっこけた。

 「あんたえゝ加減にせいよ! 小六ん時、小夜ちゃん虐めとった張本人じゃ! そんであんたの能力知っとる数少ない人物の一人やんけ!」

 「やんけとか、怖いわぁ」

 「思とらん癖に!」

 「うん」

 「ほんでこれ如何云う状況?」

 「なぁ」

 どうも二人の会話を聞いていると、何か欠落があるような気がする。

 「そうか、もう一人おるのか」

 都子が更に視野を広げると、何やら派手な身なりの男が現れた。ピンクの髪を逆立てて、左目に星のペイント、顎が異様に長く、マスクに納まり切っていない。

 「ピンクのお月様や」

 「誰やねんこれ!」

 都子も佑香も唖然として、暫くは会話も耳に入って来なかった。

 「ん?」

 突然都子が自分の両肩を抱くようにして、鳥渡身震いした。

 「どしたん」

 「なんか嫌な気配がした」

 その時顎の男がこちらを見た気がした。気付かれている筈はないのだが……然し都子は稍自信を失っていた。

 「一旦オフ」

 三人の姿が消えて、都子と佑香だけの世界になった。

 「え、都子如何()したん」

 「なんか見られた気がした」

 「うそ、気付かれたん?」

 「真坂(まさか)な……いやでも、ちょっと時間頂戴」

 そう云って都子は、右腕を腰に回し、左手で口元を押さえて、何か考え始めた。

 「ちょっ、都子、彼女ら見失う」

 「時間止めとるから。ちょっと黙っといて」

 「あ、はい――時間頂戴って、そう云うことかい」

 暫くして、白かった世界に景色が戻った。二人はトイレの中に戻っていた。但し時間は止まった儘の様である。

 「ちょっと、実物見に行こ」

 そしてトイレを出ると、買い物客達の間を縫って、エスカレータを徒歩で下り、小夜子達が居る売り場まで戻って来た。

 「沙梨に話聞こか」

 「おお、成程な。都子頭えゝな」

 「当たり前やん」

 「謙遜せえへんなぁ」

 二人は沙梨に近付くと、都子が沙梨の肩をポンと叩いた。

 「えっ、誰? ――え、なんか変?」

 沙梨はきょろきょろと辺りを見渡す。そして直ぐに都子と佑香に気付いた。

 「あっ! もしかして、ミヤちゃん? と、ユウちゃん!」

 「あゝ矢っ張り沙梨や。そんな呼び方すんの沙梨だけやもんな」

 「なに、ミヤちゃんその服可愛い! 髪もカッコえゝ!」

 「お、おう」

 都子はやゝ赤面した。

 「うわ、なんか都子の弱点見付けた気分」

 佑香が小さく呟く。

 「えっと、そんでこれ如何云う状況? これもミヤちゃん?」

 「時間止めとるんで、鳥渡色々聞かして」

 「時間止める迄出来るの! 凄いなぁ。あ、もしかして龍いなくなったん、ミヤちゃんか! あー、成程なぁ。納得。あの怖い世界に連れてったん?」

 「いや、今地下二階。改札前で戸惑っとるよ」

 「そかぁ。怖い世界行って欲しかったけどなぁ」

 「何や凄い恨み様やな。何があった」

 そこから沙梨は、もの凄い勢いで語り出した。自分が龍と付き合っていたこと、可成龍の為に金を使って仕舞ったこと、その間龍が複数の女と同時進行していたこと。小夜子とは今年に入ってからどこぞのイベント会場のバイトで再会したこと、その前に小学生の時点で既に許しを得ており、その優しさと可愛らしさに触れて大好きになって仕舞っていたこと、そして再会後に一気に気持ちが盛り上がって仕舞って、今付き合っていること。

 「え、二人そう云う関係やってん?」佑香が目を剥く。

 「ま、まあな。きついか?」

 「否、そう云うのではないけど……ちょっと吃驚した。沙梨両方イケる感じか」

 「解らんねん。こんな気持ち小夜ちゃんが初めてやし。かといって他の子とこんなんなれるとは今のところ思われへんし」

 「そら、なったら浮気やもんな」

 「ああ、まぁ……そうか」

 「ちなみに龍とは寝たんか」

 都子が唐突に訊く。

 「ちょ、みやこぉ! あんたデリカシー無いんか!」

 佑香が顔を真っ赤にして抗議した。

 「あはは、そんな気にせんでえゝよ。うん、恋人やったからな。それは普通に」

 「そうか。ちなみにうちは高校時代の元カノ、キスもしてない。佑香はその頃の浮気相手、一回ヤられた」

 「都子、云い方!」佑香は猶も顔を赤くして都子を小突く。

 沙梨は眼を真ん丸に見開いて、「あんたらも被害者か!」と叫んだ。

 「や、うちは名目ばかりの彼女やったから。手位は繋いだかな、でもその程度や」

 「ユウちゃんなんで……」

 「流されやすいんですぅ」

 佑香は両手で顔を覆って蹲みこんだ。

 「ほんなら二人とも、あたしらの復讐計画に付き合うてくれへんやろか」

 「小夜ちゃんもなんかされたん?」

 「される前にあたしが気付いて、手ぇ回した」

 「そうや、このピンク顎、誰?」

 「警備会社の人。超能力者」

 「はぁ!?」

 佑香と都子、二人揃って声を挙げた。

 「詳しくは知らへんねんけど、忠国警備ってところのEX(エックス)部隊が、なんかそう云うサービスしとるって口コミがあって。うちのお父さんが何処(どっ)かから聞き齧って来たんやけど、いやまあ、あたしも最初は半信半疑やってんけどな、今回のことがあって、ちょっと試しにと思ってお父さんには内緒で、こっそり連絡してみたら、この人が来てん」

