イシュド・バノン 後編
夜が明けたころ部下たちが戻ってきた。元気そうだ。だろうな、ベッドで寝たろうし、食事もしただろうしな。その気配でカル様が姿を現す。昨日あの少女とナニがあったのか知らないがこんな時でもこの人は嫌になるぐらい綺麗だ。悪魔に休息は不要らしい。
「二階の隣の部屋に湯船と薬湯を用意してくれ。あと、痛み止めと二日酔いの薬がいるかな。」
笑顔のカル様の迫力に見慣れているはずの我々でも一瞬見惚れる。敵に猛攻を加えたり、悪魔的な戦略を仕掛けるときの顔だ。隣が普通の部屋だとか、あの女は誰だとか、無駄口は一切きかずに指示されたことを実行するべく行動を開始する。部下の一人が薬をカル様に渡す。部隊で医者を務めている奴で、こいつもカル様の拾ってきた子だ。頭が良かったので医者として修業させここ2年程、親衛隊についている。渡した薬は解毒剤と痛み止め。あれは二日酔いには良く効く。
カル様が二階に戻ると全員がてきぱきと動き出す。この辺りも私の指導力の賜物だ。誰も褒めないから自分で褒めておく。どんなとんでもないことでもなんとかするのが使命だ。私は気の利く部下が買ってきた朝食を食べ少し元気が出た。
「男二名は確保済みです。人物については現在調査中。」
昨日の案内人が私にそう言う。詳細が全然わからないがとりあえず頷いておく。何がどうなっているのかカル様が説明することはないからこんな事には慣れているとはいえ今回はちょっと特殊だ。私は不吉な予感に身震いする。
「あの女はなんだ?」
私は探りを入れることにした。花嫁とか言ってたし場合によっては陛下にお知らせしなければならないかもしれない。
「ここ2年ほど探すようにと命じられていた令嬢で、元侯爵の娘のサリシュア・レイベルです。ここに住んでいることが判明しすぐに連絡を入れ、それから護衛と監視をしてました。」
「脱税で捕まったレイベル侯爵の娘か?」
「はい、父親が死んだときにも連絡が付かず、遺体の引き取りもなかったですし、親しい友人もいなかったので見つけるのに時間がかかりました。親しかったという乳兄弟を追ってようやくです。ちなみに乳兄弟が捕まえたうちの一名です。」
なんでそんな令嬢をさがしてた?とかあの薄汚れてた少女が貴族には見えないだろう。とか捕まえた男ってなに?とかいろいろあるけど聞いてもどうせ分からないだろう。悪魔の頭の中は人間には分からない。
レイベル侯爵。今はもうその名は無い。2年以上前にあちこちに賄賂を贈っていた元商人の男だった。賄賂は明らかにされずその金を作っていた脱税で罪に問われ獄中で死んだはずだ。当時はカル様の指示であっちこっちの戦場に行かされたり、敵国に忍び込まされたり、王宮で権謀術数に携わったりと忙しかったからはっきりとは覚えていないが、カル様がかかわるようなことではなかったはずだ。娘がいたことも今まで思い出さなかった。確か今年18歳ぐらいだったか、戦場に行くようになってどうも貴族の把握が甘くなっている。父親が捕まる前にレビュタントは済ませていたと思うが自信がない。
「娘は18歳か。レビュタントは済んでいるのか?」
「父親が逮捕される前にデビューしています。カル様やイシュド様は戦場でした。」
会ってたのに忘れていたわけじゃなかったらしい。ただ、花嫁と言っていた言葉が気にかかる。この街のそばの貴族を頭の中でリストアップする。そのうちの一件の伯爵家の名を告げ指示を出す。
「屋敷の離れか別邸と侍女を借りたいと頼んでおいてくれ。」
カルスバルト将軍の紋が入った短剣を渡しておく。これで大抵の無理は通るだろう。
二階からの気配に耳をすませ、先回りして気配を消しながら手を回す。水差しの下にカル様の指示。よく眠れると評判の薬を仕込んだ果実水を用意してシーツを変え部屋を整える。そのまま一階に戻ると確保したという男たちに会いに彼女が住んでいたという家に向かうことにした。先回りと情報収集は大切。
