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第一話 ある晩夏の日

 このサイトでも数少ない台風災害モノを書いてみました。どうぞご覧ください。

 西暦2027年9月5日、神戸市灘区。


「早く起きなさい!」

 高校2年生の佐東建多(さとうけんた)は母、麗子(れいこ)の声で目を覚ました。彼はベッドの上で一度寝返りを打ってから、寝ぼけ眼で時計を見た。針は7時41分を指している。

 ――普段より15分も遅く起きてしまったことに気が付いた瞬間、彼は飛び上がった。


「遅刻する~!」と叫びながら、建多は洗面所に駆けていき、大急ぎで顔を洗い、歯を磨いた。「朝ご飯作っといたから食べてから行きなさいね」という母の声を背に受けながら、部屋に戻り、今度は制服に着替えだした。急ぎ過ぎてズボンのベルトがうまく嵌はまらない。


 これまた急いで階段を駆け下りると、朝食がテーブルの上に置いてある。メニューはいつも通りの、ご飯、みそ汁、漬物、そして焼き魚のセットである。友人の家の朝食を聞く限り、完全な和食なのは我が家だけらしい。なぜかそんなことを思い出しながら、彼は朝食を口の中へ放りこんだ。生まれてこの方食べ続けてきたが、やっぱり母の料理はうまいものだ。


 ごちそうさまを言うや否や、建多はカバンを持った。どうやら忘れ物はなさそうだ。

「いってらっしゃーい」という母の声に対して体ごと振り返る暇などない。彼はなんとか後ろに向かって手を振って、扉を蹴破るような勢いで家を飛び出した。

 15分の遅れはかなり厳しい。半分くらいは走らないと遅刻してしまうだろう。だが、神戸の街は坂だらけである。しかも登校路は上り坂だし、おまけに昨日から猛暑が続いている。運動が苦手な彼にとって、坂道を走るのは結構な重労働であった。


 彼は決意を固め、眼前にたたずむ長く急な坂道を一気に駆け上がり始めた。だが、すぐに息が切れ始める。普段あまり体を動かしていないのだから、当たり前ではあるが。彼は疲れる脚に必死で力を込めて坂を走った。

 なんとか坂の頂上まで上り詰めた時には、彼はもう完全に体力を消耗しきっていて、10秒くらい道端で止まってしまった。

 走るのは無理だ。

 そう悟った建多は、一呼吸してから「じゃあ、早歩き作戦にするか」と独り呟いて、早歩きに切り替えた。これなら、早く歩ける割には疲れない。これならいける、と彼は思った。


 しばらく歩いていると、彼の通っている園仙(えんせん)高校の校舎が見えてきた。歩きながらスマートフォンを点けてみると、時計はまだ8時16分を指している。この調子でいけば、なんとか間に合いそうだ。 

 建多は少し安心した。


 その後もひたすら歩き続け、建多は8時22分に学校に着いた。無事、定刻以内の到着である。

 校門では、「おはよう!」と校長先生がみんなに挨拶している。当然建多にもかけられたその声に、彼は会釈をして通り過ぎた。

 靴箱に来た瞬間、ひどく疲れていた彼は数秒間立ち止まり、ふう、と大きく息を吐き、そして教室へと向かった。


 少し急ぎ足で教室に入ると、友人の田邊創樹(たなべそうき)が「よう建多! 今日は遅かったな」と大げさに手を振りながら言ってきた。建多は「起きんのが遅かったんだよ~」と自嘲気味に返すと、すぐに椅子に座り、カバンにしまってあるハードカバーの本を読み始めた。

 すると今度は同じく彼の友人である奥村愉得都(おくむらゆうと)が彼の方に寄ってきた。愉得都は建多の本をのぞき込んで、笑いながら言った。「おはよう。ところでさ、ケンケンがいっつも読んでるその本って何なん?」

