二話
アリスは、私に従者になるように言った後すぐに、今日はもう寝るからと言って部屋を出ていってしまった。その際に約束させられたことが二つある。一つは人が来たらただの人形の振りをすること、もう一つはこの部屋から出ないことだ。
特に断る理由も無く、私自信考えをまとめる時間が欲しかったので、大人しく部屋で考え事をすることにした。
アリスとの会話を思い出し、一通り状況を整理してみる。
私は元々別の世界の人間で、何らかの手段によってこの世界に呼び出された。
呼ばれた際に記憶の一部を喪失。現在の身体はアリスがつくったという人形。
この世界は――アリスの角や人形の身体の事を踏まえると――以前の世界とは異なる点が多々あると考えられる。
現状ではアリスの従者としてここに留まる以外に選択肢は無いように思える。
状況整理していて思ったことがある。それは私の無くした記憶の範囲はどのようなものなのかという事だ。現状まともな会話や思考が出来ていることから全ての記憶が無くなっていないのことはわかる。だが、一番身近であるはずの自分の名前や家族、友人のことやそういった人達と過ごした日々は全く思い出せないでいる。
このことから私は、元の世界における私は死んだも同然なのではないかという考えに至った。アリスの言う通り失った記憶が戻らないのであれば、元の自分を形成するものはほとんど失われたということになるからだ。
あらためて、新たな世界での生き方を考える方が合理的であるという結論に至り、安心する。
この世界のことや、人形の身体のこと、アリスについてはもっと情報が必要であり、現状ではアリス待ちということになる。そこで、私はアリスの部屋を調べることにした。勝手に部屋を調べてアリスが怒る可能性も考えたが、部屋の物に触るなとは言われなかったので気にしないことにした。
アリスの部屋は石造りで、窓と入口が一つずつある構造だ。窓はゴシック調の大きなもので、先の尖ったアーチ状をしており、上部に施された幾何学模様の装飾が幻想的な雰囲気をつくり出している。ちなみに、入口の扉は木製の開き戸である。
床には落ち着いた色の絨毯、天井からはランタンの様な照明が吊るされている。家具は木製で大きめの本棚がいくつかと、薬品棚らしきもの、作業台と思われる少し大きな机、そして今使っている木の椅子があった。生活に必要なものがあまり無さそうなため、この部屋はおそらく研究室か、物置なのだろう。
この部屋で情報を得るなら、当然考えられるのは本だ。試しに、近くにあった本を取り出してパラパラとめくってみる。
読めない。
偶然読めない言語の本を引いたのかと思い、全然別の場所からもう二、三冊取り出して見てみるが、やはり文字は読めなかった。
どの本も私の知識には無い言語で書かれており、本から情報を得るのは無理そうだった。
「そんな……」
文字が読めないとなると、情報の収集にはかなり苦労するだろう。他の方法で情報を得るしかないが、考えられるものとしては実際に見聞きするといった方法ぐらいだった。
なぜ私はアリスと普通に会話出来ていたのだろう。ふとそんな疑問が湧いた。人形が話す事実を受け入れたとしても、ここが異世界なら本と同じように異なる言語を使って会話している方が自然である。
勿論この世界の言語で会話した覚えは無い。様々な可能性が考えられたが、アリスに聞くのが一番早そうだ。
結局、誰かに頼らないと何も出来ないという事実に直面し、少し憂鬱な気分になる。
することは無くなったが、夜はまだ明けそうにない。
椅子に座って目を閉じる。必要が無いとはいえ、人形の身体でもその気があれば眠ることができるのではないかと思えたからだ。
寝ようと考えてから数秒後、予想通り私は意識を失った。
ガチャ、っと扉を開ける音で意識が覚醒する。どうやら眠ることが出来たようだ。
扉を開けて入ってきたのは見覚えのない女の子だった。アリス以外の人物だった為、身体が動かないよう心掛ける。
「失礼しまぁす」
ほとんど言い切らないうちに入ってきた少女はこちらを一瞥するとピタッと動きを止めた。
バレたのだろうか?
