ステンザード一家との出会い③
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…
「…うぅ…」
肌にほのかな温かみ、そして額にひんやりとした心地よさを感じ、エルクはゆっくりと目を開ける。
薄暗い山奥のはずなのに、ほんのりと周囲は赤く染まっていた。
エルクが起き上がるのと同時に、エルクの額から何かがズリ落ちる。
「これは…濡らした布…?」
「あ、目が覚めましたか?」
自分の額から落ちた物を拾い上げて呟いたエルクの耳に、聞き慣れない若い女性の声が飛び込んでくる。
エルクは驚き、その声の主を探す。
その声の主はエルク達と焚き火を挟んだ反対側に座っていて、その風貌は毛皮のフードを被った小柄な少女であった。
少女は焚き火の上にかけられた鍋の中身をかき混ぜながら意識の戻ったエルクに優しく微笑みかける。
その少女のとても優しそうな微笑みに見惚れながら、エルクは自分達の置かれている状況を把握しようと務める。
横に寝かされているのはアルバとアンリエットであり、その額には先ほどまでのエルクと同様に濡らされた布が置かれている。
そして、その身体は毛皮の毛布に包まれていた。
アルバもアンリエットも安静に寝ているだけの状態なのを確認でき、エルクは安堵のため息を漏らす。
「これは…あなたが?」
それ以外には考えられないが、エルクは質問をする。
「はい。人の叫び声が聞こえたので、何事かと思って探したら、ゴブリンに囲まれて倒れているあなた達を発見しました」
エルク達のアルバへの呼びかけは、ゴブリンを呼び寄せてしまったが、同時にその助けとなる少女も呼び寄せていた。
少女はその時の状況を語る。
エルク達を囲んでいたゴブリンは全部で7体。
それを難なく撃破し、後から現れたオーク3体と狼のような猛獣も駆除したと少女は語る。
そして洞穴のすぐ近くに、土魔法で簡単な土の家を作り、そこにエルク達を運び込んで看病をしていたところで、エルクが目を覚ましたのが現状である。
土の家は本当に簡単な造りで、某マインなクラフトゲームで初心者が一番最初に作り上げそうな豆腐のような形の家であった。
ただし、その強度は土をかなり圧縮して作った為に下手な岩よりも頑丈であり、匠の技を持ってしてもリフォームするのは難しいだろう。
「とりあえず、お水をどうぞ」
状況説明を先にしてしまった事で、少女は失念していたとばかりにエルクに水の入った木のコップを差し出す。
それを目を見開いて急いで受け取ったエルクは、すぐにアルバを抱きかかえた。
「アルバ!目を開けてくれ!水、水だ!!」
自分よりも先に最愛の息子に水を飲まそうと、エルクは目に涙を浮かべながらアルバの口にコップを付ける。
「大丈夫ですよ。あなた達が意識を失ってる間に、少しずつ水を口に含ませていましたから。それに水は沢山ありますので、焦る必要はないですよ」
少女は、本当なら真っ先に自分も水を飲みたいはずなのに自分以外の者を優先する目の前の青年に好感をもった。
少女の言葉にエルクはホッと息を吐き、そしてゴクリと喉を鳴らしてじっくりと味わうようにして水を口に含んだ。
ほとんど反射であった。
身体が水を欲している。細胞の隅々まで水分を行き渡らせたい。
エルクは涙を流しながら水を一気に飲み干した。
「おかわり、いりますよね?」
差し出された手に、エルクはゆっくりと空になったコップを差し出した。
「自己紹介がまだでしたね。私の名前はシエナです」
それから3杯もの水を飲み干し、流す涙も落ち着いてきたエルクに、シエナと名乗った少女は自己紹介を持ちかける。
「わたしは、エルク・ステンザード。この度は危ないところを助けていただきましてありがとうございます」
エルクは頭を下げ、シエナに礼をする。
「こっちが私の妻のアンリエット、そして息子のアルバです」
まだ意識の戻っていないアンリエットとアルバを手で示してエルクは2人の事も先に紹介をする。
「冒険者…という訳ではなさそうですね?こんな山奥にあなた達は何故?」
装備も貧弱で更には幼い子供を連れている。
しかし、冒険者ではないのにこんな山奥に人がいるとは思わなかったシエナは質問をする。
「…色々ありまして、国から逃げ出してきました…あの、ここはヴィシュクス王国でしょうか?」