 建多は自分の本に関心を寄せてくれたことをうれしく思い、微笑んで表紙を見せた。「こんなの」

 そこには、『現代の災害に対する考察』というタイトルが印刷されていた。そして、彼は「愉得都も読む?」と訊いた。

 しかし、愉得都は「いや、いいわ。俺、難ムズいの苦手だし」と彼の誘いを断った。それを聞き、建多が少し落ち込んだところで、愉得都が突如思いついたかのように話す。


「それ見て思い出したんだけど、また台風ができたらしいなぁ」

 その言葉に建多と、同時に創樹が反応しようとしたところで、担任の阿邊(あべ)先生が教室に入ってきた。それにより、二人は話を中断せざるを得なくなった。


 先生はいつも通りの大声で話す。「みんな、おはよう!今日も元気そうで何よりだ。さあ、ホームルームを始めようか。今日の連絡事項は、とりあえず、落とし物だな」

 クラスの皆は静かに先生の話を聞いていた。だが、話題が台風のことになると、一同に顔を上げた。「昨日、台風が南の方でできたっていうの、聞いたか?来週は警報で学校、休みになるかもしれないな。」

 その言葉に、生徒たちはやけに顔を輝かせる。それに気づいたのか、先生は続けて言う。「おっ、休みになると思って喜んでるな。でも学校が休みになったら、後で振替授業があるから覚えといたほうがいいぞぉ?」

 その顔にからかいにも似た笑顔を浮かべ、先生がはっはっはと笑う。それにつられ、生徒も笑う。毎年恒例の光景だ。 

 こうして、この日も2年1組は楽しく朝を迎えた。




 ホームルームが終わると、クラスは1時間目の授業に向けて動き出した。1時間目は先生がつまらないと評判の古典だ。生徒たちは一様に面倒くさそうな表情で準備をしている。建多もその例外ではなく、つまらなさそうな顔をしてロッカーから教科書とノートを持ってきた。

 建多が椅子に座ったところで、愉得都が再び彼に話しかけてきた。「でさ、台風の話なんだけどさ」といったん切って、彼は続ける。「今度のやつはヤバいらしいぜ。もう970ヘクトパスカルまでいってるとか。中に気象兵器でも入ってんじゃね!?」

 興奮した様子で語る愉得都に、しかし、建多は「まあ、大丈夫なんじゃない?今までもヤバいって言われてたやつも大したことなかったし。あと、もう授業始まる」とそっけなく答えた。

 それに愉得都は、「えー、そうかなあ?」といまいち納得していない様子で自分の机に戻った。



 その時、ガラガラと扉を開けて、古典の先生が入ってきた。先程まで騒がしかったクラスは、噓のように静かになり、授業が始まったことを窺わせる。

「んじゃぁ、授業を始めます。委員長、気を付け、礼よろしく」

 先生の言葉を機に、地獄の50分間が始まった。




 授業が終わる寸前には、半数近くの生徒が睡魔に襲われ、黒板いっぱいに書かれた板書を背に先生がただ喋るという光景が形成されていた。まだ起きている生徒は必死になって板書を写しまくっている。これもまた、普段通りの光景である。


「ん~ぁ、角川さん。この文を品詞分解して」

 先生がそう言いかけたところで、授業は終わった。建多が安堵のため息をつく。そこに、創樹がやってきた。


「なぁ、今日学校終わったら愉得都と三宮行く予定なんだけど、お前も行く?」

 建多は下を向き、しばらく迷っていたが、ひとり頷くと、「行くわ」と短く答えた。創樹は「はじめからそう言ってくれると思ってたがな」と明らかに見え透いたお世辞を言って、彼を笑わせた。


 彼らはいくつかの受け答えののち、いつもの三人で遊ぶことにした。土曜日の慣例だ。


 


 2年1組の面々は、その後の3つの授業を耐え忍んだ。建多はというと、たびたび窓の外を見たり、ノートに落書きをしたりして、退屈な授業をなんとかやり過ごそうとしたが、結局3時間目で睡魔に敗北した。


