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ワンデイ・ライヴ

作者: Wil-fina

 ぼくは今、東北の太平洋側を歩いている。最初は特にこれといった目的があったわけではないが、今ではもう、大家さんから記録を取るようにと渡されたノートではとても書ききれず、すでに何冊もいっぱいになるくらい、全国を歩き回っている。とはいえ、時おりバスに乗ることもあるけど……。ぼくが全国を歩き回るきっかけを作ったのは、大家さんがぼくを住まわせてくれたアパートで起きた“出来事”だった。以前は時おり、その“出来事”についての話をすることがあったけど、なかなか信じてもらえないので、今はこんな“誰もいない・・・・・ところでしか話さない”ことにしている。それはそうと、ぼくはこの旅の途中から『死者への祈り』を日課として欠かさず行っている。そのきっかけは、伊勢神宮に参った時、たまたま“出来事”についてのつぶやきを耳にした男性の話を聞いてからだった。

 「ん? メールかな」

 スマホの着信音が鳴ったことに気づいたぼくは、メールを確認した。すると、新着メールが一通入っていた。そこには、


 ――ユウジ君、君の話は実に興味深いよ。いずれはこのことを学会でも発表したいが、“見えないもの”を否定する風潮がはびこる状況では、まだまだ時期ではないと思う。だが、君には『“見えないもの”とつながる何か』を持ってるから、あの時私は、君に『毎日亡くなった人のために祈る』ことを勧めたんだ。ところで、今君はどこにいるのかね――


 歴史学者の足立あだち先生からの、こんな内容のメールが入っていた。ぼくはすぐに、


 ――ぼくは今、東北の太平洋側の海沿いを歩いてます。すでに歩き始めてから何ヵ月も過ぎ、記録を取るノートも、すでに何冊もたまってます――


 こんなメールを送った。それから、いつものように大家さんが買ってくれたキャリーバッグを置いて、海に向かって手を合わせた。しばらくして祈りを終えると、目から涙がこぼれていた。ハンカチで涙をぬぐったあと、

 「これまで生きてきた皆さん、ぼくを見守ってください」

 こうつぶやいた。これらも、祈りを始めてからはいつものように起きている。ぼくは、これまで生きてきた人たちが見守ってくれていることを、この旅で何度も感じていた。以前に一度、トラックにひかれそうになった時があったが、その時、何かに引っ張られる・・・・・・・・・ように後ろにこけたために、事故にあわずにすんだ。あれ以来亡くなった人、特に何かの理由で命を落とした人、もしくは若くしてこの世を去った人を何度も見るようになった。そんな時、北方の岩場に座っている人影が目に入った。祈りを始める前・・・・・・・まではいなかった・・・・・・・・はずの……。ぼくは、なぜだろうと思いながら、その岩場に向かった。


 岩場に来たぼくは、改めてその人を見ると、思わず見とれてしまった。派手なドレス姿で、細かい網目をしている紫色のストッキングをはいている、長い髪が似合う美しい女性だった。

 「ん? 以前アパートで見かけた人に似てるな」

 そう思ったぼくは、女性に話しかけてみようと思い、そっと彼女に近づいた。するとぼくが来るのに気づいた彼女は、

 「……何じろじろ見てるの、坊や」

 いぶかしげにぼくに問いかけた。

 「……ええと、前アパートで見かけた女性に似てるな、と思って……。それにドラマで見るような美人だし」

 ぼくはこう答えたら、彼女は、

 「ふーん、それって、気のせいじゃないかしら」

 立ち上がってこう言ったあと、

 「そんなにアタシが気になるの? 坊や」

 と言いながら、ぼくのもとに歩み寄った。そしていきなりぼくに抱きつき、

 「あらあら、ずいぶん固くなってるのね。アタシがほぐしてあげるわ」

 彼女は、セクシーな声色でこんなことを言いながら、ぼくの手を持って、それを自分の大きな胸に当てた。しばらく胸をさすったあと、

 「何するの!? アンタ。セクハラよ、それ!」

 いきなりこんなことを言い出した。その言葉に驚いたぼくは、

 「え? ええ!? どういうこと??」

 ただ戸惑うばかりであった。彼女はそんなぼくを見つめながら、

 「なんてね。冗談よ、じょう・だ・ん♪」

 笑顔でぼくのほおをつつきながら、こう言った。ぼくは、何がどうなっているのかわからず、ただその場に立っていた。すると彼女は、

 「……まさかとは思うけど、アンタ“セクハラ”って言葉、知らないの??」

 首をかしげながら、ぼくの右肩を軽くたたいて問いかけた。ぼくは正直に、

 「“セクハラ”って何?」

 と答えると、彼女は、

 「それ本当なの!? アンタ」

 目をぱちくりさせながら、こう言ってきた。

 「……本当です。さすがに、耳にしたことはありますけど」

 ぼくがそう伝えると、彼女はいきなり、

 「あははは、アンタって本当に面白いわね。セクハラを知らない人、初めて見たわ」

 大声で笑いながらこう叫んだ。それから、

 「そうね、“セクハラ”っていうのは、例えばさっきアンタがアタシの胸を触ったように、他人に対して性的な嫌がらせを行うことなの。だけどね、アタシが働いてるところって、そんなのお構い無しの“職場”なの。むしろ逆にそういう性的なことをやって、男性客をいやしたり喜ばせるのが、今のアタシの仕事よ。お金は結構貯まるけど」

 ぼくにこんな話をした。彼女の話をじっと聞いていたぼくは、

 「やっぱり、あの人に似てる……」

 こうつぶやいた。つぶやきを耳にした彼女は、

 「さっきから何度も“誰かに似てる”って言ってるけど、アンタ。それ誰のこと? 名前を教えて」

 こう問いかけた。ぼくは、

 「ええと、その女性はカナと言います」

 と答えると、彼女は、

 「じゃ、アタシとは違うわね、その女性。アタシの名前はマリエだから」

 自分の名前をマリエだと告げて、ぼくのつぶやきを否定した。それから、

 「で、アンタなんて名前なの? 普通はアンタから名乗るのが礼儀でしょう? 人に話しかける時は」

 ぼくの名前を聞いてきた。ぼくは、

 「ユウジといいます。よろしくお願いします、マリエさん」

 と答えると、彼女は、

 「ユウジっていうのね。よろしく」

 そう言うなり、いきなり自分のほおに軽くキスをした。

 「あの……、マリエさん……」

 ぼくは、いきなりキスをしてきたマリエさんに戸惑うと、彼女は、

 「これはね、“お近づきの印”ってものなの。だけどね、アタシだって誰それ構わずやるわけじゃないわ。それなりに気に入った人とか、一夜を過ごしたい人に対してするの。今風に言うと、“ワンナイト・ラブ”ってやつかな」

 こう話した。さらに、

 「だから、アタシはアンタと一緒に、今日一日を過ごしたいの。仕事とか一切関係なく。今から付き合ってくれる? ユウジちゃん」

 ぼくを誘ってきた。ぼくが再び戸惑いを見せると彼女は、

 「どうしたの? アタシとじゃいやなの? もしかして、また固くなってるの!?」

 ちょっぴりすねたようなそぶりを見せながら、ぼくの方を向いた。

 「いや、そういうわけじゃないんです、マリエさん。こんな体験初めて・・・ですから……」

 ぼくは、マリエさんにこう伝えた。

 「あらあら、そうだったの。わかったわ、アタシがいいことをしてあ・げ・る♪」

 と言った彼女は、ぼくの手を握ったあと、

 「アタシと一緒に行こう」

 そのままぼくの手を引っ張って歩き出した。

 「ちょっとマリエさん、バッグが……」

 いきなりマリエさんが手を引っ張ったことで、ぼくは、左手で持っていたキャリーバッグの取っ手を思わず離してしまった。すると彼女は、なぜか山の方に目をやったあと、

 「……ちょっとごめんね。少し離れるから」

 と言いながら、岩場に身をひそめた。ぼくは道路を見ると、何人かの小学生がぼくの近くを歩いていた。

 「あの人、一人で何やってるんだ? 誰かいない人と話してる・・・・・・・・・みたいだけど」

 「変わった人だよね。ここの人じゃないよ、絶対」

 というような話をしながら、小学生たちは岩場を過ぎていった。そのタイミングを見計らったかのように、マリエさんはぼくのもとに戻ってきた。それから、

 「ごめんね、ユウジちゃん、さっき連絡が入って。そちらは終わったから、二人でどこかに行こう」

 と言いながら、再びぼくの手を握った。

 「うん、マリエさん」

 ぼくがうなずきながら言うと、マリエさんは、

 「それじゃ、二人きりで・・・・・、ね」

 なぜか念を押すように、セクシーな声色でぼくの耳元にこうつぶやくと、周りを見渡したあと、先程小学生たちが歩いた方向とは逆に歩き出した。ぼくもマリエさんについていった。でもこの時のぼくは、彼女に“とんでもない秘密”があったことを全く知らなかった。


 「マリエさんって、どんな仕事やってるんですか?」

 ぼくがマリエさんにこう問いかけると、彼女は、

 「見ての通りよ。アタシはね、男たちを相手に夜の席で水商売やってんの。こんな感じの格好で男たちを誘って、ひとときのいやしを与えてあげる、いわゆる『夜の女神』みたいなのがアタシの仕事よ。時には、男と“大人の時間”を楽しんで一夜を共に過ごして、お金やプレゼントをもらうことも何度もあったわね。だから、お金は結構貯まってるわ。もう9桁に近いほどにね」

 何度もドレスや網タイツをつまみながら、ちょっぴり自慢気にこう話した。それから、

 「で、アンタはどうしてんの? キャリーバッグなんか提げて」

 ぼくに問い返した。ぼくは、

 「……ええと、今ぼくは日本中を旅してます。これまで生きてきた人たちに対して、ささやかながら祈りをしつつも」

 と答えると、マリエさんは、

 「え? アンタ今働いてないの!? お金は大丈夫なの!?」

 心配そうに言った。それに対しぼくは、

 「……うん……。住んでたアパートを出る時、大家さんからある程度のお金はもらったけど……」

 歯切れが悪い感じの答えになっていた。するとマリエさんは、

 「ひょっとして、アンタ一度も働いてないの??」

 こんな質問をしてきた。

 (……マリエさんには、うそを言ってもばれるだろうな)

 そう思ったぼくは、

 「……そうです。ぼくは高校にも入れず、一度も働いてないです。バイトですら面接を受かったことがなくて……」

 マリエさんに正直に答えた。さらに、

 「元々家族から嫌われて一人ぼっちだったぼくは、家から追い出されたのです……。もし、大家さんがいなかったら、今ごろは生きてすらないかもしれないです……」

 こんな話も伝えた。ぼくの話を聞いていた彼女は、

 「……アタシと同じようなものね……。でも生きててよかったわ、ユウジちゃん」

 目に涙を浮かべながら、ぼくを抱きしめた。そして、ぼくの頭をさすりながら、

 「一日でよければ・・・・・・・、アタシが“アンタの女神”になってあげる。もちろん、お金は一切いらないわ」

 こんなことを告げた。

 「……ぼくの、“女神”、ですか……??」

 ぼくは戸惑いながらこう言うと、彼女は、ポケットからハンカチを取り出して、

 「そう。アタシはそうやって生きてきたの。『どんな男だったらうまくお金をせびれるか』ということを考えてね。時には強欲と言われる・・・・・・・こともあったけどね。だってそうでもしないと、アタシも生きていけないのよ。事情で高校を中退してるし」

 涙をふきながら、こんな話をした。それからハンカチを見て、

 「あーあ、メイクが取れちゃったわ。これじゃ台無しね……」

 こうつぶやいた。ぼくはマリエさんに、

 「そんなの気にしなくていいですよ、マリエさん。ぼくもマリエさんと一緒にいたいですから。それと“大人の時間”がなんなのかわからないんですけど、それをマリエさんと一緒にしたいです。マリエさんの温もりを感じたいです」

 はっきりと伝えた。すると彼女は、

 「ありがとう、ユウジちゃん。アンタ本当に優しい人ね。アタシそんな人にあまり出会ったことなかったから」

 と言いながら、またぼくを抱きしめた。そしてぼくに、

 「アンタ結構大胆ね。自分から『アタシと“男女の営み”がしたい』って。アタシ周りから『魅惑の冷たい女』と呼ばれてるの、アンタはわかってないのね」

 こんなことを告げた。それに対しぼくは、

 「……ぼくにはマリエさんは、本当は優しい女性だと感じました。何かはわからないんですが、『人のために何かを行いたい』という気持ちを持ってると感じました」

 彼女にこう伝えた。すると彼女は、

 「あははは、アンタにはうそをつけないわね」

 いきなり笑いながらこう言うと、

 「いいわ。アタシが今取り組んでること、アンタに教えてあげる。ついでに“男女の営み”もね。取り組んでることとの関連・・で、そして特別サービスで」

 と言いながら、ぼくの肩をポン、と軽くたたいた。

 「ぼくと同じですね。ぼくがマリエさんにうそをつけないのと。カナさんの時もそうでしたけど」

 ぼくがこんなことをマリエさんに伝えると、彼女も、

 「お互い様ね、それ。アタシとアンタって、案外相性イイのかも」

 笑顔でぼくを見つめながらこう言った。そして、

 「それじゃ、アタシの家に寄らない? イイことしてあげるわ」

 ぼくに家に来るように誘った。ぼくは喜んで彼女の誘いに応じた。その間、ドラマのロケらしき話を何度か耳にした。


 10分あまり歩いたあと、

 「ここよ、アタシの家」

 マリエさんはそう言いながら、玄関の中に入っていった。この地域によくある感じの2階建ての家ではあるが、9桁、つまり1億近くのお金を持ってる人が住む家には見えなかった。むしろ空き家・・・ではないかと思ったくらいだ。彼女を待たせるわけにはいかないと思ったぼくも、すぐに中に入った。

