ラインとアーニャのその後
俺はライン。生まれた年も日にちもわからない。気づいたときには孤児院とスラムを転々とする日々だった。5歳ぐらいにはすでに立派な盗賊のようなことをしていた。すばしっこくて捕まることなんて10回に1回だ。向こうはたまに盗むぐらいだとして結構見逃してくれた。そんな生活が3年ほど続いたとき目の前に見知らぬ男が立っていた。
「きちんとしたところで働きたくはないか?」
「いいよめんどくさい。どうせ大人の方が取り分は上だとか面倒なことしか言わないんでしょ」
たびたび大人に協力しては理不尽な目にも合ってきた。その時の俺からしたらこいつもただの嘘つきだった。
「仕事がきちんとできるならちゃんと報酬も家も手に入るぞ」
ぴくっ
報酬はともかく家は魅力的だ。何度か他人の家の屋根裏で寝たことがあったが、あれは快適だった。雨の日は濡れない場所を見つけるのも大変だし、体温が下がった時のためにちゃんと眠れないことも多かった。
「家が手に入るの?」
「ああ、仕事に応じて場所は変わるがな」
場所なんてどうでもよかった。元々、どこで生まれたかもわからないような身の上だ。ものが食べれて眠れるだけでよかった。
「はなしはきくよ」
こうして俺はその男に連れられて王都の郊外に連れていかれた。そこには俺と同じぐらいの子供や少し大きい子もいた。みんなは訓練をしているようだった。そこに放り込まれると2年間は朝から晩まで戦闘訓練をさせられた。それ以外は睡眠だ。風呂なんてものは勝手に各自で取るものだ。中には異臭を放つ者もいたが、そういうやつは途中で消えていった。
「また、訓練だよ。飽きねえなぁ」
「そうだな」
周りの奴が何か話している。だが俺は加わらない。ここまでの経過で消えていく奴の大半はああやって私語をしている奴の方が多いからだ。別に放り出されても構わないが、屋根付きの物件を探すのは面倒だからな。食事の心配もいらないし、訓練位たいして文句はない。
「おい、ライン。来い」
唐突に男に呼ばれた。俺を連れてきて以来、男に出会った。
「久しぶり」
「…ほんとに使える奴だったみたいだな」
次に連れていかれたところでは同じように戦闘訓練をやらされた。だけど今度は子供に混ざって大人もいるし、実力もぐっと上がった。最初は負け続きだったけど、たまに勝てるようになる。そうしてどんどん強くなった。それとは別に気配の消し方や、音の出ない動き方、人にうまく混ざる方法などたくさんのことを教えられた。
俺はスラムとか孤児院にいたときでも、色々話をしていたからか、そういうのが後々どんなことにつながるのか見当はついていた。だけど、ここにいる奴の中にはそんなことすら分からないような奴もいた。そんなあるとき問題が起こった。
「俺は気配も音も消せる。実力だってここじゃもう十分だろ?」
男はここじゃあと言った。まだ上があるらしい、面倒だけどこんな生活ぐらいなんでもない。
「ほう?では、もう上がるに十分だというんだな?」
「当り前です!通算6連勝中ですよ、これ以上誰に勝てって言うんです?」
食ってかかっていたやつとは別の教官にも食い下がる。
「ならあいつと戦ってみて勝てたら上げてやろう」
別の教官は俺を連れてきた奴だ。あれからあいつはここにはたまに来ていた。しかしあいつの相手か…。訓練を見ていたけど腕はいいが、いたぶる趣味がつまらないんだよな。というか指名されてるの俺かよ…。
「ああ!?正気ですか?こんなガキで7連勝して上に上がるなんてな。悪いが手は抜かないぜ!」
じゃあよろしくという暇もなく襲ってきた。その短剣を擦れ擦れでかわす。もう少し余裕はあったが、簡単に勝つにはこれしかない。
「ははっ、ちょっとはやるようだな」
「よろしく…」
「生意気なガキだ!」
短剣が何度も振り下ろされる。だけど、明らかに訓練という意識があるのか肩や腕などしか狙ってこないから楽で助かる。殺しにかかるときと訓練の時でこいつは全く動きが違うんだよな。
「どうした?6連勝どまりか?」
「教官!勝てばいいですか?」
「当り前だ」
そりゃそうだろう。訓練内容から考えて暗殺だってするんだ。半端な実力の奴はいても邪魔になる。
「なら、遠慮はいらねえな。死ねっ!」
短剣の軌道が変わり今度は胸や頭に集中してくる。ぎりぎりでかわしながら次を待つ。
「ちょろちょろしやがって、これで終わりだ!」
俺が左右に動いたところで手を掴んできて心臓に短剣を突き出してくる。
グサッ