 「こっそりなんや」

 都子が合の手を入れる。

 「云われへんて、こんなこと。特にお父さんには」

 「(あゝ)、まあそうか――なるほどなぁ、超能力者か……」

 「都子も超能力者なんかな? あたしは魔法使いや思っとってんけど」

 佑香がぼんやりと呟いた。

 「それなんかちゃうのか?」

 「同じことか?」

 「知らんけど――あ、そや、沙梨」

 「なに?」

 「うちはプラトニックやったからわからんねんけど、龍って蚯蚓(みゝず)やってん?」

 「はあ?」

 沙梨は再び眼を丸くして、佑香は都子を引っ(ぱた)いた。

 「何訊いとん!」

 「え、だって佑香が蚯蚓やった云うから」

 「()うてない! そう云う意味で云うてない!」

 二人の会話から沙梨も理解して、あははと笑い出した。

 「何か思たわ! まあそうやな、龍は名前負けやな!」

 そして腹を抱えてヒイヒイと笑い転げた。

 「蚯蚓か! ユウちゃん云うなあ! 久々のヒットや!」

 「ああもう、皆品がない」

 佑香はがっくりと項垂(うなだ)れた。

 「時間止めて、うち等だけやから。気にしなや」

 「気にしとらん、がっかりしとるだけや」

 「最初に云うたん佑香やで」

 「やから、そう云う意味で云うてないと、ゆうとろうがあ!」

 「おお、こわ。――ガリガリガリクソン」

 「誰やねん!」

 「彦摩呂よりは新しいねんけどなぁ」

 「もお、二人喧嘩せんといてよ」

 「喧嘩やない、悲しんどるの。都子はわけわからん芸人のネタしかせぇへんし……」

 「佑香は気にしいやなあ」

 「話進まん……ほんで、復讐て何しとん」

 「いやぁ、小夜ちゃんに一役()うて()うてやな、鳥渡嵌めたろうか思て」

 「何するん」

 「取り敢えず金出さそうと。あたしの三百万丸々返せとは云わんけどさ」

 「さんびゃくまんん!? そうや、沙梨お嬢やった……」

 「少しは痛い目見て貰わんと」

 「出すか? あいつが金なんか」

 「出したくなる様にしてくれると、このおっちゃんが云うとってん」

 「この顎が? うーん……いっそこっちに巻き込むかぁ?」

 都子が思案しながら云うと、佑香は不安気に都子を見た。

 「え、でも、都子の能力バラすことにならん?」

 「こいつも超能力者やろ? しかもそれ仕事にしとん……沙梨の云うことがほんまならな」

 「うーん」沙梨は腕組みした。「あたしも話で聞いただけで、実際に何か見た訳では……」

 「ほな、慎重に行こか」

 「如何(どない)するん」佑香が訊く。

 「取り敢えず、この顎の作戦に乗っかるわ。龍は誘導して戻すよ。うち等外側から見とくな」

 「何やそれ、つまらん」

 「チャンスあったら佑香に渡す」

 「いや……渡されてもなあ」

 「その際時間止めるから。如何したいか考えとき」そして沙梨の方を向き、「ほな、そっちはヨロシクな」

 「あ、ミヤちゃん、待って」

 「何や」

 「なんかあった時の為に、合図決めとこ」

 「なんかってなんや」

 「判らんけど、なんかピンチとか、チャンスとか」

 「よぉ判らんけど、ほしたら、顔の横でピース」

 「不自然!」

 「ええ、佑香厳しい」

 「いやいや、も少し自然で無理のないのにしいや。首の後ろ掻くとか」

 沙梨が首の後ろをポリポリ掻いた。

 「あかん、意識すると痒なる」

 「まじか、あかんやん!」

 「なら、耳朶(みゝたぶ)(つま)んどけ」

 「ああ、それでえゝやん」

 沙梨は耳朶を抓んだ。

 「うん、これでえゝわ」

 「決まりやな。ほな、きばりや」

 「ミヤちゃん、ユウちゃん、ありがと! また後でな!」

 都子と佑香がその場を去ると、時間が動き出した。

 「んっ?」

 顎男が沙梨を凝視し、目を擦った。

 「気の所為か……」

 都子と佑香は、白い世界から様子を窺っている。

 「あー、止まる前と同じポーズさしとくの忘れたわ」

 「しないと如何なるん?」

 「下手くそな動画の編集みたいに、前後の動き繋がらんくて、パラパラってなる」

 「あー、なんか、あかんヤツや」

 顎男がまた、視線を不自然に飛ばしている。都子達が視えている訳ではなさそうだが、如何も危うい。

 「もう少し緩めよか」

 三人の姿が薄くなる。

 「さて、龍は」

 龍は未だ、地下二階でオロオロしていた。

 「歩けぇ」

 都子の想いが届いたか、ふらついて半歩出した足の先は、六階だった。

 「えっ」

 狼狽えて後退(あとじさ)る足の置き場も、六階だ。こうして龍は、六階に戻って来た。

 「一体如何なって……」

 龍は顳顬(こめかみ)の辺りを掌底でゴンゴン叩きながら、フラフラと歩いて行く。程無く沙梨達がその姿を認め、小夜子を残して他の二人は身を隠した。

 「龍君」

 小夜子が声を掛ける。

 「もう、どこ行っとったん」

 小夜子は龍の腕にしがみ付く様にして、エスカレータへと誘導する様に歩く。

 「どーこへ行くのかなぁ」

 都子は楽しそうに、二人の姿を追い掛ける。龍は誘導されている様でいて、同時に自らの意思で率先して歩いている様でもある。

 一気に八階迄上ると、エスカレータを回り込んで奥へと向かう。

 「都子の行きたがっとった八階や」

 フロアの奥には、指輪やネックレス等の並んだ宝石店と、高級そうな時計店があった。龍と小夜子はその時計店の方に迷いなく入って行く。

 「うわー、高そう」

 「えー、都子こういうの見たかった?」

 「いや? こんな店あるなんて知らん」

 「そか」

 可成遅れて、沙梨と顎男が上って来て、真っ直ぐ二人が入った店の前まで進む。予め行き先が判っていた様だ。顎男は自分の腕の辺りばかり見ている。監視の二人は向かいの宝石店へ行き、然し商品は見ずに、対象の二人の方ばかり気にしている。それにしても沙梨達はそこそこ怪しい感じであるのに、誰も気にしていない。店員も全く声を掛けない。

