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第1話 誘拐

 悪は闇に蠢くというが、少なくとも今この瞬間にネスの目の前で起きた事は当て嵌まらない。


 白昼の堂々に行われる誘拐なんてものは当て嵌まらないのだ。


「マジかよくそっ」


 そして得てしてそういった大胆さが物事を上手いこと運ぶものである。


 邪魔だてする立場にあるネスにしてみれば意表を突かれた形であり失態ということになるが。


 白い車の車種はバンで事が起きた今にして思えばネスの目には如何にもこれから人攫いしますと主張するようなシルエットに見える。根も葉もない偏見でしかないと理解しながらも舌を打つのを止める気もない。


 目の前で善良な一般人をみすみす攫われた。事実を呑み込んでネスは柵に手をかける。ビルの屋上から飛び降りてバンを追うためだ。


 通りには時間帯的に学生が多く混乱は小規模かつすでに落ち着きかけている。それほどに人攫い共の手際はよく同窓あるいは同じ高校に通う生徒が一人、消えたようにいなくなったことは現実味がないものだったのだ。


 空から人が降ってくるというのも同様である。ネスが歩道に降り立った傍らに驚く声はあるもののこちらも一時以上に広がることはなかった。


 白バンの曲がった角の先が長めの直線であることを脳裏に思い出しつつ、ネスは制服姿の男女の林立を瞬く間に抜けていく。その間に手には連絡端末を握り、短縮登録済みの相手には数字二つで繋がる。


「わるい。やられた。これから追う」


 半コールの後に端的に状況を伝えたつもりで、ネスは想定外かつ肝の冷える補足をしなければならなくなった。


「……追うつもりなんだが……消えやがった。車ごと」


 角を曲がった先に白い車は一台もなかった。何事かと訝しむいくつかの視線に晒され、ネスは自身の黒い頭を軽くかく。耳元には溜息。


『はぁ。なにやってるんですかもう。ちょっと待ってくださいね』


 おそらくは無意味とわかりながらももう一度、手頃なビルの屋上まで跳び上がってみてもやはり結果は予想通り。ナンバープレートのない違反車両は視界のどこにも見当たらない。


 下でちょっとざわついた学生たちも早々に各々解散していく。誘拐となれば多少は非常識な話だが、そこに気付いた者がいないのだからこんなものだろう。ネスは幾人か自分に手を振るほどの暢気に苦笑した。


 もし明日にクラスメイトが一人、行方不明と聞かされたとして、きっとこの暢気は揺るがない。


 一番近い駅のほど近くで爆発が起こり、三つ向こうの路地からは複数の怒声が聞こえる。街頭テレビが西区に丹光獣が出現したことを伝え東区の外の外、遠いところを全長数百mの大型丹光獣がゆっくりと歩を進めるのが米粒みたいに見えている。


 今日も街は平和だ。


『――見つかりました。海岸線に向かってます』


「海岸線?」


『はい。ほとんど真っ直ぐにですね。あぁなるほど、監視カメラには映ってないですね。光学迷彩でしょうか』


 電話の向こうの相手がどうやって目標車両の位置を特定したかはネスには関係なく、そいつが視覚や映像を誤魔化している手段も今は置いておく。


「さんきゅ助かる。答えは聞いとくよ」


 通話を切ったネスは今度は地上に降りなかった。素人の車相手ならばと後追いを選んだが、状況が変わった今は屋上伝いに向かった方が手っ取り早い。


 海岸線までは約十km。普通の車が全開で吹かしても追いつくのは造作もないが行く先が気掛かりだ。


「海岸線」


 建物に影響のない範囲で跳躍を繰り返しつつ思うのは目的地のこと。


 かつて海岸線として線引きされ陸と海を分けていた境界はとうに意味を変えた。海と呼ばれていたものは今はもう存在しておらず、広大にすぎる荒野だけが淡い丹色にどこまでも続いているだけである。


 そこは人の手の届かない場所だ。遥か昔からそうであったように。あの時からそうであるように。


 夕暮れにさえ程遠い明るい日差しの下、白いバンは草木に半ば侵食された道路に停まっていた。傍らに男が一人、ガードレールに腰を預けている。


 いたって普通のどこにでもいるような恰好をしてはいてもこの場の空気が男をそこらの中年とは別物に変えていた。良くも悪くもない顔立ち、中肉中背、赤茶の髪は長くも短くもない、音もなく現れたネスを捉える緑色の瞳だけが他者を丸呑みする気配を放っている。


 男の名前はロナード・セドリクといった。今年で三十三になる。自身の力のみを頼りに裏社会でそれなりに存在感を示すようになってきたところである。そんな矢先に、とロナードは深く息を吐き出した。


