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第02話:新しい体

 

 入学式と言えば、いやそれに関わらず大抵の学校行事の式と言えば、長ったらしく盛り上がりに欠け、気づけば寝てしまっているもの。という“知識”が俺にはあるのだが、その認識は間違っていなかったようだ。

 つまらない教師の話が永遠にも近い程、ひたすらに続く。話している方も退屈にならないのだろうか。あぁ、退屈だ。

 そう思っていると、俺は体に、主に下半身に嫌な感覚を覚える。

 簡単に表現するなら焦燥感だ。これが俺は大嫌いである。とはいえ、どうしても避けられない生理現象でもあった。

 仕方がない……。

 俺はお手洗いに向かう為、席を立った。途中、いろんな奴の視線を感じたが、式の途中に立てば不思議に思うのは当然だろう。そう、当然なのだ……。

 大広間を出ると、城の中ってのがよく分かる古めかしくも広い廊下が続いている。叫んだらどこまでも響きそうだ。かなり入り組んでいそうだったが、ドアマンをしていた少女に場所を聞いたから迷うことはないはず。

 歩きながら整理する。この体は、かなり特殊なことがこの一週間でよくわかった。

 まず、大抵が人間寄りの機能になった。力は弱くなったし、体内には魔力回路と呼ばれる魔力を通す器官を感じられる。魔獣の肉体は全てが魔力で出来ていたから、これは少し不思議な感覚だ。

 魔術が使いづらくなった原因もこれだと思われる。魔力の操作自体は以前のようにできるが、出力は年齢相応の人らしさに抑えられてしまった。

 また、コアとも呼ばれる魔力核が出来た。これは、人間などの生物が魔力を生み出す器官だ。魔力回路が血管だとすれば、コアは肺と心臓に例えられる。おかげで俺は、血を浴びることによって魔力が得られなくなった一方で、放っておいても勝手に魔力を作り出せるようになったのだ。

 つまり、これからは狩りをしなくても生きていられる。

 代償として、魔力の総保有量が決まってしまった。人間は魔獣と違って、そのコアの質によって持てる魔力の量が決まる。その制限がなかったからこそ最強の名をほしいままにしていたのを思えば、あの強さには絶対に戻れない証明でもあった。

 逆に、魔獣だった頃の名残もある。

 魔獣は魔力さえ体内に残っていれば、食事をとる必要がなかった。その利点がこの体になっても残っていた。

 結果として、飯を食わなくても魔力は作られ続け、何もしなくても生きていられるという特殊な体になったのだ。

 これは、便利ではある。食費が掛からない。

 まぁ、喉だけはちゃんと乾くから、こうして生理現象から完全に解き放たれるわけではないのだが……。

 自分の体について考察を続けている内に、気が付けばトイレの前に到着していた。

 しかし、ここで俺は恐ろしいことに気が付く。


「……女子トイレを、使っていいのか?」


 自宅で男女別のトイレをわざわざ作る家庭はあまりないだろう。だから、奴のところにいる間、俺はこの葛藤に関して一切心配することがなかった。

 早速、女子の体になってしまった弊害を実感する。

 男子にとっては絶対に入ってはいけない、不可侵領域。抵抗……というよりも、強い罪悪感を覚えた。俺の中身は、飽くまで男なのだから当然だ。

 だが、隣の男子トイレに入るというのも悩ましい。どこからどうみても女子でしかない可愛い子が男子トイレにいたら、俺なら驚いて出るものも出なくなってしまう。式の真っ最中だから可能性は低いだろうが、もしものことを考えると無難に女子トイレに入っておいた方が間違いはない。でも、同じ理屈でもし女子トイレを使っている最中に女子が入ってきたら……。

 あぁ、一体俺はどうしたら……!