侯爵令嬢が隠れ住んでいた家にしては随分と小ぶりで質素な印象。中には数人の部下がいて、捕まえている男二人は二階にいると教えてくれる。尋問はどちらからにしようか悩んだが本命を後にすることにした。
「名前を。」
がっちりと後ろ手に縛られた縄を解き、猿轡を外すと私は端的に聞いた。
「コイルと名乗って商売をしている。」
男の様子にはごまかす意図はないようだ。ただのやり手の商売人という印象。ならば時間をかけるほどでもないと判断し端的にいくつか質問する。答えは明確に帰ってくる。いくつかの町で女を商品にしている女衒、この男はそれ以上でも以下でもないらしい。
「コイルさん、質問に答えてくれて感謝します。命の保証は出来かねますが、ここにとどまっていてください。」
「命の保証ないのかよ…」
しょうがない、相手はカル様だ。一応一度ぐらいはかばってやることにしよう。次は本命だ。
カーリス・マットと名乗った男には見覚えがあった。確か騎士団に所属していたはずだ。こいつがサリシュア・レイベル嬢の乳兄弟なのか?確か年はいくつか上のはずだ。
「サリはどこだ!俺は婚約者だ。あいつを売って何が悪い。」
縛られて捕らえられ質問されている立場でこんなことを言えるとはずいぶんと頭の悪い男らしい。
「婚約者ですか。彼女は仮にもレビュタントをすませた貴族の娘です。婚約者というからにはちゃんと書類は整っているんでしょうね。」
「書類なんて必要ないだろう!サリはその気でいたんだ!」
「書類がなければ婚約者とは言えません。仮に婚約者だとしても娼館に売っていいわけではないですよ。」
「サリを連れてこい!あいつなら俺の為にはどんなことでもするはずだ!」
階段を上ってくる気配にこの馬鹿は気が付かないのだろうか。仮にも騎士団にいたはずだしカル様は気配を消していないのに情けない。ドアを開けたカル様はカーリスに近づくとあっさり縄を解いた。怖い笑顔かと思ったら意外なことに無表情。何か気に入らないらしい。
「ここでは汚れますから…」
私の言葉も情けない。でもその位しか言えることはない。カーリスがカル様の顔を見てぽかんと口を開けた。さすがに王族の顔は覚えているらしい。カル様はその口の中に剣先を突っ込んでいる。抜くのも見えなかった。この人の剣技は底が知れない。
「彼女の名を呼んだら舌を切る。」
その声に含まれているものにさすがのバカも気づいたらしく頷くのが見えた。カル様が剣を引きほっとしたのも束の間、パキという軽い音とカーリスの悲鳴が聞こえた。いつの間にかカル様の手に彼の左手が握られている。指があらぬ方向に向いていて骨が折れたことがわかる。このために縄を解いたのかと納得した。
「サリと呼んだのは3回だったよね。」
軽やかな声と二回の悲鳴。これだけで済めばいいけど名前を呼んだだけでこれだ、売ろうとしたことの始末はどうなるだろう。
「カル様、血が出るようなことは外か地下でお願いします。レイベル嬢の家を汚すわけにはいかないので。」
私の言葉にそばにいた新人の部下がぞっとした顔をする。こんなふうにカル様を諫めるから血が凍っている側近などと不名誉な名で呼ばれる。不本意だ。
「血を流すようなことしないよ。彼女の家を僕が汚すわけがないだろう。」
くすくすと笑いながらのカル様はどっから見ても善良そうだ。その笑顔のままカーリスの右手を持ち上げる。彼の目が恐怖に震える。私は彼の口に猿轡していた布を突っ込んだ。痛いときに噛みしめるものがあったほうがとの配慮なのに彼の目にはカル様と同じように見えるらしい。人の親切心が分からない奴だ。一瞬の躊躇もなく親指が折れた音がする。さっきは折れて終わりだったのに今回は逆方向にもう一度曲げる。
