Last story
夕食はここの料理人とライグの作った薬膳料理の合作だった。とてもおいしいはずだけど、あまり記憶に残っていない。でも、マナーについて怒られたことがないという事は、きっと問題なかったのだろう。部屋に戻ってもぼーっと私はしていた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと疲れちゃったみたい」
「そうですか。では、少し横になられてください。私は少し用事がありますので…」
アーニャが私を一人にするなんて珍しいなと思いながら、ぼんやりした頭で私は言われた通りに横になった。
「母上、昼間の話ですが…」
「どのことかしら?」
「婚約の話です。どこまで進んでいるのですか?」
「あなたの心次第ですぐに結べますよ。何せ、あそこは娘より若い後妻が入ったばかりで、気まずいでしょうし」
「断ることは?」
「はぁ~、全くはっきりしない息子ね!私は明日まで待つと言ったのよ!断れますか?伸ばせますか?なんてつまらないことをこの期に及んで言うなんてね」
ハッと母上に一笑に付される。
「母上…」
「いい?フィスト。彼女の功績、貢献は今後も考えれば公爵家だって、王家だって欲しいのよ。それを今は保護しているという事をみて黙っていただけているの。私たちは臣下であって王ではない。手放せと言われればうなずくことしかできません。それが貴族であり、領民を守るものの義務です」
「まあ、そう厳しく言わんでも…」
「では、あなたは才能と徳に恵まれた嫁と、同情の余地はあるもののひねくれた嫁とどちらがよろしいかしら?」
「それはそうだが、侯爵家の嫁にするにはあまりにも毒がなさすぎるだろう?」
「それは…」
「それは、フィストやあのメイドたちにやらせればよろしいのですわ。夫と一緒に国を捨ててきたメイドと貴族の身分も『影』の身分も捨てて身一つで来たメイドです。どれだけの家にあんな忠節溢れたメイドがいるでしょうか?」
「再び、そのような苦労を買って出るのか?」
「ええ、大丈夫です。あの子たちの基準はすべて『お嬢様に不利益・危険が生じるか』です」
「確かにジェシカを含めて彼女たちは信用できる。だけど、彼女は…カノンは俺のことを」
好きなのだろうか?好意はあると思うけれど、彼女に恋愛が分かるのだろうか?迷っている俺に父上から声がかけられるた。
「…カーラ。お前の判断は間違っている。こんな男にあの娘を嫁にやるというのか。レイバン侯爵の娘程度がお似合いの男だ」
「そうですわね。明日と言わず、これから返事を書きましょう」
「まっ、待ってください!」
「「なら言うの(か)?」」
「……言ってきます。これまでわがままを通して、すべて縁談は断ってきました。貴族として当主として最後に自分のわがままを通してきます。帰ってきたらレイバン家の娘との縁談を承諾します」
本音を言うとカノンとはもっと一緒にいたい。だけど、こんな俺では無理だろう。せめてもう少し時間があれば…。
「行ったか」
「行きましたねぇ」
「全く、文武に優れたと思ったら、肝心なところが並以下とは」
「でも、ようやく安心しました。それも、あんなにいい子が見つかって」
「しかし、あれでまだ振られる心配をしているとは今後、面倒ごとが起きなければいいがな」
「それはあの子が頑張ることですし、引退した私たちには関係ありませんわ、あなた」
「そうだなカーラ…」
コンコン
アーニャが出て行って、少しするとドアをたたく音がした。
「ど、どなたですか?」
「フィストだ。今いいだろうか?」
「か、かまいませんけれど」
私はストールをパッと羽織ってドアを開ける。アーニャもいないのでだらしない恰好かもしれないけど。
「誰もいないのか?」
「はい、アーニャはちょっと出かけていて…」
「そうか。ちょうどいい、昼間の話なんだが…」
「そ、それより座りませんか?」