 「なぁんか、怪しいなあ。これが顎男の能力か?」

 「どんな力なん?」

 「さあなあ……いずれ本人に聞くことになるやろな」

 都子は二人の様子を見ながら、右腕を腰に回し、左手で口元を抑えた。

 「まあた、長考モードや」

 佑香が不服そうに呟く。

 龍と小夜子は高そうな時計を物色していたが、一組のペアウォッチに目を留めると、店員に声を掛けた。二人でそれを腕に着けると、満面の笑みで見詰め合う。

 「なんや、えゝ感じやなあ。小夜ちゃんこんな風に笑うんやな」

 「騙されんなや、演技やど」

 「あ、そうか……そう考えると凄いな。女優やん」

 「器用な子やで。小学生の頃からな」

 「え、それは如何云うこと?」

 「さあ。うち、あんま知らん」

 「こらこらこらぁ! 云うてることおかしい!」

 「んー?」都子は素っ惚けた声を上げながら、「お、揉めとる」と二人を指差した。

 「頼むわ。ほんま無いねん。財布入れとった筈やねんけど……」

 「そんな。どこかで落としたんちゃう? 探さな」

 「いや、多分家やねん。昨夜ネットで買いもんした時、ベッドで出して……」

 「云うてあたしも、手持ちないし……」

 都子と佑香は顔を見合わせる。

 「沙梨の計画穴だらけやん。こいつ元から金使う気なんか無いねんて。小夜ちゃんかて嵌める心算やってんから金なんかないやろ」

 沙梨に目を遣ると、どうも苦い表情で龍を睨み付けている。顎は無表情で、今一何を考えているのか判らない。

 「龍君、ローン組めるよ」

 「え、ああ……ローンなぁ……」

 「二回とか三回とかにしておけば、そんな利息も掛からんし」

 「まあそやな……でも俺、審査通るかな……」

 「どうゆうこと?」

 「ちょっと前、カードで滞納とかやらかしとって……恥ずかしくて今まで云われへんかってん」

 「龍君お金持ちや()うとったやん」

 「その頃色々カード多く持ち過ぎとってやね、銀行口座の残金足らんくなっとるん気付かんくて。気付いたら滞納して一か月くらい経っとって……督促電話来てやっと気付いて」

 「うそやん、滞納して一箇月も電話()ぉへん?」

 「それが、普段余り使わん電話番号で登録しとって」

 都子がやゝ()け反り気味に「何やこいつ!」と叫んだ。

 「ちょお、なんか色々奇怪(おか)しいで。突っ込みどころとかゆうレベルちゃう!」

 「都子……こいつ、詐欺師にでもなったんかな」

 顎がやゝ前のめりになって様子を窺っていた。

 「いやぁ、何で警備会社が私怨の復讐なんかに肩入れしとるんか思っとったけど、この顎、他の目的あるんちゃうか?」

 「え、まさか都子、ほんまに?」

 「訊こか」

 その時、沙梨が耳朶を抓んだ。

 「タイミングもばっちりや。顎も呼ぶで!」

 都子は時間を止めてから、沙梨と顎男をこちらの世界へ呼び込んだ。

 「沙梨お待たせ! 顎男さん初めまして!」

 「は!?」

 「都子! バリ失礼!」

 顎男は数歩後退り、佑香は都子の後頭部を(はた)いた。

 「なっ……何やここは……亜空間?」

 「どうも、沙梨の昔馴染みの、天現寺都子云います。鳥渡だけ話聞いてます。まあ――小夜ちゃんとも昔馴染みで、龍の高校時代の元カノです。――あ、そんでこっちは龍のもう一人の被害者、佑香」

 「ちょ、都子、いきなりそんなベラベラと!」

 「必要最小限やで。こっちは敵やないですよと示しておかな、無駄に構えさしてまうやん。それはお互いに時間の無駄や。相手の手の内も読まれへんしな、変な小細工するよりは、最初から正直に行った方がえゝ」

 「そ、そうか……否でも、都子が元カノとか、そんな情報要るか? 却って龍側と思われへん?」

 「何も云わんで、お前誰やってなるよりえゝやん。それに、普通に賢ければ行間読んでその辺は補完してくれるやろ。あとは、今佑香が突っ込んでくれたんが補足ンなる。ありがとな」

 「えっ、ああ、うん――って、あたしがツッコまなんだら混乱しとったってことやん」

 「せやから、ありがとう」

 「あたしも都子の(たなごゝろ)の上!?」

 「ありがとう」

 それ迄唖然と眺めていた顎男が、(ようよ)う口を開いた。

 「あ――えっと、つまりこれは――え、この世界はあなたが?」

 「名前お聞かせ願えませんやろか」

 「ああ、クラウンと云います、クラウン吉川」

 「本名ちゃうな――まあえゝか」

 「名刺あるよ」

 クラウンは都子と佑香に名刺を渡した。忠国警備株式会社、特殊対策部、第一警備課、EX部隊、ドリーマー担当、クラウン吉川。

 「名刺迄偽名かいや」

 「あ、いや、偽名と云うか」

 「源氏名?」

 「お水とちゃうねん――いや、遣り(にく)いな――なんちゅうか、元々バンド遣ってた頃のステージネームやってんけど、ここの仕事はこの名前でさせてもろてます。別にヤバくなったらトンズラするとかそう云うことではなくて、この名前で会社に問い合わせれば、わしが何処にいてもがっつり特定されて掴まるようにはなってるんで、その――」

 「ああ、もうえゝよ、そこに時間使(つこ)てもしょうがない。ゆうて時間は止めとるんやけどね」

 「時間を――止めてる?」

 「ほれ」

 都子は龍と小夜子を指した。二人は口論の途中で停止している。

 「君は――異能者なんやね」

 「今日はいろんな云い方されるなぁ。超能力者、魔法使い、異能者か。他になんかあるかな?」

 「エスパー」沙梨が云う。

 「エスパー、ミヤ! うーん、今一」

 「なにがぁ」佑香が突っ込む。

 「君等……自由やなぁ」

 クラウンが溜息交じりに呟く。

 「楽し気やろ? 人生楽しんだもん勝ちやで」

 「それは同意するわ」

 「ほなら楽しくやりましょか。で、おっさんは何を仕掛けとってん」

 「おっさんて、まだ二十七なんやけど……ええと、先ず取り敢えずは、わしの能力説明するわ。名刺にもドリーマーと書いてるけど、他人(ひと)の認識状態を見たり、操作したりできんねん」