「左は単純骨折だからおとなしく直せば元通りだよ。右の親指だけは使えなくしておくね。これが彼女を売った罰だよ。元騎士見習いとしては残念だけどもう剣は持てないよ。」
カル様の声は甘く響いたようでこんな時なのにカーリスはカル様の顔に見とれている。いや、あまりの衝撃に呆けているのかもしれない。そのまま極上の笑顔を見せ器用に外した自分のピアスを躊躇なく彼に着けた。バカの耳からは血が一筋だけ流れたが私が口から布を外して拭いてやる。自分のピアスを渡すなんて確実に面倒がこっちに来る。
「僕のピアスを君にあげよう。これには王家の僕の紋が刻まれているんだ。これを付けていれば君はずっと監視対象になる。ずっとだよ。王家の陰の者はどこにでもいるからね。もし、外せば君は不敬罪で捕らえられる。そこで、約束だ。王都には近づかない。彼女の名を呼ばない。約束できるね。」
カーリスは恐怖なのか何なのか涙を流して頷いている。正直言えばカル様が何でここまでするのか分からないけどしょうがない。一応応急処置をするように指示しておこう。
カル様の興味はもうここには無いらしくあっさりと出ていき階段を下りる。ついてこいと指を振られたのでため息を押し殺し後に続く。
「監視でしたら言っていただければ対応しました。ピアスあれを渡す意味は何ですか。」
「何か月持つかなぁ。価値ある宝飾を付けた剣を持てない男が金目当てに襲われるか、僕を恨んでいる奴に殺されるか、僕とのつながりをしゃべらすため捕まって酷い目に合うか。どれだと思う?」
素晴らしい性格をしている。
「嫌がらせの為に送るには少々値が張ります。」
「別にいいじゃん、あんなの。」
国王陛下から賜った第二王子の証があんなの呼ばわり。まあ、新しいのを作らせれば陛下も文句は言うまい、泣き言は言われる気がするが仕方ない。
「それより、結婚式だ。」
やっぱりそうきたか。
「きちんと準備するには二年はかかります。急げば一年で何とかなるかもしれません。」
王位継承権を持つ王子で現役の将軍なのだから当然の時間だ。王太子殿下の時は5年ほど前から準備が行われていた。婚約してからは10年以上かかっているはずだ。
「えー、ここから王都まで馬車でゆっくり行って四日でしょ。それで何とかならない?」
「ドレスも宝飾品も花もなしで、適当な教会で宣誓を行うだけなら何とでもなります。陛下の許可も何とかしますがそれでよいのですか?レイベル嬢は承諾しているのですか?」
「承諾も何もまだ、何も言ってないからね。僕が誰なのかも知らないし、僕が彼女の正体を知っていることにも気が付いてないよ。彼女は僕に洗濯婦のシュアと名乗ってるんだ。」
ご機嫌にクスクス笑いながら話す。
「どこまでも追い詰めて、追い込んで最後に全部ばらしたらどんな顔するかな。怒るか、笑うか、呆けるか。もしかしたら…」
「結婚式をしたいなら、さっさと口説き落としてください。近くの伯爵に場所と人手をを借ります。馬車ももうすぐ用意できますし、必要なものは用意させます。」
カル様はあきれたような顔で私を見ます。
「お前は情緒がないね。本当に血が通ってるの?」
酷い。
馬車が用意できるとカル様はまだ眠っていたレイベル嬢を抱えて乗り込んだ。目が覚めれば見たことのない場所で絶世の美男子に口説かれ結婚を承諾するだろう。その間に私はこの街での後始末を終え、王都に向け馬を走らせた。行きたくないが行かなければ呼び出される。カル様からの手紙は一足先についているはずだしどっちにしろ一度は行かなければならないなら早いほうがいい。私は面倒な仕事を早く終わらせようと馬を走らせた。
「陛下がお待ちですのでそのままどうぞ。」
王城の入り口で衛兵にそういわれた。私はとりあえず埃を落として謁見を申し出るつもりだったのにその暇もないらしい。私は一つ頷いて速足で陛下の元へと向かった。
「カルスバルトは何を考えているんだ。」