 「こんにちは、ユウジちゃん。『アンタの女神』のマリエよ」

 マリエさんは笑顔でぼくを出迎えると、

 「キャリーバッグ、アタシが持ってあげるわ」

 そう言いながらキャリーバッグを持ち上げて、車輪部分をタオルでふいたあと、リビングまで運んでいった。ぼくは靴を脱ごうとした時、玄関を見渡すと、さっきまでマリエさんがはいていたハイヒール一足しかなかったことに気づいた。リビングに入ったぼくは、マリエさんに、

 「あの……、マリエさん、玄関に靴がないんですけど……」

 こう問いかけた。すると彼女は、

 「靴は下駄箱に入ってるわよ。勝手に開けちゃダメだけど」

 と答えたあと、

 「ようこそ、アタシの“別荘”に」

 リビングに入ったぼくを抱きしめた。

 「……マリエさん……、胸が大きいんですね……」

 家に入るまでは感じられなかった、マリエさんの胸の大きさに、ぼくは思わずこうもらした。彼女は、そんな自分の胸を持ち上げながら、

 「……これね、男たちに気持ちいい一夜を過ごしてもらうために大きくしたの。アタシはね、これまでお金のためになるのなら色々なことをやってきたわ。決して犯罪はしないで・・・・・・・・・・。苦い、つらいこともあったけどね……。だけど、たくさんの男たちと体験出来たおかげで、お金やプレゼントが手に入っただけじゃなく、アタシがやりたいことまで見つかったの」

 こんな話をした。それから、

 「早速だけど、アタシと体験しよう、ユウジちゃん」

 ぼくの手を握りながら、一緒に別の部屋へと向かった。


 「カナさんの時と同じですね。いきなりぼくを部屋へ連れてきて、“体験”ということを始めようとするの」

 ぼくがマリエさんにこう話しかけると、彼女は首をかしげながら、

 「“カナさん”!? いったいだれなの?? その人。さっきから何度も耳にしてるけど」

 こうぼくに問いかけた。ぼくはしばらく考えたあと、

 「正直に・・・話しますけど、いいですか?」

 と彼女に伝えた。“正直に”という言葉に疑問を抱くような反応を見せた彼女だったが、

 「面白そうね。今度キャバクラで、話す時のネタとして取り入れようかしら」

 と言ったあと、

 「それじゃ、アタシとの“イイこと・特別授業編”は、アンタの話が終わるまでお預けね。早速話を始めて、ユウジちゃん」

 こう伝えながら、いつの間にか脱ぎはじめていたドレスを、再び着なおした。彼女がドレスを着なおしたのを見届けたぼくは、一呼吸おきながら、

 「それじゃ、今からカナさんのことについて話します。彼女と出会った春先の一日を」

 そうマリエさんに伝えた。



 ユウジがマリエに話した内容は、彼が現在のように日本中を旅するきっかけのひとつとなった、“カナという女性”と出会った時の様子である。



 今から数ヵ月前の話である。旅を始める前のユウジは、高校に進学できず、家からも追い出されていた。その時、行く当てもなかった彼に手をさしのべたのが、とある古アパートの大家である、年輩の女性であった。彼女は、自分が経営するアパートの管理を手伝うことを条件に、彼をアパートの一室に住まわせ、世話をすることにした。彼がアパートに住んでから1年がたとうとしたある春の日、いつものように部屋の掃除を始めようとした彼は、いつものように、まず自分が住んでいる隣の部屋の玄関のドアを軽くノックした。すると、

 「誰なの? 私眠いけど……」

 という女性の声が聞こえた。彼は、

 (……え? ここに人いたっけ……)

 というふうに思いつつ、

 「……すみません、ちょっと待ってください」

 中の女性にこう伝えた。

 「どうしようかな……。大家さんに聞いてみようかな、ここに誰か住んでるのか」

 ユウジは、隣に誰か住んでいるのか、一旦大家が住む部屋に訪ねてみると、新聞受けに、一枚の紙がはさんであった。


 ――ユウジ、今日は所用で帰りが夜になるから、いつもの掃除はやっておくように。晩ごはんは買ってくるから、そこは心配しなくてもいいよ――


 紙に書いてある内容に目を通したユウジは、

 「大家さん、帰りが遅いみたいだから、他の部屋から掃除しよう」

 と言いながら、隣の部屋以外の部屋から掃除を済ませた。その後再び隣の部屋へ向かい、ドアをノックをした。すると、

 「……どうしたの……、こんな時間に……」

 そう言いながら一人の女性が、眠そうに目をこすりながら、ドアから出てきた。その姿を目の当たりした彼は、思わず手に持っているホウキとちりとりを離していた。そんな様子に気づいた彼女は、

 「……アンタ、そんなに私のことが気になるの……!?」

 と問いかけたところ、彼は、

 「……ええと……、あまりにきれいな人だから……。ええと……、ここ、今、住んでるんですか……?」

 ぼそぼそとした感じで、こう聞き返した。その言葉に彼女は、

 「ちょっとアンタ、何言ってんのかぜんぜんわかんないわ。もっとはっきりとしゃべって」

 少し厳しめの口調で、彼にこう伝えた。彼は改めて、

 「……今、ここに住んでるんですか……? 掃除に来ましたけど……」

 と聞いた。彼女は、

 「ええ、そうよ」

 そう答えたあと、彼をじっと見つめていた。それから、

 「……アンタを見ると、なぜか放っておけないわ。それと掃除してくれるんなら、ぜひ頼むわ。家に入って」

 ユウジを部屋に誘った。彼は女性に言われるがままに、

 「……それでは、お邪魔します……」

 と言いながら、部屋に入った。


 「……ずいぶんきれいなんですね……」

 ユウジがこうつぶやくと、女性は、

 「……そう? 私よりきれいな人はキャバクラに何人かいるけど」

 というふうに答えた。それから、

 「奥の部屋には入らないで。そこは私の大切な“楽屋”だから」

 彼にこう伝えた。

 「わかりました」

 彼はそう言いながら、台所から掃除を始めた。

 「そういえば、アンタ誰なの? 名前は?」

 女性が彼を見ながら名前を聞くと、彼は、

 「ええと……、ぼくは、ユウジです」

 なぜかはっきりとしない口調で、名前を告げた。

 「……どうしたの? 自分の名前をはっきり言わないって」

 そんなユウジの様子を見ていた彼女は首をかしげた。彼は、

 「ええと……、ぼく、大家さん以外の女性とは、ろくに話をしたことがないんです……。だから、女性と話す時、ソワソワして、うまく話ができないんです……」

 彼女に事情を説明すると、彼女は驚きながら、

 「ええ!? アンタ母親いないの!? それは気の毒ね……」

 心配そうに彼を見つめた。彼は、

 「いえ、違うんです………」

 彼女の言葉を否定したあと、

 「……実は、親はいるんですが、ぼくを嫌ってました。去年、家を追い出されしてしまい、今はここに……。大家さんが、いなければ、今ごろ……」

 こう伝えた。すると女性はいきなり台所に来てユウジを抱きしめた。彼は、彼女の突然の行為に、

 「……あの……、いきなり……、何を……」

 戸惑いながら、あたふたしていた。そんな彼にお構い無しに彼女は、

 「……私と似たようなものね……。実は私も親から嫌われてたの。なんとか高校は卒業したけど、結局は夜の世界に入るしかなかったわ。私勉強ができなかったから」

 こんなことを話した。それから、

 「私カナっていうの。見ての通り、キャバ嬢とかホステスをやってるわ。ところでユウジ、アンタこのアパートでこんな格好した人、見かけたことある?」

 カナと名乗った女性は、ユウジから手を離して、自分がはいている服やストッキングをつまみながら、こんな質問を彼にぶつけてきた。彼はしばらく考えたあと、

 「……そういえば、カナさん、でしたっけ……。カナさんのような人を、何人か、見かけたことはありますけど……」

 こう答えた。その時彼女から、

 「そうね……。ここって、私みたいな夜働く人たちが生活するアパートなの。あと、わけありの独り身の人とか、そんな人が多いみたいよ。行き場を失った・・・・・・・も含めて」

 何やら意味深ともいえる発言が飛び出した。そして再び、

 「……せっかくだから、今日私と一緒に過ごしましょう。アンタを見てると、なんだか放っておけないの。早朝に帰ってまだ風呂に入ってないけど」

 と言いながら、ユウジを抱きしめた。

 「あ、あの……、カナさん……」

 どうしてよいのかわからない様子の彼にカナは、彼の体を触りながら、

 「あらあら、ずいぶん固くなってるのね、ユウジちゃん」

 と言ったあと、

 「いいわ。私がアンタの体をほぐしてあげる。“二人きりの体験”で」

 彼の耳元でこうささやきながら、別の部屋に連れていった。



 「へぇ、アタシと同じ夜の仕事をしてたのね、カナっていう女。確かに大胆な点もアタシとそっくりね。それに家族から嫌われてた、というところまでね……」

 マリエさんはぼくの話に感心しながら、こんなことをつぶやいた。それから、

 「それにしても、『アンタを放っておけない』って。結構優しいじゃない、カナも。以前の・・・アタシとはずいぶん違うわね」

 ぼくの肩をポンと軽く叩きながら、こんなことを口にした。

 「“以前の”って、どういうことですか? マリエさん」

 ぼくがこう問いかけると、彼女は、

 「……そうね……、ある男と一夜を過ごすまでは、とにかくアタシと付き合う男の欲求を満たそうとしてたの。色々彼らを誘惑して、その気にさせることもやってね。すべて、といっていいくらいお金のためにね」

 外を見ながら、淡々と答えた。それから、

 「でもね、あの男と“男女の営み”をしてから、本当に変わったわ。180度とまでは言わないけど。それからアタシは、性教育に力を注ぐようになったの。男に色々教わってブログを立ち上げて。今はフォロワーが何人もいるわ」

 おなかやまたの辺りを触りながら、こんなことを話した。

 「マリエさん、そのブログ見せてください。それとどうしてまたを触ってるんですか?」

 ぼくがこう問いかけると、マリエさんは、

 「ごめんね、ユウジちゃん。今ブログは“リニューアル”のために一時的に閉鎖してるわ。いずれまた再開するから、その時を待っててね」

 と答えた。それから、

 「それと股を触るのはね、あの男と『気持ちいい特別な一夜』を過ごしてからするようになったの。誰かと“男女の営み”をしたいと思った時には。あれ以来、本当にクセになってしまってね……。彼って本当に変わった人・・・・・なんだけど、アタシを苦しみから解放してくれた“恩人”よ。どんなに彼が世間から叩かれても、アタシは『あの男の女神』でいるわ。近々彼に結婚を申し込むつもりよ。彼を助けたいし・・・・・・・

 途中苦笑いを浮かべつつも、終始目を閉じてこんな話をした。「またの話」を聞いたぼくは、

 「……またを触るの、カナさんもクセだったみたいです……。彼女からは『体験をする時のおまじない』と聞きました。あの日カナさんはまたを触る時、ぼくに『ここで男性をとりこにして、彼らの本能を高めてあげるのが、今の私の進む道よ。私との体験を通して、心が通ういいパートナーを見つけてくれれば、私もうれしいわ』と語ってました。それとカナさん、自分あてに感謝の手紙が来てたこと、本当に喜んでました。『こんな私でも、何らかの形で人のために役に立てるのね』って。実は彼女も、きっかけはある一人の男性との、『心を通わせる体験』だったそうです」

 マリエさんにこんなことを話した。すると彼女は、再びまたの真ん中辺りを触りながら、

 「お互い様ね……。アタシとそこまで似てるなんて……」

 とつぶやいた。それから、

 「アタシはね、あの日、本当にこれまでとは違った体験をしたの。そうね、『あの男と一体感を味わう』感じの体験を。その男と“男女の営み”を行う時、なぜか『“恥ずかしい”という感情がこみあげてきた』の。あれほど“ワンナイトラブ”を重ねてきて、その手のことには十分すぎるほど場慣れしてるアタシがね……」

 振り返るように、こんなことを語った。このままだと、カナさんの話しに入れないと思ったぼくは、

 「マリエさん、そろそろ続きを話してもいいですか?」

 と問いかけた。するとマリエさんは、

 「あら、ごめんね、ユウジちゃん。話を止めてしまって。そろそろお願いね」

 軽く謝りながら、笑顔でこう答えた。

 「わかりました、マリエさん」

 改めて、ぼくはカナさんの話を再開した。



 ユウジを別の和室に連れていったカナは、

 「そういえば、アンタ年令っていくつ?」

 彼に年齢を聞いてきた。彼が、

 「ぼくは、今16です」

 こう答えると、彼女は、

 「そう、じゃ結婚はまだムリね」

 と言った。それから彼に、

 「でもね、これから私と一緒に行う“体験授業”のやり方は、ぜひ覚えておいて損はないわ。『学校では決して教えてくれない』し。今後アンタのパートナーとなる女性と、よりよい絆を深めるためにも、ね」

 こんなことを伝えた。

 「“パートナー”って……。ぼく、まともに女の子と話すらしたことない、ですけど……」

 ユウジがこう話すと、カナは、

 「……気にしなくていいわ、そんなこと。私と見つめあえたら・・・・・・・・・それでいいの。そうね、『アイコンタクト』が出来たら。だけど、その前にちょっと準備をさせて。特にアンタが未成年だったらね」

