おんがえし
心霊スポットに行ったら、帰り道で変な女に出会った。
ニヤニヤと大きな口を歪ませていた。『耳まで裂けた』という表現がぴったりなほど大きな口を。
身長は2m位。……なんだけど、胴体は1m。頭がやたらと大きかった。
LEDが使われていない古い街灯の下にそいつは立っていた。
軽く明滅する街灯に照らされてこちらを見ていた。
ここを通らないと家に帰れない。仕方なくそいつを見ないように歩みを進める。
近づくとそいつが何かを呟いている事がわかった。
『……か……しま……お……え』
ちらっと視線を少し動かす。口許はニヤニヤと歪ませたままだった。
更に近付く。
『おん……えし……おか』
口は動いてないのに声が聞こえてくる。何故だか感覚的にそいつが呟いているとわかった。
そいつの目の前を通り過ぎようとする。
途端に呟きが大きくなる。
『おんをおかえしします…おんをおかえしします…おんをおかえしします…おんをおかえしします…おんをおかえしします…おんをおかえしします』
一言毎に声音が違った。
掠れた男の声。機械音声の様な声。幼女の声。妖艶な女の声。野太い男の声。中性的な声。
叫び出したいのを必死に抑え、正面だけを向いてただ歩く事に意識を向ける。
通り過ぎて、しばらく歩く。
『おんをかえします!!』
声が聞こえなくなり少し気を緩めた所に、真横から大きな声がした。
身体が強張る。
と同時に、反射的に振り返ってしまう。
目が合った。
『見たね』
そう言ってそいつは歯をむき出しにして笑う。
『見たね見たね見たね見たね見たね見たね見たね』
笑いながら繰り返す。
何時間も続けた様に感じた。
実際には恐らく十数秒、長くても1分にも満たない時間。
そいつは笑いながら『見たね』と繰り返していたけれど、唐突に黙った。
『おんをおかえしします』
最後にそう言ってそいつは消えた。
訳が分からなかった。
ただひたすらにそいつが怖かった。
走って自宅まで帰った。
翌日からそいつを見るようになった。大学での講義の時、バイトの時、自宅に居る時。
どんな時にも、どんな場所でも、ふと気が付くとそいつは居た。
距離が遠い時もあれば、目の前にいたりもした。
いや、居るだけでは無い。近くにいる時は『おんをおかえしします』と言っているのが聞こえる。
数日間は耐えたが十日も過ぎる頃にはもう限界だった。
そいつを見えなくなるのなら、声が聞こえなくなるのなら自殺した方が良いのではないか
そんな事を考えるようになっていた。
登山用ロープを押入れから出したところで電話が鳴った。
無視しようかと思ったが、なんとなく出なくてはいけないという思いにかられる。
どうしようかとしばらく悩んでいたが、電話は鳴り止まない。
電話に出る。
相手は中学・高校の同級生だった。というか、仲のいい友人だった。
就活等の忙しさもあって、一年ぐらい連絡が取れていなかった相手に懐かしさを感じる。
『何か今困っている事とかある?相談乗るし、何だったら愚痴るだけでもいいけど』
挨拶もそこそこに友人が訊いてくる。
「別に無いよ」つっけんどんに返す。ホントは現状について話したかった。
けれども、『信じてくれなかったら』そう考えると何も言えなかった。
『明らかに声がおかしいし、何かあったのはわかるよ?中学の時助けて貰った恩をまだ返せてないし、愚痴るだけでも良いから言ってみ?』
友人が優しい声で言ってくる。
その優しい声音に支えられて、最近の事を話す。途中からは泣きながら。
話し終えると友人が『今からそっち行くから』と言って電話を切る。
三十分もしないうちに友人がやってきた。
そのまま友人に連れられ電車で一時間程の距離にある神社に連れてこられた。
途中ずっと手を握られてたのが心強かったが、電車内でも手を繋いだままだったので恥ずかしくもあったけれど。
友人に連れられて神社に着いたけれど、不思議な事にそこから先に進めなくなった。
境内に入ろうとすると動けなくなる。鳥居の先に進めない。
気持ちが悪い。足が動かない。帰りたくなる。
友人に先に入って貰い手を引いてもらっても、自然と身体が反発してしまう。後ろから押して貰っても駄目だった。
どうやっても先に進もうとしないので、友人が諦めたように
『今日は諦めて帰ろっか』と呟く
帰ろうと振り向こうとすると後ろから勢いよく何かがぶつかってきた。
その衝撃で鳥居の向こう側へと身体が転がり込む。
妙にスッキリとした気分に違和感を覚えつつも振り返ると、あいつが鳥居の向こう側にいた。悔しげにこっちを睨んでいる。
親友は居なくなってた。
後ろから、境内の方から親友の声が聴こえた気がした。
振り向くと巫女さんが居た。
『此方へ』と一言。
先導する巫女さんに従い社殿に入ると直ぐに神主さんが御祓を始める。
御祓を終えて、神主さんと話をする。
『貴方に憑いていたのは呪詛が凝り固まったモノです。アレは心を弱らせて死なせ、それを糧にして力を増していくのです。怨みを返すと書いて怨返し。別に誰かの怨みを貴方に返す存在ではありません。誰かの怨みを買っているかもしれないという感情を肥大させて弱らせていく存在です』
『心霊スポットに行ったことで、彼岸との距離が縮まった結果アレに目を付けられたのでしょう』
神主さんが続ける
『それにしても、貴方は運が良い。いえ、運が良いとは違いますね。因果応報という言葉を知っていますか?』
因果応報、確か仏教用語だったはず。
良い行いには良い結果が、悪い行いには悪い結果が返ってくるという事。
そう答えると神主さんが頷きながら話し始める。
『正に今回貴方が助かったのは因果応報なんですよ』
どういう事かと問うと
『昨夜、親友を助けてくださいと言ってきた方がいらっしゃいました』
ボクをここに連れてきた親友の事だろう。
親友には感謝しかない。
『神職になってそれなりに経ってますけど、親友を助けて欲しいなんて夢枕に立ってまで言われたのは初めての経験でした。良い友人をお持ちだったのですね』
『親友が大変な目にあっているから助けて欲しい。自分が本当に辛かったときに助けてくれたから今度は自分の番だ。そう言って頭を下げてました』
親友を想い涙を流す。
取り憑かれてよっぽど追い込まれていたのか、鳥居を越えるまで思い出せなかった。
ボクの親友は一年前に事故で亡くなっていた。
偶々、中学の時虐められてた彼女をボクが支えて助けた。それだって解決に尽力したとかじゃなくて、ただいつも挨拶して、会話していただけ。それだけだった。
だけど彼女はそれを恩に感じてくれていて、『いつか絶対恩返しするんだ』と言っていた。
嗚咽を漏らしながら親友を想う。
ここに来るまでずっと手を繋いでくれてた。あのとき親友の手は暖かかった。あの暖かさをボクは親友に与えてあげられていたのだろうか。
怨返しと恩返し。ボクにとって今回の事は生涯忘れることはできないのだろう。