私の姿を見るなり陛下は震える声で聞いた。国王が見せていい姿じゃないがカル様に関わるとたまにこうなる。
「手紙が届いているはずでは?」
陛下が一枚の紙を私に差し出す。
『全てイシュドの言うとおりに。さもなくば、私は挙兵し王を倒します。』
私は深いため息をつき、頭を抱えた。そりゃ涙声にもなると納得した。手紙の隅には小さな文字で追伸がある。
『私より先に彼女に触れた罰だよ。』
ここまでの疲れもあって私は思わず膝をついた。もう疲れた。
私は大急ぎでで結婚の許可を整えた。サリシュア・レイベル嬢は貴族としてのデビューをすませていたし父親は罪が確定する前に牢死していたから彼女の貴族としての身分がそのまま残っていた。幸運だった。身分としては何の問題もなかったし、王族の婚約期間として三年を過ごしたという書類もできた。三年前から愛し合い婚約したがレイベル侯爵だった父の罪のためサリシュア嬢は泣く泣く身を引き、あきらめきれなかったカルスバルト将軍閣下が探し当て改めて求婚し結ばれた。父であったレイベル侯爵の罪もカルスバルト将軍閣下に横恋慕した令嬢が父親と共謀し無実の罪を押し付けたことにした。レイベル侯爵家の名誉は回復し国あずかりになっていた家督は婚姻と共に返され、陞爵しレイベル公爵となり新たな領地も賜ることになる。ここま五日で整えた。ほとんど寝る暇がなかったし、食事も戦場でもないのに干し肉だったりした。後はこの話が広まればカル様の婚姻は無事に済むはず。私の役目は一応済んだだろうと安心したころに部下の一人がカル様の伝言を持ってきた。
『すぐ来い。』
私は再び馬上の人となった。
「初めまして、私はカル様の側近でイシュドと申します。」
あの時眠ったまま馬車に乗せられた姿を見てから三週間、借りた伯爵の別邸を経由し王族が持つこの離宮で久しぶりに見たあの時の女は随分と身ぎれいになっていた。着せられていたドレスのさばき方や、私に対する礼も完璧な姿で元々貴族であることを感じさせた。
「シュアは何も気にしないでいいんだよ。この男は結構役に立つから何でも言っていいからね。」
カル様はレイベル嬢に極上の笑顔を見せる。何をどう説明して説得したのか知らないがレイベル嬢はカル様の求婚を受け入れ、これから王都に向かいそのまま結婚する。私が書類を整え、教会を押さえ、花やドレスや宝飾品も準備した。両陛下や王太子の予定を変えさせるのは大変で私はまた大臣たちからの恨みを買うことになった。恨むならカル様を恨んでほしい。
私たちは三人で馬車に乗り込んだ。ここから王都までは近く、昼前には王都に着きそのまままっすぐ王城へと向かえば夕方に行われる予定の結婚式まで十分な時間があるだろう。私はとりあえずほっと息をついた。目の前ではこの三週間人をこき使いながらもほとんどレイベル嬢と過ごしていたカル様が彼女の隣に座り髪を一房手に取りもてあそんでいる。レイベル嬢はちょっと困ったように顔をしかめている。
「この度は、ご迷惑をおかけしてすいません。」
レイベル嬢が私に丁寧に頭を下げる。私の頭に疑問符が浮かぶ。迷惑をかけたのはカル様だし彼女は何を言っているのだろう。カル様を見るとクスクスと楽しそうに笑っている、嫌な予感がする。
「いえ、カルスバルト閣下の側近として当然のことをしただけです。」
「カルスバルト閣下?」
レイベル嬢がそう言ってぽかんと口を開けた。
「ええ、そこにいらっしゃるのが第二王子で現在我が国の将軍を務めているカルスバルト閣下です。」
彼女の口は開いたままだ。
「ご存じなかったのですね………じゃあ、結婚の話は?」
書類にサインはしてあったが本人じゃなくカル様が書いた可能性もある。この人は人の筆跡など簡単にまねをする。
「プロポーズは受けました。だって、私の所為で長年この国の為にかけていた不犯の戒律を破ってしまわれたと…」
