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砂漠の薔薇と蛍石

作者: 堂那灼風

久しぶりに書きたくなってお題を募集しました。ごった煮です。

 もう五年は前になろうか。ローズとフローラのやり取りは数年に及んでいた。ありふれた出会いとしてふたりはゲーム内で偶然に知り合い、共通の趣味から親しくなった。互いのIDを見てふたりにはすぐそれと知れた。

 知らない者が見ればいかにもふたりは花が好きな人格である。しかし違った。ローズとはデザートローズ、フローラとはフローライトから来たニックネームだった。すなわち砂漠の薔薇と蛍石である。IDの意味などいちいち詮索しない……が、見る人が見ればわかるというものでもある。だからふたりはそれとなく相手の嗜好を察し、遠からずその話題を共有した。

 わざわざシステム上のメールを使い続けたのはなにも隔意からではない。フローラのほうがLINEやDiscordといった通信手段を持たなかったためだ。思いついて年賀状を送り合ったこともあったが、こと普段の連絡に関してはゲーム内で完結していたのだった。そもそも生活が交わることのないふたりだからそれで事足りたのだ。そういう理由で個人的な連絡手段のなかったふたりはワンタッチで通話するツールも持たず、ログインしなければ通知も来ないゲーム内メッセージを送り合った。

 それが急に途絶えてから、およそ五年。

 離婚から独居を始めた一軒家。ある日ローズは白い封筒を受け取った。今時珍しい手書きの封書である。差出人は「伊東蛍」……間違えようもない。五年越しの再会をローズは瞬時に確信した。

 文面はシンプル、無沙汰の侘びと一度会えないかという誘いだった。今更という思いもよぎったが、それでもかつての友人だ。元気でいたなら会ってみても良いのではないか。それに会ったことがないわけでもない。仲間たちのオフ会でたった一度だけ、地味だが高級なシャツを着ていたのをよく覚えている。懐かしく輝かしい思い出の一幕。なにより数年の付き合いでそれなりの信頼は寄せているのだ。都合さえ付くのならば予定を合わせてみるのも悪くはない。

 しかしなぜ手紙を、という疑問が浮かびかける。だがそれは疑問の姿をとる前に霧散する。フローラが連絡を絶ってからこちら自分とてログインしなくなっていたではないか。メールはゲーム内でなければ機能しない。唯一の直通回線で連絡を取ってくるあたり、それこそ本当に再会を望んでいる証であるように思われた。

 指定は一ヶ月後。来てくれるなら来てほしい。迷いはあったが、既に心は決まっていた。


 そういえばあのゲームはどうなっているだろう……アカウントは、もしかしてメールが来ていた? ローズは数年ぶりにIDとパスワードを入力した。

 フローラからのメールは来ていなかった。しかし他のフレンドや運営からの着信数十。プレゼントボックスにも直近一年のボーナスがいくつも貯まっていた。メンテナンスのお詫び、バランス調整の補填、サービス十周年の記念……どれもこれも抜け殻のローズに贈られ、今の今まで受け取られなかったものばかり。もはや消えてしまったボーナスを惜しいとも思わないが、贈られたものをそうとも知らずにいたアバターの無表情がどうにも虚しい。アカウントをどうしようか、まだフローラと連絡を取ることがあるかもしれないし、などと決めあぐねながらローズはブラウザを閉じる。

 消し去ってしまうことにはためらいがある。廃墟に過ぎないとしてもそこにあったものは確かだ。遡ればやり取りの履歴だって読めるだろうし、これまで得たものはみなアバターが保っている。いや、そうではなくて、そういう目に見えるところではなくて、思い出とか、思い入れとか、そういうものが間違いなくあるのだ。あるものをないと思ってしまうのはおそらく罪だ。被害なき罪。すなわち自分への裏切りに等しい。積み上げたものを、持って歩んできたものを、なかったことにするのはあまりにも乱暴だ。忘れていたことも気付かずにいたことも今この瞬間に改まったのだから、きちんと持って行くべきだ。

 ……もっとも、それはアカウントを消すか残すかとは実は関係ないのだが。アカウントは象徴であり、そのものではない。象徴だからこそ扱いには感傷を伴う。象徴でもあり、実際的な道具でもあるから、なおさら即断はできない。