「今日も疲れたな~」

 4つの授業全てが終わり、建多が愚痴る。「マジそれな」と斜め後ろにいる愉得都が同調した。もう昼間だというのに、二人とも寝ぼけ眼である。

 5分くらいすると、扉を勢いよく開けて阿邊先生が入ってきた。終わりのホームルームの始まりである。


「ホームルームですが、言うことは特にありません! 起立、礼。さようなら!」

 ホームルームの内容は、たったこれだけである。


 学校が終わり、家に直帰したり、図書室に居残ったり、部活に打ち込んだりと、様々な行動をする生徒がいる中、彼ら三人はそのまま三宮へ遊びに行った。


 バスで駅まで行き、そこから電車に乗る。ホームに来たのは白っぽい快速列車だった。


「だいたい着くのが1時半くらいだから、2時間ちょいか」

「昼ご飯どうする?」

「空いとったら地下のラーメン。無理やったらどっか別のとこ」

 揺れる電車の中で発された建多の問いに、創樹が少々無責任な返答をする。


「マグドとかどう?」という愉得都の提案は、すぐさま二人同時に「昨日食った」と断られてしまった。愉得都が「えー」と不満げな声を漏らしたところで、電車が速度を緩め始めた。外には高層ビルが立ち並んでいるらしい。


 三人はとりあえず地下街に降りた。レンガの敷かれた、坑道のように狭く、少し暗い道の両端に所狭しと飲食店が建ち並んでおり、その中には創樹が言っていたラーメン店もあった。幸いにも、店の中はまだ一つだけテーブルが空いている。

 創樹は喜びの笑みを浮かべながら、真っ先に券を買うと、まだ券を買っている建多と愉得都を置いて熱気のこもった店内へと入っていってしまった。


 地下街でラーメンを食べ、しばらくぶらついた後、地上に戻ってボウリングをすることにした。ただでさえ暑い上に、熱々のラーメンを食べたせいで、彼らの頭や鼻、背中などあらゆる箇所に汗が滲んでいる。


 体中から垂れ落ちる汗を拭いに拭って歩き、三人はフラフラになりながらもボーリング場に到着した。

 店内に入ると、今度は冷房が効きすぎていて、とんでもなく体が冷たくなってきた。冷風も冷風だった。しかし、そんなことはお構いなしに創樹はレーンにボールを思い切り転がした。


 そして、運良くボールはピンの中央に当たり、10本の塔を全力で叩き崩した。周りからも一瞬、羨望の視線が送られた。

「よっしゃあああ!! ストライイィク!」

「やったな! 創樹!」

 創樹は握り拳を振り上げ、歓喜の咆哮を上げた。


 三人ともボーリングを楽しんでいたが、飛びぬけて楽しそうなのはもちろん、創樹だった。スペアになるたびに苦しみ、ストライクを取るたびに跳びはねながら歓喜する彼の姿は、青春そのものと言っても過言ではなかっただろう。



 ボウリングを終えるころには、創樹は冷房の効いた屋内にいたにもかかわらず汗だくになっていた。彼のふくよかな頬を汗が伝っていく。


 


 約2時間を三宮で過ごしたのち、彼らはそれぞれの帰路についた。今日は愉得都と創樹が塾であるため、いつもより早く解散することになった。三人――特に建多――は、少し未練を抱えながらも、冷えたボーリング場を後にした。


 もう4時に達しているはずだが、外は全く涼しくなっていない。水分を補給しないと倒れてしまいそうだ。行きとは打って変わって、三人の間で交わされた言葉はほんの少ししかなかった。そこを埋めるかのように、嫌というほど都会の喧噪が耳に入ってきた。

 半ば無心で足を動かし続けていると、創樹と愉得都が通う塾が見えた。彼は信号を渡ろうとしている二人に手を振りながら、別れの挨拶をかけた。


「ばいばい」という建多の声に、二人は浮かない顔で「建多、じゃあな」と返して別れた。その後ろ姿が、建多には別人の背中のように見えて仕方なかった。



 建多はひとり、家への帰路に就いたのであった。

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