宿屋シエナの料理人達
数日が経過し、この日は宿の食堂の定休日となる日の事だった。
従業員が集まる共有スペースでは、料理教室もない為、完全な休みとなっているガストンとコーザとエトナの姿がある。
昼食後なので、普段でも急ぎの仕込みがない限りは3人が揃う事も稀にあるが、それでも共有スペースに主に調理担当の3人が揃うのは少しだけ珍しい。
宿屋シエナの食堂の定休日は、普段よりも宿泊する客は少なくなる。
大体が食事目当てであったりするのだ。
食堂が休みの日でも宿泊をしている人達は、基本的には外に食べに行く事が多い。
ただ、サンドウィッチなどのちょっとした作り置きメニューであれば宿屋シエナにも置いてあるので、食べに行くのが面倒な人達は、その作り置きメニューを注文したりするのであった。
調理担当の3人は休みであるが、他の従業員は休みの人間でない限りは仕事中である。
なので共有スペースには調理組3人以外にはシエナとアンリエット、そしてアルバの姿しかなかった。
「やっぱりガストンさんの料理はどれも繊細で凄いですよね」
談笑をしている最中に、コーザがガストンの腕前を褒める。
「いやいや、私はレシピ通りにしか作れないからね。コーザ君のように豪快な料理は作れないんだよ」
繊細な料理はガストンが、豪快な料理はコーザが作るのが主となっている。
エトナはその中心なので、どちらかの補助につくような形だ。
「でも、やっぱり一番凄いのはシエナだよね。あれだけの料理を思いついて、そのどれもが美味しいんだから」
そう言って、エトナはシエナの方を見る。
シエナは共有スペースのキッチンで歌を歌いながらおやつを作っていた。
「だんご♪だんご♪串に刺さった大家族♪」
色んな意味で危ない歌を歌いながら、シエナは採ってきた竹で作った竹串に三色の団子を刺していく。
その横ではアンリエットとアルバがシエナの手伝いをして、同じように団子を串に刺していた。
「本当にそうだな。よくあれだけ色んな料理を思いつくもんだ…」
そう呟いて、コーザはシエナに弟子入りした時の事を思い出す。
-----
コーザ・エバールは、元は冒険者であった。
自分を含めて5人組のパーティを組んでいて、冒険へ出かけたり、依頼を受けて日銭を稼いでいた。
コーザの強さは仲間の中では一番下だった。
ただし、強さとしての実力はなくても、調理を担当していたり斥候を担当していたりと、戦闘面以外での活躍をしていた。
ある日、コーザ達は珍しい食材の採取依頼を受けた。
コーザが珍しい食材と聞いて目を輝かせ、仲間がそれをコーザの為にと受注してくれたのである。
そして依頼人の所へ向かうとそこには依頼人と話をしている一人の少女の姿があった。
それがシエナである。
コーザ達はすぐに依頼がブッキングしてしまったのだと理解した。
依頼人は、実力を知らずに見た目的にも幼い少女一人だと任せきれないと思っていたので、コーザ達に依頼をしようとしていた。
しかし、先にこの依頼を発見してやってきていたのはシエナである。
コーザ達はシエナに「合同で依頼を受けないか?」と提案を持ちかけた。
こうする事で依頼人の不満もなくなり、シエナも報酬は減ってしまうが依頼を受ける事ができるので余計なトラブルが解消できると判断したのである。
シエナはそれを承諾し、コーザ達とシエナは依頼を合同で受けて一緒に冒険へと出かける。
そしてその日の夕方、コーザがいつものように食事の準備を始めようとしたところ、シエナが先に準備をし始めたのだ。
本来であれば合同で冒険に行くのであれば、出発する前に決めていなければならない取り決めだったのだが、コーザ達はそれを失念していた。
コーザ達のパーティは、他の冒険者達と比べると、冒険中の食事は少し豪華である。