理由は不明だがこちらを観察しているようなので、私も彼女を観察することにした。
部屋に入ってきた少女はフリルの少ない地味目のメイド服を着ていた。背はアリスより少し高いぐらいで、金髪の少し癖のあるミディアムショートの髪と綺麗な碧瞳をしている。頭には黒のカチューシャと、同じく黒い角があった。この子の角はアリスと違い短く、あまりとがっていないため猫耳のようにも見える。
少女はしばらくすると、様子見を終えたのかこちらにジリジリと近づいてきた。そして、私の目の前まで来ると、指先で恐る恐る私の頬っぺたをつついてきた。なんのつもりだろう。
「……よし」
ひとしきりつついた後、何かを確認した様子で少女は部屋から出ていった。
あの子はなんだったのだろうと考えていると、また扉が開いた。先程の少女だが、今度は大量の服と籠を抱えている。
少女は服を作業台の上に置くと、籠を持ってこちらに近づいてきた。籠を床に置き私の目の前に屈むと何かを籠から取り出した。
黒い下着だった。
そして、おもむろにそれを私の身体に着け始めた。どうやらこの少女は私に服を着せるつもりらしい。服を着ないままと言うのも変な感じがしたので、余程変なもので無ければ着られるだけ良いだろう。
服選びに多少苦戦していたようだが、無事にコーディネートが終了したようだ。下着以外に着せられたものは四つ。
一つ目は、黒を基調としたゴシック調で軍服っぽさのあるワンピース。ポイントとして赤茶色が入っている。袖が長く、襟がある。
二つ目は、黒のオーバーニーソックス――膝上まである靴下――。
三つ目は、白のショートグローブ――女性用の薄手の手袋――。
四つ目は、黒の超厚底ゴシック風ロングブーツ。
全体的に黒が多いが、流行っているのだろうか。ブーツだけがまともに歩けるかどうかという点で心配だった。
服を着せ終えたあと少女は、まだ不満があるのか私を見ながらしばらく考え込んでいた。そして、何かを思い出したのか再び籠を物色し始める。
目当てのものがあったようで、取り出したそれを私の髪に結び始めた。黒いリボンのようだ。
「やっぱり、これじゃないとね!」
結び終わった少女が満足そうに呟く。私の髪はツインテールにされていた。アリスの服装もこの子の趣味なのだろうか。
今度こそ終わったようで、少女は籠や他の服を持って部屋を出ていった。また直ぐ戻ってくるのではないかと身構えていると、案の定扉が開く。
だが、扉を開けて入ってきたのはアリスだった。寝起きなのか髪を下ろしており、ネグリジェ――ワンピース状の就寝着――のようなものを着ている。
「ドール、どうしたのだその格好は?」
部屋に入ったアリスが私の格好を見て、少し驚いた様子で尋ねてくる。
「実は……」
アリスに事情を説明しようとしたが、あることに気がついて止める。アリスの後ろ、少し空いた扉から先程部屋に来た少女がこちらをみていたのだ。
見られた。
とっさに止まったとはいえ、アリスに事情を説明しようとした際に少し動いてしまっている。誤魔化すのは難しそうだ。
私の様子を見たアリスはなにかを察したのか素早く後ろを振り返り、部屋の中を見ていた少女を見つけると強引に腕を引っ張った。
「わっ、お嬢様なにを!?」
扉の外にいた少女は最後まで言い切る間もなく、部屋の中へ入れられてしまった。その際少女はよろめき、床に腰を着いてしまう。
アリスは扉を閉めた後少女に話しかけた。
「ソフィア、そこで何をしていたのだ」
「な、なにも! 動くお人形さんなんて見てないですよ! …………ぁ」
ソフィアと呼ばれた少女は慌てた様子で答えたが、言ったあとで自分のミスに気がついたようだ。しまった、という顔をしている。
「はぁ……」
アリスが、呆れた様子で小さなため息をつく。
「ごめんなさいお嬢様。ほんとはお人形さんが動くの見ちゃいました」
アリスの様子をを見てか、少女はすぐさま反省した様子で謝罪した。
「……やはり見ていたのだな。仕方ない、我以外にこの人形のことは秘密にするのだぞ」
「了解ですっ、お嬢様!」
謝罪を認め条件を出したアリスに、少女は元気よく返事した。親しいのだろうか。
「ということでドール、もうこの子の前では動いてもいいぞ」
アリスに言われたので、不自然に硬直していた姿勢をやめてその場に立ち、少女の方を向く。
「ソフィア、この子は我がつくった新しい従者のドールだ。分からないことだらけだろうから、色々教えてやるのだぞ」
「ドールです。よろしくお願いします」
紹介してもらったので、私は簡単な挨拶をした。
「わぁ、やっぱりお話できるんですね! わたしくしはアリスお嬢様にお仕えするメイドの〈ソフィア・マリエラ〉です。ソフィアと呼んでくださいね!」
ソフィアは何故か嬉しそうな様子で自己紹介してくれた。
「ところで、なぜドールはそんな格好をしているのだ?」
「それはですね! お人形さんがあまりに可愛かったので、ついお洋服を着せてあげたくなってしまったからです!」
アリスの質問に対してこちらが答える前に、ソフィアが答えてくれた。
やはりこの人形はよく出来ているようだ。……それにしても理由が正直過ぎる。
「そうだったのだな。にしても、かなりしっかりとコーディネートしたのだな」
「はい! 関節部分はあまり見えない方がいいかなと思って、色々着てもらいました。」
「なるほどな。どのみち服は、関節が隠れるようなものを着せようと思ってたからちょうどよかったのだ」
「それはよかったです! では、お嬢様の方も着替えましょうね」
「……え? 待つのだ、自分でやるからっ」
なるほど、そういうことだったのか。そしてやはり二人は仲が良いようだ。
私が一人で納得していると、ソフィアによってアリスが引っ張られていくのが見えた。せっかく一人になったので新しい服でもう少し動いてみることにした。
懸念していた厚底のブーツだが、驚いたことに直ぐに慣れた。関節が布を噛むことも無く見た目より動きやすい。
ついでに鏡で自分の姿を確認してみたが、思った以上に似合っていて、アリスの造形に感謝した。
二人には色々と質問してみたい。あと、この姿なら外を歩くこともできるかもしれない。
そんなことを考えながら私は二人を待った。