 と言いながら、一旦和室を出た。彼女の行動がちょっと気になったユウジは、ふすまごしに彼女の様子を見ると、どうやら彼女は薬のようなものを飲んでいた。それから、彼女は別の部屋に向かった。しばらく和室で待っているユウジのもとに、

 「お待たせ、ユウジちゃん」

 と言いながら、カナが戻ってきた。ユウジは、

 「どうしたんですか? カナさん」

 と問いかけると、彼女は、

 「アンタと“体験授業”を行う前に、とても大切なことをしたの。これはアンタと私のためなの」

 こう答えた。そして彼のもとに近づき、

 「ねえ、ユウジ。これから授業を始めましょう」

 彼の両手を握りながら言った。そして、その場で服を脱ぎ始めた。

 「あ、あの……、カナさん、服を脱ぐのはちょっと……」

 彼女の様子を目にしたユウジは、ただ戸惑っていた。そんな彼に彼女は、

 「全部は脱がないわよ。今のアンタには刺激が強すぎるでしょうし」

 と言ったあと、ドレスを脱いで、テーブルの上に置いた。

 「ねぇ、私の目を見て、ユウジ」

 先程と声色を変えながら、彼に自分の目を見つめるように伝えた。彼は、カナに言われるがままに彼女の目を見つめた。すると、しばらく互いが見つめあった状況の中、彼女の方が、

 「ちょっとやだ、私の方が恥ずかしくなってきたわ。私、こんな状況には慣れてるのに……」

 いきなりこんなことを言い出した。それから、

 「やだ……、“いつもの言葉”を言うのが恥ずかしい……。どうしてなの……!? 私、この人と一緒になりたいの・・・・・・・・……!?」

 小声でこうつぶやいた。その様子に気づいたユウジが、

 「あの……、カナさん……、どうしたんですか?」

 と問いかけると、彼女は、

 「……いえ、何でもないわ……。取り乱してごめんね、ユウジちゃん」

 こう答えた。それから、

 「改めて私の『体験授業』始めるわね」

 と言いながら、ユウジを抱いた。

 「あの……、カナさん……」

 彼は、どうしていいのかわからない様子であたふたしていると、彼女は、

 「……私を抱いていいのよ、ユウジ。まずは二人の温もりを確かめあうの。それが絆を深める第一歩だから」

 こう言いながら、彼に自分を抱くように声をかけた。彼はその言葉に応じて、彼女を抱いた。それからしばらくがたち、

 「どう? 女性を抱いた感想は」

 カナがユウジにこう問いかけると、彼は、

 「……温かかったです。カナさんの心と同じ感じです」

 こんなことを彼女に伝えた。

 「うふふ、ありがとう。アンタ優しい人なのね」

 彼女は笑顔でそう答えると、ふいに股をさすり始めた。何度もストッキングごしの股の部分を念入りに、である。

 「あの……、今度は何をやってるんですか?」

 ユウジが不思議そうに問いかけた。カナは、

 「これ? これはね、一種の“おまじない”ってとこかしら。私こういった体験を行う前には必ずやっておくの。男性に気持ちよくなってから、活力を与えるために、ね。体験を通じて彼らの本能を高めてあげるの。それが今の私の進む道よ。それに私との体験がきっかけで、心通うパートナーが出来てくれれば、それはそれで喜ばしいことじゃない」

 こう答えたあと、

 「そろそろ始めるわね。ここからが“本番”よ、ユウジちゃん」

 そう言いながら、ユウジの手を持って、手のひらを自分の体に当てた。



 「そこからカナさんと何をしたのかは、なぜか覚えてないんです……。だけど、最後は『ぼくとカナさんは一緒につながってる』という感覚だけは、決して忘れられないんです……。カナさんも、『これで思い残すことはないわ。いつ病気で倒れても』って話してましたし」

 ぼくはマリエさんにこう伝えると、彼女は、

 「……アタシの『体験』よりもすごいかもしれないわね……。それこそ奇跡に近いようなものだし」

 感心するように言った。それから、

 「ねえ、今からカナという女と同じように、アタシと一緒に“男女の営み”をしない? ユウジちゃん」

 こんなことを言い出した。

 「あの……、実はカナさんの話にはまだ“続き”があるんですけど……」

 ぼくはカナさんの話に戻そうとしたが、彼女は、

 「ダ・メ・よ、ユウジちゃん。せっかく、今からアタシがアンタのために“イイこと・特別授業編”を行うのに……。アンタが優しい人間なのは、アタシにもわかってるわ」

 などと言いながら、ぼくのほおを指でさすった。その気持ちに押されたぼくは、

 「わかりました、マリエさん……」

 と答えた。するとマリエさんは、

 「そういえばアンタ、最初『こんな体験始めて』って言ってなかったかしら? ひょっとして、アタシにうそをついてたの……!?」

 こんなことを言い出した。ぼくは、

 「……ええと、それは……、そうそう、恋愛については、今回が始めてだからです……。カナさんの場合は、恋愛ではなかったですから」

 何とか思いだしながら、彼女に話した。その話に彼女は、

 「……そう、わかったわ。それならアンタを信じるわ。これは“女神との恋愛”でもあるからね」

 と言った。マリエさんの言葉にぼくはホッとした。彼女にうそをつかなくてすんだからである。それから彼女は、再びドレスを脱ぎ始めた。そして脱いだあと、

 「始めよう、ユウジちゃん。例の特別授業を」

 ぼくにこう告げた。


 「ねぇ、アタシの目を見て、ユウジ」

 マリエさんはぼくにこう呼びかけた。ぼくは彼女の言うとおり、じっと彼女の目を見ていた。すると、

 「ちょっと、そんな目で見ちゃ授業に入れないじゃない、ユウジちゃん。逆に女の子から怖がられるわよ、それじゃ」

 マリエさんから、こんな注意を受けた。

 「……どういうことですか!? マリエさん」

 ぼくが不思議そうに彼女に問いかけると、彼女は、

 「ユウジちゃん、アンタ目付きが悪いわよ。そういうのじゃなくて、『アタシと見つめあう』というのかな、『お互いがアイコンタクトを取る』というような感じでアタシを見るの。目付きには気をつけて」

 こう答えた。

 「ぼくって目付き悪かったですか?」

 ぼくがこう言うと、マリエさんは、

 「その通りよ。そこは注意した方がいいわ」

 と言ったあと、

 「そうねぇ、アンタが『カナと“男女の営み”をした時に彼女を見たような目付き』でいいのよ。さりげなくで」

 ぼくにこう伝えた。ぼくはその日を思いだしながら、

 「……そういうことですね。わかりました」

 と答えた。彼女は、ぼくの顔を軽く両手で持ち上げて、

 「それじゃ、始めるわよ」

 と言いながら、軽くキスをした。そして、

 「ユウジちゃん、もう一度アタシの目を見て」

 セクシーボイスという感じで、ぼくに自分の目を見るように伝えた。ぼくは、カナさんと一緒につながった時を思いだしながら、マリエさんの目を見つめた。それからしばらくして、いきなりマリエさんが、

 「ちょっとどうしたの……!? 恥ずかしいわ、アタシ……。“あの時”と同じみたいに」

 こんなことを言い出した。

 「あの、マリエさん……、顔が赤くなってますよ?」

 不思議そうに思ったぼくがこう問いかけると、彼女は、

 「アンタを見つめたら、ふいに恥ずかしくなったわ……。あの男を見つめた時もこうよ。あれから何をしたのか、本当に覚えてないわ。気がついたらあの男を抱いてたの。そして、『この人となら一生そばにいたい、この人の“女神”でいたい』という思いが芽生えたの。それから、“あの日の体験”を他人に伝えたくて、性教育に力を注ぐことになったわ。いろんな男と“男女の営み”を経験したからこそ、人に伝えられることがあるんじゃないか、ってね。それともうひとつ気づいたことがあるの。当たり前すぎるかもしれないけど、『女性はモノじゃない』ってこと。もちろん、女に限ったことじゃないけどね、そこは……。ちょっと話が長くなってごめんね」

 こんな話をした。それからぼくの手を握って、

 「こういう“営み”ってね、二人きりだからこそ・・・・・・・・・出来ることがあるの。周りなんて、社会の目なんて全然気にしなくていいから。だからアタシの体を色々触って、ユウジちゃん。そして気持ちよくなでて」

 自分の胸にぼくの手のひらを当てた。


 「ユウジちゃん、アンタと一緒につながって、アタシ本当にうれしいわ……」

 マリエさんは、涙を流しながらそう言って、ぼくを抱いていた。だけどその時、ぼくは何も答えられなかった。

 「どうしたの? ユウジちゃん。そんな顔して」

 マリエさんが首をかしげながら問いかけた。ぼくは、

 「ごめんなさい、マリエさん。実はマリエさんと何をしたのか思い出せません……」

 と答えたら、彼女から、

 「え!? アンタもそうだったの??」

 意外な言葉が返ってきた。

 「それでも、“マリエさんと一緒につながってる”という感覚だけは、決して忘れられないです。……なんかカナさんの時と同じみたいですけど……」

 ぼくがこんなことを話すと、マリエさんも、

 「お互い様ねぇ、そこも。アンタが結婚出来る年だったら、すぐにでも結婚申し込もうかしら。あの男より優しいからね。……なんてね♪ 冗談よ、冗談♪」

 楽しそうに語っていた。それから、

 「あーあ、部屋の中ぐちゃぐちゃだわ。色々散らばってるし、なんか“宴のあと”っていった感じね」

 そう言いながら、部屋を片付け始めた。ぼくも手伝おうとすると、彼女から、

 「いいわよ、ユウジちゃんは。今日のアタシは“アンタの女神”だから。だから着替えて待っててね」

 そう言って断られた。マリエさんから言われた通りに着替えて待っていると、しばらくしてから、

 「お待たせ」

 別の服に着替えた彼女が部屋に入ってきた。それはマリエさんの家に入った時とは違う、中学校時代の美人の先生によく似た格好だった。ぼくが目をぱちくりしている間に、

 「今日は“アンタの女神”であると同時に、“ちょっとした・・・・・・人生の教師”としてでもあるの。悩みがあったら聞いて。アタシの答えられる範囲だったら答えてあ・げ・る♪」

 そう言いながらマリエさんは、後ろからぼくの両肩をぽんと叩いた。

 「マリエさん、いきなり……」

 ぼくは驚きながら、後ろを振り返った。その姿を目にしたぼくは、思わず、

 「……中学校時代の、美人の担任の先生によく似てます、マリエさん」

 こんなことを口にした。

 「うふふ、ありがとう、ユウジちゃん」

 マリエさんは、ぼくを抱いてこう言った。それから、

 「で、何かアタシに聞きたいことあるの?」

 ぼくにこう問いかけた。ぼくは、

 「ええと……、あ、そうそう、カナさんのことの続きを話さなきゃ」

 と言うと、彼女も、

 「あ、そうだったわね。アタシがアンタの話の途中で“イイことをする”って言ったから、止まったままになってたのね。わかったわ。それじゃ話を続けて、お願い」

 ぼくに話の続きをするように頼んだ。彼女の頼みを聞いたぼくは、カナさんの話の続きを再開した。



 「本当によかったわ。アンタと“気持ちいい体験”が出来て。おかげで、悔いを残すことはなくなったわ」

 カナはユウジにたいし、こんな言葉をかけた。その言葉に彼は、

 「カナさん……、それはどういうことですか……? 『悔いがなくなった』って……」

 彼女に疑問をぶつけた。すると彼女は、お腹をさすりながら、

 「……アンタには教えてあげるわ……。実は私、重い病気でもう長くはないの……。あとどれだけ生きていられるかわからないわ。だから、今の私に出来ることを精一杯やってるの。それでも、アンタは、私と付き合えるの……!?」

 涙を浮かべつつ、こう答えた。彼は、

 「……そうだったんですか……。カナさんが病気をしてるなんて、全然思いませんでした……」

 と伝えると、彼女は、

 「……いいのよ、なぐさめてくれなくて。私もう覚悟は出来てるわ。だから、せめてアンタには、これからのために色々伝えてあげる」

 そう言いながら、一冊のメモ帳を渡した。

 「それはアンタが持ってて。いずれアンタの役に立つから」

 カナはそう言ったあと、いきなりユウジを抱き締めた。

 「もうアンタに会うこともないけど、これだけは覚えておいて。この世界はね、アンタや私の家族みたいに冷たい人たちばかりじゃないってこと。必ずアンタを理解して、力になる人は現れるから。ユウジちゃん、最後にもう一度、女性に抱かれた感想はどう?」

 再び彼にこう問いかけた。彼は即座に、

 「本当に温かったよ、カナさん。カナさんのような女性だったら、いつまでも一緒にいたいよ」

 こう答えた。カナは、

 「うふふ、ありがとう。アンタならそう言ってくれると思ってたわ」

笑みを浮かべながら、彼を抱き締めつづけた。彼も彼女を抱き返し、それからしばらくの間、二人は互いの温もりを確かめるかのように抱きつづけた。それから二人が離れたところで、

