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サリシュア・レイベル 後編


 どこかで空気が流れる気配がして私は目を覚ました。途端に頭の中で小鬼たちがパレードを始めた気がして開けようとした目をぎゅっとつむった。隣にはさっきまで人がいた気配とぬくもりが残っている。


 ここってどこだっけ?家なら隣に気配があるのはおかしいし感触がいつもと違う。そこまで思って昨日の事を思い出した。

「うわぁ!!」

 思わず声を出して自分の声が頭に響いてうめく。それでもなんとか目は開ける。見覚えのない部屋、たぶん上等とは言えない宿屋かなんか。光が目に入ると頭の中の鐘の音が大きくなるような気がしてまた目を閉じる。


 私、やったの?全然覚えてない。庶民暮らしで蓄えた知識を総動員する。まずは痛みがあるはず。一番痛いのは頭だけど体を動かそうとするとあちこちがバキバキと音を立てそうなほど痛い。特にお尻。何となくどこかの階段を尻もちをついて滑り落ちた記憶が甦ってくる。この痛みはどっち?出血を確かめるために覚悟を決めて目を開けると一瞬、頭痛を忘れた。こんな場所には不釣り合いな真っ白いシーツにあちこちに飛び散る赤い出血の後、そして、傷だらけの私の腕と脚。目に入ったとたんにピリピリと痛みを訴えてくる。この血って何?シーツをめくれば丸裸な体、あちらこちらに痣、そして傷。私の処女だいじなもの喪失なげすてはうまくいったんでしょうか?


 頭の中で小さい虫かなんかがぶんぶん音を立ててる気がするけど、私は何とか考えをまとめようと昨日の事を思い出す。家の近所じゃ飲み屋もないし、目当ての男は見つからないだろうと歓楽街のほうへふらふら歩いて行ったのは覚えている。この辺で一回か二回転んで靴が片方無くなったはず。片方だけじゃ歩きにくいから脱いで歓楽街の入り口辺りででっぷりした爺さんに声をかけて逃げられた、とおもう。そのあとも何人かに声をかけたのに乗ってくる人はいなくてどんどん奥に入っていって――この辺で階段から落ちた気がする。あの辺りは傾斜地で階段や坂がやたら多い、いい感じのネズミに似た小男が話に乗ってきたのに、固めの酒だと言ってラッパ飲みしてた瓶を差し出したらなぜか慌てて走って行って見失った。もっと奥に行こうとしたら目の前の場末の娼館から男がつまみ出されていた。慌ててズボンをはきかけてた男は薄汚れててブヨブヨしてて油っぽい頭髪は薄くなってた。最高に最低などぶ川だと思って声をかけた気がするけど・・・この辺で記憶が無くなってる。というか頭が痛くてそれどことじゃない。


「ううううううっ」


 私はうめき声をあげて頭を抱えた。頭は痛いし、体はバキバキだし、傷はピリピリ痛む。もう一回うめき声をあげると、控えめな音と共にドアが開いた。私はどんな男が相手だったのかと目をやって口を開けたまま固まった。そこには天使みたいなキラキラした人が立っていた。


 サラサラとしたまっすぐな金髪は少し長く、深い森の中の透明度の高い湖沼のような青にも碧にも見える瞳にかかっている。白い肌は少しだけ光っているようにも見え、整った顔立ちは教会の宗教画ぐらいしか目にしたことのない美しさだった。女性的に見えるふっくらとした赤い唇がふっわっと動き白い歯を見せて笑顔を作るとあまりの人離れした眩さに気が遠くなった。


「お目覚めですか、僕の愛しい人。」


 キラキラした人は声までキラキラしている。っていうか、ぼくの?愛しい人?どぶ川に捨てるつもりの私の純潔だいじなものってこのキラキラした妖精の住む泉に捧げちゃったの?


 気を失わずに済んだのはあちこちの痛みのおかげ。でも、あまりのキラキラっぷりに目を開ける勇気が出ない。見たら気絶しそう。コツコツと足跡まで軽やかに近づいてきた人がそっとベッドに屈みこんでくると爽やかな森と風の香りがした。キラキラは香りもキラキラらしい。


「薬を持ってきたよ。一人で飲めるかい?それとも、口移しで飲ませたほうが・・・」


「飲めます!!」


 私は目を開けると差し出されていた小瓶を奪うように受け取り一気にあおった。ピリッとした刺激と清涼感そして苦み。急に頭を動かしたせいで頭の中の特大の鐘が鳴らされた気がして、ぎゅっと目をつぶる。