他の冒険者達は干し肉やドライフルーツ、細かく砕いた食材を小麦粉と一緒に練り上げた携帯食料などで食事を済ませるのに対して、コーザが料理を得意としていたのでその場で調理をする事が多かったから、温かいスープなどを味わう事ができていたのである。
なので、シエナが食事の準備をし始めたところでコーザ達はその日の食事に関しては諦める事にしていた。
普通ならば冒険者にも見えない少女シエナが、冒険用のまともな食事など準備ができるわけがないと思っていたのだ。
それならば、シエナが進めている食事の準備を止めれば良いだけであるが、取り決めをしていなかった自分達の落ち度でもあるし、せっかく準備を始めたのだから、この日一日だけはシエナに出番を譲ろうとしたのである。
そして、コーザ達は驚く事になる。
シエナが作った料理が、どれも味が濃くて美味しかったことに。
今まで自分達が食べていた料理がどれだけレベルの低いものだったかを思い知らされ、同時にコーザも自分の料理の腕前の低さに絶望してしまう。
彼らはシエナをスカウトした。
元々男しかいないパーティだったので、幼い少女であっても華が欲しかったというのも理由に含まれていた。
ただし、一番の理由は料理の腕前である。
コーザもシエナに一緒にパーティを組んで料理を教えてくれと懇願していた。
しかし、シエナは自分が経営している宿があるので、パーティを組む事はできないと誘いを断る。
誰もが思った。
何故、経営している宿があるのに冒険に出かけたのかと。
理由としては、食材を求める依頼であった事と単純な暇つぶしである。
この時の宿屋シエナは食堂ですら知名度が低すぎてほとんど誰も来ないような閑古鳥が鳴いている状態であった。
その為、シエナやこの時の従業員であるエルク、セリーヌ、シャルロット、ガストンは毎日のように暇を持て余していたのである。
シエナはそれを説明し、丁重に誘いを断った。
コーザ達はそれならばしょうがない、と、シエナをパーティにスカウトするのを諦める。しかし、コーザにはそれとはまた別の葛藤が発生してしまったのだった。
依頼が完了し、依頼人に採取してきた食材を渡してギルドで報酬を受け取った後、シエナ達はそこで解散となった。
1人で宿へと戻るシエナの背中を、コーザはジッと眺めている。
そして…。
「ごめん、皆!俺をパーティから抜けさせてくれないか?」
コーザは仲間の方へと振り向き、頭を下げてパーティを抜けさせてほしいとお願いをした。
「…言うと思ってたよ」
仲間達もコーザの様子からそれを察していた。
「行ってこい。行って料理を勉強して…必ず、夢だった自分の店を持てよ!」
仲間達は皆それぞれの夢を知っている。
コーザの夢は、料理人となって自分の店を持つ事。その資金集めの為にコーザは一攫千金を狙って冒険者をしていたのだった。
しかし、料理の腕前がまだまだ未熟だと知った今、お金を貯めるよりも先に料理の腕前を上げるべきだと、シエナの料理を食べて気付いたのである。
だから、コーザはシエナに弟子入りをしようと考え、パーティを抜けたいと切り出したのだ。
「皆…ありがとう!」
「もし、拒否されても戻ってくるんじゃねぇぞ!お前はたった今、俺達のパーティを抜けたんだからな!」
仲間のその言葉に、コーザは更に気を引き締める。
「わかってる!俺も、その覚悟でパーティを抜けるって言ったんだから!」
これでシエナに弟子入りを断られても、コーザは仲間の元に戻る事はできない。
先にパーティを抜けさせてほしいと言ったのも、コーザなりのけじめだったのだ。
「皆、今まで本当にありがとう…皆も、自分の夢を叶えろよな」
「わかってるって!」
コーザは改めて仲間に頭を下げてお礼を言い、シエナを追いかけた。
そのコーザの背中が見えなくなるまで、仲間達はずっと見守っていた。
-----
