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第十九話 栄枯盛衰

 2027年9月11日、午前2時14分。


 台風十六号は、とうとう静岡県浜松市に上陸を果たした。移動速度は毎時65kmを突破し、歴史に残る速さとなった。

 中心気圧725hPa、最大瞬間風速150mの怪物は、今までと同じ調子で中部地方と北陸地方、そして関東地方のすべてを破壊しにかかった。

 上陸地点である浜松では、台風の目の直下にあるため風雨はほぼなかったが、ここ数時間に降った雨と吹いた風により市街地はすっかり姿を変えていた。

 名古屋市以北での風害は、風が比較的弱い可航半円にあったこともあってやや軽微であったが、浸水害はどうともならず、JR名古屋駅周辺はおろか、栄にまで海水と混じって塩を含んだ雨水が押し寄せた。とはいえ、竜巻による被害も僅少であり、日本の三大都市の中では(・・)最も幸運であるといえる。


 一方、岐阜や長野などの山間地で問題となったのは、水害よりもむしろ土砂災害であった。確かに、中部地方から北陸地方にわたって広がる森林は、土砂崩れに対するよい対策として機能する。

 しかし、今回のような異常な雨量に対しては、森林も土砂災害を止めるには力不足が過ぎた。

 場所によっては毎時200mmを超えるとんでもない豪雨によりもたらされた雨水をふんだんに含んだ山は、次第に、そして不気味に、その山肌を切り崩し始めた。

 飛騨山脈で、木曽山脈で、赤石山脈で、莫大な量の土砂が木々もろとも重力に従ってずり落ちていく。

 それは、建多の祖父母が住む岐阜県郡上市でも変わらなかった。



 9月11日、午前2時23分。

 午後9時過ぎに早々と寝てしまった佐東銀三郎、貴子夫婦は、ガラスの割れる不快な音により二時間以上前に目を覚ましていた。この地点での風速は、彼らが起床した時点で毎秒60mを記録していた。

 今に至ってもまだ家は崩れておらず、被害は窓ガラスが割れている程度で住んでいた。かつて家を改築するとなったとき、銀三郎が気前の良さを発揮して鉄筋造りにしておいたおかげである。

 彼らは現在、家で最も安全といえるトイレに閉じこもっている。窓が割れて雨が容赦なく吹き込んでくるが、寝室で暴風雨に叩きのめされるよりはずいぶん快適な環境だった。


「とんでもないことになったのう……」

 銀三郎は懐中電灯をふらふらと揺らしながら、肩を落として呟いた。その言葉は、眼前にいる貴子に向けて放たれたようには聞こえない、空虚な雰囲気をまとっていた。

「まあ、まあ。生きとるだけでも」

 かろうじて彼の言ったことを聞き取った彼女は、慰めるように言葉を掛けたが、銀三郎の表情に変化は生まれなかった。彼の内面には、ろくな対策もせずにこの時を迎えてしまった後悔が溢れていた。

 さらに、「今は生き残るのを考えんとあかん」と彼女は気丈にも続けた。ここでようやく、銀三郎は「ああ」とだけ返すことができた。


 ――雨風に震えていた二人は、小石が立てるパラパラという乾いた音に気づけなかった。

 

「どうすりゃあええんや……。どうすりゃあ……」

 再び彼が嘆いたその時。


 ドン、という鈍い音とともに家が縦に揺れた。明らかに暴風雨が起こせる振動ではない。もちろん、この暴風雨は観測史上最大のものだが、それにしても地面を縦に揺らすのは不可能である。

 では、その原因は何か。

 そう、地面(・・)である。


 再び地面から低音が響いてから数秒経って、佐東夫婦は異変を感じ取った。

 家が、動いている(・・・・・・・・)

 ゆっくりと、緩慢とではあるが、確実に移動している。それが何を意味するのか、答えは明白であった。


「なあ、家……」

 銀三郎が言いかけた瞬間。

 下から(ガン)と突く衝撃が一瞬走った後、家が凄まじい勢いで傾き、流れ落ち始めたのである。

 これは単なる土砂崩れではなく、地面表層が丸ごとずり落ちる極めて大規模な、「山崩れ」とさえいえる事象であった。

 この時、彼らの住む家はその周囲の家屋も含めて山間を雪崩のように駆け落ちている状態である。

 彼らが山の崩壊に気づいたのは直後のことであったが、もう遅い。

 家の流れ落ちる速度はどんどん速まり、揺れる度に室内に泥と化した土砂が流れ込んでいき、最後には――

「婆さん‼」


 激突。

 土砂の上を1kmほど走った彼らの自宅は、土砂の堆積して丘となった部分に時速40kmを超えた高速で衝突した。いくら鉄筋造りの家とはいえ、土砂と建築物の残骸にぶつかった衝撃には耐えられず、家は衝突面であるトイレから潰されていった。


「ぐぼっ……!」

 部屋ごと体を潰される直前に彼らが思い浮かべたのは、愛する孫、建多の顔であった。





 

 多くの人々が死に至る一方で、台風第十六号もまた、衰退の道を辿り始めていた。

 無尽蔵に水蒸気を補給できる海上と異なり、陸上ではエネルギー源となる水源が少なすぎるうえに、陸との摩擦も大きくなる。そうなれば衰弱するのは必然であろう。

 たけき者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。向かうところ敵なしと思えるこの台風にも、弱点は存在するのである。