 「カナさん、部屋の掃除、まだ残ってるところがありますけど」

 ユウジがこう告げると、カナは、

 「そう? それじゃお願いね。あそこの部屋以外は」

 と答えた。その言葉を聞いた彼は、再び部屋の掃除を始めた。しばらくして彼は、辺りを見回して、彼女が自分の周りにいないことを確認した上で、

 「カナさんが言ってた“楽屋”も掃除してあげたいけど……」

 と言いながら、こっそりとその部屋をのぞき見した。すると、

 「いろんな服があるんだ……。きれいなドレスも。カナさんにふさわしい」

 とつぶやきながら、見とれるように中を見渡していた。その時、

 「……見たのね、私の“楽屋”。私が風呂に入ってる間に」

 カナに見つかった。ユウジは慌てて、

 「……カナさん、ぼくは中には入ってません。ただ、中を見ただけです……」

 こう言った。

 「本当に!?」

 彼女は、疑いの眼差しで彼にこう問いかけると、彼は、首を大きく縦に振りながら、

 「本当です。ぼくが見たのはドレスだけですから」

 と答えた。彼女は、

 「本当にあのノートとか見てないの!?」

 なおもユウジを疑ったが、彼は、

 「え!? ノートですか!? そんなのあったんですか??」

 首をかしげながら考え込んだ。するとカナは、

 「……よかった……。その様子じゃ、本当に見てなかったみたいだし」

 ほっとするように、こうもらした。彼は、

 「そのノートって、何が書いてあるんですか?」

 と尋ねてみたが、彼女から、

 「残念だけど、それアンタにも見せられないの。そのノート、“私が生きてきた秘密の証”だから」

 こう断られた。代わりに彼女は、

 「だけど今日は本当にありがとう。これお礼よ」

 そう言いながら、ユウジに封筒を手渡した。彼はそれを受け取ると、

 「結構厚いんですね。何が入ってるんですか?」

 カナにこう問いかけると、彼女は、

 「それ帰ってから開けて。アンタの助けになるから」

 笑顔でこう答えた。それから彼に、

 「それじゃ、私は今から寝るわね。今日は大切な夜の仕事があるから」

 と伝えた。彼は、

 「ありがとうございます、カナさん」

 彼女にお礼を言ったあと、部屋を後にした。



 それから2日後、いつものように、ユウジが部屋の掃除を始めようとしたところで、このアパートに男女二人が訪ねてきた。

 「すみません、このアパートの大家はどこにいますか?」

 男性がユウジにこう問いかけると、彼は、

 「ええと、今から呼んできます」

 と言いながら、大家のいる部屋に向かった。それから二人が男女のもとに来た時、大家は、

 「こちらに何の用事があるのかい? 見かけない顔だけどね」

 と問いかけた。男性は、

 「大切な用事があるので、こちらにこちらに来ました」

 と答えたあと、

 「実は私は、以前ここに住んでた方の知り合いでした。202号室にいたカナという女性です」

 こんなことを口にした。

 「あの、カナさんと知り合い、だったんですか……?」

 ユウジが男性にこう聞くと、彼は表情を曇らせながら、

 「……そうです……」

 と答えた。そして、

 「申し遅れました。私は中野なかのといいます。現在は、そこにいる彼女のアシスタントをしてます」

 こう話した。二人の服装に疑問を抱いたユウジは、

 「どうして、葬式で着る服を身につけてるんですか?」

 と問いかけたところ、大家が、

 「ユウジ、そういったことを聞くもんじゃないよ」

 と彼をたしなめつつも、考え込んでいた。

 (……“中野”? まさか……)

 大家は、しきりに何かを気にしつつ、中野と名乗った男性に、

 「申し訳ないけど、その知り合いとは誰のことかい?」

 と問いただすと、彼は、

 「……カナという、キャバクラ嬢です……」

 小声で答えた。すると、大家の顔色が変わり、

 「……あんた、まさか3年近く前に彼女を殺した……」

 震えるような声で中野に問いただした。その問いに彼は、

 「その通りです……。私が、彼女を殺しました……」

 と答えた。その言葉を耳にしたユウジは思わず、

 「えええええ……!!?」

 大きな声で叫んだ。さらに、

 「ぼく、おととい、カナさんと一緒に過ごした・・・・・・・んです……。……実際に、彼女からもらったものもあります……」

 そう言いながら、一旦自分の部屋に戻った。それから3人がいる場所に小走りで駆け寄り、

 「これが、ぼくがカナさんから、実際に受け取った・・・・・・・・お金です」

 そう言いながら、手にした封筒を中野に手渡した。彼は、

 「……本当か!? それは……」

 ひどく驚いた様子で、ユウジが持っていた封筒を、震える手で受け取った。そして中身を確認すると、

 「……これは、200万ほど入ってる……」

 こうつぶやいたあと、

 「この紙は、なんだ……」

 と言いながら、お金と一緒に入っている、一枚の紙を取り出した。するとそこには、



 ――タクちゃんへ――


 タクちゃん、私を救ってくれてありがとう。実はアンタに出会う前に、私は重い病気であることを告げられたの。それもあまり長くはないと。そんな時に、アンタと“一夜の体験”をしたあの日、私に奇跡的なことがもたらされたの。そう、小さい時から苦しんできたものから解放されたわ。アンタと“つながる”ことで……。この中に入れたのは、アンタにとってふさわしいパートナーが見つかった時の、“私からのプレゼント”よ。私はアンタとは結婚できないけど、喜んでアンタにふさわしい相手を見つけてあげるわ。それがアンタに出来る、私の“恩返し”だから……。最後に、パートナーとずっと幸せになってね、タクちゃん


                                          ――カナより――



 という文章が綴られていた。その手紙を目にした中野は、

 「……私は、とんだ思い違いをしてたみたいだ……。そんな病気を抱えながら私のために……、ここまで……」

 こうつぶやいた。彼の目からは、止まらないくらい涙が流れていた。それから大家に対して、

 「ひとつ頼みがあります。カナが住んでいた部屋に立ち入らせてもらえないでしょうか?」

 と頼み込んだ。彼女がためらっていると、中野と一緒に来ている女性が、

 「私からもお願いします。今の彼は人を殺すような人間ではありません」

 彼と一緒に頼み込んだ。大家は、渋々といった表情を浮かべながら、

 「ユウジ、二人を部屋の中に入れてやってくれ」

 ユウジにこう伝えた。彼はすぐさま202号室の鍵を開けたあと、

 「この中に入ってください」

 と言いながら、二人を202号室に入れた。すると中野は部屋に入るなり、いきなり靴を脱いで、一目散に和室へ向かった。それから和室に入ったあと、

 「……カナ……、会いにきたよ・・・・・・。“パートナーを連れてきて”」

 こう言った。女性もユウジと一緒に中野のもとに向かうと、ユウジが、

 「あの……、何か、カナさんの声が聞こえるみたいです……」

 こんなことを口にした。女性は驚きの表情を浮かべながら、ユウジに、

 「あなた……、それ本当なの!?」

 と問いかけると、彼は、

 「……はい」

 うなずきながら言った。それから女性に、

 「ええと、名前は……、なんていうんですか?」

 こう聞くと、彼女は、

 「申し遅れたみたいね……。私は倉沢くらさわアンナっていうの。フリージャーナリストとして活動してるわ。たくみ君は私のサポートをしてるの」

 ユウジにこう伝えた。彼も、

 「アンナさんですね……。ぼくはユウジです。よろしくお願いします」

 アンナに簡単な自己紹介をした。その時、中野の様子に異変を感じたユウジは、

 「アンナさん、ちょっと和室の方に向かいましょう」

 と言いながら和室に入った。すると、

 「カナ……、私は……」

 中野が頭を抱えながら、その場にうずくまっていた。

 「アンタ、よくも私を殺してぬけぬけと……」

 「……私は、そんなつもりでは……」

 このやり取りを耳にしたユウジは、

 「カナさん………、どういうことなのかわかりません……」

 と言った。その時、

 「……でも、本当はアンタに首を絞められた時、もう私に抵抗する力がほとんど残ってなかったの……。だから、私は……」

 という声が部屋に届いた。

 「あの……、カナさん……」

 ユウジが首をかしげながらつぶやくと、

 「タクちゃんに謝らないといけないの。“アンタのパートナーと引き換え”に、結果的にアンタを殺人者にしてしまったことを……」

 こんな言葉が聞こえてきた。中野は、

 「……カナ……、それはもういいんだ。私が他人にそそのかされて、お前を手にかけてしまったのが悪いのだ。それにお前が重い病気を抱えてることを知らずに……。だから私は、お前が引き合わせてくれたアンナと一緒に、お前を弔いに来た」

 と言いながら、ポケットから数珠を取り出し、両手を合わせた。その様子を目にしたアンナも、いつの間にか中野の側に寄り、

 「カナさん……、あなたが生きてるうちに、あなたの“想い”を取材で伝えられなかったのが心残りです。ですが、あなたが会わせてくれた巧と一緒に、これからも、多くの人たちの想いを伝えていきます。だから、私たちを見守ってください。いずれあなたの想いも必ず人々に伝えます。もうひとつ、誰がどんな批判をしようと、私は巧と一緒になります。結婚します」

 こう話しながら、手を合わせた。すると、

 「……ありがとう……。こんな私のためにここまでしてくれるなんて……」

 こんな声が聞こえてきた。ユウジは、

 「カナさん……」

 そうつぶやきながら、いつの間にか流れる涙をぬぐっていた。それからしばらくたち、中野が、

 「ありがとう、ユウジ君。これでカナも浮かばれるだろう。それでも私たちは、これからも年に一度はここを訪れることに決めたよ。それがカナの、アンナとの約束だ」

 ユウジにお礼をのべたあと、二人で部屋を後にした。と思いきや、アンナがすぐに引き返しユウジに、

 「ユウジっていってたわね。あなたに渡したいものがあるわ」

 と言いながら、メモ帳を手渡した。それから、

 「あなたに興味を持ったの。そこには私の連絡先も書いてあるから、何か伝えたいことがあったらぜひ知らせて。いずれあなたの助けになると思うから」

 そう言い残したあと、部屋を去った。この時のユウジには、後にアンナが言った話の通りになることを知るよしもなかった。



 「ものすごい話ね……。殺されてまで、自分を変えてくれた人のために……。その張本人が殺した・・・・・・・・・っていうのに……。本当に泣けてくるわ」

 マリエさんは、目に涙を浮かべながらこう話した。それから、

 「それにしても、本当に信じられないわね。すでに殺されてた・・・・・・・・人間とともに過ごすなんて」

 こんなことを口にした。ぼくは、

 「だけど、カナさんが必死になって生きてきた姿は十分伝わりました。マリエさんも、カナさんと一緒の感じがします」

 と伝えると、彼女は、

 「そうかしら……? でも、『自分を変えてくれた男のために何かをしたい』という気持ちは変わらないわ。アタシもカナも。ついでにアンナという女もね……」

 こう話した。そして、いきなりぼくを抱き締めたあと、

 「アンタも、アタシを変えてくれたひとりよ。本当はアンタと一緒に結婚したいくらいだけど、あの男にはアタシがついてないとダメなの。残念だけどね。だから、アンタには“人生の授業”としてお返ししてあげるわ」

 と伝えた。ぼくは素直に、

 「……ありがとうございます、マリエ先生・・

 マリエ先生にお礼をした。それを聞いた彼女は、

 「“先生”って言ってくれるわね……。まあ、アンタの先生に似てるっていうから、ありがたく受けとるわ」

 笑みを浮かべながら言ったあと、

 「それじゃ、授業を始めるわね」

 それを合図に、マリエ先生による“授業”が始まった。


 それからしばらくがたち、

 「アタシの授業は、一旦これで終わりよ。最後まで受けてありがとう、ユウジちゃん」

 授業を終えたマリエ先生は、時計を確認すると、

 「もう7時!? ご飯作らなきゃ」

 そう言いながら、台所に向かった。それから、

 「ユウジちゃん、今日は何がいいの?」

 と聞いてきた。ぼくは、

 「別に何でもいいですよ」

 と答えると、先生は、

 「わかったわ。じゃ、味噌汁を作ってあげる」

 そう言いながら、料理を作り始めた。ぼくは料理が出来る間、今日のことをノートに記した。しばらくして、

 「出来たわよ、ユウジちゃん」

 マリエ先生が料理を持ってきた。

 「おいしそうですね」

 ぼくがこう言うと、先生は、

 「これね、アタシと一夜を過ごした男たちに好評だったの。これを飲んだ男たちは、アタシにお金をはずんでくれたわ。実際に飲んだ翌日、彼らにいいことが起きてたの。ユウジちゃんも食べて」

 ぼくに食べるように、笑顔で伝えた。ぼくは、先生に勧められるまま味噌汁を飲むと、

 「おいしいです、マリエ先生」

 正直にこう言った。

 「ありがとう、ユウジちゃん」

 先生がお礼を言ったあと、ぼくは、

 「……中学校の担任の作ってくれた味噌汁の味とほぼ同じです。隠れた“命の恩人”の」

 こう伝えた。マリエ先生が、

 「命の恩人? アタシにそっくりの先生が??」

 とたずねると、ぼくは、

 「はい。2年の時の担任でしたけど、その人がいなかったら、今ごろぼくはここにいないと思います。家を追われたあと、最初は、その先生に助けを求めるためにさまよってましたし」

 こんな話をした。それから先生に、

 「あの時は、担任と二人きりになった時間が、ぼくにとって安心出来る時でした。『担任の先生がぼくの母さんだったら』と思ったことが何回もありました。だから、マリエ先生に会えてよかったです」