「はい、ここはヴィシュクス王国側のシュバルヘーレ山脈南東の森です」
エルクはヴィシュクス王国に入れていた事に安堵のため息を漏らす。
「一番近い町とかって、どこかにあったりしますか?」
「う~ん…?私もまだあまりこの国の事は詳しくないですからねぇ…私が現在暮らしている大きな街でしたら、ここから北東に向かって一ヶ月程の距離に…あ、この世界だと3週間程か、の距離にありますよ」
この時のシエナは、まだこの世界の1週間が10日のひと月が40日というのに慣れていなかったので、つい言い直しをしてしまう。
「シエナさんは、何故この山に…?1人なのですか?」
「えぇ、私は1人です。この山のもう少し南へ行ったところに、檜という木を発見しまして、それを採りに来ていたところです」
この時のシエナは、シュバルヘーレでコカトリスを倒した時に手に入れた財宝で、三番街区に宿の建設をしている途中であった。
建設中は暇になるのでシュバルヘーレで採る事を忘れていた魔晶石でも取りに行こうかと冒険に出かけ、道に迷ったところで檜の木の発見に至ったのである。
そして大浴場の浴槽に使う木材を檜に変更しようと考え、これで3度目の往復をして木材を集めているところなのであった。
「…………」
それから何度も、エルクは口を開こうとしては閉じるを繰り返す。
何か言いたそうにしているその様子にシエナは首を傾げるが、状況から察して頼みたい事があるけど頼み辛い、と言ったところだろうと当たりをつける。
「私の住んでる街で良かったら、ご一緒しますか?」
おそらくはそうであろうという予想で、シエナはエルクに一緒に街へ行かないかと提案を持ち掛ける。
もちろん、エルクにとってそれは渡りに舟であり、すぐさま飛びつきたい提案である。
しかし、エルク達にシエナを雇うだけの護衛料も持っていないし、目的があってこの山奥へと来ていたシエナを邪魔する事になってしまう。
それが申し訳なくてエルクは切り出せずにいて、すぐには頷く事ができなかった。
「…その…わたし達はもうお金もほとんど残ってなく、足手まといにしかならなくて…」
「別に構いませんよ?ほら、情けは人の為ならずって言うじゃないですか」
人差し指を立ててシエナは自身の座右の銘でもある諺を言うが、日本でも使い方を間違ってる人が多い諺が異世界で通じる訳もなく、エルクは首を傾げる。
「ん、んぅん…」
その時、アンリエットが身を捩って意識を取り戻す。
「アンリエット!!良かった、目が覚めたのか!」
「…える、く…?…ッ!!アルバ!!アルバは!?」
ガバッと起き上がり、アンリエットは自分の横で安らかな寝息をたてているアルバを見て、ホッと息を吐く。
「どうぞ」
視界内に木のコップが入り込み、見知らぬ女の子の声が聞こえてきたアンリエットは驚きに身を竦ませた。
しかし、そのコップの中身が水だと知ると、様々な疑問を置き去りにし、それを奪い取るようにしてすぐにアルバに飲ませようとする。
それをエルクが優しく制止する。
「大丈夫だよ。このシエナさんがわたし達が意識を失ってる間に少しずつ口に水を含ませてくれてたみたいだし、水はまだ沢山あるようだから。焦らなくて良い」
エルクの言葉に、アンリエットはゆっくりとシエナの方を振り向く。
そして、小柄の少女を視界に収めて驚きに目を見開く。
「水も沢山ありますし、食事ももう間もなく出来上がりますので、遠慮なさらずに飲んでください」
シエナは、エルクと同じようにまず先に自分の子供に水を飲ませようと行動を移したアンリエットの事もかなりの好感を持った。
きっと、この家族は心優しい人達なのだろうと、シエナは助けた事を誇りに思う。
「何から何まで、感謝の言葉もありません…」
エルクが再度頭を下げてお礼を言い、アンリエットにこれからの予定を話す。
アンリエットは、シエナがエルク達をシエナの住む街へと案内をしてくれる事を聞き、エルクと同じように深々と頭を下げてお礼を言った。
それから数分の時間が経過し、アルバが目を覚ます。
エルクやアンリエットと違い、アルバはまだ幼い子供である。
起き上がれず意識も朦朧とする中、それでも最愛の父と母を呼ぶ。
「大丈夫だアルバ!パパとママはここにいるぞ!」
エルクは、自分達の事を呼びながらも懸命に生きようとするその小さな命に、励ましの言葉をかけながらシエナから受け取った水をアルバに飲ませる。