 だが、勢力が弱まるとはいっても、その勢力は未だ空前絶後。破壊できる限りのすべてを破壊し、超高音の咆哮を上げながら、台風は死するまで地球上を進んでいくのである。


 このひたすらな猛進により、台風はいよいよ関東地方にも大打撃を与え始めた。

 関東地方は風の強くなる危険半円に属しているゆえ、風速は中部地方のそれとは段違いのものであった。

 例えば横浜市では、現時点で毎秒100mを優に上回る黒風が吹き荒れており、木造家屋のほぼ全ては基礎を残して消滅する憂き目に遭っていた。

 真に何も見えない暗黒の中で風雨を耐えしのぐ人々は、地上の地獄を嫌というほど味わわされている。それは、鈴木家でも同じことであった。


「怖えよお、怖えよぉ……!」

 半日前までは平然とした態度を取り続けていた鈴木海徒は、今や大自然の赫怒に果てしない凌辱を受ける矮小なヒトの一人に過ぎない。手足は絶えず恐怖で震え、心臓ははち切れんばかりに鼓動を速めている。


「だから避難しないとダメって言ったじゃん、兄ちゃん!」

「うるせえ! 俺もこんなことになるなんて、思わなかったんだよ……。勘弁してくれよ、なあ……」

 彼に弟の剛朗を元気づけようなどという気は起こらず、ただ自分の心を守るので精一杯である。

 不注意にも懐中電灯を忘れてきたため、避難した風呂場は光を一切感じさせない暗闇で満たされていた。その環境は、彼らを狂わせてしまうのに最適のものであった。

 疑心、暗鬼を生む。風呂場にある何もかもが恐怖の対象となって彼の目に浮かび上がるのだ。目の前いっぱいに広がる暗闇が、全部自分を凝視(みつ)めている! 彼には、これが到底幻覚であるとは思えなかった。


「暗い暗いくらいよ、やべえっマジでヤベぇって‼」

 半狂乱となって彼が叫んだその瞬間。


 


 漆黒に覆われた天空が、昼と化した。



 積層した積乱雲が、燦爛たる光輝となる。

 大雲の中で幾度となく起こり、蓄積された静電気が、大気の電気抵抗を突破して撃ち放たれる。

 その数十秒分の1秒後には、静電気は果てしなく強大な雷となって空気中を突貫していた。



 霹靂一閃。


 電圧51億7000万V、電流55万8000Aの恐るべき電気の奔流が、破竹の勢いで下へ下へと進撃する。

 積乱雲を突き破った雷光は、ほとんど直下にある半死半生の鉄塊を睨んだ。

 雷は、音速の千倍以上の凄まじい超高速で空気を押し退け、押し退け、疾駆していく。まばゆいばかりの光の奔流は、次々と枝分かれしながらとうとう地面に辿り着いた。


 直後、港が爆発した。雷が石油タンクを直撃したのだ。

 霹靂が火花の代わりとなって、タンクに湛えられた石油を着火したのである。

 幾重にも幾重にも分岐した雷は、横浜から川崎にわたって広がる沿岸工業地帯に降り注いだ。雷の轟音とともに、白い鋼鉄の塔を突き破って炎が次々と顕現する。

 港にオレンジ色輝かしき人工の昼が訪れ、その近傍の市街地も燃え上がる火炎により明るく照らされた。火が、工業地帯を駆け巡って燃やしていく。


 しかし、炎の繁栄は長くは続かなかった。あまりに雨が強すぎるためである。風により飛ばされた一部の火炎は市街地にまで届き、一部の家屋を焼き尽くしたが、それが限界であった。

 爆発により上がった光は、天から降る水により徐々に息の根を止められていき、やがて完全に消え失せた。ほんの10分程度のことであった。

 去った昼を、再び漆黒が支配していく。




 横浜市からそう離れていない東京では、一千万を超える人々が避難せずにとどまっていたが、彼らは最悪の結末を迎えることとなった。事前から避難するよう何度も喚起され、それでも大丈夫と思い込み、または面倒くさがって家にいることを決意した。その代償は、重すぎるものであった。

 東京湾の沿岸部は軒並み浸水。特に前々からゼロメートル地帯として警告されていた江東3区は、全域が海に沈む結果となっている。

 かつて「ここにいてはダメです」という衝撃的な言葉を使ってまで住民の命を守ろうとした行政の努力は、おおむね徒労に終わった。

 荒川、利根川、隅田川といった有名な河川はおしなべて大氾濫を起こし、河川流域を多量の土砂を含む水で覆い尽くして、家屋や木々、人間や動物を水の底に沈めた。浸水高は最大で25mにも達した。

 水の奔流に巻き込まれて生き残れる者は、ほとんどいなかった。大多数は溺死し、辛うじて水面に顔を出すことのできた者も、九割以上は漂流物に激突して即死するか、そうでなくても意識を失う運命を辿ることとなった。


 愚かというべきか、多くの住民は慢心を持って家屋に留まっていた。正常性バイアスで酷く歪められた判断は、容易に生命を奪うということが、彼らには理解できなかった。

 そして、家に水が流れ込んできたときに、屋根が引き剥がされたときに、壁が突き崩されたときに、彼らは自らの判断の誤りを思い知るのだ。

 その人生を、代償に捧げて。

 

 避難しなかった東京都民のうち、既に五分の一が死亡していた。死因は圧死、次いで溺死であった。



 衰弱していく台風は、しかし、この世界有数のメトロポリスを見逃すつもりはみすみすなかった。日本滅亡の最後一段、彼は渾身の力を振り絞って東京都を滅ぼそうと決意したのであろう。


 東京の街に現代科学では説明のつかない、声のような音が響き渡る。その咆哮は、今までのものとは打って変わって、低い。

 それと連動して、台風第十六号を構成する積乱雲の一部が、冷却されていく。海水と大気により熱せられた地面や海原との温度差が急激に広がりゆく。


 温度の平衡を取り戻すため、上空へと空気を構成する分子がどんどん吸い込まれていき――

 そして、殲滅の渦が東京に現れたのである。

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