 「なんそれ。こわ」

 「君に云われたないわ。時間止める方が余程怖いわ――あとな、これ」

 クラウンは両手の親指と人差し指で画角を作ると、その中に映像が浮かび上がった。そこには小夜子と龍がいる。

 「世界中のどこでも、こうやって監視できる」

 「うわ、覗きのプロやん。通報もんや」

 「そっ、そんなことには使わん!」

 「口では如何とでもなぁ。そんなこと云いつゝ夜中にこっそり」

 「してへんよ!」

 クラウンは真っ赤になって否定する。

 「ムキんなるところが――」「都子、もうやめ」

 佑香が被せ気味に都子を(いさ)めた。都子は後頭部を掻きながら舌を出して、

 「てへぺろ」

 「古いねん。大体都子のこれかて、覗きに使えるやん」

 「してへんよぉ!」

 都子がクラウンの云い方を明白(あからさま)に真似するので、またしても佑香に頭を叩かれた。

 「なんかもぉ、とことん失礼な子ですんません」

 佑香は都子の頭をグイと押して無理矢理謝らせながら、自分も頭を下げた。

 「いや――ご心配はご尤もで――でもほんま、そんなことには使(つこ)てないので……」

 「今後使わんよう、うちが監視しとくわ」

 「する気ないこと云いなや」

 「うん」

 「すんません、顎の人、話進めて」

 「クラウンです――ええと、この画面、今は時間止まってるんでここも止まってますけど」

 そう云うと画面が逆再生の様に動き出し、二人が時計屋に入るところまで戻るとまた再生が始まる。

 「こんな風に、一度見た物は記録されてて、いつでも確認可能です。ズームとかもできます」

 「絶対やらしいことに使(つこ)とるわ」

 「使てへんて!」

 「もぉ、都子好い加減にせぇ」

 三人の掛け合いを、沙梨はずっとくすくす笑いながら見ている。

 「ミヤちゃん楽しいわ。なんか、小学校ン時からほとんど変わらん」

 「なんやて! うちかて大人になっとんで!」

 「いや、そういう意味でなくてね」

 「もぉ、沙梨まで絡んできたら話益々進まんやん! 時間止めてる分だけあたしらどんどん余計に年取っとんの忘れんといてよ!」

 「やだ、そうなん? クラウンさん、進めてください!」

 クラウンは苦笑しながら、「あとは、この監視能力の副作用でと云うか、僕も簡単なワープ空間に入れるんですけど、ここ迄綺麗な亜空間は無理ですね……如何しても歪んだ空間になってまう」

 「まあそれは精進せぇや」

 「はい――やなくて。多分僕の能力の方向性的に、限界なんでしょうね」

 「ああでも、それでか。兄さん、何度かうちらの気配感じてへんかった?」

 「えゝ、正体不明の気配は感じてました。誰かに見られてる様な感じが。あなたやったんですね、都子さん」

 「そやで。気付かれたか思てドキドキしたわ」

 「あなた達に気付くとこ迄は、行きませんでした」

 「精進足らんからな」

 「そやなくて――ああもぉ、どっちゃでもえゝけど」

 「ほんで単刀直入に訊くけど、龍は詐欺師か?」

 クラウンは眼を(みは)った。

 「――何をどこまで知ってはります?」

 「何処迄って()われてもなぁ……まあ、沙梨の話は一通り聞いたよ。佑香が昔被害に遭ったのも知っとぉし。でもその頃は未だ、唯のチャラ男やったと思う。うちと付き合う前は知らんわ。でもそんな昔はこの際関係ないな」

 「なるほど、木崎龍のことは、ある程度ご存じなんですね」

 「せやから元カノやて。手繋いだだけやけどな」

 「今彼が何をしているかなどは……」

 「今日久々の再会や。JKん頃に別れて以来やな」

 「じぇいけい? ああ、女子高生か。では今の彼に就いては略知らないと」

 「沙梨から聞いた範囲でのみや」

 「うん――なるほど、そうですね、隠しても遣り難いし、云ってまいましょう。彼は詐欺師としてマークされてます。薬師院さんからの依頼はほんま偶然やったんですな。それ以前に警察筋からの依頼は来ていて、どのようにアプローチしようか思てたら、薬師院さんから依頼を受けたのです」

 「渡りに船やと」

 「まあ、云い方悪いですがそんなところです」

 「やんなあ、幾らなんでも、私怨の復讐で、散財させてなんて依頼、()ける訳無いと思てたわ」

 「ええ、そうなん?」沙梨が悲しそうに云う。

 「考えや、そんなん犯罪行為にもなり兼ねんで。んなこと警備会社が請けるか? そんなん躊躇なくする会社なんか、そっちのがヤバいわ」

 「えー……そ、そうかぁ……」

 「がっかりすんなや。君の無念は別の方法で晴らしたるよ――その前に、顎兄の計画ちゃんと聞いとこか」

 「クラウンな! 計画と云う程の事でもないけど、詐欺現場の証拠押さえて、後は司法に委ねる心算やってん」

 「詐欺になるように誘導しとったんちゃうの」

 「――なんの、ことや」

 「だって兄さんの能力、そう云うことする為のもんやろ」

 「そんな悲しいこと云わんといて」

 「抑々最初から奇怪しかってん。こんなピンクのお月様おんのに、周りの客も店員も無感動やし、注目もせん、眼を逸らしもせんで。(しか)も明白にコソコソとこの二人を尾けてんのに、それに就いても誰も気にせんと。兄さんが周囲の認識いじって、見えん様、気付かん様にしとったんやろ。うちら別空間に居ったからその手に掛からんかっただけや」