「あの少女ならここにはいない」


 手を大きく広げる仕草にロナードを親しみを込めたつもりだ。相手の男に通じたとも思わないが。


「どこに連れてかれたかも知らない。オレは雇われだからな。さぁ、オレとおまえが争う意味はないよな?」


 ネスはバンの車内や周囲に人がいないことを確かめてからロナードに問う。


「一個いいか? その車が見えなくなったのはあんたの能力か?」


 ロナードの脳裏に様々な回答が湧いては消える。――YES。NO。どう思うかと問い返す。答えない。――どれを選択しても大差ない。


 どうせ戦いは避けられない。そしてこの街になんの思い入れもない。


 ネスがロバートとの間にあった五mを瞬きよりも早く詰めるとして、その瞼一つ動く時間にロバートは手の平を地面に向けることができる。


 炎の蛇が路面とロバートの手との間に立ち上る。更に高く。人間一人を丸呑みできるほどに育った蛇は空に昇る。


 それをネスは良しとしない。繰り出す手掌の標的をロバートから燃え盛る蛇に変え、軽く跳び上がって蛇の首根っこを握る。潰す。服は焼けるが肌に届く前に形を失った炎を振り払った。


 旧海岸線という場所には禁止された行為がいくつかある。その一つが能力の行使である。


 並みの能力でも最大出力を発揮すれば奴らに気付かれる。ロバートが生み出した蛇も当然、奴らの呼び水となる。


 丹色の大地に点在する岩の陰からそれは姿を現し、瞬く間にネスとロバートの間近に迫った。


 鱗を持つ巨大な四足の生物だ。姿形は犬に似ている。件のバンより大きい。開いた口に並ぶ牙は大の男の腕のように太かった。


 乱入者が食い掛らんとするのはネスだ。ロバートは先のネスと蛇との一幕の間に姿を消している。文字通りに自身の存在を光学的に消すこの能力は今までもロバートを幾度も助けてくれた。


 地元の暴力組織がロバートの所属するチルドレングループを血祭りにあげた時も、企業の能力者集団と抗争した時も、丹光獣の群れが友人たちや恋人を肉片に変えた時も。


 ネスは一旦ロバートを捨て置く判断をした。幸いにして攻撃を仕掛けてきたのは一匹だけであり、他の数十匹は今だ丹色の荒野でこちらを窺うに留まっている。多少の知能がいいか悪いかはこの際脇にどけ、品定めする目に見せつけなければならない。


 少しだけ、ネスは体を横に開く。体高二m程の動物が素通りできるくらいだけ。風が唸るような質量と速度の瞬間にネスは右腕を振り上げる。柔らかくもない腹に掌打を喰い込ませ、勢いそのまま跳躍も駆使して回転するように上下を入れ替えた。


 肉と骨の感触を抉り、浮いた体躯を地面に叩きつけて、それで終わり。ほとんど二つに叩き割られた骸が一つ地面に転がった。


 同時にロバートの生み出した二匹の赤蛇がネスの左脚、右腕から絡みつこうと襲い掛かる。それも先と同様に首根っこを掴んで握りつぶした。


「死ぬなよ」


 とネスが忠告した声をロバートは聞いたか聞いていないか自分でもよくわからない、とは後に述懐することである。蛇の体長の倍はあった距離がないものとされるほどの速度にロバートは反応できなかったから、白い部屋のベッドの上で目覚めてから腹を押さえて悶絶することになる。


 蹴り一発で気を失ったロバートを見下ろすネスの黒目にはこれといった感情の色はない。雇われと自身を称した赤茶髪の男に対し同情も憤慨もない。


「こっちは終わった。向こうは?」


『さすが早いですね。……まだ連絡はありませんが大丈夫かと。心配ですか?』


「あとでなに要求されるかがな。ミライ、どうも今回の依頼はきな臭いぞ」


『……なぜそう思うんですか?』


「やたら強い炎使いがいたんでな。あ、そういや光学迷彩だったぞ、炎使いの能力だった」


『なんの……あぁ。そうですか』


「向こうで動きがあったら一報入れてくれ、メールで構わない」


 いつもなら事務所に戻ってから聞く話を先に教えてくれるよう頼んでネスは端末を仕舞った。


 通話の傍らに警戒していた丹光獣たちも荒野に散っていっている。同胞の顛末が効いたのだろう。ついでとばかりにネスは鱗の体を持ち上げて住処に放り返した。雑な扱いに思うところはない。丹光獣とそれ以外の生物とは、相容れない生存競争の相手なのだから。


 最後に汚れた道路の清掃を業者に依頼したネスは、白いバンを拝借してロバートを詰め込むとその場を後にした。

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