「そんなに慌てなくても大丈夫だよ。」


 キラキラがくすくすと笑いを含めたキラキラした声で耳元でささやく。キラキラは隣に座るとそのまま素肌の肩を抱き、頬に唇を寄せる。私はさっき見たキラキラの柔らかそうな唇とか、意外なほど大きくて長い指をしていた男性的な手とか、素肌にシャツを羽織っただけの上半身の細身で筋肉質の様子とかを思い出して本格的に気が遠くなった。


 ボーとしてたのはそんなに長い時間じゃないと思う。私はすぐに変化に気が付いた。頭が痛くない。体の痛みもずいぶん楽になっている。


「あの、先ほどの薬ありがとうございます。楽になりました。」


 とりあえずお礼は言っておく。気合を入れて目を開けると思ったより近い位置に顔があり、キラキラで目がつぶれそうになる。


「お礼なんていらないよ、僕の天使さん。ただの痛み止めと解毒剤だよ。こんなもので君がお礼を言ってくれるなんて作ってくれた人には宝石の一つでも送らないとね。」


 ちょっと笑いを含んだキラキラした声でそういいながらキラキラの手は私の髪をなで、耳に触れと忙しく動く。気絶しかけたがそんなことしてる場合じゃない。とりあえず、やったか、やってないかを確認して、着替えて家に戻って覚悟を決めて娼婦にならなきゃいけない。


「あの、昨日の事あんまり覚えてないんですけど・・・」


「カルだよ。昨日はあんなに情熱的に何度も呼んでくれたのに・・・」


 キラキラのかたちの良い眉が顰められる。その破壊力に思わずうめき声が漏れそうになる。よし、やった、やったことにする。これ以上こんな近くでこんな顔を見せられたら体に悪い。


「そうですか、お世話になりました。そろそろ帰るので」


「どうして?」


 耳元に近い場所で切なげに吐息とともに囁かれると、頭の中が一瞬で沸騰する。


「昨日、言った気がするんですけど・・・」


 何のことというように首をかしげる姿は絵のようで目を離せなくなる。処女だいじなものを投げ捨てるどぶ川を探してるときに誰彼構わず『明日から娼婦になるので私の純潔貰ってください』って言ってた気がするんだけど、もしかして彼には言ってない?ほんとに覚えてない。――お酒はほどほどにしよう。こんな時はどうすればいいんでしょうか?もう一回説明しなおす?無視して帰る?私はキラキラしている人の腕の中で固まっていた。何かがおかしい気がする。一体何が起こってのでしょうか。私はただ処女だいじなものをどぶ川に捨てたかっただけなのに。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 腕の中の少女が戸惑っているのが手に取るようにわかる。いい調子だと思う。戸惑いは不安になり、不安があればつけ入る隙が大きくなる。もう手放すつもりはないけど混乱しながらも頬を赤く染める様子が面白くて彼女の髪を梳く指を止められずにいる。サリシュア・レイベル侯爵令嬢、やっと見つけた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 どうしてこうなったのかわからないままに私は湯船に浸かっている。あの後戸惑う私をシーツでくるんと包み、横抱きにすると隣の部屋に連れて行った。そこには不自然な湯船が用意されていて中には濁ったお湯が満たされていた。


「薬湯だよ。お姫様。傷にも打ち身にもよく効く。」


 キラキラさん――カルと呼ぶべきかしら?は私を丁寧に湯船のふちに座らせると後ろを向いたまま、部屋にあったベッド――変なことに普通の部屋の中に湯船が置いてあり、大きなたらいにも透明なお湯が満たされていた。に向かった。私は彼の目が向こうを向いていることを確認し、シーツを脱いで湯船に浸かる。お湯は適温、傷に染みそうと思ったけどそんな事も無く思わず大きく息をついた。カルと名乗ったキラキラさんを見るとこちらに背を向けてお行儀よく座っている。さっきの勢いだと恥ずかしげもなく近寄ってきそうなのにと思ってよく見ると耳が赤い。よく見えないが頬も赤い気がする。


 えっーーーーもしかして照れてる?いや、でも・・・そんなはずない?・・・なんか申し訳ない気がする。


「聞きたいことがあるんだけど・・・」


「ハイ、何でも聞いてください!」


 彼の思いげけない小さな声に私は不思議と申し訳なく思ってなんでも答えた。この街で使っているシュアと名乗り、洗濯女として生計を立てていることも、昨日何があったかもついには自宅の場所までしゃべってしまった。今まで婚約者だと思ってたカーリスにしか教えていなかったのに。私、どうした?まぁ、今日売られてしまえばもう住まないからってのもあった気がする。元の身分や本名は名乗らなかっただけ偉いと思う。それ程カルさんの質問は的確で、しかも悲しげな声で聴かれるとついつい喋ってた。