 こう伝えた。先生は、

 「それはお互い様よ。アタシもユウジちゃんに会えてよかったわ」

 笑顔でこう言ったあと、

 「ご飯早く食べてね。授業再開するから」

 と言いながら、自分のご飯を食べ始めた。しばらくして、ぼくとマリエ先生がご飯を食べ終えて、片付けが終わったあと、先生は、

 「それじゃ、授業を再開するわよ」

 と言ったあと、再び授業が始まった。


 1時間あまりがたって、

 「アタシの授業はこれで終わりよ。最後に“とっておき”を残してね」

 マリエ先生はこう言ったあと、上着を脱いでハンガーにかけた。それから、

 「ユウジちゃん、アタシがいやしてあげるわ」

 そう言いながら、赤ちゃんをあやすようにぼくを抱いた。

 「先生、いきなり……」

 心の準備ができてなかったぼくは戸惑ったが、先生は気にせず、

 「いいのよ、困った表情を浮かべなくて。“子供に愛情を注ぐ”のが母親なのよ」

 笑顔でこう言いながら、ぼくの手をつかんだ。それから、自分の胸にぼくの手をあてて、しばらくそのままなでつづけた。数分たって、

 「どう? “母親”の体に触れた感想は」

 マリエ先生は、ふいにこんなことを問いかけた。

 「なんだか気持ちいい感じがします……」

 ぼくは正直にこう答えると、先生は、

 「うふふ、ありがとう。アタシも小さい時、親の愛情をろくに受けとれなかったからね……。あの男のおかげで、こんな感情を取り戻せたけど」

 ぼくの頭をなでながら、こんなことをつぶやいた。そして、

 「ユウジちゃん、キスをしよう。アタシとアンタをつなぐ“心の橋渡し”として」

 ぼくを見つめながら、こんなことを言った。ぼくも、

 「マリエ先生とでしたら喜んで」

 笑顔でこう言った。そして先生が、

 「これからの二人の進む道に光があることを……」

 と言いながら、ぼくのくちびるに自分のくちびるをあて、ぼくを抱き締めた。ぼくも先生を抱いて、先生のくちびるを離さないようにキスを続けた。キスを続けた間、マリエ先生の表情は、本当に“女神が舞い降りた”というような感じになっていた。

 「本当に最高な一日をありがとう、ユウジちゃん」

 しばらくして、マリエ先生、いえ、“女神マリエ”の口から、こんな言葉が飛び出した。

 「ぼくもです。今日は決して忘れられない一日になります。こんな女神とともに過ごせましたから」

 「お互い様ね。今度会う時のために、連絡先を交換しましょう」

 「わかりました、マリエ先生」

 こんなふうにお互いの連絡先を交換したあと、

 「もうこんな時間ね。そろそろ風呂に入ってから寝ましょう。準備はすぐ出来るから、アンタから先に入ってね」

 マリエ先生はこんなことを言い出した。ぼくは時間を確認すると、もうすぐ9時になろうとしていた。

 「わかりました、マリエ先生」

 ぼくはそう言ったあと、着替えの準備を始めた。しばらくして、

 「風呂がわいたわよ」

 という先生の声が聞こえたので、ぼくは先に風呂に入った。風呂から上がったあと、

 「アタシは後で入るから、そろそろ休んで。布団ひいておいたから」

 先生はぼくにこう伝えた。マリエ先生と会うまで結構歩いていたぼくは、

 「わかりました。お休みなさい、先生」

 と言いながら、布団に入った。しばらくすると、マリエ先生がそばでぼくの頭をなでていた。

 「先生……」

 眠りに入りそうなぼくに、先生は、

 「アタシのこと、忘れないでね。アタシはアンタの味方・・・・・・だからね……」

 こんな言葉をかけた。


 翌日、

 「あー、気持ちいい朝だ」

 ぼくは数日ぶりにすっきりとした朝をむかえた。布団をたたんで、

 「マリエ先生、おはようございます」

 と言いながら和室を出たが、なぜか周りは静かだった。

 「マリエ先生、どこにいますか?」

 声をかけても、何もかえってこなかった。辺りを探してみると、テーブルの上に一枚の紙切れを見つけた。そこには、



 ――ユウジちゃん、かけがえのない一夜をありがとう。アタシもアンタのような優しい人に出会えて、本当にうれしかったわ。ただ残念だけど、大切な用事が出来たから、ここを出なければいけなくなったの。窓の鍵は全部閉めて、玄関の鍵は玄関前にある植木鉢の中に入れておいて。それとひとつ、早めに家を出ておいた方がいいわ。片付けは気にしなくていいから。最後に、もし再びアンタに会えることがあったら、その時はアンタに結婚を申し入れるわ。アタシとアンタが共に独身なら――



 こんなことが書いてあった。

 「マリエ先生……」

 ぼくはこの紙を見て、思わず涙をこぼした。それから、この紙に書いてあった通り支度を始め、紙切れと一緒においてあった、先生が作りおきをしていたと思われる朝食を、再び温めたあと食べた。

 「……先生の味噌汁、本当においしいよ」

 そう言いながら、ぼくは朝食を食べた。それから、キッチンに食器を置いて、歯みがきなどをしたあと、家を後にした。この後、とんでもない事実・・・・・・・・が明らかになることを知ることもなく……



 それから2日後、引き続き東北を歩いて北上していたぼくに、誰かが、

 「ユウジちゃーん、ひさしぶりね」

 という声をかけてきた。振り返ると、

 「アンナさん……」

 車に乗ったアンナさんが、巧さんと一緒に来ていた。

 「アンナさん、ここで何をしてるんですか?」

 ぼくがこう問いかけると、アンナさんは、

 「取材活動よ。この辺りの現況を伝えるための」

 と答えた。ぼくが、

 「そうだったんですか。ぼくは毎日祈りながら、ひたすら日本中を歩き回っているところです。足立先生と交わした日課を行いながら」

 こう伝えると、巧さんが、

 「それは君らしいね。私と同じように、亡くなった人が見える・・・・・・・・・・みたいだからね」

 と話した。アンナさんは、

 「足立教授ね……。私たちもずいぶんお世話になってるわ」

 と言ったあと、

 「せっかくだから、今日私たちと一緒に泊まらない? あなたの話を聞きたいから。お金は私たちが持つわ」

 ぼくに一緒に泊まるようにすすめた。

 「ありがとうございます、アンナさん」

 ぼくは、アンナさんの誘いに喜んで応じた。もちろん断る理由もなかった。

 「それにしても、タイツはいててよかったわ。なんか寒いみたいだし。まだ10月の中頃・・・・・・なのに……」

 車から降りたアンナさんがこうつぶやいたあと、

 「あなた、本当に寒くないの? その格好で」

 不思議そうにこう問いかけた。その時のぼくは、上は2枚だけしか着てなかった。ぼくは、

 「ええ、ぼく寒さには強いですし」

 と答えると、彼女は、

 「……元気いいのね。あなたって」

 感心するようにつぶやいたあと、

 「ユウジちゃん、取材に同行しない? レンタカー借りてるから」

 こう問いかけた。ぼくは、

 「わかりました。今日はお願いします、アンナさん」

 と答えると、彼女は、

 「わかったわ。それじゃ、一緒に行こう」

 ぼくを車に乗せて、運転を始めた。


 アンナさんの取材も終わり、ぼくたちは、市街地のホテルに入った。

 「もう少し取材を続ける必要があるみたいね」

 ぼくたちが泊まる部屋に入った時、アンナさんがこう言った。それから、

 「ユウジちゃん、悪いけど、もう少し私たちの取材に付き合ってくれる?」

 ぼくにこうたずねた。ぼくが、

 「わかりました」

 と答えると、彼女は、

 「ありがとう、ユウジちゃん」

 ぼくの手を握りながら、お礼を言った。それから、

 「ユウジちゃん、今歩いて日本一周を目指してるの?」

 こんなことを聞いてきた。ぼくは、

 「うん。毎日、これまで生きてきた人々に祈りをささげながら、ひたすら歩いてるんです」

 と答えると、アンナさんは、

 「せっかくだから、そのことを多くの人に知らせよう。お金は“クラウドファンディングで集める”という方法もあるから。ところで、あなたの口座ってあるの?」

 こんな提案をしてきた。ぼくは、

 「ええと、口座ならありますけど……。“クラウド何とか”って……」

 戸惑い気味に言うと、アンナさんは、

 「そうね。いきなり言われても困るわね。それじゃ、まずはあなたの歩いた道のりとかを、SNS上に投稿するといいわ。理解者が現れるかもしれないし」

 こんなことを口にした。

 「ノートの方はありますけど……。今手元に残ってるのは2、3冊だし」

 ぼくがこう話すと、彼女はぼくに、

 「……そうなの……。それじゃ、ノートの内容をスマホに保存しておくといいわ」

 こう話した。それから、

 「せっかくだから、まずは温泉に入りましょう」

 ぼくに温泉に入るようにすすめた。


 しばらくして、温泉に入り、晩飯を食べたぼくたちは、部屋の中にいた。ぼくは、今日のことをノートに書き記して、テレビを見ていた。ふとチャンネルを回すと、ドラマが始まっていた。何気なくそのままにしていると、誰かが殺されているシーンが映っていた。その人を目にしたぼくは、

 「……マリエ先生・・・・・……!? 本当なの……!?」

 思わず大きな声を上げてしまった。

 「……そんな、マリエ先生が殺されてる……」

 そんなぼくの言葉を耳にした巧さんは、

 「ユウジ君、どういうことなんだ、それは……」

 こう問いかけた。ぼくが、

 「実は昨日、今テレビに映ってる殺された女性と、実際に一夜を共にした・・・・・・・・・・んです……。彼女は、『夜の女神』だった人です……」

 と涙ながらに答えると、二人は、そのまま黙ってしまった。ぼくもしばらく涙が止まらなかった。その後、巧さんが、

 「……もしユウジ君、君がさっき言ったことが本当だったら、これは大変なことになるぞ」

 と言ったのを聞いたぼくは、涙をぬぐってから、改めてテレビを見て、

 「……この家です。昨日、ぼくがマリエ先生と過ごしたところ」

 と二人に伝えた。するとアンナさんが、

 「……そういえば、『ここでロケがあった』という話は耳にしたわね。『三陸に2時間ドラマのスターが来た』というのも。ちょっとしたスポットにはなってたわ、そこは」

 こんな話をした。巧さんも、

 「ああ、私もそのスターのファンなんだ。サインもらう人が集まってたらしいね」

 こんなことを言い出した。ぼくは、改めてマリエ先生に会う前後のことを思い出そうとした。そして、

 「そういえば、マリエ先生と一緒に歩いてる間、ロケの話を耳にしました……。その時は、まさか……、このロケのことだとは、思いませんでしたけど……」

 と二人に伝えた。アンナさんは、

 「どうも本当みたいね、あなたが言ってたこと。普通は信じられないと思うけど。“被害者の名前もマリエ”だったし。タイトルが『ナイトガデス連続殺人』で、マリエがキャバクラ嬢だったというのも……」

 考え込みながら、こう話した。ぼくはその間、涙を必死にこらえていた。そんなぼくのことを見ていた二人は、しばらく何も話さなかった。それから犯人が捕まるシーンで、主人公を演じるスターが、

 「……マリエさんはな、てめえのようなろくでなしのために、“女神となって”助けようとしたんだ。『“自分を救ってくれた”人に、これ以上道を外してほしくない。何があっても必ず味方でいる』ってね。あの人はな、本当にてめえのことを愛してたんだ。マリエさんが性教育の充実や、性犯罪に苦しむ女性を助けるための活動を始めたのも、てめえが彼女を“心の闇”から解放したのがきっかけだったんだ。おそらく、彼女にはてめえの“心の闇”が見えてたんだろう。てめえが罪を犯してることを知りながら、それでも結婚しようとしたんだからな。それなのによ、てめえは、自分で得意気に会社の金を横領したことを話したり、マリエさんに人殺しの誘いを行っておいて、『ゆすられるのが怖かった。利用することができなくなった』から無残にもマリエさんを毒殺した。それだけじゃない、てめえは、横領の罪が発覚するのを恐れ、次々と付き合ってたホステスたちを毒殺し、ついには会社の社長を、二人の同僚を巻き込んで殺した。さらにその証拠隠滅のため家に火をつけ、近所の住民数十人もの命を奪う大火災まで引き起こした。日本中を震撼させた犯罪組織を“利用して”な。てめえなんざ、もう生きてる資格はねぇんだ」

 こんなセリフを言っているのを耳にした巧さんは、

 「やりきれないな。ドラマとはいえ、こんな人間がいるなんて……」

 顔をゆがめながら、こうつぶやいた。少したって、主人公が犯人をつかんで殴ろうとしたシーンが映った時、信じられない状況を目の当たりにした。


 「……やめて、その人を殴らないで」

 「……まさか、その声は……、ひょっとして……!?」

 「その通りよ。そこの男に殺されたマリエよ。アタシは、何があってもその男を愛する決心をしたの。それに、アンタが彼を殴ったところで、殺された人たちは戻ってこないわ」

 「……わかったよ。君の想いは俺達にも痛いほどわかった。君が残したノートには、そいつと一緒に性犯罪の被害者を助ける活動を行うプランが書いてあったな。いずれは、『外国の弾圧や迫害に苦しむ子供たちの“駆け込み寺”にしたい』とまで」

 「ええ。それにアタシには、その男が小さい時から、アタシと同じような苦しみ味わってたことを感じてたの。だから、アタシが“女神”となって、その男を助けることにしたわ」