そして今に至る。
あの後、シエナに追いついたコーザは、シエナに弟子入りを志願し、シエナは「良いですよ~」と即答をし、そのまま料理人として雇ったのである。
当時のコーザは、たった数日一緒に冒険をしただけの間柄なのにこうしてすぐに雇ってくれるとはなんて良い人なんだ。と、感激したものであったが、今現在ならば「シエナの性格なら来る者拒まずだろうなぁ…」と、だいぶシエナの事を理解していた。
それはガストンもエトナも同意見であり、2人も同じようにシエナとの出会いを思い返していた。
ちなみに当時のコーザのパーティメンバーは、現在は王都を拠点として冒険をしている。
コーザが抜けた事により、一時は戦力低下してしまったが、そのコーザが抜けてしまった穴を全員がフォローしあうようにした結果、今ではコーザがいた時よりもパーティの連携が取れるようになり、実力も上がっていた。
ある意味、皮肉な結果である。しかし、それは死ぬ思いをしてまで努力をした結果であり、コーザが抜けてなければ危機感を感じずにレベルアップの為の努力はしなかっただろう。
拠点を王都に移したのは、テミン内で行動をしていればひょんな事からコーザと再会してしまう恐れがあったからである。
かつての仲間達は、次にコーザと再会をする時には、コーザがすでに夢を叶えたあとだと自分達で誓っていたのだ。
コーザも、なんとなくではあるが仲間がそうしているのではないかという確信があった。
だから、シエナがギルドに顔を出しに行く際にも何も言わないしついて行こうともしなかったのである。
離れていても、パーティを抜けたあとだったとしても、コーザ達は仲間なのであった。
自分の事を思い返したコーザは、ふとガストンが何故宿屋シエナにいるのかが気になった。
「そういえば、ガストンさんはなんでここで働く事に?」
コーザが知っているのは、ガストンが元は貴族の館で働く料理人であったくらいである。
冒険者であった自分と違って、恵まれた環境にいただろうに、という気持ちもなくはない質問だった。
「ははは…恥ずかしながら、私は作る料理に目新しさもないし、今でもその癖は抜けてないけどレシピ通りにしか調理できない人間だったから、他の料理人達や料理長に戦力外通告を言い渡されて追い出されてしまったのさ」
ガストンは乾いた笑いをしながら肩を落とす。
「ご、ごめんなさい。軽い気持ちで聞いて良いことじゃなかったッスね…」
コーザはすぐに謝罪を入れる。
しかし、ガストンはすぐに明るい笑顔をして楽しそうに笑った。
「でも、そのおかげでシエナさんと出会えた。私としては非常に幸運だったと思っている!」
「どういう出会い方だったんスか?」
ガストンが気にしている様子がない事に安堵したコーザは、疑問に思った事をそのまま口にする。
「これからどう生活をしようかと三番街区の公園でたそがれていたら、シエナさんが声をかけてきたのだよ。手から美味しそうな食材の匂いがする!ってね」
どんな嗅覚だよ!と、コーザとエトナは心の中でツッコミをいれる。
確かに色んな食材に触れていると、その食材の匂いが手に染みつく事がある。
特に玉ねぎなんかは2日くらいは染みついたまま残る事が多い。
それでも、直に手を嗅いだわけではないのに手に染みついた食材の匂いを嗅ぎ分けるシエナの嗅覚は少し異常であった。
ただ、シエナのそれはあくまでも『美味しそうな食材の匂い』に限定されていて、他の匂いに関してはそこまで嗅覚は鋭くない。
嗅覚が特に鋭いのはルクスなのである。
「それで私が料理人だとすぐにわかったみたいで、私の様子がおかしい事から事情を聞いてきたのだよ」
そして、どこにも行く当てがない事を正直に話したガストンを、シエナがすぐさま勧誘したのである。
