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ぶなの詩

作者: 笛利むく

小さなぶなが、夜の暗さに震えています。

種から目覚めた時には、他にも小さなぶながいましたが、

それぞれの理由で、周りのぶなは

いつの間にか姿を消しました。

たった独り残された寂しさが、

暗い影を落とし、心細さは一層影を

濃くして不安に怯えます。


遠くからその様子を見ていた月さまは、

小さなぶなを驚かせないよう、光を粒にして、

そっと、寄り添います。


新たな月のシンとする夜、

いつもの光より、もっと小さな光に気づきます。

真っ直ぐに天を仰いで見ると、

満天の星々が一斉に小さなぶなを見つめます。

みな、大きさも色も瞬くようすも、

違っています。

けれど、どれも美しくて眼が離せません。


瞬きもせず見つめていると、

その奥のずっと奥の無限に吸い込まれるようでした。

小さなぶなも溢れる光の一粒になって

虚ろにとけてゆくようでした。


その日から、毎日空を見つめます。

曇りでも雨の日も、光は変わりなく、

揺るぎなく、矛盾と秩序と孤独を放ちます。

それは、小さなぶなの深いところまで届き

、しだいに夜の暗さも恐れなくなりました。





ある日、突然嵐が森を襲いました。

風は、あらゆるものを散々にします。

必死で身を隠そうとする小さな生きものも、

挫けまいとする木々の枝葉も、

川の水も散らします。

雨は容赦なく森を叩き、

大地はその堅さを失います。

川は膨らんで、ごうごうと荒れ狂います。

嵐は躊躇いなく、隙間なく、

冷酷に、平等に、

あらゆるものをのみこんでゆきました。

とうとう、川が溢れ出しました。

弛んだ大地が溶岩のように流れ出します。

突然、もの凄い音がして、地響きとともに

森で一番大きな木が、まるで自ら

の意思で傾くかのように、ゆっくりと倒れました。

河は行く道を得て、一気に森の中へと流れ込みます。

小さなブナも、草や虫や鳥や鹿や猪も、

一緒になって流されます。




上か下か、左か右かも分からないほど、

強い力の渦に押されながら、

小さなぶなは、息をするのがやっとでした。

苦しいと思えば思うほど、何故か、

大きな樹の陰のシダの芽の渦や、

月さまに照らされた5色の雲の重なりや、

雨に煙る柔らかい稜線や、

星々の遥か遠くのまだ届かない光など、

悲しい時や寂しい時ほど目にした景色が

浮かびました。

激しく渦を巻き、河が荒狂うほど、

底知れない静けさが湧いてきて、

小さなぶなは

また空が見たいと願います。



嵐がやんで、流れを広げた河は、

その力と勢いを失い、

とうとうと流れます。

ぎゅっと耳を凝らすと、

時々、呼吸のような河の微かな

うねりが聴こえるほかは、

何もかもが沈黙しています。

底しれない静けさと混沌が

ぶなを運びます。

流れに逆らう事も沈む事もできない

小さなブナは、今はもう遠い森の、

湖の鏡のような水面をみたいに、

嘆かず、恐れず、威張らず、考えず、

瞬きもせず、空を見つめて流れます。

果てしない闇には、

何ものにも侵されれない、

時間と質量横たわり、

守られるべき約束は、

きちんと守られるために、

そこに在るのだと、

小さなぶなはひたすら待ちます。



ふと、厚い雲に滲む月の白を見つけます。

安心する最初の光は、ぼやけて遠く、

それでも尚、小さなぶなに届きます。

夜が明け、遠くの空が紫になると、

浮かぶ雲の影は藍になりました。


空が薄紫と青とだいだい色の

縞模様になる頃、鳥は風を横切り

飛んでゆきました。


そして、最後の大星がチカチカと、

いつものように手を振りながら消えて、

身体が暖かくなるのを感じたぶなは、

そのまま。深い眠りに落ちて行きました。



突然、強い衝撃で目が覚めます。

冷んやりとした、心地のいい感触と

懐かしい匂いがしました。

硬い殻の中で嗅いだ匂いと同じ匂いを