「ハァ?」
思わず大声が出た。誰の話をしている?カル様を見ると綺麗な顔でクスクス笑っている。
「嘘をついてごめんねシュア。でも、どうしても君が欲しかったんだ。許してくれるよね。」
髪に口付けをし、その頬に柔らかく指を添えながら言うとレイベル嬢は少しの間固まり、それから小さく頷いた。良かった、これで計画変更しなくて済む。どうでもいいからさっさと結婚式をしてしまおう。私は呆けている彼女を休ませることにした。私はカル様に向かって話すことにした。
「今日の結婚式のスケジュールですが、」
「結婚式って今日なの?!」
彼女が休む暇はないらしい。
「そうだよ、シュア。僕はもう待てない。」
「でも、私、その…」
「君が誰かは僕は知ってるよ。ずっと君を探していたんだからね。」
カル様はそう言うと隣に座る彼女を抱きしめた。今まで本当の事を言ってないってことはあのサインは偽装か。今日の結婚式でサインしてもらえば問題はない。カル様の偽装なら見破れることはないだろう。彼女はぐったりと席に体を預けている。逃げ出す心配はなさそうだし後は何とかなるだろう。馬車の外の音が騒がしくなってきて王都に着いたらしいとわかる。カル様が外に合図を送りドアを開けると気軽に馬に飛び移った。
「イシュド、彼女を頼んだ。触ったら手を切り落とすぞ。」
馬車の窓から見るカル様は息をのむほどの美しさだった。
「みんな聞いてくれ!」
カル様の声が王都の町中に広がっていく。何人もの警備兵に囲まれたこの馬車から美しい青年が飛び出したのだから注目を浴びないわけがない。
「私は第二王子にして軍を預かるカルスバルトだ。」
民衆のざわめきが聞こえる。常勝将軍として人気のある人だし、こんな時はあの容姿も役に立つ。
「私は愛する人を伴ってここに帰ってきた。今日その人は私の花嫁となる。皆もどうか私たちを祝福してくれ。」
あちこちから祝福の声と拍手が聞こえてきた。これでもう彼女は逃げられないだろう。
「……私、ただ、自分の処女だいじなものを娼婦になる前にどこかに捨てたかったんです。どうせ捨てるなら、汚いどぶ川に捨てようと思って……どうしてこうなったんでしょうか……」
目の前の顔色の悪い女性はそう言ってぐったりしている。気持ちはわからなくないがカル様に関わった以上しょうがない。あきらめて結婚してもらいましょう。
「まぁ、貴方は自分の人生だいじなものをカル様に捧げたと思ってください。」
私は彼女にそういった。貴方はちゃんと人生だいじなものをどぶ川に捨てましたよ。まぁ、その川はちょっとだけ谷が深くって、地獄まで続いていただけです。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
僕は教会でようやく捕まえた君を待っていた。幸せな時間だ。初めて会ったとき、君はまだ幼い少女だった。あどけない顔で愛されて幸せそうにしていた。だから、泣かせてみたくなった。あっさり泣き出すだろうと思ってかけた言葉に帰ってきたのは幼い顔が浮かべるには似合わない冷笑だった。
「涙なんてあくびした時と砂埃が入った時に出ればいいのよ」
あの時きっと僕は恋に落ちた。泣かない女の子は一体いつ泣くのか楽しみでしょうがなかった。僕が知っている限り君は泣かなかった。使用人にぶたれても、食事に砂をかけられても、家族が死んでも。
僕の両親は僕の言葉にあっさり泣き出す。兄などは後ろから名前を呼ぶだけでポロポロと涙をこぼす。つまらない。でもきっと君の涙は極上だろう。願わくば僕のそばでその涙を流してほしい。
僕は君の手を取り神の前に進む。そっと耳元に顔を寄せ君だけに囁く。
「サリシュア、あの日受け取らなかった君のだ・い・じ・な・も・の・今日僕にくれるかな?」
君の目が大きくなる。ああ、僕は幸せだ。
これで完結です。ありがとうございました。