第6話 あの日の記憶は今でも鮮明に
自分の部屋のベッドに寝そべり、ヘッドフォンとiPodを手繰り寄せる。その際に、ガサッと音がした。音がした方へ目を向けると、入部届らしき紙が少し皺がついた状態で放られていた。まあ、放置したのは僕なんだけれども。
(どうせやらないんだから、突き返してくれば良かったな……。)
その場で返すことも出来た、断ることも出来た。そうしたらよかった、そうすれば良かった。でも何故だろう、なぜか出来なかった。やはり、入学式のあの威風堂々の衝撃が大きかったからだろうか。センパイ達に付き合って吹奏楽をやるのもいいかな、なんて思ってしまったのだ。それに、と思う。
『私は七ツ河の音、好きだもんっ!』
センパイのハッキリとした、明朗な声が頭に何度もリフレインして消えないのだ。僕を真っ直ぐに見て輝かせていたあの瞳に、吹奏楽もう一度やるか、なんてことすら思ってしまうくらいの衝撃だった。何でこんなにも心に響いたのだろうか。やはり、と部屋の片隅にある相棒を見る。相棒を最高の舞台で披露したい、という諦めの悪い想いが消えないのかもしれなかった。それでも、と逡巡する。どうしても心から離れない闇もあって、どうしたらいいか分からなくなってしまっていた。
ただ、もしもの為に。なんて言い訳しながら、入部届けを手に取った。
***
「おっはよー、七ツ河!」
「オハヨウゴザイマス。……なんで当たり前のように、僕の家の前に居るんスかね。」
「朝練で早起き慣れてるから!どうせなら、七ツ河捕まえとこうと思って。」
翌日。登校しようと家を出ると当たり前のように、おっはよーと手を振りながら僕を待っていた二ノ宮センパイ。トランペット持ってないじゃん!取ってきて、と何故かせかされ出たはずの家へとんぼ返りさせられた。しぶしぶ従ったが、なんで持って来なければならないんだろうという不平不満は呑みこんだ。
相棒を持って再び家を出ると二ノ宮センパイはまだ居た。
「持ってきたね!じゃあ行こう。」
二ノ宮センパイはそう言いながら、僕を置いてさっさと歩きだしたのだった。このまま距離を取って歩こうか、なんて考えが首をもたげるが、急に振り返って早く来いとジェスチャーされたので仕方なくセンパイの斜め後ろを歩くことにした。……隣を歩くのは、なんだか違う気がしたから。物言いたげなセンパイの視線を感じた。自意識過剰だろうか。
とりとめもない話をしながら、ゆっくりと歩いていく。道すがら、河川敷へとちらっと視線を移す。今日は此処で相棒と過ごそうかな、なんて思いながらぼうっとしていたら学校の門を潜っていた。
「あ、七ツ河。」
「……なんスか?」
「入部届、ちょーだい!」
くるっと僕の方に振り向いたかと思うと、キラキラと輝く瞳で僕を見る二ノ宮センパイ。入部届を寄越せと言わんばかりに、片手をずずいっと差し出してきた。ドキッとしたが、予め答えは用意している。
「持ってきてないっス。」
「嘘だぁ!」
「本当っスよ、――。」
捨てました、なんて言葉を吐いて、呆然と立ち尽くす二ノ宮センパイを置いて教室へ向かった。胸がつきりと痛むのは無視して、けれど無意識に大きく息を吐き出していた。