私はもうすぐ会えないんだからという言葉を飲み込んでそういうのがやっとだった。
「ああ」
「それで、昼間の話とは?」
「俺の話だ。レイバン侯爵の娘との婚約の話だ」
そうだよね。今日ここに来る用件なんてそれ以外にないわよね。でもどうして来たんだろう?ひょっとして女の子が喜ぶ場所を知りたいのかな?私じゃ力に成れないだろうけど、上げてみよう。
「あ、あの場所ですよね。う、海を見ながらとか良いと思います。水平線?っていうんですか、私は見たことないですけどきれいだと思います。他には街の噴水前とかどうでしょうか?きっと、噴水が後ろにあったらキラキラしてきれいだと思います」
「カノン、一体何の話しだ?」
「えっ、そのお相手の方に告白する場所ですよね。やっぱりどこか変でした?」
「どうして会ったことのない奴とそんな話になるんだ?」
「でも、ジェシカが考えさせてくれって言うのは、告白する場所を決めるための時間稼ぎだって。それに親の持ってきた縁談なんて断れません」
ジェシカのいらない知識は後で問い詰めるとして、確かにカノンの環境を考えればこういう考えが普通なのか。いや、貴族として俺が異端なのかもな。
「じゃ、じゃあ、どうしてここに?まさか、それとは無関係に出ていった方がいいですか!?」
「ま、待て、落ち着けカノン。出ていくな、出ていかれたら困る」
「では?」
「す~、は~、いいかカノン。これからいう事を落ち着いて聞いてくれ」
「は、はい」
フィスト様が今まで見たことのない顔をされている。とっても真面目なお顔だ。
「カノン。俺はお前が好きだ。初めて会って、それから好きになっていった。きっとこれからもっと好きになるだろう。こんな俺でもよかったら、俺と結婚してくれないか?」
「フィスト様…す…きわたし」
え、え、え。フィスト様が私をなに?す…き?好き。好きって何だった?
『ねえ、カノン様。私はあなたのこと好きですわよ』
『ルラインツ子爵令嬢様。好きってどんな感じ?いつも言ってくれるけどよくわからないの』
『いつもレラで良いと言っておりますのに。好きというのは一緒にいたいという事です』
『じゃあ、レラ様ね。だけど名前で呼んでも、一緒にもういられないんだね。レラ様が私を好きでも…』
『そうですわね。国と国とのことですし…。ですが、カノン様にいつか愛する人ができたならきっとその人とはずっと一緒にいられますわ』
『愛する人とは一緒にいられるのね。ありがとうレラ様』
「いや!いやです!」
「カノン…」
やっぱりだめだったのか…。
「私はフィスト様といっしょがいいです。好きじゃ離れてっちゃいます。レラみたいに…」
カノンが泣き出してしまった。レラが誰かは分からないけれどとても仲が良かったのだろう。
「私は、私は…フィスト様を愛しています!どこかに行ってしまうなんていやです!!」
「愛…。ああ、俺も君を…カノンを愛しているよ」
「ほ、本当ですか!?どこにもいかないと約束できますか?」
「流石に任務でここを離れる時はある。だけど、それ以外はきっと君を離さないよ、カノン」
「だめ!」
「えっ?」
「任務の時も一緒に連れて行ってください!だめ…ですか?」
あまりに少女じみたことを言う彼女を見て気付く。これが、本来の抑圧されていないカノンなんだ。俺だけに見せてくれる顔…。
「絶対とは言えないが、頑張ってみるよ」
ぱあぁ
「フィスト様ならきっとできますよ!」
大輪の笑顔が俺を迎えてくれる。俺はこの花の為ならきっとどんなことにも負けないと思った。
「じゃあ、約束をしよう」
「約束?」
「俺が君を離さないという事と、俺と婚約するという約束」
「それだと、フィスト様が不公平です!」
「俺は構わないよ。君がいてくれたら」
「だめです!じゃあ、私のすべてを捧げます。それぐらいしないと釣り合いません」
「カノンは全く…。じゃあ、それでいいから目を瞑って顔をあげて…」
「こ、こうですか?」
チュ