突き出した手めがけてナイフを刺して体を蹴飛ばして距離を取る。あいつは右手しかうまく使えないからこれ以上は何もできないだろう。
「いってぇ~」
「6連勝止まりだったな。お前はここで脱落だ。なに、簡単な仕事位は紹介してやろう」
「じょ、冗談じゃねえ!こいつに負けたのは偶然だ!こんなところの世話にならなくてもでっかくなってやるぜ!」
そう言ってそのまま出て行く。教官もあいつにはそれほど大きなことができないと思ったのか後も追わない。数年後に風の噂で聞いたところによると、依頼主の言葉も聞かずに人を殺し続けたそいつは、ある邸に侵入する任務で返り討ちにあったらしい。もっとも性格だけ似ている別人の可能性もあるが。
とにもかくにもこうして俺は実力が認められ、その後も研鑽を積み遂に13歳で王家の影として働くこととなった。それから1年余り、影といっても実力は様々だ。強いやつもいれば弱いやつもいる。俺のように偵察とかが得意なやつもいる。そんな中で俺は一人の女に出会った。王国中にその名をとどろかせる影の名家の出身、その時までそんなものはただの噂だと思っていた。
「今日から組むのはお前か?」
「そうです」
挨拶もそれだけ。任務は当時不正が横行していた各省でやりすぎた人物を消すこと。俺が偵察してそいつが潜り込むという手はずだった。俺が偵察から戻り内容を伝えようとすると、一緒に見たから知っているといって出て行った。数時間後には何事もなく帰ってきて任務は成功。護衛の時も賊など歯牙にもかけない腕だった。影に選ばれるからには総合力も大事だ。だが必ず、得意なことはある。それが俺たちの認識だった。
こいつらは違う―――。完全に目的を果たすために最適化された動き。少しずつ学ぶなんてもんじゃない。まだ俺よりも3つは下だろうという女に勝てる技能はないと思える。そうして俺はその女を目で追うようになった。その身のこなし、冷静さすべてが俺の知る限り最上だ。だけど、その女も表情を変えることがある。最近自分が仕えることになるというお嬢様の話だ。
「お嬢様は不遇な状況にあるけれどとてもお優しい」
「お嬢様はその才能に溺れることなく、自らの意思でより高みを目指されている」
「お嬢様の純真さは他の方にはない」
任務がない時に口を開けばお嬢様だ。とうとうこの前は影が離れているのは危険だと言い出して、部屋にもぐりこむことをし始めた。伯爵家は支出を抑えるために平民の使用人も多く、相手が戦闘訓練を積んでいないから出来ることだが、あれは危険すぎるだろう。任務の合間にそういう話をすると、とうとう学園のメイド科に行くと言い出した。
「まて、俺たちは影から見守るのが仕事だ。それに、学園にいる間はどうするんだ?」
「死ぬ気で守れライン。一年で必ず帰ってくる」
こうしてあいつは一年で首席を取って帰ってきた。とは言っても毎日授業が終わり次第、邸に帰って来ていたが。そしてその時を境にいろいろ俺にも頼みごとをするようになってきた。
「ああ、ライン。新しくショップ店員のバイトをするのでその間のお嬢様の警護をお願いします。曜日は私のメイドの仕事が休日の日です。ああ、2か月ぐらいですよ。後は御者に馬車の使い方を教えてもらうのでそれはこっちに書いてあります」
いや、別に構わないんだが一応、俺たちは影なんだが。俺も無理やり庭師として働かさせられることが決まったし。特に何もできないと言ったけど、適当でも教えてくれるから大丈夫と押し切られた。ただ納得いかないのは俺がアーニャより年下として紹介されたことだ。
「どうかした?」
「いや、最近お互い名前でも呼ぶようになったし、どうなんだろうと思ってな」
こいつと組む前はおいかお前ぐらいしか使わなかったが、今では名前呼びだ。
「ジーっと見てラインは変だな」
「そうか?」
最近はあいつを目で追うようになっていた。理由まではよくわからんが、あいつのお嬢様談義を聞くのも悪くないとさえ思っている自分がいる。そんな時お嬢様付きのリーナ様が料理人のライグと結婚することになったと聞いた。今まで邸のことには特に興味も特になかったがちょっとだけ覗いてみた。
「ライグさんってリーナ様といるときなんか違いますね」
「まあ、好きなやつと一緒だからな。だけど、お前もアーニャといるときは楽しそうだぞ?年も近いからどうだ?」
そうか…俺たちが知り合いだという事は誰にも言っていない。なのに素人にも気づかれるぐらいに俺はアーニャのことが好きだったのか。それからは少しずつ意識して話しかけるようになった。