「こんなところで立ち止まって、どうしたの?」

「なんでこんなところに!」


 思わず驚いた俺に、不思議そうな顔をする緑髪の少女ウィン。

 

「なんでって、ユーリが席立ったのみて、私も行き忘れてたなぁって」


 選択の余地はなくなった。


 

 おいおい待ってくれ。個室で仕切りがあるとはいえ、隣にあの子がいるんだぞ。流石にまだ子供だから守備範囲外だが……、それでもかなり可愛い方だぞあれは。

 申し訳ない気持ちと同時に、恥ずかしさが襲ってくる。

 生理現象なのだから恥ずかしがる方がおかしいのかもしれないが……。

 俺の知識にはある。排泄中に水の音を流してくれるという画期的な装置の存在を。男の時はあまり意識したことがなかったが、こうして考えると気持ちが痛い程分かるぞ……。

 しばしの葛藤。そして諦める。いつもの流れだ。

 ……にしても、この感覚慣れないんだよなぁ……。

 脱いで、座って、する。感触が違うし、気を遣うところも違う。男女の中でも殊更違いの大きな場所だろう。

 排泄をする度に、俺は女の体になっちまったんだなぁ……。と、アイデンティティが崩れていく気がしていた。

 今回もまた、何かを失ったような気持ちになりながら、手を洗ってウィンと合流した。


「大丈夫?」

「あ、あぁ。ちょっと疲れただけだ」


 やっぱり不思議そうな表情のウィンに、俺は何も言えなかった。

 この体の弊害として、疲れやすさと強い眠気を感じるようになった。肉体相応の人間になったということだろう。

 たった一度のお手洗いでどっと疲れた気分の俺は、前を行くウィンに着いて大人しく大広間へと戻る。つまらないだけの空間だが、あの長ったらしい話は眠るには持ってこい。式に戻ったら少し休もう……。


「馬車ではあんまりお話できなかったけど、ユーリはどこ出身なの?」


 俺は、この質問にどう答えるか迷う。

 魔獣として生まれた土地だろうか。あれは魔の森と呼ばれ、どこかの国に属する場所じゃなかったはずだ。厄介な魔獣が出現し溢れ出ることもあることから、周辺国家が共同で管理せざるを得ない危険な中立地。

 じゃあ、最初に足を踏み入れた国か?いくつか村を焼いてしまったかなり苦い思い出がある。もし話題になったとして、好んで話したくはない。

 そうなると、今のこの姿にされた場所が妥当だろうか。入学時に俺の情報を学園に送っているとしたら、奴もそこを出身地にするだろう。名前は確か……。


「フォルティだ」


 しかし、そう言った俺にウィンは頬を膨らませる。


「別に隠さなくなっていいのに。まぁ、もっと仲良くなったら教えてね」


 どういうことか分からないが、なぜか納得したらしく話を切り上げた。

 そこでふと、俺はおかしなことに気が付く。


「ところで、やけに遠回りしてねぇか?もう着いていい頃だと思うんだが」

「えっ。来るときはユーリに着いてきただけだから、道知らないよ……?」


 ん?どういうことだ。


「道を知ってるから前を歩いてたんじゃないのか?」

「知らないよ!何も言わないから、正しい道なのかなって思って進んでただけ」

「もしかしてウィン、お前方向音痴か?」

「うっ。でも、ユーリだって気が付かなかったでしょ」


 その通りではある。出会ったばかりの子供を頼りにして、ただただひな鳥のように後をついて行ったのは俺だ。まさか、彼女が方向音痴だとも知らずに……。

 怒ったところで仕方がない。なんたって俺は大人なのだ。

 大きなため息を吐いて、気持ちを静める。


「とりあえず、元来た道を戻ろう」


 今度は俺が前になって歩き出す。

 だが、学園の廊下はどこも広く、長く、古めかしく、同じような光景がただただ続く。かなり広いのは分かっていたが、新入生には不親切が過ぎた。何度か曲がったのは覚えてるが、どこでどっちに曲がったのかまでは覚えてない。

 結果、十数分彷徨ってもトイレに戻ることはできなかった。


「ユーリも人のこと言えないじゃん」

「うっせぇ。元はといえばお前が道に迷ったからだろ。それよりどうするか」

「うーん……」

 

 入学式初日に迷子とは。

 