 こんなセリフが続いている最中、ぼくは涙が止まらなかった。マリエ先生は、『自分を殺した人を天国に行ってまで愛していた』のだ。アンナさんも、

 「……私、マリエさんのような人にはなれないわ……。あんなろくでなしの男のために、自分が命を奪われてまでそこまでやるなんて……」

 目に涙を浮かべながら、こう言った。そしてテレビは、


 「……しかし、本当にむなしさや悲しさだけが残ることになったわね……」

 「……ああ、そうだな。だけど人間ってものは、いかようにでもなる存在だってことがわかったよ。小さい時から同じような苦しみを味わい続けても、マリエさんのような優しさがあふれた“女神”にもなりゃ、あのろくでなしのように、『自分の罪がバレるのが恐い、金を巻き上げられるのがつらい』なんていう身勝手な理由で、多くの命を奪う外道に落ちてしまう。全く厄介なことだ……」


 こんなシーンを映し出していた。ぼくはこの主人公の、「人間はいかようにでもなる存在だ」というセリフに心を動かされた。それから、いつの間にかテレビの画面に手を合わせていた。

 「マリエ先生……、安らかに眠ってください……。ぼくは先生のことを決して忘れません」

 目を閉じながら、こうつぶやいて……。


 ドラマが終わり、ぼくは涙をぬぐって部屋の時計を確認すると、

 「もう11時になるね」

 11時になろうとしていた。アンナさんは、

 「そろそろ寝る時間みたいね。布団を引こうかしら」

 そう言いながら、3人分の布団を引き始めた。それから、

 「……このドラマ、何か起こしそうね・・・・・・・・……」

 こんなことをつぶやいた。巧さんも、

 「ああ、そうだろうな、アンナ。マリエほどじゃないけど、お前は私の“女神”のような人だよ」

 アンナさんにこう伝えた。その言葉に彼女は、

 「巧、あなたそれ本音? あなたが大それたことしたの、忘れてはダメよ」

 こう問い返した。それに対して巧さんは、

 「それは忘れたくてもできないよ、アンナ。私たちを結んでくれたカナに対しても大変失礼だ、それは。それにそのことを含めて、こんな私に手をさしのべてくれたアンナには、本当に感謝してるよ。私は君をずっと助けるよ、何があっても」

 アンナさんの肩をたたきながら答えた。すると彼女は、

 「ありがとう、巧。あなたが本音でそう思ってくれてるから、私も、周囲からの“批判の嵐”に耐えられるの」

 巧さんを抱き締めながら、こんなことを言った。しばらくたってぼくは、

 「あの……、そろそろ寝てもいいですか?」

 と二人に言った。その言葉を耳にしたアンナさんは、

 「あら、ごめんね、ユウジちゃん。それじゃ、今日はもう寝るわ、巧。私たちの“心を通わせる営み”は今度にしましょう」

 こう巧に伝えた。彼も、

 「そうだな、アンナ」

 と答え、そのまま布団に入った。その後、ぼくもアンナさんもすぐに布団に入った。最後にアンナさんが電気を消して……。



 「ユウジちゃん、ありがとう。アタシのために祈ってくれて……」

 その言葉で、ぼくは目を覚ました。

 「まさか、マリエ先生!?」

 ぼくは思わず大声をあげようとしていたが、二人が寝ているのに気づき、必死に声をおさえて言った。それから辺りを見渡したが、当然というべきか、何もなかった。

 「……夢か……」

 そう言いながら、トイレに行って用を足したあと、トイレから出たところで、

 「ユウジちゃん、アタシよ、マ・リ・エ」

 マリエ先生がトイレの前にいた・・・・・・・・

 「あ、ああ……」

 ぼくはその場から動かなくなった。

 「どうしたの? せっかくお礼をしたくて来たのに」

 マリエ先生は、いきなりぼくに抱きつきながら、こうつぶやいた。

 「……本当なの、これ……!? マリエ先生の温かい感触だ・・・・・・……」

 ぼくは、「これは信じられない」という思いを心の底に残しつつ、マリエ先生の脇をこしょばってみた。すると先生は、

 「ちょっとやめて、ユウジちゃん……」

 笑いをこらえながら、ぼくを離した。それから、

 「もう、アタシが大声を出したら、そこの二人が起きるでしょう。それじゃ、アンタのために来たのが台無しになっちゃうじゃない」

 と言いながら、軽くぼくの額にデコピンした。

 「ごめんなさい、先生」

 ぼくはマリエ先生に頭を下げながら謝った。その時先生は、ポケットから何かを取りだし、

 「これ、アンタに渡すわ。本当は自分を救ってくれたあの男から、アタシの指につけてもらうつもりだったけど……」

 それをぼくに手渡した。

 「それをアンタから今寝てる男性に渡して。『天国のマリエとカナからのプレゼント』って。アタシね、天国でカナに会って話をしたの。何かに導かれるように・・・・・・・・・・ね。それと改めてアンタに出会えてよかったわ。アタシとカナは、これからもアンタたちを見守ってるから、絶対にアンタたちに降りかかる不条理なんかに負けないで」

 マリエ先生は、その言葉を言い残して消えていった。ぼくは涙をこらえながら、マリエ先生から渡されたものを見ると、

 「……何かの箱だ」

 そうつぶやいたあと、中身を確かめた。するとそこには、

 「きれいな指輪だ……。マリエ先生が身につけるのにふさわしいものだ」

 高価と思われる結婚指輪が入っていた。ぼくは、箱を閉じてポケットにしまい、

 「マリエ先生……、カナさん……、ありがとうございます……。そして安らかに眠ってください……」

 手を合わせながら、こうつぶやいた。それから布団に戻った。



 「起きて、ユウジちゃん。もう8時になるわよ。早く朝食食べよう」

 アンナさんの大きな声が響いて、ようやく目が覚めた。

 「……ええ!? もうそんな時間??」

 いつもは7時前に起きるはずだが、セットしている時間を過ぎても起きなかったらしい。

 「そうよ。あなたを何回か起こしたけど、ぜんぜん反応が無いままだったわ。このまま放っておくわけにもいかないし……」

 どうやらアンナさんは、ぼくを起こす時悩んでいたようだった。

 「すみません、アンナさん。ちょっとトイレに行ってきます」

 ぼくは、アンナさんに謝ったあとトイレに向かい、用を足してから出ると巧さんがいた。あいさつをしたあと、

 「ひとつ巧さんに渡したいものがあります」

 巧さんにこう呼び掛けた。

 「渡したいもの……?」

 巧さんが考え込むと、ぼくは、

 「はい。しかもそれを、夜中に目が覚めた時、ある人から実際に・・・・・・・・受け取りました」

 と言いながら、ポケットにしまっていた箱を取り出した。

 「“ある人”って、まさか……!? いや、さすがにそんなことはないか、架空の人物だからな。ところでユウジ君、ある人とは誰のことだ?」

 首をかしげながら、ぼくに問いかけた。ぼくは、

 「マリエ先生です。先生はこれを『天国にいる自分とカナさんからのプレゼント』と言って、巧さんに渡すように、ぼくに伝えました」

 きっぱりと答えた。すると巧さんは、

 「……本当か、それは!? マリエは架空の人物だぞ!? カナならばまだしも……」

 ただただ驚いていた。ぼくは、

 「それでも、ぼくはマリエ先生の“温もり”を肌で感じました。先生は巧さんたちに、『あなたたちに降りかかる不条理に負けないで』というメッセージも残しました」

 このことも伝えた。巧さんは、ぼくから箱を受け取ると、

 「本当にこれを開けてもいいかね?」

 ぼくに開けてもいいかどうかをたずねた。ぼくがうなずいたのを見た彼は、早速箱を開けた。

 「……本当にきれいな指輪だ……。それも高価なものだ」

 感心するようにつぶやいた。

 「それをマリエ先生は、『自分を救ってくれた男性から、自分の指につけてほしかった』と話してました。おそらく結婚指輪だと思います」

 ぼくがこう話すと、彼は、

 「……そういえば、ドラマでも、自分を殺したろくでなしの犯人と結婚するとは言ってたが、まさか……」

 考え込みながら、こうつぶやいた。その時アンナさんが、

 「どうしたの? 早く朝食食べに行こう」

 と呼び掛けた。その声を耳にした巧さんは、

 「わかった。今から行こう」

 ポケットに指輪をしまいながら、アンナさんのもとに向かった。ぼくもすぐ後を追った。


 食堂でぼくたちが朝食を食べている時、アンナさんが何気なくスマホを見ていると、

 「……ええ!? そんなことがあるの・・・・・・・・・??」

 驚きの表情を浮かべながら、こんなことをつぶやいた。そこには、


 ――ろくでなしの犯人が出た殺人事件のドラマがSNSで反響、性犯罪等に関する基金を立ち上げる動きも――


 という見出しがあった。アンナさんはその記事を読んでから、

 「これを読んで、ユウジちゃん」

 と言いながら、ぼくにスマホを見せた。そこには、


 ――前日に放送されたドラマ『ナイトガデス殺人事件』は、これまでのドラマになかったほどの犯人の外道ぶりと、被害者の一人であるマリエという女性の生きざまが注目され、すでにSNSでは話題を呼んでいる。マリエの行動に共感をよんだ、彼女と同じように風俗で働く女性たちが「性教育を充実させて、性犯罪や親からの虐待に苦しむ人たちを助けたい」と呼び掛けたツイートが、多くの“いいね”を獲得し、中には「性犯罪に苦しむ人たちのための基金をつくってはどうか」という意見も飛び出している。これを見たある大手企業では、社長自らが「企業外活動の一環として独自の基金の検討を始める」ことを急きょホームページで発表した――


 ということが書かれていた。

 「ええ!? 大手企業までがマリエ先生の後をつぐんですか!?」

 ぼくは驚きのあまり、思わず大きな声をあげてしまった。アンナさんはあわてるように、

 「ちょっとユウジちゃん、大声出さないでよ。周りが驚くでしょう」

 と言った。

 「……ええと……、すみません……」

 ぼくはアンナさんに謝ったが、彼女から、

 「話はあとで聞くから、おかしなことをしないで。周りに白い眼で見られるわよ」

 少しきつめの表情で、そう言われた。その時、

 「アンナ、あとで渡したいものがある。朝食を食べたあとに部屋でね」

 巧さんがこんなことを言い出した。

 「急にどうしたの? 巧」

 アンナさんが首をかしげると、巧さんは、

 「これ、うまいよ。それにこれ、なかなか朝食で食べる機会が無いね。アンナももっと食べよう」

 アンナさんにしっかり朝食を食べるように呼びかけた。

 「わかったわ、巧」

 彼女はそう言って、自分のスマホをポケットにしまったあと、朝食を食べ始めた。すると、

 「これおいしいわ」

 と言いながら、はしがどんどん進んでいた。それからしばらくは、この辺りの食べ物の話で盛り上がっていた。そして朝食を食べ終えたあと、ぼくたちは部屋に戻った。そこで巧さんが、

 「……改めてアンナ、お前に渡したいものがある」

 と言いながら、ポケットから箱を取り出した。そして中身を開けるとアンナさんが、

 「どうしたの!? これ。あなたまさか……」

 表情を変えながらこう問いかけると、巧さんは、

 「これ、ちょっと早いかもしれないが、お前に渡す結婚指輪だ」

 と言った。アンナさんは、

 「……本当なの!? 巧……」

 受け取ろうかどうか迷っていたが、巧さんはそんな彼女に、

 「……ああ、本当だ。それと実はな、この指輪、ユウジから『天国にいるマリエとカナからのプレゼント』ということで、私に渡してくれたものだ」

 こんなことを言い出した。するとアンナさんが、

 「“マリエ”って……、まさか!?」

 いきなり巧さんにつかみかかるように、彼の体をゆさぶった。ぼくはアンナさんに,

 「アンナさん、落ち着いてください。ぼくが話しますから」

 と言いながら、彼女の腕を握った。

 「ユウジちゃん、どういうことか詳しく話して」

 アンナさんが、巧さんの体を離してそう言うと、ぼくは、深夜トイレに行った時のことをアンナさんに話した。


 「本当に信じられないわ、そんなこと。でもその指輪、ドラマで見たのと全く同じ・・・・ね」

 アンナさんは、考え込みながらこうつぶやいた。それから、

 「だけど、事情を説明してくれてありがとう、ユウジちゃん。それに巧、もちろんあなたと結婚するわ、年内にね。たとえ周りから激しい批判を受けても」

 ぼくにお礼を言いつつ、巧さんに結婚する決心を告げた。それから二人は、しばらくの間、お互いの愛を確かめるように抱き合った。少なくともぼくにはそう見えた。それから、

 「これから取材に行くわ」

 そう言いながら準備を始めた。準備を終えたあと、

 「出発するわよ」

 と言いながら、先にホテルを後にした。すぐにぼくたちもアンナさんを追って、車に乗った。そしてぼくたちが乗ったのを確認したアンナさんは、北に向かって車を走らせた。



 マリエ先生が、巧さんたちのために結婚指輪を渡してから二日後、ぼくはその間、マリエ先生と実際に会って、行ったことをまとめたノートを作り、アンナさんたちは取材を重ねていた。その日の夕方、アンナさんがスマホを見ながら、

 「本当にすごいことになってるわね……」

 とつぶやいた。ぼくがのぞき見しようとすると、彼女から、

 「あなた、スマホ持ってるんでしょう? 自分ので見たらどうなの!?」

 少しきつめの声でこう言われた。ぼくは、

 「ごめんなさい」

 と謝ったあと、大家さんから買ってもらったスマホで、“すごいこと”がなんなのかを調べてみた。すると、途中からではあるけど、


 ――(中略)社会的な反響を受け、ドラマのロケ地がある岩手県では19日、知事が地元の有力企業と共に出資する、性犯罪の被害者や性的な虐待に苦しむ人たちのための基金、いわゆる『マリエ基金』(仮称)の設立を県議会で議題(条例案)として提出した。早ければ今週中にも結論が出ると見られる。(以降略)――