 「まいったな――都子さん中々、鋭いですね」

 「この子カシコやねん」

 何故か佑香が得意気にしている。都子はそれを聞き流す様にして、

 「っちゅうか、何でそんな派手なん」

 「いやまぁ、一応これ、わしのフォーマルなんで」

 「頭おかしいんかな」

 「都子!」佑香が都子の足を踏ん付けた。

 「いった! うわ、何すんねん、下ろしたてのスニーカーやぞ!」

 「折角カシコ云うたったのに! もぉ、台無し!」

 「えー、その折角、おかしい」

 「おかしないよ!」

 「もぉ、二人喧嘩せんといてよぉ」

 沙梨が悲しげに二人を止める。クラウンは怒る機会も突っ込む機会も失って仕舞って、なんだか困った顔で(たゝず)んでいた。都子は気を取り直して、質問を続ける。

 「まあなんでもえゝけど、誘導はしてたやんな?」

 「はい、仰る通りです。君には敵わんな。ただ、明白に操ってはないで。そんなんしたら唯の共犯やから。ほんのちょい、本人の(たが)外しただけや」

 「いやあ、それでもなあ」

 「立証は――」

 「ほら。自覚はあるな」

 クラウンは稍慌てた様子で、「いや、云うても。まだ彼、何もしてへんし」

 それ迄ニヤついていた都子は、クラウンのその言葉で天を仰いだ。

 「顎! それでえゝんか。何もしとらんかったら何にもならんやんけ! 云い訳に走って肝心な所忘れんなや」

 クラウンはあんぐりと口を開け、何も言葉が出なくなって仕舞った。顎にマスクが引っ掛かって、上唇が出て仕舞っている。

 「(しっか)りしいや! こいつ捕まえるんやろが!」

 「で、でも、そしたらどないしたら……」

 「どうせうちらの力は今の司法では裁けん――顎の云う通り立証でけへん、けどな、お天道様に顔向けでけんことだけはしなや。ま、龍には(なん)もせんでえゝよ。心配せんでもこいつはもうアウトや。後は小夜ちゃん信じて、するなら小夜ちゃんに勇気あげたって……まあ、この子はそんなんせんくても、確り嵌める思うけどな」