 だんだんお湯がぬるくなってきたので上がることにする。カルさんが向こうを向いているのをもう一度確認して立ち上がり用意してあった新しいシーツで自分の身を包む。服が見当たらないのでとりあえずこれでいい。私の様子に気が付いたカルさんがそばに来てまた横抱きにしてくれる。細くて華奢に見えるのに意外なほど力強い。思わず照れて赤くなる。


 ベッドに戻るといつの間にかシーツが新しくなっていた。上等とは言えない宿屋と思っていたけど意外と高級宿なのかもしれない。その上にそっと横たえられる。いや、もう元気になってきたし帰らなきゃ。と思ってみてもカルさんがコップに入った水を差しだしてくるとつい受け取ってしまう。小首をかしげてこっちを見るのは反則だと思う。


「もうそろそろ行かないと。時間が・・・」


「まだ、大丈夫だよ。お昼には間がある。まだ朝だからね。」


 その言葉に私は安心して水を飲んだ。果実のエキスが入っているらしく甘酸っぱくておいしい。


「シュアは娼婦になりたいの?」


「そんなわけないですよ。ただ、生きていくためにはそうするだけです。」


「シュアが望むなら僕が娼館を建てて唯一の客になるよ。どこがいいかな…湖の綺麗な南の都市かな海のそばも悪くないかも…」


 カルさんは有名な保養地を上げて勧めてくる。実に綺麗な人だ。


「それとも洗濯婦をつづけたい?」


「洗濯するのは好きですよ。雨続きだと仕事がなくて大変ですけどね。」


「大変な思いはしなくていいよ。シュアには毎日僕のハンカチを一枚だけ洗濯してほしいな。毎日君がその指で洗ったものを持てるなんて、僕はきっと幸せだね。」


 カルさんは笑いを含んだ声でそう言って私の隣に座り目を覗き込んだ。途端に真剣な眼差しで射抜かれて思わず唾を飲み込んだ。


「ななななんですか?」


 ちょっとびっくりして声が裏返った。美しさはこの距離では凶器になる。心臓がバクバクしてるし胃がひっくり返っている気がする。


「シュアを裏切った婚約者はどうすればいい?シュアを買おうとした女衒は?二人まとめて首を切り落とし城門に飾っておく?」


 綺麗で一点の曇りもない瞳で物騒なことを言い出した。それでもその声はあくまでも甘く、キラキラしていた。私は少しだけ目を閉じると首を大きく横に振った。


「女衒のおやじは悪い人じゃないですよ。それにカーリスは・・・」


 彼の名を呼ぶとき少しだけ心が痛んで少しだけ声が掠れた。カルさんの周りの空気が凍った気がしたけど気のせいのようですぐにキラキラし始めた。


「彼の事も怒ってないです。私が今まで生きてこれたのは彼のおかげもあると思います。」


 カーリスが変わっていっていることに私は気が付いていた。騎士団に入るのに必要だった推薦者はきっと父だったろう。推薦者が犯罪人となりきっと騎士団を追い出されたのだろうと予測していた。だから私はここに来たばかりの時彼に言われるままに家財道具をお金に換えて彼に送っていた。必要とされていることそれだけがあの時期私が死なない理由だった。


「だから、カーリスが望むなら娼婦に売られるのはいいかなって思って。ただ、処女だいじなものだけは私の自由にしてもいいかなって思って・・・彼じゃなければ・・・いっそ自分の手で汚いどぶ川にでも捨てたくなって・・・」


 目と閉じたままそんなことを話すとなんだか急に眠くなってきた。


「今回悩んで考えて娼婦になる決意をして分かったんです。私は多分何にだってなれるんです。洗濯婦でも娼婦でも、きっと盗賊や商人だってなれると思います。やろうと決心さえすれば。」


 半分眠りの世界に足を踏み入れながら私はゆるゆるとそんな話をつづけた。柔らかく髪を梳いてくれるカルさんの指が気持ちよくて優しくて、私は思わずリラックスして微笑んでいた。


「なんにでもなれるのか・・・たとえ女性騎士でも?」


「試験があるのは難しいかな・・・でも戦う決心さえつけば兵士にはなれるかな・・・」


 私はいつの間にかカルさんに体を預けるように寄りかかっていた。彼のちょっと高めの体温が気持ちいい。


「たとえ王妃でも?」


「うん、王妃でも」


 私は多分そう答えた気がした。そのとたんにカルさんが私を抱きしめた気がしたけど私は眠くってそれどころじゃなかった。カルさんの傍らで私は深い眠りに落ちて行った。起きたときどうなっているのか考えもせずに。



楽しんでいただけたら嬉しいです。

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