 アバターの背景に広がる砂漠。ローズのIDはそこから取った。オアシスの跡に残る石膏の薔薇。そこにかつて潤いのあったことを示す石の花。

 ローズは今度こそ画面から離れたのだった。


「お久しぶりです。お呼び立てして申し訳ありません」

 五年ぶりのフローラは、いや、オフ会から数えれば六、七年ぶりのその人物は、似合わないサングラスをかけて挨拶した。

「お久しぶりです。また会えるとは思ってもいませんでした」

 ぎこちなくなってはいないだろうか。ローズの左手は思わず自分の裾を握ってしまう。フローラは対面の椅子を勧めた。

「このような恰好で失礼します。実はあれから、つまり五年前、連絡を絶ってからですが……いろいろありまして」

 フローラはサングラスを少しずらして見せた。そこにあったのは、今でも見慣れたとはとても言えない義眼の両目。精巧に作られてはいるが、生身の眼球とは違ってどこを見ているのかわからない、焦点の定まらない水晶球。

「全身義体……?」

 皮膚も髪の毛も、まるで健康な人間そのものだが、そう、あるべき年齢の衰えがない。つまりすべては作り物の身体に違いなかった。

「お察しの通りです。実は事故で全身不随に陥りまして、最後の最後に電脳化を……」

 フローラの語った内容は、珍しくはない事故の話、そして多くはない電脳化延命措置の話だった。

 もはや回復の見込みのない患者、特に意識の戻らない患者に限り、人格を電脳化することがある。電脳化には多額の費用を要し、さらに義体を用いて日常に復帰しようともなると常識外れの財力が必要だ。同じ人間がふたり存在する、などという事態を避けるためにも、元の肉体は永久に目覚めないであろうという――つまり、ほとんど死んでいるという厳密な診断も必要だ。技術的に可能になったとはいえ、現実的にほとんど不可能に近い措置である。

「私の肉体はもうありません。妻は最後まで悩んだそうですが、結局は私の残した言葉を尊重してくれました。目覚める見込みがなくなれば、アンドロイドにでもしてくれと」

「でも、その決断は……」

 思わずローズは口を挟んだ。お茶の間でも数年来議論の尽きないテーマだ。

「そう、殺人にも等しい」

 安楽死、脳死、そして電脳化。結論は違えど生命倫理の問題はいつも医療と人間の前に立ちはだかる。意識が戻らないからといってその肉体を“処分”しても良いものか。本人の意思があるからといって肉体にとどめを刺して良いものか。

「まあ、幸いと言うべきか、私の肉体は長くはもちませんでした。電脳化を終える頃には無理やり命をつないでいる状態になっていたそうで、もう誰が見ても死に体だったことでしょう」

 フローラはなめらかに笑顔を作って見せた。

「では今はご家族と……?」

 電脳化アンドロイドがひとりで生活を送ることは難しい。メンテナンスにおいても、制度や法律の制約においても、まだアンドロイド単独での生活を支えうる局面に達していないのが現実だ。アンドロイド市民は市民であると同時に物でもある。アンドロイド市民は確かに市民と認められているが、彼らの依拠するところは取り扱いに注意を要する高度な道具である。だからこそ、その取り扱いを任せるに足る生身の人間とともに生活することを強いられる。

「ええ、妻はもうおりませんが、親戚が面倒を見てくれております。そうは言っても、ほとんど財産で雇っているようなものですがね」

 またしてもフローラの頬に浮かぶなめらかな笑み。あまりにもなめらかで理想的な微笑みがかえって人間離れした凄みを感じさせる。もういない伊東蛍の影法師。否応なく記憶の中の姿とのずれが浮き彫りになる。

「ローズさん、今日お会いしたいと言ったのは、本当に私の個人的なわがままなのです」

 申し訳なさそうに目尻が下がる。

「いえ、それは気にしないでください。お会いしたかったのは私もです。その、突然連絡が取れなくなってしまって、気になっていましたから……」

 ログインすらしなくなっていたけれど、とは言わない。そうだ、この人は本名を知っていても、ふたりのやり取りでも私をローズと呼ぶ。ローズは懐かしく、奇妙に気分が浮き立つのを感じた。五年経ってもここは変わっていないのだ。

「以前カレーのお話をしたのを覚えていますか?」

 フローラは出し抜けに言った。さすがにローズはカレー? と首をかしげる。

「ええ、ほんのしょうもない雑談の中です。最高のカレーライスを死ぬまでに食べてみたいと」

「ああ……それなら」

 ローズにも心当たりがあった。まだ互いの素性をほとんど知らない頃――フローラがここまでの富豪だとは今の今まで知らなかったが――料理の話題で盛り上がったことがあった。料理は好きか、得意と苦手はなにか、食べてみたいものはあるか……ふたりとも料理をするほうの人間だったので楽しい会話だった。