今のは何だろう?さっきまでいろんなことを恥ずかしげもなく言っていたと思うのだけど。目を開けると目の前にはフィスト様の顔が…。ひょっとしてこれが―――。
「~~~~~…キ…ス?」
「そうだ。俺とカノンの約束だ」
唇を指でなぞってみる。少しだけしっとりとフィスト様の温度が感じられる。温かくてドキドキしてすごく不思議な感触。
「カ、カノン。まて、そんな顔をするな」
「えっ!」
急に声をかけられてびっくりする。
「全く、お前はただでさえかわいいんだから、そんな顔を絶対外でするな」
「分かりました?」
変な顔になってたのかな。どうしよう恥ずかしい…。
「改めて、カノン俺はお前を愛している。結婚してくれ…」
「…はい。私もフィスト様を愛しています。ずっと…」
それから私たちはいろんなことを話した。フィスト様が私を好きだと思ったのはいつだとか、私がフィスト様を好きだと思ったのは何時だったとか。でも、私がこの気持ちに気づいたのは今だけど。きっともっと前から好き、ううん…愛していたんだろう。
「お嬢様、起きてください。朝食に遅れますよ。大旦那様と大奥様に叱られますよ」
「えっ!もう朝っ!?」
「当り前ですよ。ほら」
シャッ
カーテンが開き、そこには朝日が昇っていた。
「い、急いで準備しなきゃ」
ばたばたと準備を終えて、席に着く。
「あらあら、朝は弱いのかしら?」
「えへへ、少しだけ…」
「んん!」
「ま、まあ、母上そのぐらいで」
「そういえばフィスト。昨日の話はどうなったかしら?」
「ああ、縁談でしたらお断りを。もう、別の婚約の準備をしておりますので」
そう言ってフィスト様が私にウィンクする。それだけで胸がぎゅーっとなる。だけど、もうちょっとだけ秘密にしたいからまだみんなには内緒だ。
「そうなの、残念ね。あなた」
「ああ。だが、自分で見つけてくれるならそれが一番だ」
「大旦那様、大奥様こちら本日のメインです」
「ほう?どうやって食すのだ?」
「こちらの調味料をかけるのですが、文や絵を描くこともできるとのことで」
「へえ~、お行儀が悪いけれど、家の中だけなら楽しそうね」
「お嬢様の分は私が文字でもお描きします」
「アーニャが!じゃあ、アーニャの顔を描いて!」
「私ですか?」
「うん。食べちゃうのはもったいないけど、アーニャの顔を描いてくれると嬉しいな」
「では…」
アーニャが自分の絵を出された料理に一生懸命描いている。だけど、伯爵家のメイドに噂を聞いたことがあったんだよね。
「アーニャ、どうしたのです?そんな線の塊みたいなものは?」
「私を描いたのですが?」
「アーニャ様、画家にだけは変装しないでくださいね」
「どういうことです、ジェシカ?」
「あっちはにぎやかだな」
「僭越ながら旦那様のは私めが」
そう言って横ではアルフレッドさんがフィスト様の料理に何かを描いている。残念ながら私のところからでは見えないけど。
「な、な、アルフレッド!これはどういうことだ!!」
ガタンと急に立ち上がるフィスト様。それに驚いてみんながフィスト様の料理を見る。私も見ようとしたけれど…。
「!」
パクッ
見られる前に一気にフィスト様が食べてしまった。
「アルフレッド!まさか貴様が…」
「何をおっしゃいます、旦那様。私のような老骨が1人でできるわけがないでしょう?」
「では誰だというのだ!はっ!?まさかアーニャが?」
「私はただのメイドです。それに指示がなくては動けませんわ」
「ひょっとしてグルーエルの奴か?今度問い詰めてやる!」
急にピリリとした雰囲気になったけれど、みんなはそれにも動じずに片付けていく。最後に私とフィスト様だけが残ったので、少しお耳を貸してほしいとお願いしてみた。
「なんだ?大きな声で話せないことでもあるのか?」
そして、私は一大決心してこう囁くのだった。
「これからは『フィスト』と呼び捨てで呼んでもいいですか、だんなさま…」
Fin