「今日はどうだったんだ?」
「素晴らしいです。お嬢様の努力があればもう少しで不可能と言われていた薬も作れるでしょう」
「ほんとにうれしそうだな」
「あなたもそうでしょう。同じ方に仕えてるんだから」
「俺もうれしいはうれしいがお前が喜んでいる方がうれしいな」
「…はっ?な、なに言ってるのよ」
それからも事あるごとに話をして、自分の気持ちを伝える。最初は戸惑っている感じだったが、徐々に受け入れてくれているような感じだった。それが―――。
「さっきの情報どうする気?」
突然の隣国への逃亡。いや、以前から考えられることではあった。だけど何も今だなんて…。俺は王家の影。国の利益のことを考えればここは何としてでもこれを止めるところだ。アーニャにはかなわないとしても、彼女が出発した後で王家に報告するのだが…。
俺を育てたあいつも別に俺が欲しいんじゃない。ただ駒として期待しただけだ、今更国のために働いてどうだというんだ。俺は国から何を受け取ったか?金か?それは働きに対してだ。住処か?それだって仕事がうまく行っているからだ。俺は使われるためじゃなく、誰かのために生きたい。
「最後になるかもしれないんだな…」
この先に彼女たちにどんな道が待っているかも、俺がここに留まることで会えなくなる日が来るかもしれない。短い時間だったが、その日はお互いを感じる日となった。
「あれからもう10年も経つんだな…」
「どうしたの?」
「アーニャ。もうこっちの国に来て10年だなって思ってな」
「そうね。領地のことは任せっぱなしだけど大丈夫?」
「いくら侯爵家の護衛についてるからって、まさかこっちで爵位をお前がもらうなんてな」
「本当にね。リーナ様たちもびっくりしてたわ。だけど、これで夜会の場所でも護衛につけるし、ありがたいわ」
「ママ、早くサリア様のところに行こう?」
「あら、コーレン。準備は終わったの?」
「うん。バッグも着替えももう積んである!」
「う~ん。もう少し服には空きがあるわね。ここに一本入れてきなさい」
「はい、さすがママ!」
一番上の娘のコーレンが再び準備をしに部屋に戻る。まだ9歳だが、俺の子供の時よりはるかに上達が早い。本当に底の知れない嫁だ。
「コーレンねえちゃん遅い!」
その下のドーソンが準備を終えて、馬車に乗り込んでいる。今日は貴族として侯爵家に招かれた日なので普段とは違う装いだ。サリア様にすぐにでも会いたいがために、俺に準備を丸投げしたいい性格をした息子だ。
「もうちょっとだから…」
コーレンはサリア様より半年早く、ドーソンは半年遅く生まれた。あの頃はカノン様にアーニャは旦那さんと仲がいいのね。と言われたらしいが、ほんとはそんな理由ではないことを知っている。
「あの、そろそろカノン様とフィスト様も子供を考えると思うのよ」
「まあ、あれだけ仲も良いわけだし当然だろ?俺は邸に行けないから伝聞だけど」
「だから、私たちは先に作っておかないと!」
ん?なんだその飛躍の仕方は?俺は正直、欲しいと思ったことは何度もあったが、こいつ自身が守りがおろそかになるって嫌がると思ったんだが…。
「いい!カノン様の子供なのよ!絶対にかわいくて狙われるわ。先に一つ上の学年に一人を送って地盤を作ってから、次の子は同学年で見守るのよ!」
「あ、いや。それってカノン様たちの二人目以降の子供は…」
「そんなの教師にでもすればいいの。さあ!」
さあって、まあ子供がどういう道を歩むのかはそいつ自身の判断だろうしいいか。
こうして生まれたのがコーレンとドーソンだったが、案の定というか二人ともカノン様の子供にべったりである。コーレンはまだ同姓だからいいものの、ドーソンと来たら完全にナイト気取りだ。学園に行く時が怖いよ。
「そういえば、俺のことまだカノン様には話してないし、会わせてくれないのか?」
「カノン様は今の状態で幸せです。他の男性や人間が関わって欲しくありません」
「でも、俺は元々あの邸で働いてたわけだし、別に変わらないんじゃないのか?」
そういうとアーニャがじーっと俺を見つめてくる。こういう時の顔はかわいい、本人にはあまり言わないけど。
「…です」
「ん」
気のせいかこいつからありえないような言葉が聞こえた気がした。
「あなたが一緒に働いてると、どっちを守っていいかわからなくなるからダメです」
久し振りに真っ赤になったこいつを抱き寄せる。今日の休日はまだまだ長そうだ。