 「ミヤちゃん、見抜いとるんや」

 「そんなん気付かんのは、佑香ぐらいや」

 「えっ、なんなん?」佑香が不安気に、都子と沙梨を交互に見る。

 「小夜ちゃん、強いで。うち等ン中で最強か判らん」

 「どどど、どゆこと?」

 「佑香、漫画みたいな狼狽え方すんなあ」

 都子はケラケラと笑った。

 「ほんなら先ずは、証拠固めからやな。顎兄、頼むで。一個も漏らさんと」

 「お、おう」

 クラウンは、もはや呼び方を気にする余裕もなくなっていた。

 「ちなみに小夜ちゃんには、如何云う話をしてあるん?」

 「え、高いもん買うて貰いやって」

 「沙梨からはそれだけか?」

 「うん……」

 「では顎兄、小夜ちゃんに何頼んだ?」

 「それもバレてるんか――そやな、金払わせようとしてくる思うから、若干抵抗する振りをしつゝ、最終的には金出す流れでって」

 「あたし騙されとってんなぁ」

 沙梨は相変わらず悲しそうに云う。

 「騙した訳ではないんですが――すみません」

 「小夜、お金取られてまうん?」

 「あ、ある程度の資金は渡してありますが、最終的には取り返す心算です。詐欺師に好い思いはさせませんやん」

 「そう……よかった」

 「せやけど、手持ち無い、ローン組むか、の流れから、如何遣って小夜ちゃん出す心算なんやろ。小夜ちゃん名義でローンなんか組んでもうたら、後々やゝこしいしなあ」

 都子が左手を口元に持って行きながら、寛悠(ゆっくり)と云う。

 「何か手助け必要やろか」

 そう云いながら右腕を胴に回した。

 「あかん。都子考えたら長い。あたしらどんどん(とし)取る」

 「ええ、厭や、クラウンさんもなんか考えて!」

 「えっ、わし? うーん……」

 クラウンは頭を使うのは稍苦手なので、戸惑いつつ二人の様子に目を遣った。時間が止まっているので、二人の認識の様子も上手く読み取れない。

 「そうやなぁ……」考えている振りをして、大して考えていない。

 「小夜、カードは持たせとるんやけどな」

 沙梨がボソッと呟いた。

 「カードて、沙梨の?」佑香が訊く。

 「あたしのって云うか、家族カードって云うの?」

 「小夜ちゃん家族なん? え、実は生き別れた姉妹とか」

 「いやいや」沙梨は笑った「そんなんちゃうよ」

 「だって家族カードって、友達とか恋人とかは……」

 「アメックスはね、ちょっとその辺柔軟で」

 「そうなん? いや、そうやとしてもそれは……」

 「えゝの。あたし、小夜のことその位大切に思とうから」

 「そやな!」突然都子が声を挙げた。

 「動かそか」

 「え、だいじょぶなん?」佑香が慌てゝ訊く。

 「小夜ちゃんを信じなさーい。あ、君等戻っとく? ここ居とくか?」

 都子は沙梨の方を向いて訊いた。

 「あたしはこっちがえゝな」沙梨が云う。「クラウンさんは?」

 「ほんならわしも居とくわ。独り戻っても不便やし」

 「ほな顎兄、あっちからは君等消えとるんで、騒ぎにならんよう頼むよ」

 「えゝけど、大分馴れ馴れしゅうなってきたな……」

 「気にすんなや。仲良しさんの証拠や。ほな!」

 時間が進み始める。

 「そんな訳やから、小夜子の名義で――」

 「あたし、一応カードあるけど……でもこれ家族カードで……親とかに使(つこ)たことバレちゃうかな……」

 「大丈夫やで!」

 「何がや!」都子がツッコむ。もちろん龍達には聞こえない。「家族カードでも親のではないからな。小夜ちゃんも微妙な嘘吐くなあ」

 「大丈夫なん?」小夜子はクリクリとした目で龍を見上げる。

 「大丈夫や! 直ぐ入金したら記録残らんから、親にもバレることないよ」

 「んなわけあるかい!」都子はツッコミを楽しんでいる。

 「そうなんだあ……」小夜子は素直に信じているかの様に振る舞っている。

 「後で俺ン()に、キャッシュカード取り行こ。ほんで直ぐ、金引き出して払うから」

 「家連れ込む気やん」都子のツッコミに、佑香が反応する。

 「家行ったらアカン!」

 「小夜ちゃんは行かんよ」

 「アカンで、ほんまアカンからなぁ……」

 「トラウマやな」

 都子は佑香の肩を抱いた。

 「うちが忘れさせたるわ」

 「都子、男前か!」

 そう突っ込みながらも、佑香はスッと落ち着いた。

 小夜子は時計を持ってレジへ向かうと、カードを出した。背後で龍がニタついている。支払いが終わるのを待って、龍は自然な流れで商品を店員から受け取った。

 「ほなこの時計は、一旦俺が持っとくし。後で開けような」

 「うん」

 龍は時計を無造作にリュックに放り込んだ。

 「ちょっとトイレ」

 「はい、行ってらっしゃい」

 龍が小夜子から離れたところで、都子は空間を繋ぎ変え、時間の流れを緩やかにした。

 「はい、顎兄、証拠取れたか?」

 「会話の録音と、支払い記録な。後は、時計が何処へ行くか追い掛けな」

 「鳥渡、一旦うちに渡して」

 「へ?」

 「佑香と沙梨のメンタルケアや」

 龍が立ち止まっている。彼の眼の前には――

 「Bonjour(ボンジュール) Paris(パリ)!」

 都子が両手を広げて龍の周りをぐるりと回る。彼の眼の前には凱旋門があった。佑香が目を剥く。

 「えっ、都子あんた何しとん!」

 「さあ、佑香、沙梨、如何する?」

 「ミヤちゃん、これ一体……」

 「龍は絶賛、フランス密入国中です!」

 「はああ!? 君一体何を!」

 クラウンが狼狽えている。

 「あの儘放っといたら、買取りまっくす行くやん」

 「なんで買取りまっくす決め打ち?」

 買取りまっくすは、関西圏ではそこそこ有名な、古物商である。

 「まあ心配めさるな。微妙に入国しとらん。あいつはフランスに薄皮一枚かぶせた世界に居てるから、云うたらこの地球上の何処にもいてない。今のうち等と同じや」

 クラウンはぽかんと口を開けて、「何云うてるかさっぱりや」と零した。

 「佑香、沙梨、特に何も思い付かんなら、うちの思い付きに乗るか?」

 「何?」

 「ミヤちゃんの思い付きって?」

 「沙梨そこ立って」

 「はい」

 「龍とは何年前?」

 「始まったんは二年前かな。別れたのンは去年」

 「受験生やん……当時の写真なんか持ってる?」

 「龍の写真は全部捨てた」

 「龍居なくてえゝよ、沙梨が見たい。出来たら制服」

 「そんなら……これとか」

 沙梨はスマホに写真を表示させた。

 「おー、えゝがな、かわえゝ」

 「都子おっさん化しとる」

 都子は佑香の独り言は無視して、写真を幾つか見た上で、

 「ほな、こんなもんか?」

 と云うと、沙梨の服が制服に変わった。顔も心做し幼気に見える。

 「何やこれ!」沙梨は驚いて、自分の体をあちこち触りながら確認している。

 「上からテクスチャ貼り付けた様なもんや。そう云う着包(きぐるみ)一枚着たと云うた方が解りやすいか?」

 「えー、鏡見たい」

 「どうぞ」

 沙梨の前に姿見が出現した。

 「どっかで見た鏡……」佑香が不思議そうに確認する。

 「佑香のやからな」

 「あ、ほんまや! 東京の部屋の奴やん!」

 「ユウちゃん今、東京なんやあ」

 姿見前で色々ポーズを取りながら、ウキウキ声で沙梨が云う。

 「どや?」

 「完璧や、ミヤちゃん!」

 「ほな、その姿龍の前に出すんで、云いたいこと全部云い」

 「えっ」

 「その当時の気持で、全部ぶつけとき。ああ、うち等に聞かれたくないならミュートにもでけるし。あと、龍には沙梨の姿と声は届くけど、触ったりでけへんのでそこは安心し」

 「すごい能力やなあ」クラウンが感心した様に呟く。

 「うちは舞台演出みたいなもんや」