「丁度、この宿が完成する間際だったんだ。シエナさんは料理人を探していたようでね。私もシエナさんもどちらにとっても望んでいた存在だったから、シエナさんは私を勧誘し、私はすぐにその誘いに乗ったよ」
そしてガストンは驚く事になる。
始めの内は、自分の方が料理を教える側に回るだろうと思っていたのに、まさかの見たことも聞いた事もない料理を教えられる事にはなるとは思わなかったからだ。
そして、レシピに対して忠実に調理を行うガストンの事を、シエナが大歓迎してくれている事にも驚いた。
貴族の館では、誰にでもできる事しかできない奴だと疎まれていたのに、シエナはむしろそれを歓迎してくれる。
ガストンはシエナから新しい料理を教わる度に驚き、そしてこうしてシエナと出会えた事を喜ぶのであった。
ガストン・ラインマイヤーにとって、その未知の料理の数々はとても魅力的だった。
香辛料や調味料を惜しみなく使用した料理、更には醤油やマヨネーズやケチャップなどといった見たことも聞いたこともない調味料の数々。
特に醤油は、味付けはもちろん色付けや香り付けにも利用できる塩の次に万能な調味料であった。
シエナは「不特定多数の人へと提供する料理なので、変にアレンジする事なく、レシピに忠実に調理してくれる人の方が重宝できます」と、ガストンの長所を伸ばしていった。
結果、ガストンは一時は失いかけていた自信を取り戻し、シエナを尊敬するようになったのである。
「ちなみに、私達が貰ってる給金だけど…何気に貴族の館で働いてる時より多く貰ってるよ」
コーザとエトナは、ガストンのその言葉に思わず吹き出す。
今までどこかで働いた事のなかったコーザは、宿屋シエナの給金が他で働くよりも多いと知りもしなかった。
むしろ、食堂が流行り始めるようになるまでの客の少なさも知っていたので他で雇われるよりもきっと少ないのだろうと思っていたくらいである。
エトナは前の職場よりもかなり多く貰っている事には気付いていたが、まさか貴族邸で働くよりも貰っているとは思ってもいなかったのだった。
ガストンが貴族家で特別給金が少なかった訳ではない。
他の料理人達と同じ額を貰っていたのだ。
それ故に、他の料理人達がガストンへの不満を溜め込んでしまい、ガストンが追い出される結果となってしまったのであるが…。
「私はシエナさんにこれでは貰い過ぎだとも言ったんですけどね…シエナさんは断固として譲りませんでしたよ」
「何の話ですか?」
丁度、そこでシエナとアンリエット、アルバが三色団子が沢山乗った皿を持ってきて会話に加わった。
「私達とシエナさんとの出会いと、それと他よりも明らかに貰い過ぎている給金の話です」
「昔話に華を咲かせていたのですね!皆さんとの出会い、懐かしいです!」
シエナはテーブルの上に団子の乗った皿を置いて、椅子へと座る。
「給金の話ですけど、私は皆さんはとても優秀な人材だと思っています。優秀な人材なら、手元に残しておきたいと考えるのが、経営者の考えです。と、なると、どうすれば手元に残せるか?」
そこまで口にして、シエナは団子を一本手に取ってガストンに手渡す。
ガストンはそれを受け取り、シエナが会話の途中から自分が経営者目線ならどうするか質問しているのだと悟る。
「なるほど…他に移ってしまわないように、多めに給金を支払う、という事ですね」
「That's right!!」
「? 今、何て言ったのですか?」
シエナがパチンと指を弾きながら英語で答えるが、この世界に英語など存在する訳がない(日本語なら辛うじてハーピィーが少し話せる)ので、その場にいる誰もが首を傾げる。
「こほん…その通りです。ですが、給金を多く支払ってもらっていたとしても、あまりに毎日扱き使われてしまえば肉体は疲れ果ててしまいますし、心だってすり減ってしまい人は逃げ出したくなるものです。そうならない為には?」
