第十一話 人々と台風
破壊描写が続いたので、今回は箸休めの回です。
佐東家の朝食から、やや時は遡る。
日本標準時、9月9日火曜日、6時7分。
岐阜県郡上市、八幡町。
「うう……。もう起きてしもうたか。婆さんを起こさんとな」
寝起きの目を擦りつつ、佐東銀三郎は独り呟く。彼の隣には、妻と思しき老女が静かな寝息を立てて眠っている。
「おーい。婆さん。もう朝じゃ。起きい」
登りかけている朝日でほのかに明るい屋内に、銀三郎のしわがれた声が響く。
幾度目かの揺すりかけで、老女も目を覚ました。
「婆さん。起きたかね」
「見ての通りさ。ばっちり」
寝起きながらはっきりした声で、老女――佐東貴子も目を覚ました。十秒ほど経って、彼女は頭上の電灯を点け、そして緩慢な動きで洗面台へと向かっていった。
「相変わらずじゃな。真っ先に顔洗う」
独りとなった寝室で銀三郎はそう漏らすと、外へ繫がる廊下を歩き始めた。縁側までは、十秒もいらない。
履き古したサンダルに足を入れ、背筋を伸ばして立ち上がる。すっかり習慣となった散歩の準備である。
「今日も散歩かい?」
「ああ」
「そうかい。いってらっしゃい」
背中の方から話しかけてきた貴子と短い会話を交わしたのち、彼は出発した。空は、雲の少しある晴天である。
狭い路地をくぐり抜け、車道へ出る。尤も、田舎なので道を行き交う車の量は少ないし、人も少ない。出会う人といえば、近所の老いた知人くらいである。
「佐東さんか。今日も元気やなぁ」
「おう。相原さん」
「どうも、赤田さん。よう世話しとりますな」
「お気に入りの花やからねえ」
その少ない知人との会話も、すぐに終わってしまう。八幡には人があまりいない。その代わりに、山と畑、生き物はたくさんいる。銀三郎は、都会の喧騒よりもこの落ち着いた山地がよく馴染んでいて、建多が彼を都会へ連れ出そうとすると、そのたびに苦笑いをしていたものだ。
そう回想しながら、彼は腰に手をつき、西に聳える高賀山を見上げた。
彼の表情に山の向こうに在る台風への恐れは、ない。
同日6時39分。
鹿児島県鹿児島市、大竜町。
「どうしたよ、マスヤ? 朝早くにいきなり呼んで」
「まあまあ、早く上がれよ」
とある賃貸住宅の一室に、桐田益弥は友人と共にいた。書類やティッシュ、ペットボトルなどのゴミが無造作に転がる狭苦しい部屋で、なんとか空間をとって地図らしきものが広げられている。
「だから、何するんだよ。今日が休みだからよかったけどさ。俺6時間しか寝てないから、眠いんだよ」
友人の愚痴や、雨天で部屋がひどく湿っているのも気にせず、桐田は口を大きく開けて言い放った。
「防災会議だ‼︎」
「……は?」
自信満々に大音声を張り上げた彼に、友人は味気ない応答をするほかなかった。
「防災会議だよ。台風の! 今回のやつはヤバいからな」
「ああ。台風ね。全く大げさだな」
友人は、せっせとハザードマップを広げる桐田に呆れ気味の返事を返す。
「なに言ってんだよ一義。俺らの生き死にが懸かってんだぞ。冗談じゃねえ」
一義、と呼ばれた友人に対し、いつになく真剣な表情で迫る桐田。既に出来かかっている眉間のシワが、よりいっそう深くなった。
「ただの台風だと思うなよ一義。今回のはな、とにかくヤベぇんだ。気圧が800切ってるって、んなことあったか⁉︎ 雨も風も、ぜんっっぶ、とんでもねぇんだ! 高潮もな。だから、対策をしなきゃ、マジで俺らは死ぬ」
二人しかいない部屋に、桐田の説得がよく反響する。
「わ……分かったよ。協力するよ」
なんとも語彙力が足りていない彼の説得は、とりあえず一義には通じたらしい。どちらかというと、彼の尋常でない怒気と覇気に圧されているようにも見えるが。
「よーし、じゃあ今からどうするか考えよう。カズ。なんか案は?」
「うーん、うぅん……トイレにこもる、とか? 柱、丈夫だから」
いきなり話を振られた一義は、困惑しつつも案を出す。
「トイレか。臭ぇのを除けばいいかもな。…………いや、多分ダメだな。トイレごと吹っ飛ばされる。ここ軽量鉄骨」
一瞬納得しかけた桐田だったが、五秒ほどで撤回。代わりに声を上げた。
「避難だ避難。どっか良いトコねぇか?」
一義はタブレットの地図アプリを開き、検索し始めた。
「公民館とかどう?ここの」
「公民館か。ジジくさそうじゃね?」
地図マップに表示された近場の公民館を見ながら、桐田は顔つきに合った偏見を吐く。
「それに、こんな小っせえ建物、流されるだろ」
「確かに。生きることについてはマジで知識あるよね、マスヤ」
一義が納得しつつも軽い嫌味を口に出している間に、桐田は新たな案を考えていた。
「小学校にしようぜ」
口角を歪めた笑いのまま、彼は画面を一義に向ける。その画面には、「大竜町小学校」という学校名が映し出されている。
「四階建てだしデカい。流されもしない。最強だろこれ」
「うん。それにしよう」
防災会議に飽き始めていた一義は、彼の意見に流されるまま。
「じゃあ、避難指示が出しだい四階に集合でええな?」
まるで集合の時刻を知らせる児童のような口ぶりで桐田は告げた。
「オーケーだよ」
「よっしゃ! 一緒にこの大災害を生き延びてやろうぜ、カズゥ‼︎ 死ぬのはゴメンだからなぁっ‼︎」
一義とはあまりにも対照的な笑顔と大声で、桐田は叫ぶ。