 「ミュートの必要は無いわ。全部聞いといて!」沙梨は一歩前に出る。

 「諒解(わか)った」

 それを合図に、沙梨の姿が龍の前に現れ、龍の時間が通常速度で流れ始める。

 「沙梨!? ――いや――は? なんで制服、てゆうか――」

 「あたしは怨念や!」

 「へっ?」

 「あんたに散々搾り取られて、遊ばれて、ポイ捨てされた、無惨な女の怨念じゃ!」

 「えええ! 沙梨、お前死んだんか!?」

 龍の顔が真っ青になって、脚がガクガク震えている。

 「うわああ、なんまんだぶ、なんまんだぶ! 成仏してくれえ!」

 必死に両手を擦り合わせている。

 「でけるか!」

 「ひえええ」

 沙梨が一歩出ると、龍が一歩下がる。

 「おっ、おおおおお俺が悪かった、悪かったああ!」

 「何がじゃ!」

 「ななななな何しか俺が悪かったああああ!!」

 「そんなんで反省したことになるか! どあほうが! あんた覚えとるか? あたしがあんたに初めてあげた、プラチナリング!」

 「プラチナリング!」都子と佑香が思わず叫んだ。

 「ひええ、JKがプラチナリングやと?」

 「沙梨、昔から金銭感覚ちょいおかしいとこあったけど……」

 沙梨は構わず続ける。

 「あんたそれ、三日で売りよったやろ! あたしが気付かんとでも思ったかぁ!」

 「うわあ、ごめんなさい! めさ高く売れました!」

 「当たり前じゃ! 原価が高いんじゃああ!」

 沙梨が口から火を吹いた。吹いた本人が驚いて、都子を見た。

 「あはは、なんか火を吹く勢いやったから……特殊効果や」

 龍はひっくり返ってガタガタ震えている。沙梨は追撃の手を緩めない。散々金銭絡みの恨み言を吐き散らかして、愈々話題は過激に移り変わってゆく。

 「あんたいつも偉そうになあ、あたしのこと抱きよったけどなあ!」

 「えっ、沙梨、それは……」

 佑香がオロオロしているが、沙梨は構わず続ける。

 「満足したことなんか一遍もないわ! 蚯蚓みたいなもんぶら下げて! いつも自分だけ満足しよって! この、ド下手糞が!」

 「うわあ、云う云う」都子も稍引き気味である。「凱旋門の前でこれ程そぐわない話題があろうか」

 龍は自尊心も何も無いくらいズタズタにされて、阿呆の様な面相で脱力し切っている。

 「えげつな」クラウンが聞こえない様に、小さく呟いた。

 その後十分程掛けて、たっぷり罵詈雑言を浴びせまくって、やっと紗梨は息を吐いた。

 「出し切ったか」

 「うん、ミヤちゃんありがとう」

 「こっちサイド大分引いてたけどな」

 「えー」ここで紗梨は初めて赤面し、「何かゴメン、云い始めたら止まらんくなったわ」

 「いやまあ、別にえゝで。沙梨がそれで楽になったなら」

 「うん、スッキリしたわ!」

 「そか」

 沙梨は満面の笑みを見せていた。

 「次佑香行こか」

 「今のン後かぁ」

 佑香の姿が、都子をマクドに呼び出した十六の夜に戻る。

 「行っといで」

 「頑張る……」

 佑香が龍の前に立ち、第二ラウンドが始まる。

 「あれ……沙梨? ……消えたか……成仏しくさったか?」

 「なんも(こた)えてないのな」

 「え? だ、誰?」

 「一晩寝た女のことなんか、覚えてさえおらんか」

 「いきなりコア入ったな。凱旋門ごめんやで」都子が呟く。

 「ええ? ちょ、ちょと待っ……あ、都子の友達の……え、死んだん? でもさっき阪神で……」

 「死んでたまるか! 思い上がりも甚だしいわ! 名前も覚えとらんとか、ほんま許せん!」

 「ひええ、ごめ……あ、死んでないの? 生霊? いやあの、待って、名前……」

 「いらんわ! むしろ思い出すな! 穢らわしい!」

 「ゴメン! すまん! なんか思い出してきた! あの頃は俺、都子にマジで……でも都子が固くて、そんで……」

 「み、み、み、」佑香は下を向いて、肩をフルフルと震えさせてから、一気に爆発した。「都子の代用品かぁ! ふざけんな、あたしは一人の(れっき)とした人間なんじゃあ!」

 佑香も火を吹いた。

 「うわ、なんか気拙(きまず)

 都子は首を竦めた。

 「蚯蚓の分際でえええ!」

 「み、蚯蚓は云い過ぎやないですか」

 龍は涙を溜めて必死の抗議をするが、

 「じゃかぁしわ、こン、だぼがぁ!! 一遍死にさらせ!」

 敢え無く粉砕されて仕舞った。

 「こわ。ダボなんて言葉よぉ使わんわ」

 都子は両肩を抱いて益々縮こまった。

 「さて、最後都子や」

 舞台から下りながら佑香が云う。

 「へ? うち別に、なんも云うことないし」

 「あかん。如何やら今の龍作ったんは、都子らしいからな」

 「はあ? 知らんし」

 「ミヤちゃん、龍のオリジナル女なんやな。一言挨拶して()いや」

 「沙梨まで何()うねん。龍があんなやから別れとんど? 何でそれうちの所為やねん」

 「所為と迄は云わんわ。でも無関係でもないよ。龍、都子に本気やったみたいやな」

 「そんな今更云われても。他に行ったんはあいつやし。うちもう、何の感情も無いし」

 「なんも? 恨みも?」

 「無いわ。興味無い」

 「ふうん」佑香は暫く考えて「そんでも一遍行って来て。あたし等のケア、それで仕上がるから」

 「あたしからもお願い。ミヤちゃんの一言で締めさせて」

 「なんや一言て……」

 渋々龍の前へと進む都子に、佑香が要求する。

 「高校の制服で!」

 高校生になった都子が、龍の前に立った。

 「フランスはどや」

 「都子! 何で! お前まで死んだんか!」

 「はあ?」

 「あ、そか、生霊か、生霊やな! 死ぬなや、頼むから、お前だけは!」

 「何云うとん」

 「腹立つわあ。明白に都子だけ特別扱いやな」

 佑香がぷりぷりと毒突く。

 「都子、ちゃうねん、俺……ずっとお前のことだけは」

 「きしょ。やめたり」

 「都子ぉ!」

 「呼び捨てすな、気い悪いわ」

 「そないン事云うたんなやあ」

 龍はボロボロに泣いている。その様を都子は盛大に顰蹙しながら眺めて、

 「龍、蚯蚓なんやて?」

 それだけ云って都子は龍の前から消えた。後にはなんだか壊れた様になった龍だけが残された。

 「うっわ、破壊力抜群!」沙梨が両手で口許を覆いながら云うと、佑香が続けて「流石は我らのリーサルウェポン」と絶賛した。

 稍離れた所でクラウンが、「えげつな」と誰にも聞こえない様に繰り返した。

 凱旋門の前で何もかも駄目になって、ペタンと座り込んで仕舞った龍を指して、「ほんでこれ、どないしょ」と都子が二人に問い掛ける。

 「別の場所に移せる?」

 沙梨の問いに、「別世界やからな、幾らでも」と、応える。都子は沙梨の指定通りに龍を移動させ、ロダン博物館の「地獄の門」の前に座らせた。門の上からは、「考える人」が龍を見下ろしている。

 「これ写真撮ってもえゝんかな」

 「さあ。まあ被写体に影響与えんし、個人で持っとく分には……」

 沙梨はスマホで何枚も写真を撮った。

 「えゝ構図や。中々芸術性高いわ」

 「沙梨、大学は何やっとんやっけ?」

 「美術や。大芸」

 「はあー、なるほどなあ」

 「次はな、ベルサイユの薔薇」

 「あん? 宮殿か?」

 「あっ、そう、それ!」沙梨は稍赤面し、「美術館ある筈!」

 ヴェルサイユ宮殿まで移動し、中に入る。

 「おお、不法侵入!」

 クラウンが叫ぶが、

 「せやから地球上の何処でもないって」

 と、都子は受け流す。

 「顎兄さんの覗きと同じや」

 「しとらんって!」

 順路に沿って進み、有名なナポレオンの肖像画「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」の前迄来ると、