 こんなことが書いてあった。

 「……これ、本当なの!?」

 ぼくはただ驚く他なかった。確かに他の人から見れば、マリエ先生と実際に会ったこと自体が信じられないことなのだけど、それでも、先生がこんな形で人々を動かすなんて、ぼくも思わなかったからだ。アンナさんも、

 「正直私も信じられないわ、あなたと同じく。大手企業だけではなく、岩手県もマリエの“意思”を継ぐことになるみたいね……。だけどこうなると、近いうちに国会でも取り上げられることになるのは確実ね」

 こう言いながら、ぼくが言っていることにうなずいた。

 「……マリエ先生、本当によかったね……。きっと今ごろは、あの世でぼくたちのことを、笑顔で見守ってます」

 ぼくがこうつぶやくと、アンナさんは、

 「……あのね、ユウジちゃん、マリエは“架空の人間”なのよ……」

 ため息をつきながらこう言った。その言葉に対しぼくは、

 「それは関係ないと思いますよ、アンナさん。それに少なくとも、ぼくにとっては、マリエ先生は“生きてた人”ですから、これからも先生に祈りをささげます。それが今の旅でぼくが欠かさず行ってることです。亡くなった人たちに祈りをささげるという」

 と答えた。その答えに今度は巧さんが、

 「そうか。それを君は全国を歩きながら行ってるわけか」

 こう言った。ぼくが、

 「はい。これまでもそうしてきました。これからもそうします」

 と話すと、巧さんは、

 「これからもずっと続けてほしいね、ユウジ君。それと出来れば、私たちにもメールでいいから、毎日何があったか伝えてほしい。アンナもそれを望んでるし」

 こんなことを言い出した。ぼくは、

 「わかりました」

 と答えたあと、巧さんに、

 「ところで、どこにメール送ればいいんですか?」

 こう質問した。彼は、

 「私かアンナのスマホのアドレスに送ってくれればそれでいいよ、ユウジ君。ちなみにメールを送るのは、私たちと別れてからでいいからね、念のため」

 と答えたあと、スマホを取り出し、ぼくのスマホに空のメールを送ってアドレスを伝えた。ぼくも巧さんにメールを返して、アドレス交換を終えた。しばらくして、アンナさんが、

 「そろそろホテルに向かいましょう」

 そう言いながら車を走らせた。そしてホテルに着いたあと、

 「明日は寒くなりそうね、雨が降るみたいだし。今日みたいなストッキングだと、ちょっとね……」

 こうつぶやきながら、ホテルに入った。ぼくは、

 「アンナさんって、寒いの苦手なんですか?」

 巧さんに聞いてみたら、巧さんは、

 「ああ、その通りだよ。それとここだけの話、実はアンナは、日中はほとんどスカート姿でね、結構美人なんだよ。以前読者モデルをやってたらしくてね、私が『ズボンをはいた方がいいよ』という時でもなかなかはかないんだ。しかしどうしてスカートにこだわってるんだろう……」

 こんなことを話した。するとアンナさんが、

 「何話してるの? そこの二人」

 こう言ってきた。

 「何でもありません、アンナさん」

 ぼくは首を横にふりながらこう答えると、アンナさんは、

 「そろそろ入るわよ」

 と言いながら、そのまま進んでいった。ぼくたちもすぐにホテルに入った。


 ホテルに入ったぼくたちは、チェックインが終わったあと、すぐにそれぞれの部屋に入り荷物をおろした。それからぼくは、今日起きたことをノートに書いた。すると、今書いてあるノートがいっぱいになっていた。

 「これでいっぱいになったノートが何冊もできたよ。大家さんに送らないとたまってしまう……」

 そう言いながら、ノートをキャリーバッグにしまった。それから部屋を出て1階に降りたあと、待合室のソファーに座った。すぐに巧さんが来て、ぼくを見ながら、

 「そういえば、ここまで聞いてなかったけど、君が旅を行うきっかけになったのは何かね?」

 こう聞いてきた。ぼくは、

 「それは、春先に起きた『これまで生きてきた人たちと過ごした時間』です。“カナさんと過ごした時間”もそのひとつです」

 と答えた。そして、

 「実はカナさんの時のようなことがもう2回・・・・あって、それで日本中を歩いて旅をすることに決めました」

 巧さんにこう告げた。その話を聞いた彼は、

 「……カナの時を含めて3回も!? それは本当かね、ユウジ君」

 驚いた感じでこう聞いてきた。ぼくが、

 「はい。いずれもカナさんの時のように、次の日には“過ごした人に関すること”が起きてました」

 と答えると、彼は、

 「その話を私とアンナに聞かせてほしい」

 と頼んだ。ぼくは、

 「ちょっと長くなるかもしれないですけど、いいですか?」

 こう聞くと、彼は、

 「ああ、構わないよ」

 うなずきながら答えた。その時、待合室にアンナさんも降りてきた。彼女は、

 「何話してたの? そこで」

 そう言いながら、ぼくたちのもとに来た。

 「『ぼくが今日本中を旅してるきっかけとなった出来事を話そう』ということを、巧さんに伝えたんです。もちろんアンナさんにも話します」

 ぼくがこう伝えると、アンナさんも、

 「私も聞いてみたいわ、その話」

 笑みを浮かべながらこう言った。ぼくは、

 「わかりました」

 と答えたあと、

 「ひとまずぼくの部屋で話しましょう。ここだとちょっとまずいかもしれないですから」

 ぼくの部屋で話をするように二人に伝えた。ところが、アンナさんが突然、

 「ユウジ君、今日は悪いけど、私取材メモをまとめなければいけないの。それが終わったら、必ず話を聞いてあげるわ」

 こんなことを言い出した。ぼくはひとまず、

 「わかりました、アンナさん」

 と言ったあと、

 「巧さんはどうします?」

 と巧さんに聞いたが、彼も、

 「私もアンナと一緒に聞きたいので、とりあえず彼女を手伝うよ」

 こう答えたから、ぼくは、

 「わかりました。話してほしい時はぼくに伝えてください」

 二人にこう伝えたあと、

 「外に出ます」

 と言いながら、ホテルを出た。



 ホテルを出たあと、しばらく歩いて海が見えるところまで来た。ぼくは近くにある岩場に行って、いつものように目をつぶりながら手を合わせて、これまで生きてきた人たちに祈りをささげていた。すると、

 「へぇ、そんなことがあったの。アタシもやってみたいわね」

 「絶対に試した方がいいよ。特に君にはうってつけだし」

 などといういろんな声が頭の中に入ってきた。

 「……楽しそうにしてるんだね……」

 ぼくは小さな声でつぶやきながら、祈りを続けた。それから、しばらくして岩場を立ち去ろうとした時、

 「ユウジちゃん」

 どこかで耳にした感じの女性の声が聞こえた。ぼくは後ろをふりかえると、その姿を目にした瞬間、

 「マリエ先生……」

 信じられなかった。本当にあの人がぼくの目の前いるなんて……

 「どうしたの? ぽっかり口を開けて」

 マリエ先生にそっくりの女性からこう聞かれると、

 「……マリエ先生ですよね?」

 ぼくは思わずこう言っていた。

 「……先生? 確かに私もマリエだけど・・・・・・・・、先生はやってないわ。私はキャバクラ嬢よ」

 女性は自分がマリエだと言った上で、

 「ユウジちゃんよね? あなた」

 ぼくにこう聞いてきた。ぼくは、

 「はい、その通りです」

 と答えたが、ぼくをじっと見ていた、先生じゃない方の・・・・・・・・マリエさんは、

 「ところであなた、年はいくつ? 念のために聞くけど」

 今度はぼくの年令を聞いてきた。ぼくは、

 「ええと、17才です」

 そう伝えると、マリエさんは、

 「それじゃ、あの人とは違うわね。あなた結婚できない年令だから」

 首を横にふりながらこう言った。それから、ぼくの様子を見ながら、

 「何じろじろ見てるの!? そんなに私のことが気になるの?」

 少しきびしめの口調で問いかけてきた。ぼくは、

 「本当にそっくりです……、マリエ先生に。先生もあなたと同じキャバクラ嬢でした」

 と言いながら、思わず体をさわってみた。

 「……ちょっと何するの!? あなた。失礼なことをしないで。警察呼ぶわよ」

 マリエさんは、ぼくの腕をつかみながら、怒るように言った。ぼくは、

 「……ごめんなさい、マリエさん。もしかして本当に先生が生き返ったのかと……」

 ひたすら謝りながら言った。ぼくの話を聞いて考え込んだ彼女は、

 「……もしかして、あなたが言ってる“マリエ先生”って、例のドラマの被害者のこと!? もしそうだとしたら、本当に信じられないことだけど……」

 こう問いかけた。ぼくが、

 「はい。先生に姿がそっくりで、キャバクラで働いてるところも。それと着てる服も、ストッキング以外は最初に先生と会った時と同じでした」

 と答えると、今度はマリエさんが、

 「……夢で見たユウジとよく似てるわ……」

 こんなことを言い出した。それから、何かに気づいたかのように、

 「……って、あなた、まさか本当に・・・ドラマのマリエと出会ったの??」

 驚いた感じでこう言った。ぼくは、

 「はい。先生と“貴重な体験”をしました。ドラマのマリエ先生は本当に優しい女性でした。女神のように」

 正直にこう答えた。

 「……そんな女性を殺した犯人、絶対に許せないわ! しかも私にそっくりで同じ名前の……。そのせいで、私周りから『殺されたんだ』なんて言われてるわ。“実際に殺されたことにもされてる”し、本当に迷惑な話よ」

 マリエさんは、いきなり体をふるわせながら、怒りの表情でこんなことを口にした。

 「……あの、マリエさん……」

 ぼくは、マリエさんを抱くようにして止めに入った。何かいやな感じがしたからだ。そして、

 「怒らないでください。いろんな人たちが、女神マリエの後をついでくれてるんです。大手企業や岩手県までも……」

 マリエさんにこう伝えた。そして、

 「スマホで確認してみてください。ぼくもビックリしました……」

 このことも付け加えた。その話を聞いたマリエさんは、自分のスマホを取り出して確認すると、

 「……本当ね。『“マリエ基金”の設立を提案』って書いてあるわ」

 こうつぶやいた。それから、

 「そういえば、例のドラマ、最後に国際的犯罪組織を壊滅に追い込むシーンがあったわね。犯人が、『“女神マリエ”を含む多くの人を殺したせめてものつぐない』って……。主人公も言ってたわ、『だったら、はじめから人を殺すんじゃねえ。マリエさんを信じればそれですんだだろう』って。当たり前よね、そんなこと」

 こんな話をした。

 「……そこは見てなかったですね。ぼくたちは」

 ぼくがこう言うと、

 「……そうだったの」

 マリエさんは、少し残念そうな表情を浮かべながら、こうつぶやいた。それから、

 「正直、私あのマリエのようにはなれないわ」

 と、空をながめながら言った。

 「……だけど、今日私が夢の中で会った“女神マリエ”は、『アンタがアタシの代わりに、ユウジちゃんのサポートをしてやって。彼はアンタの近くにいるわ』なんて言ってたわ。『本当なの!?』って思ったけど、改めてあなたを見ると、夢で女神が言った通りだったわね」

 マリエさんは、今度はぼくに近づきながらこんなことを口にしたあと、

 「ねえ、あなた今何をしてるの?」

 こんなことを問いかけた。ぼくが、

 「ええと、ぼくは今は日本中を旅してます。これまで生きてきた人たちに祈りをささげながら」

 と答えると、マリエさんは、

 「それも女神が私に伝えた通りね。女神は『あなたが優しい人だ』って言ってたけど、私にもそれはわかったわ。以前付き合ってたユウジもいい人だったけど、あなたは彼よりも優しいわね」

