十六
電話を切ると、二段ベッドの下段に向かって身を投げた。涙なんかが出る訳ではない。悲しいと云う気持ちよりも、虚しいと云う想いの方が強い。なんだか時間を無駄にした。
スマホがピロンと音を立てる。暫く放って置いたら続け様にピロンピロンと音を立てた。一体なんだと云うのか。今決着付けたじゃないか。都子は大儀そうに体を起こすと、スマホの通知を確認した。
「なんや、そっちか」
通知の主は、思っていた相手ではなかった。ロックを外して、チャット画面を確認する。送信者は凡て同じだ。
――ついに別れたって? アホがあたしンとこまで来よったで
――さっそく他の女口説き始めるとか
――いっぺんシメタロカ
都子は思わず笑って仕舞った。佑香に行ったか。世間の狭い男なのだ。
――そっち行きよったか。なんかゴメンな
返事を返すと、即座に相手からも返って来る。
――そんなんえゝねん。ただむかつくから、のも
――のもか。今から?
――えゝよ、駅前のマクド来て
――らじゃ
飲もう飲もうと云い合っているが、都子は未だ高校生だ。そんな公明正大に酒など飲めるものではない。この場合、ファストフード店でシェイクか何かが精々だ。ちなみに同世代の娘達はもう少しオシャレなカフェだのに行って、映えるドリンクなどを飲んだりしている様だが、余りそう云うのは得意な方ではなかった。それは多分、佑香も同じなんだと思う。
洗面所に行って、鏡越しに身嗜みを確認する。ベットに転がったりしていたので、多少髪が乱れているが、癖の無いショートカットなので手櫛で直ぐに直って仕舞う。墨の様に真っ黒な前髪が伸びて来て、目に掛かりそうになっているのが気になる。風紀委員に目を付けられ兼ねないので、週末に切って来ようかと思う。服装は濃紺のTシャツにジーパン。夜に溶け込んで仕舞いそうなので、白っぽいパーカーを羽織る。そろそろ気候も秋めいて来ているが、まだそこまで寒くもない。パーカーの胸元には、控え目にHとTのロゴが入っている。
「ちょい駅前出て来るわ、佑香とお茶」
「はいよ、気ぃ付けてな」
母親に軽く断って、家を出る。尼崎駅前迄、自転車で五分程だ。マクドナルド店舗前にある駐輪スペースに自転車を止めて、店内を窺う。佑香は直ぐに見付かった。
「みやこー!」
都子が声を掛けるより先に、佑香が気付いて大きく手を振って来た。部活帰りか塾帰りか、佑香は学校の制服の儘で、長い栗毛をハイポイントのポニーテールにしている。アクセントになっている白猫の髪留めが愛らしい。
「おー、おまたせ!」
小さく手を振り返しながら、佑香の正面に座る。
「アホな、先刻まで居ってん」
「はぁ? マジか」
「ほんま、腹立つぅ! もぉ、思い出しただけで寒気するわ」
佑香は己の両肩を抱いて、ぶるぶると震える仕草をする。
「あぁ、ちょい、飲みもん買うて来るわ」
「行っといで」
レジに並んで、ポテトと、紅茶を買った。それらを持って席に戻ると、佑香が笑っていた。
「飲みもん?」
「ポテトは飲みもんやん?」
「いやいや」キャラキャラと笑って、「まって、あたしダイエット!」
「知らんしぃ」
「云うたやん」
「聞いたん昨日やし。今日もしとぅとか知らんし」
「まって、非道い!」
そして二人でけらけらと笑った。
「てか、あげるって云うた? これうちの分」
「それはそれで、ケチやん」
「ダイエットやん?」
「なんよ、ポテトぐらい!」
「ポテトはでかいやろ」
そんなことを云い合いながらも、結局は二人で摘んだ。
何時もこうしたものは、何方が買っても自然と分け合って仕舞う。何方かが一方的に買うと云うことも無く、大体均等に貸し借り無し状態なので、お互い気にしたことも無い。この時も別に、本気で分けるか如何か揉めていた訳ではない。日常の戯れ合いの様なものだ。
「何の話やっけ」
ポテトを食べながら佑香が惚けた調子で云う。
「龍」
「あゝ、そうそう、あいつそんな名前やったな。名前ばっかり偉そうねんけど、中身蛇か蚯蚓みたいな奴やで」
「きんもっ!」
「あっ、都子昨日迄付き合うとったんやっけ、ゴメンな」
「最前迄付き合うとったけどな、でも否定の余地ないから」
そう云って都子はゲラゲラ笑った。
「さいぜんって、都子ちょくちょく古い言葉使うやんな。お婆ちゃんみたいやん」
「失敬やな! 日本語大事にしとぉだけやで!」
「そやなぁ……都子はカシコやもんな」
「普通やって」
「普通の子、さいぜんとか云わんのよ」
「マジか」
「マジや」
都子と佑香の付き合いは古い。小学生の時に――
「そう云や都子、あれ、今でも出来るん?」
「あれ? なんよ?」
「いやほら――小学校ン時しとったやん、先生の声消したりさ、鴨田の屁の臭い消したりさ」
「吁、最近せぇへんなぁ――てか消してばっかりやな」
「他になんかあったっけ?」
「えゝよ別に。今してないし、出来るか判らんし――抑々なんで?」
「なんでって――」
「なんか消したいんか」
「いや――云わんとく」
「なんじゃそら!」
「云うたら都子、軽蔑しよるやん」
「いや、何かも判らんのに、その質問如何答えたらえゝのん」
「うんまぁ――えゝのえゝの! 忘れて!」
都子は佑香の目を凝と見詰めた。佑香は何を隠しているのか。知っておくべきの様な気がする。
それにしても小学校の時、何したっけか。――都子は過去に思いを馳せた。