十六
そう、確か、こうやって――都子は古い記憶を呼び覚ます様に、机と椅子と佑香を真っ白な世界へと誘った。佑香は直ぐに気付いて、都子を見た。
「え、ちょ、こんなところで、あかん!」
「なんで」
「こっち入ったら、元の世界から消えるやんか」
覚えていたのか思い出したのか。佑香は都子が音や臭いを消すだけではないと、ちゃんと諒解していた。
「そうとも限らんねん」
「え?」
「あっちに少しだけ残して来とんよ。凝と見られたら違和感持たれるかもやけど、気にしとらんかったら気付かん程度やねん。ほんでも声はこっちだけ」
「器用な技身に付けよったなぁ」
「それはえゝやん。聞かしてんか」
「えゝ……どうしよっかな……」
「聞く迄出さんど」
「脅迫か!」
「まあまあ、えゝやんけ、減るもんでなし」
「減りそうやわ」
「ダイエット中やし」
「体重は減らんな!」
佑香は両手で顔を覆った。
「ああもぉ……知らんで!」
「何がよ」
「あんな、あたし、一回だけ、ほんま一回だけな!」
「あ」
「龍と、してん――」
「あー、ゴメン、知っとった」
「知っとったんかい! あたしの覚悟返せ! ああもぉ、情けない、恥ずかしい!」
「あほぅが自ら自慢げに云いよったで」
「なんじゃそら!」
「なんかゴメン」
「都子が謝ることちゃうけどさぁ、もぉ……ゴメンはこっちや、ほんまゴメン!」
「いや、その儘持ってってくれてよかったのに」
「要らんやん!」
「やんなぁ……」
なんだか二人の少女は、お互いにやるせない気持ちで一杯になって仕舞った。それを打破す可く都子がボケる。
「あ、それで蚯蚓か」
「――待って、それ下ネタ?」
「あー、えゝと、ちゃうの?」
「それあたしが恥ずかしい奴! そんな心算で云うてないし! ああ、こっちの世界で良かったぁ。表の世界では絶対云われへんし突っ込まれへん、こんなこと!」
「あはは。ほんで何消す」
「ああ、この最低な記憶」
「ごめんやけど、それは無理。物理的な舞台装置だけや、うちが如何斯うでけるんは。筋と演技と演者の心はいじれん」
「やんなぁ……」
「あかんなぁ、女子高生が、不純な異性交遊」
「生々しい云い方やめてや。海より深く後悔しとんねん」
「それ反省の表現ちゃうか」
「細かいわ。都子と話してると凡てが如何でもよくなるわ」
「お褒めに与り――」「褒めとらん!」
結局佑香は、笑いが堪え切れなくて、ケタケタと笑った。
「もぉ、都子は反則の百貨店やな」
「反則の宝石箱やぁ」
「なんそれ」
「彦摩呂」
「知らんわ」
「若い子は知らんかぁ」
「同年齢やん! てか、あんたが古いこと知りすぎ!」
「二〇〇三年位やな」
「うちらが生まれた頃やん」
「はぁ、もう、そんなんなりますかぁ」
「その返しおかしい!」
佑香はヒイヒイ云いながら笑い転げて、
「あんた絶対悩みないやん! 龍と別れてもなんかスッキリしとるし」
「まあ悩んではないなぁ。悩むだけ無駄やからなぁ」
「ほんまえゝ根性しとるわ」
「まあ悔いてるとするなら、自分の見る目の無さやな」
「あ、それはあたしも」
「それも含めて、人生勉強や」
「達観しとるなあ」
「後ろ見たかてしょうないからな。時間止めれても、巻き戻しはでけへんねん。せやから過去悔やんでも時間の無駄。前だけ見といたらえゝねん」
「えゝこと云う。ほんまその通りや。やっぱあんたに付いてくわ」
「来んなや、鬱陶しい」
「その返しが、良い!」
「ちなみにうちは、プラトニックやで」
「あっ! 裏切りもん!」
「知るかいや」
「もぉ、自己嫌悪しかあらへんー」
「ご愁傷さま」
佑香は両手で顔を覆った儘、動かなくなって仕舞った。
「暫くこの儘にしとこか。今帰りとぉないやろ」
「頼んまーす」
顔を覆った儘応える。
「ちな、龍で何人目?」
「三人」
「はっちゃけた女子高生やな」
「全部後悔」
「流され易いんかな。佑香可愛いしな」
「このタイミングで云われても嬉しないな。都子も美人やのに、なんでこうも違うのか」
「さあ。美人ではあるけど、冷めとるからかな」
「認めよった……まあえゝか。都子クールビューティやんな」
「そないえゝもんちゃうで」
「そこは否定するんやな。謎基準。――都子は近寄り難いんかなぁ。あたしは軽薄やからなあ」
「せやな」
「フォローしてやぁ!」
都子は佑香の隣に座り直し、背中を擦って云った。
「全部聞いたるよ。ここの時間引き伸ばしとくしな。たっぷり使って全部吐きな。全部往なしたる」
「往なすんかい。――でも有難う」
佑香は都子の胸に顔を埋めて、泣いた。