 こんな話をしてくれた。

 「どうして、ぼくのことを優しいって思ったの?」

 ぼくがこう問いかけると、彼女は、

 「ユウジちゃん、キャバ嬢を甘く見ないで。私もいろんな人間を相手してるのよ。それで人を見る目を鍛えてるんだからね」

 こう答えたあと、

 「でもね、あなたのような人間は初めてよ。それで私と付き合ってくれる? ユウジちゃん。あなたのサポートなら喜んでするわ」

 笑みを浮かべながら、ぼくと付き合うように告白してきた。

 「ありがとうございます、マリエさん」

 ぼくはこう言いながら、深く頭を下げた。すると彼女は、いきなりぼくのほおにキスをしたあと、

 「ありがとう、ユウジちゃん♪ これは私との“お近づきの印”ね」

 と言いながら、ぼくを抱いた。それから、

 「どうかしら? 女性に抱いてもらった感想は」

 こんなことを言い出した。ぼくは、

 「……先生と同じように、“優しい温もり”を感じます」

 と答えると、彼女は、

 「ありがとう、ユウジちゃん♪ 『女神マリエと同じ』って言ってくれるのね」

 笑みを浮かべながら、こう言った。それから彼女は、

 「一緒に行こう、ユウジちゃん」

 と言いながら、ぼくの手を握って歩き出した。

 「あ、あの、マリエさん、どこに行くんですか!?」

 ぼくはあわてて彼女に問いかけたら、

 「決まってるでしょう。あなたが今日泊まるところよ」

 そう答えた。ぼくが、

 「……ぼくが泊まるところって、知ってるんですか? マリエさん」

 と言うと、

 「……あ、そうだったわね。あなたがどこに泊まるか知らなかったわ」

 苦笑いといった表情を浮かべながら、こう答えた。それから、

 「それじゃ、あなたが泊まるところ、案内して。そこで話をしましょう」

 改めてぼくにこんなことを言ってきた。ぼくは、

 「わかりました、マリエさん。一緒についてきてください」

 と言ったあと、マリエさんと一緒に、ぼくたち3人が泊まっているビジネスホテルに向かった。


 「ここです。この6階です」

 ホテルの前に着いたぼくは、マリエさんに自分が泊まるところを伝えてから、彼女と一緒に中に入った。

 「ユウジちゃん、一緒にいる女性は誰なの?」

 ぼくたちがホテルに入ったすぐに、アンナさんにこう声をかけられた。その問いにたいしマリエさんが、

 「マリエです。交野かたのマリエと申します。ドラマのマリエと同じキャバクラ嬢です」

 自分の名前とやっている仕事を答えると、アンナさんは、

 「……まさか“ドラマのマリエが”、と思ったわ、あなたを見た瞬間。名字は違うから、別人みたいね」

 なぜかほっとする感じで、こう言った。

 「ええ、正直あのドラマのせいで迷惑をこうむったわ。だけど、ここでユウジちゃんに会えたのは、あのドラマのおかげね」

 マリエさんは、天井を見つめながらこう話した。その話を耳にしたアンナさんは、

 「それどういうこと!?」

 首をかしげながら、マリエさんに問いかけた。すると彼女は、

 「そうね、実は昨日、ドラマのマリエこと“女神マリエ”が夢に出てきたの。その中で彼女は、そこにいるユウジちゃんのことを詳しく私に伝えて、『アンタがアタシの代わりにユウジちゃんのサポートをしてやって』って頼んできたわ。正直信じられなかったけど、実際に“以前付き合ってた・・・・・・・・ユウジとは違うユウジちゃん”に会って、『本当にこんな奇跡ってあるのね』って感じたわ。私がこれまで会ってきた人たちとも違う感じだったし、ドラマのマリエが女神になるのも納得ね。私もユウジちゃんの助けになるわ」

 自分のすぐそばにあるソファーに座ったあと、笑みを浮かべながらこんな話をした。

 「本当なの!? その話」

 アンナさんが、マリエさんにつめよる感じでこう聞いたら、マリエさんは、

 「ちょっと落ち着いてよ。今からメモを渡すから、それを見て」

 アンナさんを落ち着かせながら、ポケットからメモ帳を取り出して、それを手渡した。アンナさんはそれを受け取ったあと、ページを開いて、

 「……ええと、“女神マリエ”は、例のドラマ、『ナイトガデス殺人事件』の最初の被害者である、マリエ・ラグライド(本名は忘れたが、おそらくこれは芸名だろう)が神様となった姿と考えられる。その彼女は、『ユウジちゃんに色々なことを託した』といったことを私に伝えてきた。それから覚えてる範囲で、以前私が付き合ってたユウジとは違う、女神が『出会えてよかった』と語ったユウジという若者の特徴を以下に書いた、と。それからは……」

 ここまで読みながら見ていったあと、しばらく何も言わずにメモ帳を見つめていた。それから、

 「……結構詳しく書いてあるのね……。これは大変なことになるわ」

 こうつぶやいたあと、今度は、

 「そういえば、あなたさっき『ユウジちゃんの助けになる』と言ってたわね」

 マリエさんに先程の言葉についてたずねてみた。マリエさんは、

 「もちろんよ。ユウジちゃんに興味を持ったし、純粋に彼と付き合いたいの」

 と答えたあと、

 「ところであなたは誰なの?」

 アンナさんにこう聞き返した。アンナさんは、

 「私は倉沢アンナ、フリーのジャーナリストよ。これからはアンナでいいわ、マリエさん」

 そう答えたあと、

 「このメモ帳、見せてくれてありがとう」

 メモ帳をマリエさんに返した。それから、

 「よかったら、連絡先を交換しない? ユウジちゃんの分も一緒に」

 マリエさんに連絡先の交換を呼びかけた。マリエさんも、

 「ええ、喜んで交換するわ」

 と言ったあと、ぼくを含めた3人は、それぞれ連絡先の交換を行った。その時、

 「お客様、今日はここで宿泊しますか?」

 受付の女性が、マリエさんにこう問いかけた。彼女は、

 「はい」

 と答えたあと、チェックインをすませた。それから、

 「ユウジちゃん、今日私が泊まる部屋、あなたと同じ6階よ」

 キャリーバックを引いて、ぼくにこう伝えた。ぼくがうなずいたところでアンナさんが、

 「それじゃマリエさん、7時辺りにここに集まりましょう。取材メモがもう少しでまとまるから、それを終わらせて夕飯に入るわね」

 そう言いながら、エレベーターに乗った。アンナさんが乗ったのを確認したマリエさんは、

 「ユウジちゃん、私の部屋に来ない? あなたがこの旅を始めたきっかけを話してほしいの。それとあなたに、私の“特別授業”を受けてもらいたいわ」

 自分が泊まる部屋に来るように伝えた。ぼくは、

 「わかりました」

 と答えたら、

 「ありがとう、ユウジちゃん♪ 後でお礼をするわ」

 マリエさんはそう言いながら、ぼくを抱きしめた。それから、

 「早く行きましょう」

 ぼくを連れて一緒にエレベーターに向かった。


 「ぼくが泊まる部屋の隣なんですね、マリエさんが泊まるところ」

 ぼくがこう言うと、マリエさんは、

 「隣同士って、あなたとは縁があるのかもしれないわね。昨日まで赤の他人・・・・・・・・だったのにね」

 こうつぶやいた。そしてキーを差し込んだあと、

 「それじゃ、ちょっと準備するから待っててね。終わったら部屋を開けるから、すぐに入ってね」

 と言いながら、部屋に入った。何分間かたって、

 「入ってきて、ユウジちゃん」

 ドアが開いて、マリエさんの声を耳にしたのを確認したぼくは、すぐに中に入った。

 「いらっしゃい、ユウジちゃん」

 マリエさんは、そう言いながらドアを閉め、机にあるイスに座った。

 「ベッドに座っていいわよ」

 その声を聞いたぼくは、ベッドに座った。マリエさんの姿を目にしたぼくは、

 「マリエさん、きれいなんですね。先生、いや女神と同じで」

 思わずこう口にした。

 「そう? 何も出ないけど、気持ちはありがたく受け取っておくわ」

 マリエさんは、笑みを浮かべながらこう言ったあと、

 「ユウジちゃん、早く話して。私楽しみにしてるわ」

 ぼくに話を始めるように伝えた。ぼくは、

 「わかりました、マリエさん」

 と答えたあと、一呼吸おいて、数日前にマリエ先生、いや女神マリエに行った、カナさんの話を始めた。


 「……すごい話ね、それ。さらに翌日にアンナさんたちとユウジちゃんを引き合わせる、なんていうオマケまでついて」

 ぼくの話が終わったあと、マリエさんは感心しながらこうつぶやいた。

 「実はこれだけじゃなくて、もう2回あるんです。同じようなことが」

 ぼくがこう言うと、

 「本当なの!? それ。それも話して」

 マリエさんは身をのりだしながら、話すように迫った。

 「ちょっと待ってください、マリエさん。残りはアンナさんたちにも話してないですから、一緒に話をします」

 ぼくがこう伝えると、マリエさんも、

 「わかったわ、ユウジちゃん。その時はお願いね」

 と言いながら、再びイスに座った。そして、何かに気づいた彼女は、

 「もう7時になるわね。そろそろ1階に降りましょう」

 ぼくにこう呼びかけた。ぼくは、

 「そうですね、マリエさん」

 と言うと、彼女はいきなり、

 「一緒に行こう、ユウジちゃん」

 ぼくの右腕をつかみながらこう言った。戸惑うぼくに構わず、キーを取ってそのままドアを出た。


 1階に降りると、すでにアンナさんと巧さんがロビーにいた。

 「あら、お似合いじゃない。ベストカップルよ、あなたたち」

 ぼくたちを目にしたアンナさんが、こんなことを言い出した。

 「あの……、アンナさん……」

 ぼくは恥ずかしいといった感じでこうつぶやくと、マリエさんは、

 「いいじゃない、ユウジちゃん。私たちお似合いだって」

 ぼくのほおを軽くつつきながら、笑顔でこう言った。

 「そろそろ中に入ろうか」

 巧さんがホテルの中のレストランに入ろうとした、その姿を見たアンナさんが、

 「私たちも行きましょう」

 ぼくたちに呼びかけた。ぼくたちもその呼びかけに応じて、3人一緒にレストランに入った。


 レストランでは、この土地の食べ物や「マリエ基金」についての話で場がはずんでいた。それぞれがごはんを食べ終えたあと、会計をしようとした時、

 「ユウジちゃん、あなたの食事代は私が持つわ。先にロビーで待ってて」

 マリエさんが、ぼくの分の会計も一緒に持ってレジに向かった。ぼくは、

 「ありがとうございます」

 とお礼したあと、先にレストランを出て、ソファーに座った。しばらくして、他の3人もレストランから出てきた。そして、

 「ユウジちゃん、そろそろ話して。残りの2回のこと」

 マリエさんが、ぼくにねだるようにこう言うと、ぼくは、

 「わかりました。風呂に入ってからにしましょう」

 と答えた。

 「それはいいが、どこで話すんだ、ユウジ君。ここだとまずいだろう」

 巧さんがこう聞くと、

 「私の部屋でいいかしら?」

 アンナさんがこう言ってきた。ぼくは、

 「アンナさんの部屋ですね、わかりました」

 と答えると、

 「決まりね。先に風呂に入ってから私の部屋に集まりましょう。私の部屋は508号室よ。来る時はノックして私を呼んで。ちなみに大浴場は最上階にあるわ」

 そう言いながら、一足先にエレベーターに乗った。その後ぼくたちもエレベーターに乗って、各自の部屋に散らばっていった。


 しばらくして、ぼくは大浴場からいったん部屋に戻り、着替えを置いたあとアンナさんの部屋の前に向かった。するとそこには、いわゆるすっぴん状態のマリエさんが立っていた。

 「マリエさん、風呂入ってきたよ」

 ぼくがこう呼びかけたら、彼女は、

 「ユウジちゃん、アンナさんがまだみたいなの。ちょっとエレベーター前に行こうか」

 と言いながら、エレベーターに向かった。

 「あれ? マリエさんってストッキングはくの? 寝るとき」

 ぼくがこうたずねると、マリエさんは、

 「私ね、かなりの冷え性なの。ストッキングをはかないと眠れなくて。キャバクラから帰った時も、ドレスを脱いでそのまま寝ることがあるわ。メイクは落とすけどね。そっちの方が朝気持ちよく起きられるから」

 ストッキングをつまみながらこう答えた。そこへ巧さんが現れ、

 「二人とも、どうしたんだい?」

 こう聞いてきた。マリエさんが、

 「アンナさんがまだ準備が終わってないらしいの。何度かノックしたけど、『もう少し待って』って」

 などと言っている時、

 「お待たせ。早く入って」

 アンナさんが部屋から出て、ぼくたちに呼びかけた。ぼくたちがドアの前まで来ると、

 「ごめんね、みんなを待たせて」

 アンナさんはそう言いながら、ぼくたちを中に入れた。それから、

 「これでそろったわね。ユウジちゃん、お願い」

 ぼくに話を始めるように伝えると、ぼくは、

 「わかりました。これから、アンナさんたちがカナさんに祈りをささげた翌日のことをお話しします」

 と言いながら、その時起きたことを話した。


 「信じられないわね。一度ならず二度もカナさんと同じようなことが起きるなんて……。ますますユウジちゃんと付き合いたくなったわ」

 マリエさんがこう話すと、巧さんは、

 「ユウジ君、それなら、“死者の声”をまとめて記録してみたらどうかね? 君ならやれると思うよ」

 こんなことを切り出してきた。

 「……ああ、言われてみたらそうですね。カナさんのことといい、先程のお年寄りの話といい、すでにあの世にいますからね……。どうしてそこに気づかなかったんだろう」

 ぼくは感心するように答えたあと、

 「足立教授に知らせてきます。もちろんマリエさんのことも」

 こう言いながら、ベッドから立ち上がった。そして、

 「部屋に戻ります」

 と伝えたあと、アンナさんの部屋を後にした。そして自分の部屋に戻ったあと、足立教授に次のようなメールを送った。



 ――足立先生、大切なことをお伝えします。ぼくにやるべきことが見つかりました。それは、これまで生きてきた人たちの声を記録してまとめることです。それはぼくにしかできないことだと思います。それと、アンナさんたちの他に、ぼくに協力してくれる人が現れました。マリエさんという、キャバクラで働く女性です。あのドラマが、“女神マリエ”がぼくたちを結びつけました。しかもぼくと付き合ってくれると言ってます――



 しばらくして、次のメールが返ってきた。



 ――よかったね、ユウジ君。進むべき道と君のパートナーが見つかって。しかし、これからは“戦い”に身を投じることになるから、厳しいことが起きることが予想されることは忘れないでほしい。私はこれからも、君を応援するよマリエとともに。これからは特に体調には気を付けてほしいね――



 「ありがとうございます、先生」

 メールを見ながら、ぼくはこうつぶやいた。それから再びアンナさんの部屋に向かった。ノックして入れてもらうと、

 「お待たせしました」

 そう言いながら入っていった。そして、

 「アンナさん、巧さん、そしてマリエさん、これまでありがとうございます。そして、これからもぼくのことをよろしくお願いします」

 頭を下げながら、3人にこう言った。これまでのお礼と、これからの覚悟を伝えるように……

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