良薬
「ちょっと疲れたので座ってただけです」
「どれくらいですか」
「ちょっとだけです」
「具体的に」
「一刻くらいです」
「座っていただけですか」
「ちょっと目を閉じてたかもしれません」
「つまり?」
「疲れた目を休めるためです」
「正直に」
「すみません寝てましたごめんなさい」
「疲れているのですね」
「はい本当にすみません今すぐ仕事に戻りま」
「そうではなく」
「はい?」
「疲れていると言ったでしょう、貴女」
「熱でもあります?」
「ありません。あるのはこれです」
「なんですかこれ」
「差し入れです」
「ありがとうございます。いえそうじゃなくてですね」
「なんですか」
「この黒い液体……液体? 違うな、なんだこれ……。この、ねっとりもっちゃりなドロッとした濃い茶色のブツはなんなんですか」
「カカオです」
「……ココア?」
「違います。カカオです」
「確かにココアには見えないですけど」
「これは所謂ココアではない、本来のカカオです」
「どういうことですか?」
「もともとカカオは滋養強壮の薬だったのです」
「えーとつまり……」
「差し入れです。貴女が元気になってバリバリ仕事ができるようにです」
「四季様。一ついいですか」
「なんでしょう」
「今日は何日でしたっけ」
「二月十四日です」
「つまりこれは」
「違います」
「チョコレートですよね?」
「断じて違います。繰り返しますが、これは滋養強壮の薬です。それ以外の意図も意味も添加物もありません。そもそも異教の聖人を称える記念日に真摯な愛情を示す風習だったものが強欲な商人の邪悪な企みにより欺瞞に満ちたイベントへと変質させられ乱痴気騒ぎと化した日に飛び交う冒涜的な甘ったるさが詰まった罪深き菓子などではないのです」
「ええと」
「なんですか」
「ありがとうございます」
「……どういたしまして。さっさとそれを飲んで仕事に戻りなさい」
「えっ?」
「えってなんですか」
「飲むんですか」
「当たり前でしょう」
「飲み物なんですかこれ」
「食べ物に見えますか」
「っていうか液体なんだか固体なんだか」
「液体です」
「どっちかというと固体に近いような」
「私が液体と判じたら液体です」
「ずっる」
「いいから飲みなさい」
「もう一ついいですか」
「どうぞ」
「添加物ないんですか」
「ありません」
「素のままだとマズくて飲めたもんじゃないってどこかで聞いたような」
「良薬口に苦しと言いますしね」
「はぁ……」
「そんな匙の先っちょに乗せてないで一気にいきなさい」
「いや流石にちょっと……まず少しだけ……っう」
「……」
「……」
「どうですか」
「喉が潰れそうです」
「大げさな。融けた銅よりマシでしょう」
「比較対象がおかしいですよ。せめて砂糖を少し……」
「駄目です。菓子ではないのですから」
「そんな」
「嫌ですか」
「ちょっとキツいかなって」
「そうですか。どうしても嫌なら返しなさい。私が飲みます」
「えっ」
「別に、何とも思いませんから」
「……」
「ただダラけ気味の部下に喝を入れにきただけです。貴女が要らないと言うなら仕方ありません」
「……」
「ほら、早く」
「飲みます」
「えっ」
「えってなんですか」
「い、いえ別に」
「……うりゃっ」
「あっ」
「…………っうぇっ…………」
「あ、あの、小町?」
「……っを゛…………ぐぅ……」
「無理しないで」
「……………………」
「大丈夫ですか小町」
「…………」
「小町?」
「……まっっっっっっっっっず……」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないです」
「……ごめんなさい」
「なに謝ってるんですか」
「だって」
「意地悪した自覚があるってことですか」
「ごめんなさい」
「許しません」
「えっ」
「口直しを貰わないと許しません」
「ええと……あ、のど飴ならポケットに」
「そんなんじゃ足りませんよ」
「じゃあ何を」
「四季様を」
「えっ」
「四季様で口直しさせてもらいます」
「ちょっと待ちなさい」
「待ちません」
「口直しになんかなるわけ」
「甘いですよ」
「そんな」
「四季様の唇は甘いです」
「ま、待って」
「いえ、違いましたね」
「そうでしょう」
「全身甘いです」
「待って」
「幽霊しか見てませんよ」
「待っ」
「滋養強壮させたのは、貴女です」