「誰かいないかな。道を聞ければいいんだけど」


 それが一番確実だろう。

 俺は、周囲の魔力の感覚を探る。直接視界に捉えるわけじゃないから、はっきりとまではいかないが、なんとなくの感覚なら壁の向こう側でも分かるというもの。

 すると、少し先の部屋の中に、薄っすらと誰かの魔力の気配を感じた。


「そうだな。行ってみるか」

「え?誰かいたの?」

「ああ。多分な」


 俺の感知力は、それなりに高い方だ。それはこの体になっても変わらなかった。彼女には分からなくても仕方がないだろう。

 俺達は、魔力の気配がする部屋に向かった。


「この中に誰かいると思うんだけどな」

「わかった。あのー!失礼しまーす!」


 一切躊躇せずに扉を開けるウィン。

 開けるまでに一瞬でも心の準備をしようと思った俺は、少し気まずい気持ちになった。

 古い部屋なのか蝶番が軋み、中から埃っぽい空気が漏れ出てきた。


「誰かいそうか?」

「ううん、よくわからない」


 俺は、ウィンに代わって中を覗く。

 まだ午前中だというのに、とても暗い。それは、ほとんど締め切られた分厚いカーテンの所為で、隙間から差し込んだ陽光が床に真っ白い長方形を作っていた。


「誰かいるかー?すまねぇ、道に迷っちまって!」


 確かに誰かがいるような感覚があるのだが、やけに薄っすらとしていて、はっきりと断言がしづらい。こういう感覚は初めてで、なんだかモヤモヤする。


「いなさそうだね」

「もしくは出てきたくないのかもしれねぇな……」


 俺が顏を引っ込めると、ウィンが扉を閉めようとする。

 その時だった。今の今まで感じられなかったはずの魔力の塊が、部屋の中から飛び出してこようとするのを感じる。


「ウィン、早く閉めろ!」

「え?」


 危機感のない少女の手が扉を締め切る直前、扉の隙間から三十センチほどもあろうかという、蜘蛛が飛び出してきた。


「うわぁあ!」


 俺は咄嗟に手をかざすと、ウィンの腕を引きながら魔術を発動する。蜘蛛達の行く手を阻む土の壁だ。


「《アース・ウォール!》走れ!」

 

 練習したおかげで大抵の魔術はまた使えるようになったが、威力はかなり低い。案の定、背後で土壁が壊されるのを確認する。


「な、なにあれ!蜘蛛!?大きすぎるよ!」

「魔獣だ!小さいが油断するな、食われるぞ」


 魔獣とその他の生物は、体内の魔力の流れ方で一目見れば判別できる。それを見抜けないとは、やっぱり子供は子供か。

 数は三匹。小物とはいえ、動きが早い。それに……。

 俺は、蜘蛛の内の一匹が魔力を練っているのを感知する。


「屈め!」


 ウィンの腕を引っ張って、姿勢を低くさせる。彼女の頭の上を蜘蛛の放った糸が通りすぎ、落ちたところの床が溶けながら煙を出すのを見てしまう。


「ひえぇええ……!」


 ウィンが情けない声を出した。

 溶解効果のある糸か。溶かすのかくっつくのか、どっちかにしろよな……。くっついた上で溶かすのだとしたら、最悪だ。

 時折、土壁を出して道を塞ぐが、糸の溶解効果は高くすぐに突破されて距離が徐々に詰められている。今の俺では魔力にも限界がある。このまま逃げ続けていればいずれ追いつかれる。

 三匹の蜘蛛、それぞれが次の攻撃を繰り出そうとしているのがわかった。

 ふと、俺は考えてしまう。

 ……この少女を、このまま囮にしたらどうだ?

 俺もこいつも新入生で、傍から見れば初めての魔獣に逃げ惑うのなんて当たり前だ。途中ではぐれてしまったとでもいえば、俺が責められることはないはず。危険を冒す必要はない。この先、こいつが生き残っても、俺を脅かす魔獣狩りの魔術師になるだけ。二人で助かるよりもより安全に生き残れるし、将来の危険をひとつ減らすことができ……。

 その時、俺はあろうことか何もない床でつまづく。


「ユーリ!」


 ウィンが俺の腕を引っ張り上げ、抱きかかえた。いわゆるお姫様抱っこ状態……。

 足はさっきよりも遅くなったし、後ろの蜘蛛から攻撃がくれば、全てこいつが受けることになる。


「はぁ……。ウィン、悪かった」

「え、なに?どういうこと!?それより、どうしよぉおおお!!」


 馬鹿馬鹿しいことを考えてた。

 子供は子供だ。まだなんの罪もない。もし仮にこいつが強くなって、俺を倒しに来たら、その時改めて返り討ちにすればいいだけのこと。


「……よし、ウィン!次の角で曲がって、迎え撃つぞ」

「わ、わかったっ!!」


 後ろから放たれた糸を最小の魔力障壁で防ぐ。ここからは防御も最低限にしなければならない。


「曲がるよ!」


 角を曲がり、一瞬蜘蛛たちの姿が見えなくなった。

 今の出力だと、普通の魔術じゃ一匹ずつしか倒せない。だが、一匹だけを相手にしては、他の二匹を対処しきれなくなっちまう。多少無理してでも、火力の高い魔術を放つしかない。