そう言って、シエナは今度はコーザに団子を手渡す。
受け取ったコーザは、少しだけ思案してすぐに答えに行きつく。
「そうか!だから交代で休みの日を用意したり、定休日を作っているのか!」
「exactly!!」
「ごめん!今なんて!?」
さっきとは違う単語だった為、再度その場にいる全員が首を傾げた。
ちなみに、現代日本社会では給料は少ない上に毎日扱き使われているにも関わらず、その会社から逃げ出せない人達が大勢いる。むしろ、逃げるような気力すら奪われている気もしなくはないが…。
シエナは、そういった日本の闇を知っているからこそ、優秀な人材にはそれ相応の報酬は支払うべきだと考え、そしてきちんと身体を休められる環境を整えたいと考えていたのだった。
「休みもしっかり取れて、給金も多く貰える。普通ならばそれで十分だとは思いますが、私やエルクさんが無茶ばかりな命令をする経営者や上司だったら、心休まる暇もないでしょう。だから、私達はある程度の持ち場を作り、大まかな役割を与え、あとは自由気ままに仕事をしてもらう事にしました」
そしてシエナはエトナに団子を手渡す。
エトナも、今度は自分の番だろうと身構えていて、シエナの言葉にしっかりと耳を傾けて答えを考えていた。
しかし、今度のシエナの言葉はどう聞いても質問というわけではなく、完結してしまっている言葉だったので、エトナはただ団子を手渡されただけとなってしまう。
シエナとエルクは、一緒に働いてくれる仲間を大切にし、褒めて伸ばす教育を施している。
時には宿にとって不利益を被るような行動を起こしてしまう事だってある。
それでも、怒る事はせずに優しく指導するようにして叱る。そんな事は滅多には起きないが…。
そもそもが、この宿屋で一番問題を起こしやすいのが他でもないシエナである。
過去に起こしてしまった暴力事件然り、一度だけ飲酒をして酔っぱらったシエナが暴飲暴食の限りを尽くしたり、と、ある意味反面教師になっているのである。
それでも、エトナは何か良い言葉がないかと頭を捻って考えた。
「…更に待遇を良くした」
そしてぽつりと漏れた一言。その言葉に一早く反応したのは当然シエナである。
「まさにその通りです!!」
そしてまた訳のわからない言語を喋るかと身構えていた面々は、シエナが普通にアーネスト大陸語を話した事により、首だけをガクッと動かしてズッコケる。
宿屋シエナで働く従業員達は、その待遇の良さをしっかりと感じている。
そもそも、入浴施設が整っている住み込みで働ける場所など、滅多に存在しない。
宿屋シエナは、シエナによって作られた給湯設備があるからこそ、従業員も営業終了後に入浴する事ができるのであって、他の風呂付きの高級宿や貴族邸などに関しては、水を張って燃料を燃やして沸かさなければならないので、たった一回の入浴でさえかなりのお金がかかってしまうのである。
それを理解しているからこそ、二番街区区長のカイエンは、シエナの助言を貰って銭湯を作ろうとしているのであるが。
入浴施設があるだけでもかなりの贅沢なのに、毎日美味しい食事もできて寝心地の良いベッドで睡眠できる。
これで不満のある人間などいるわけがなかった。
「孤児院にいた時には、まさかこんな暮らしができるとは夢にも思いませんでした」
そう呟いて、団子をほんの少し食べたエトナは「あら、おいしい」と口元を隠しながら微笑む。
そんなエトナの笑顔を、コーザはドキリとしながら眺めていた。
-----
エトナ・カチューシャは孤児であった。
生まれてすぐに両親に捨てられ、二番街区と四番街区の中間にある孤児院で育てられた。
成人である16歳になって自分という食い扶持を減らす為にすぐに孤児院を出て、住み込みで働けるところを転々とし、稼いだお金は自分の生活費を残してそのほとんどを孤児院へと寄付していた。
