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黒いもの

作者: 大熊 なこ

 私は昨日、風呂で変なものを見た。

 ソレは、恐ろしいものに違いないのだが、夢の中で出会ったようで出会ったことがないような、ずっと近くに居るけど、遠くにいるような、兎に角、私を襲いはしないだろうという謎の安心感がある、何だか不思議な物体であった。

 ソレは私が浴槽に浸かっている時に現れた。浴槽の中から、ゆらゆらぬらぬらと揺れながら、伸び縮みしながら。そうして、こう呟いた。

「お前はとっても醜いな。」

 私は自分に自信があった。というのも、メイクをすれば、顔はそれなりに可愛いし、彼氏も途切れたことは無い。私はソレを無視した。

「とても醜い。心も、身体も、顔面も。仮面を塗っているんだろ。」

 奴の声が脳内に響き渡る。

「お前は自分のことを鏡で見たことはあるかい?お前はね、自分の姿を見たことがあると勘違いをしているんだよ。誰しもが本当の自分なんか見たことは無いんだ。フィルターがかかっちまってるんだよ。気づかないうちに自分がかわいいと思う角度に顔が傾いてるんだよ。ほら、これ。」

 私は少し怖くなってきた。ぼんやりとしていた奴の姿が、輪郭が、はっきりしてきたのだ。

「自分は性格がいいと思ってるんだろ。人をバカにし見下すのが正義だと思ってるんだ。ボランティア精神とは聞いて呆れる。」

「やめてよ!」

 私がそういうと奴は消えていった。


  翌日も、また翌日も、つまり毎日奴は浴槽に現れて、私の悪口を言った。私はなんとかしたかった。けれど、誰にも相談する事が出来なかった。私が解決の糸口を見つけたのは、初めて奴を見てから、ちょうど1週間が経った時である。私は、駅前の道で、ホームレスのおじさんに声をかけられた。

「ねえちゃん、ねえちゃん、あんなー、これ、これ、スマフォの充電器。どこで売ってるかわかるー?」

 酔っ払ってる様子だった。『人をバカにし見下すのが正義だと思っているんだ。』奴の声が思い出された。逃げたいと思った。私が善を行うには、私の中の善の犠牲が伴ってしまう。無視するか、売り場まで案内するか。

「汚ねえな、こいつ。」

「あはは。近寄んないで欲しいよね。」

「あの子絡まれてるじゃん、かわいそー。」

 女子高生2人の会話が聞こえた。奴の声は一瞬で消え去った。その代わり、『可哀想』でも、『偽善』でもない、怒りと恥辱の感情が私を支配したのだ。ありえない、ふざけるな、はずかしい。それは、私の不安や恐怖をすべて無くしてしまった。変えなければならないと思った。まずは、自分を。

「おじちゃん、私、売り場知ってますよ。着いてきてください。」

私はなるべく大きな声でおじちゃんに返事をした。

「ああ、ありがとうなー。」

 おじちゃんは、話し相手ができて、心底嬉しそうに見えた。売り場を教えるまでの短い時間だったが、私はおじちゃんとの会話を楽しみ、自分の優しさに包まれた。感謝されれば嬉しい。それは、当たり前のことなのだ。


 その日も、黒いものは現れた。そしてこう言う。

「善ってのはな、やってる本人は嬉しいが、されてる奴からしたら屈辱なんだよ。プライドの粉砕行為とでも呼ぼうか。お前は今日、あのおっさんのプライド粉砕行為をしたんだ。」

 私は表情ひとつ変えず、ただソレを見た。ソレは少し苦しそうな顔をしていた。今にも負けそうで焦っている顔。私は追い打ちをかけるかのようにソレに聞いた。

「だから?偽善だから何?私が気持ちよければいいの。彼は私に助けてもらった。私は善を行っている自分のことが大好きになる。これの何がいけないの?無料のボランティアなんてないのよ。金じゃなくて、感情を買っているの。ただじゃないのよ。」

 奴はゆらゆらと消えていった。


それ以来私は奴の姿を見たことは無い。

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― 新着の感想 ―
[一言] ル=グウィンの名著「影との戦い」の個別ケースとお見受けしました。(*´▽`*) 作者さまの人間的成熟とともに、更に深みのある作品が描けるよう願っております。(*´ω`*)
[良い点] すべては利己主義、『自分のため』なんですよね。 それを意識してるかしてないかで大きく違うとは思うけど。 >気づかないうちに自分がかわいいと思う角度に顔が傾いてるんだよ 納得! 言えてる…
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