 俺は、ウィンの腕の中から飛び降りると、腕を突き出して構える。


《フレイム・タロンズ!》


 魔力の流れを見ながら、丁度奴らが壁際から出てくるタイミングでの炎系魔術。三つの炎の鉤爪がそれぞれ蜘蛛の魔獣を切り裂く。


「……はぁ。雑魚でよかったぜ」


 俺は、地面で六つに散らばった蜘蛛の残骸を、ちょんちょんとつま先で弄びながら言う。想像以上に呆気なかった。

 魔力への還元が始まってるから、もう動き出すことはないだろう。


「うわぁあ、ユーリすごいよぉ……!」


 怖かったのだろう。さっきまであんなに全力で走れていたというのに、床にしゃがみこんで泣き出してしまった。


「トイレ行っといてよかったな」

「うん、よかっだぁあ……」


 入学して早々におもらししたら、残念な思い出になっちまうだろうからな。


 

 幸いにして、蜘蛛に追い立てられた先には俺達が行ったトイレがあり、そこからどうにかして大広間に戻ることができた。その頃には、入学式も終わりに差し掛かっており、すぐに寮分けの発表になった。

 俺は、てっきりみんなの前で帽子を被ったり、水晶を触ったり、はたまた人型の的に魔力を放ってみたりして決めるものだと思っていた。


「えー、入学式でまでそんなことしないよ。ユーリってば面白いね」


 ウィンは、すっかり元気を取り戻していた。少し目尻が赤いが言われなければ分からない程度だ。


「入学試験の時にしたでしょ。魔力計測と実技試験。……あと筆記も。出身国とか性格とか交友関係とか、そういうのを見て寮が決まって、試験の結果でクラスが分かれるんだって。正直クラスの方は自信ないよぉ」

「あぁ……、そういえばそうだったな」


 そもそもその試験を受けないと、この学園には入学できなかったということか。一応ここは、世界にいくつかあると言う魔術学校の中でもエリートが集まる場所。試験くらいあるのは当然か。

 ということは、俺は裏口入学してきたことになるらしい。ここはあらゆる国の干渉を受けないって聞いてたが、奴め、それだけの権力まで持っているのか。

 しかし、そうなってくると俺の寮とクラスは、何を基準に決められるのだろうか。出身国は俺にも分からないし、交友関係も今ここでできたウィンくらいとしかない。性格も来たばかりでどう判断するものか。試験も受けてないのだから、クラス分けも難しいだろう。


「でもでも、この際クラスはどうでもいいかな。それより大事なのは、寮だよ、寮!どこの寮になるかで、馴染めるかどうか、成長できるかどうかが全然変わってくるんだから!ユーリと同じ寮になれたらいいなぁ」


 そういうものなのか。寮っていうと、宿舎みたいなものだろう?相部屋になりたいとか、そういうことだろうか。

 プライバシーの観点から、どうか個室であって欲しい。魔獣バレのリスクはもちろん、男バレのリスクまで考えなきゃならなくなる……。

 

「寮っていくつあるんだ?」

「三つだよ。グラルティス、ウィクート、そしてランケロリア。決まったら最後、六年間ずっと同じ寮生活だからね。うーん、緊張する!」


 寮分け表は、大広間の四方の壁にそれぞれ張り出されていた。俺達は一番近い壁に寄って名前を見ていく。


 「……あった!グラルティス寮だ!しかも、私達同じ寮だよ、ユーリ!」


 俺の手を握ると、ぴょんぴょんとうさぎのように跳ねるウィン。大変可愛らしいが、腕が千切れそうなのでやめてほしい。

 しかし、純粋で利用しや……、素直で性格のよさそうな美少女と一緒というのは悪くなさそうだ。少しべたべたし過ぎるところはあるが、いい匂いもするし嫌いという訳ではない。


「もう集合掛かってるみたい。行こ!」


 握られたままだった手を引かれ、剣と狼のエンブレムが描かれた旗のもとに連れていかれる。この印がグラルティス寮のマークらしい。

 集団に近付くとすぐに名前を確認され、全員の集合が確認出来次第、集団は移動を開始した。ざわざわした集団の中に居たくなかった俺は、目立たないよう一番後ろからついて行くことにした。

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