「確か、カレーは簡単に作れるが奥が深すぎる、でしたよね」

 ローズは少しの笑みをこぼした。やっと心から出た笑いだった。

「そう、それです。実はその夢を、やはり“生きて”いるうちに叶えたく思いまして」

 フローラは生きて、を妙に強調して言った。それがどうやら茶目っ気らしいと気付けるほどにはローズもフローラを知り、そして状況に慣れていた。

「この体でも味を楽しむこと自体はできるのです。電脳は言ってしまえば体で受け取る刺激をすべて電気信号で代替してしまえという発想ですから。最近は食材の分量を入力してそっくりの味を再現してくれる技術も発達しています。もちろん、現実の微妙な調味には及びませんが……」

「では、一緒にカレーを作りたいと?」

「いえ、もう一歩進んでいます。実は、これと思えるカレーのレシピはもうあるのです。あるのですが、それはあくまでデータの話。私はそれをおいしいと感じましたが、はたしてリアルにおいしいカレーか否か。さきほど言ったように親戚たちとはさほど打ち解けているわけでもありませんし、わざわざ手間をかけさせる間柄でもない。あなたなら、ローズさん、私のカレーを食べてはくれないかと思いましてね」

 なるほど、とローズは目を丸くした。とんでもない申し入れがあったものだ。いや、内容自体は別に構わない。なんならキッチンを提供してもいい。しかし、五年ぶりに連絡を寄越した真意が「カレーを食べてくれ」とは予想できようか。

「五年ぶりに会ってそれかよとでもお思いでしょうが、どうか許してください。この体に慣れてある程度の自由を得るまで長くかかりました」

 そう言われては返す言葉もない。いや、そういえば。

「どうしてフローラさんはメールではなく手紙を? メールだけなら打てたでしょうし。いえ、責めるわけではないですが、どうも気になって」

 するとフローラは頭を掻きながら答えた。どうやら癖らしい。

「はい、それもまったく個人的なわがままです。まず二年ほど経ってようやくログインしてみると、ローズさんのログインが途切れていたのがわかりました。さすがにもうゲームはやめてしまったのだろうと思いました」

 図星である。ローズは墓穴を掘ったと思った。

「それからもうひとつ、私は動く腕をもう一度手に入れました。腕だけに。そうすると、やはりそれを使いたくなる。料理もしたいし、手紙も書きたくなるのです」

 なんとなく想像できそうな気がした。奪われたものが還ってきたとしたら。それが完全ではないにせよかつての姿を取り戻したとしたら、自分もそれを喜ばしく思うだろう。それが過去の当たり前であればあるほど、より強く。

「それで手紙を書きました。友人知人はこの体が気持ち悪いのか、みな疎遠になりました。生きている者ももう少ない。あなたぐらいの、ネトゲのフレンドあたりの遠さにいる方が私には最も親しいのです」

 表情の豊かすぎる義体が、ありもしない陰をよぎらせたように見えた。喜怒哀楽をはっきり表現する人工筋肉は、反面複雑に入り混じった表情を再現しにくい。時として心の動きと表情とに違いが出る感情のパターンを拾いにくいのだという。

「ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありません。もし良ければ、私のカレーを食べてはくださいませんか」

 フローラはサングラスを取って頭を下げた。綺麗な、整いすぎるほどに見事な白髪が陽の光にきらめく。

 ここで断るのは鬼だろう……云々の常識的な反応はさておき、ローズにもそれなりに思うところがあった。この老人は割れてしまったのだ、直感的にそう思った。

 形こそ綺麗に整ってはいるけれど、生まれ持った肉体も伴侶も喪い、友人知人も離れていったと。きっと他人に囲まれて生きてはいるのだろうけど、その多くは真実他人なのだろう。手料理を振舞うくらいのわがままも許されない家族なんて、自分は耐えられるだろうか。

 答えは決まっている。かつてあったものは今でも確かにあるのだ。少なくとも、ここには。

いただいたお題は以下の通り。

【影法師、砂漠の薔薇、メールが途絶えたあと手紙が来る話、LINE電話、電脳化・アンドロイドと知性、最高のカレーライスを求めて】

「LINE電話」と「アンドロイドと知性」の話はできませんでした。

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