思いきり吸い込むと、頭の芯がジンとして、

どこかの岸に流れついたのだと、

小さなぶなは思いました。


そこには、他にも同じように運ばれた、

たくさんの命がありました。

それそれがそれぞれに

どうしたらいいのか分からなくて、

途方に暮れましたが、

互いのことを偲びあいながら、

過ごします。


朝がきて、夜がきて、

そのうち、草の種は芽を出しました。

鳥は風に乗って遠くへ飛んいきました。

鹿も猪も狩に出かけて行きました。

けれど、ぶなは何処へも行けません。

草のようにすぐに立つことも、

鳥のように飛ぶことも、

鹿や猪のように走ることもできません。


岸に打ち上げられたまま、

じっとしているしかありません。

そして、また朝が来て、

夜が来て、雨が降って、

風が吹いて、雪も日照りもありました。




ある日、ぶなは気づきます。

いつの間にか、根っこが生え立っていることに。

小さなぶなは、もう小さなぶなでは

ありませんでした。

流されたまま根っこが生えたので、

幹が曲がっていましたが、

立派な木になりました。


大地に溜まった水をたくさん吸い上げて、

出来る限り、広く、深く根を伸ばします。

吸い上げた水を身体中に蓄えて、

枝葉を伸ばし、雨が降らない日がつづくと、

乾いた大地に水を返します。


何万回の朝と夜がきて、何千回の嵐に耐えて、

ぶなは見上げるほど大きな立派な樹になりました。


春はカタクリやキンポウゲやサクラソウが、

夏は影を落として、川の苔や魚が

秋は作りようのない色を湛え、

あらゆる生きものを育み、

冬の沈黙さえ、見守りました。

大きなぶなのいる森は、

とても豊かな森になりました。





ここに流れついてから

たくさんのお日さまと

たくさんの月さまと、たくさんの星々と、

たくさんの命にあいました。


そして、確かな強さや美しさ、

豊かさや優しさを知りました。

反対に、悲しみや不安や争いや、

孤独の意味についても考えましたが、

どうしてもわかりません。

春が来て、冬になって、また春が来ても

答えは見つかりません。


ある冬の始まり、

雪が羽根のように舞う朝でした。


随分と年を重ねたぶなは、

ふと、満天の星に

溶けてしまいそうだった、

小さかったあの夜のことを

思い出します。遠い記憶の片隅で

ほとんど夢のようになっていた記憶

が蘇ります。


嵐の夜の不安と孤独の中で、

無くて良いもの、

意味のないことは一つもなく、

無いということは、

この世の全部なのだと気づいた

瞬間のことが浮かびます。



ぶなは、これまでで一番嬉しくて、

楽しくて、静かで、安心する気持ちに

なりました。


季節は巡り、また春になりました。

木の周りが根っこの温度で、

一番に雪が溶け始めます。

小さな芽が、お日さまを少しずつ

吸って、背を伸ばします。



雪がすっかり溶ける頃、

大きなぶなを目印に、鳥たちが

帰ってきました。リスは忙しそうに

木の枝を行ったり来たりします。

鹿や熊や猪も集まり、森はいつものように

息吹に満ちます。


けれど、大きなぶなはいつまで経っても

冬のままでした。

暖かくなっても葉をつけません。

夏になっても、秋が来ても、

葉を茂らすことも、散らすことも

ありませんでした。


鳥が裸のぶなの枝で鳴きました。

セミはしかたなく他の木にとまります。

猪は牙を研ぎ、鹿は頬をつけて

最後に匂いを残しました。

とても大事なことだから、

みな何事もくそれぞれの朝を迎えます。



そして、月さまは、変わらず

そっと照らし続けます。

星々もじっと見つめ続けています。

大きなブナの幹で、夜の暗さに

怯えている、小さなブナの木を。

















































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