雨足が激しくなっていく中でも、彼の叫び声は部屋の外まで響き渡っていた。
九州から場所は移る。
6時40分。
「婆さん、帰ってきたぞ」
「おかえり」
佐東銀三郎は、30分弱の散歩を終え帰宅した。朝早くの散歩だが、彼の顔や体からは服の色が変わるほどの汗が出ている。
「最近は暑すぎる」
そう愚痴を吐く銀三郎を、貴子は急かした。
「ほら、テレビが始まるよ。体拭いてすぐ来な」
「おお。危うく見損ねるところだったわい。ありがとうな」
礼を言いつつタオルで汗を拭い、居間にある小さなテレビに駆け寄る。
「間に合ったわい」
安堵の声を漏らす彼の視線は、NHKのニュース番組である『おはよう日本』に向けられていた。
「続いては台風の情報です。超大型で猛烈な台風16号は、勢力を保ったまま北上を続けており、今日の夜には沖縄に再接近する見込みです」
青いL字型画面に囲まれながら、アナウンサーが話す。
「最近、ずっと台風のニュースばっかやな」
銀三郎が呆れたように貴子へ話しかけると、彼女も「本当に」と共感した。二人は顔を合わせて微笑する。
彼らの会話が終わるのとほぼ同時に、画面は現場の中継に切り替わった。右上には、沖縄市から中継されている旨が示されている。
「えー、西から東へとても強い風が吹いています。雨も強く、傘がほ……ど役に立ちません。未だ台風の中心はフィリピン東部にある……ことですから、台風16号の強さがよくわかるかと思いま……」
大雨が降り、背後では草が横倒しになっている中で、女性アナウンサーは懸命に台風の状況を伝える。彼女の着ている服は、暴風で絶えず右側に振れ続けている。
「すごいな」と銀三郎が驚嘆の声を漏らす。しかし、その驚きはあくまでも傍観者の立場に立ったものであり、災害の当事者となる緊張感からではない。
「交通はどうでしょうか」
「ご覧の通り、人はほどんど……いておらず、走る車の量も非常に少な……。沖縄市の一部では既に洪水が起…………の情報も……、外出は非常に危険です」
転びそうになるのを必死にこらえながら、彼女は語る。
「田井中さん、ありがとうございました」
中継はまもなく終了した。貴子がチャンネルをワイドショー番組に切り替える。
彼女は台風以外のニュースを見たいと思いチャンネルを替えたのだが、生憎、ワイドショーが流しているのも台風情報であったし、L字画面もついてきている。
「大げさや。なあ、婆さん」
「まあ、ここは大丈夫やろ」
「うん、うん」
吐き捨てるような言い方の銀三郎の言に、貴子も同意する。
「避難は?」
「せん。まあしくらいは、しとってもええが」
避難の提案も、彼はきっぱりと拒絶した。彼、そして貴子にとっても、中部地方まで台風が勢力を保って近づくというのは想定外であったし、避難するのは面倒なことに感じられた。
当然ではある。
そして、この決定を推し進めたのは、「今まで大丈夫だったのだから、これからも大丈夫だ」という、愚かな考えであった。
もし彼らが台風16号の赫怒を現地で見ていれば、こうはならなかったであろうが、そのようなことができるはずもない。
結局、今までの経験に基づいた決断をするほかないのである。
――誤った判断は、容易に人を殺すことも知らずに。
時は進む。
9時51分(日本標準時)。
マニラから北東に約600km進んだ地点。
台風第16号、海神は、その名に恥じぬ勢力を保ちながらフィリピン海を時速45kmの高速で北上する。異常な海流と気流、そして海水温に支えられて、海神の威容は全く衰えない。流石に中心気圧の更なる低下は見られなかったが、十二分に危険であることには変わりない。
最大瞬間風速210m、最大1時間雨量360mm、直径2470kmの怪物は、勢いそのままに沖縄島に迫りゆく。その余波だけで、臺灣島が洪水に見舞われ、高潮が沿岸を襲い、木造住宅の屋根が剥がれる。
進路上に島がなかったことが、唯一の救いであろうか。
フィリピンなど、もはや見る目もない。現在、首都マニラでは徐々に雨風が弱くなっているが、この情けはマニラの人々を救うことはできない。
中心部から郊外に至るまで、高層ビル以外のほぼ全ての建築物が消失。道は未だに濁流であり、水面にはかつて車や家の一部であったであろうゴミや流木、人体の一部が浮かんでいる。
一週間前には人々が笑顔を交わしていた繁華街も、観光客に溢れていた公園や教会も、貧困層が住んでいたスラムも、みな等しく大自然の憤激の餌食となった。
大量の水を含んだ重みに耐えきれず崩れ落ちた斜面。
暴風で根元から引き抜かれた木々が散らばる、かつて森だった平原。
莫大な瓦礫を含みながら沿岸を押し流す、醜悪な黒に染まった高潮。
この惨状を報道すべきマニラの、否、ルソン島のテレビや新聞は、何の動きも見せられなかった。
テレビ局や新聞社の全てが停電し、機械が全く使えなかったためである。また、あまりの風雨により、取材が不可能であったこともある。
風速100m毎秒を超えるEF5の竜巻の直撃を受け、文字通り「消滅」したテレビ局もあった。
これらの大災害を、不幸にも日本の人々は知らないままでいる。
否。
彼らが台風の憤激を「知る」までの時間――ほんの数時間から一日――、無駄に不安を感じずに生きられるのだから、彼らはむしろ幸運かもしれなかった。