なるべくなら仕事を辞めずにずっと働いていたかったが、エトナは妙に冒険者の男に好かれる性質で、エトナを巡ったトラブルがちょくちょく巻き起こっていたのだった。
その結果、トラブルが起きたら仕事を辞めざるを得なくなってしまい、エトナは何度も転職を続けていた。
孤児院を出て6年と少しが経った頃、エトナは新たな職場を探していた。
住み込みで働けて、孤児院に寄付をする余裕がある給金が貰える職場。
中々そんな職場は見つからない。
そんな折、エトナは商業ギルドの求人募集の掲示板を見ている時に貼りだされた新たな求人で、宿屋シエナの存在を知った。
三番街区という住宅街メインの辺鄙な場所で営業をしている宿屋。
営業する気はあるのか、そもそも実は宿屋ではなくて宿屋と見せかけた娼館なのではないか、怪しいもんだ、とエトナは思ってそのまま別の求人に目を向けようとしたが、視界の端に飛び込んできたその情報に食いついた。
住み込み可で、給金が他よりも遥かに多い。
エトナは他の人に見られるよりも先にその求人を奪うように剥がし取り、壁際で他人に見られないようにしながらじっくりと求人内容を確認した。
そして、気が付けばエトナは宿屋シエナで働く事になっていた。
エトナ自身もびっくりな無意識に近い行動だった。
商業ギルドに広告を提出し、宿屋シエナに赴いてシエナとエルクと面接。
孤児院で子供の頃から調理補佐をしていた事もあった為、そのままガストンやコーザの調理補佐になる事が決まった。
主に調理場に籠る事になる為、食堂利用客の中に冒険者がいたとしても、そうそうトラブルになる事はないだろう。と、エトナは安心した事も覚えている。
それでも、記憶は確かにあるにしろ、ここまで突発的に、無意識に動いた事は初めての事であった。
-----
しかし、エトナは当時の自分のその行動を褒めてあげたいと思っている程である。
あの時、商業ギルドにいた事、掲示板の前にいた事、他の誰よりも先にその求人を見る事ができた事、そして即決で行動を起こしていた事。
そのおかげで、エトナはこうして毎日を楽しく過ごせ、充実した日々を送れていて、そして好きになった男性と出会えたのである。
ちなみに、孤児院への寄付は今も尚続けている。
エトナにとって、孤児院は実家である。
赤ん坊の頃に受け入れてくれなければ、エトナはすでにこの世にいない人間である。
そして、大事に育ててくれていなければ、今頃は貧民街で体を売らなければ生きていけないような生活をしていただろうとエトナは思っている。
孤児院としても、エトナは孤児院から巣立ったのだ、もっと自分の為に自由に生きてくれて良いのに。と、毎月寄付をしに来るエトナへ言っているのだが、エトナは優しく微笑んで返しても返したりない恩をこれからもずっと返し続けるのであった。
「この団子ってのおいしいね。今度、作り方教えてよ。孤児院で作ってあげようっと」
「いいですよ~。作り方は簡単です」
三色団子が気に入ったエトナは、シエナに作り方を訊ねる。
これならば、孤児院の子供達も喜ぶだろうと思っての考えであった。
「お、俺も手伝うから、次の定休日に一緒に行こうぜ」
おそるおそる、コーザは協力を申し出る。するとエトナはパッと笑顔を浮かべ、コーザの申し出を喜んだ。
「ありがとう!コーザ。子供達も喜ぶわ」
「お、おう」
(早くくっつけば良いのに…)
コーザの気持ちもエトナの気持ちにも気付いてるシエナは、2人が未だに付き合っていない事に内心もやもやとしながら過ごしていた。
そして、シエナと同じように、ガストンもそんな2人の様子を微笑みながら見守っていた。
こうして、宿屋シエナで働く料理人達の一日は過ぎていくのであった。