 「これこれ! 馬の前脚の下に置いて」

 丸でこれから馬に踏み付けられようとでもするかの様な構図で、沙梨は写真を何枚も撮った。

 「こんな変な写真何に使うん」

 「なんかインスピレーション湧くねん! あたしン中の古傷も埋まる!」

 「さよか」

 「沙梨、後で写真頂戴」佑香が撮影の様子を見ながら云う。

 「えゝよ、但し門外不出な! うちらだけの秘密やで!」

 「こんなん見せる相手なんかおらんよ」

 「そらそや!」

 沙梨は大笑いした。

 「そしたら都子、龍はもうえゝから、パリの観光案内でもしてや」

 「既にパリから出てもうとんねんけど……」

 「そうなん? あれ行ってや、ルーブル!」

 「あの」

 クラウンが割って入る。

 「どした顎兄。行きたいとこでもあるか」

 「いや、そやなくて。こいつ、木崎貰ってってもえゝか?」

 「なんや、そんなん欲しいんか。やるわ。何処置く?」

 「取り敢えず八階の男子トイレでえゝよ。わしと一緒に宜しく」

 「はいよ」

 龍の姿が消え、次いでクラウンが消えた。

 「そうや、あいつそんな苗字やったわ」

 「佑香も名前忘れとるやんけ」

 「覚えたくも無いわ。忘れさせてー」

 「ほな、パリ観光するか?」

 「いえーい!」

 「わーい!」

 佑香と沙梨は大喜びで、思い付く限りのパリの観光地を挙げて行った。

 「ルーブルやろ、凱旋門もっかいちゃんと見たいのと、シャンゼリゼ通り歩きたい! エッフェル塔も見上げたいし上りたい!」

 「ノートルダム大聖堂と、オルセー美術館も! あと、モン・サン=ミシェル!」

 「好みが出るなぁ。ほんで最後の奴、パリちゃうしな」

 「もぉ、固いこと云わんと!」

 「はいはい……然しあれやな、巴里に尼っ子は似合わん」

 「なんでやぁ!」

 「なんでよぉ!」

 「わあ、猛烈な抗議。シャンゼリゼ歩くんえゝけど、買い食いでけんからな」

 「金ないし、見るだけで満足しとくわ」

 「臭いぐらいなら届けられるで」

 「ほんま? 都子大好き!」

 「ちょーしえゝなぁ」

 都子達三人が観光を楽しんでいる間、クラウンは小夜子と合流し、証拠を揃えて予め連携していた刑事に引き渡していた。

 「いつも助かりますわ。こいつは被害者多い割に規模しょぼくて、中々尻尾捕まえられんかったんですわ。――そんでも今回中々の大きな仕事してますなぁ」

 「彼女の魅力の御蔭ですわ」

 クラウンに紹介された小夜子は、刑事達にぺこりと頭を下げた。

 「ご協力感謝します。後は我々にお任せを」

 「ありがとうございました。――あの、カードの請求の方は」

 「ああ、先ほど商品の返品して(もろ)たんで、請求はキャンセルされる筈ですわ。そんでもしキャンセルが間に合ってなかった場合は……ちょっと待ってな」

 刑事は手に持っていたファイルからビラの様な物を一枚取り出して、

 「これに、対応の手順とか書いてますので、一回読んどいて下さい。先ずカード会社に確認して、もし揉めるようなら弁護士に……」

 「はい」

 「まあ、大丈夫や思うで。如何しても困ったら手近の警察署にご相談ください」

 「ご丁寧に、ありがとう御座います」

 「それにしても」刑事はクラウンの方を見て、「こいつなんでこんなにズタボロなん? 涙と鼻水で顔中ぐちゃぐちゃやん。なんか暴行とかされてます?」

 「真坂! 滅相も無いことで御座います! いや、何人かの被害女性に掴まって、ちょいと酷い目遭ったのは確かですけど……そんな、暴行とかは……」

 「殴る蹴るばかりが暴行でもないですが……まあ、今回は聞かないことにしときますわ」

 「お手数お掛けします」

 刑事達が龍を連行して去った後、小夜子はクラウンを見上げて、

 「沙梨ちゃん何処? 後、他の被害女性って誰ですの?」

 「ああ……それは……」

 クラウンが云い淀んでいたら、売り場の陰から沙梨が現れた。

 「小夜! ゴメンな、大丈夫やった?」

 「沙梨ちゃん、何処いっとったん。あたしは平気。あいつ逮捕されたみたいやで」

 「そうか。小夜が無事なら良かった!」

 そう云って沙梨は、小夜子をぎゅっと抱き締めた。

 「あたしは(なん)もないよ。沙梨ちゃんの役に立てたなら良かった」

 遅れて、都子と佑香も遣って来た。

 「めちゃめちゃ腹減った。なんか食いに行こ。あ、でもその前に、タイガースグッズ」

 「八階で行きたかったん、それかい!」

 「あ、天現寺さんと、平野さん」

 小夜子は沙梨から離れた。

 「ああ、小夜ちゃん、沙梨から聞いとるから。気にしんくてえゝよ」

 「そう」

 会話の隙を突いて、クラウンが沙梨に話し掛けた。

 「そしたら、僕はこの辺で。料金に就いては後程請求書が行きますんで」

 沙梨がそれに答える。

 「はい。ご苦労様です。ただ今回、こちらの依頼は添え物だったようなので、その辺りも代金に反映して頂けますやんね?」

 「あ……はい、そ、そうですね。上と相談します。はい」

 「あと」ここで沙梨は声を落として「ミヤちゃんも活躍したので、何か報酬の様な物出してあげて頂けると、うれしいな」

 「そやねぇ……それも上と相談やけど、何かしら出せる様には計らいます」

 「よろしく」沙梨はにこりと微笑み掛けた。

 「そしたらこれで。失礼します」

 「はい、ご苦労様でした」

 そしてクラウンは去って行った。その後ろ姿に都子が気付いて、「おお、顎兄はお帰りか」と云った。

 「それにしても小夜ちゃん、大活躍やったな。流石やな」

 「あたしは(なん)も……」

 「もぉ、やめいや! そんな弱い振りせんでも、佑香以外はちゃんと解っとおから!」

 「ええ?」

 小夜子は小首を傾げる。佑香も一緒に首を傾げる。

 「平野さん解ってないなら、この儘で」

 「えー、小夜ちゃんそれ、如何云う意味!」

 小夜子はフフッと笑って、戸惑っている佑香を見た。その瞳は、佑香が知っている気の弱い小夜子のものではなかった。強い意志を宿した、鋭い目つきをしていた。

 「え、全部演技?」

 「失敬やなぁ。演出やん。生きて行く為の知恵やん」

 口調もがらりと変わっている。

 「小学校ン時から?」

 小夜子は沙梨を見上げた。

 「どうかな」

 沙梨は小夜子を見詰めて、

 「うち等の秘密、あんま明かさんといて」

 「そやね」

 そして小夜子は、何時もの弱々しい目つきに戻った。

 「ご想像にお任せします……」

 「いや、怖いな!」

 佑香はぶるっと身震いした。都子がゲラゲラ笑っていた。


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