アルバは目に涙を溜めながら水を飲み、安堵の表情をして落ち着く。
「さ、皆さん目が覚めましたし、食事にしましょうか」
シエナはポンと手を打って、いそいそと食事の準備を始める。
「沢山あるので遠慮せずに沢山食べてくださいね。ただ、胃が弱ってると思いますので最初はゆっくりと食べてください」
シエナの作っていたのは、体に良い薬草を数種類刻んだものを入れた米のお粥であった。
米自体はシエナが持ち歩いていたものであり、薬草は移動中に発見した物を摘んでいた物である。
エルク達は、その数か月ぶりとなる温かい食事に胃液と唾液が分泌されるのを止められずにいた。
最初にアンリエットがアルバに少し冷ましたお粥を食べさせる。
アルバはゆっくりと咀嚼をし、飲み込むと涙を溢れさせた。
「おいしい…おいしいよぅ…」
えぐえぐと涙を流し、再びアンリエットから冷まされたお粥が掬われたスプーンを口にする。
「良かったな…良かったな、アルバ…!」
エルクもアンリエットも涙を流して、愛する息子が温かみのある食事ができている事を力強く喜ぶ。
少しして、アルバが自分でお粥を食べられるようになったので、エルクとアンリエットも自分達に渡されたお粥を口にする。
「あぁ…なんて、なんて美味しい粥なんだ…」
「本当…こんなに美味しいお粥を食べたのは、初めて…」
2人は涙を流し、体中に栄養が行き渡る感覚を味わいながらお粥を口にする。
シエナは、そんな3人の様子を微笑みながら眺め、自分も同じお粥を口にする。
(うん、味付けは薄いのに優しい味…)
愛が溢れる場の雰囲気により、その粥は今まで食べたどの粥よりも優しい味がしたのであった。
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「その時食べたお粥の味は今でも忘れられません…」
エルクの柔らかな微笑みと共に語られた内容により、話を聞いていた食堂内にいる人々は涙を流す。
「うぅ…良かった…良かったなぁ…」
筋肉質のガタイの良い冒険者までもが涙を流して感動をしている。
「たまに手伝いをしているあの男の子、生きてくれてて本当に良かった…」
常連の人々も、たまに宿の手伝いをして元気に走り回っているアルバの姿を思い出して涙を流す。
今までは元気があって手伝いのできる良い子だなぁくらいとしか感じていなかったが、その何気ない日常こそが本当に幸せなのだと、常連客は今生きていてくれてる事を喜ぶ。
「それからどうなったの?」
先が気になるビショップが話の続きをせがむ。
「その後は一日体力の回復の為に休み、山を下りました」
そして山を下った先で、シエナが麓に置いていた木材を乗せる為に持ってきていた手引きの荷台に乗せてもらってテミンの街を目指したと語る。
「フォルト王国では考えられない頻度でゴブリンや猛獣に襲われましたが、全てシエナさんが撃退してくれました」
常連客の中にはシエナがそんなに実力があるとは思ってなかった人や、むしろ冒険者である事すら知らなかった人達もいたので、驚きに目を見開いている。
そして、自分達はそれが当たり前であったゴブリンとの遭遇頻度が、フォルト王国ではあり得ない頻度であると教えられて更に驚く。
「なんでヴィシュクス王国とフォルト王国とでは遭遇頻度にそんなに違いがあるんだろうな?」
「ダンジョンの差じゃないかな?テミン近辺は特に天然ダンジョンが多くてそこからモンスターが出入りしてるようだし、ヴィシュクスの中でもダンジョンが全くない地域はモンスターもあまりいないし」
常連の冒険者が考察をするが、その答えは出せそうになかった。
「およそひと月程でわたし達はテミンへと辿り着きました。と、言っても、ほとんどシエナさんが荷台に乗せてくれてたので苦労したのはシエナさんだけでしたけど」
若干の申し訳なさを感じながら、エルクは改めてシエナにお礼を言う。
「これからわたし達は、どこかで働き口を見つけ、この街で静かに健やかに暮らしていこうかと思ってました」
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テミンに到着したシエナ達は、まずは宿を確保する為にディータの両親が営む黄昏の女神亭へと足を運んだ。
「あー!やっと帰ってきた!!もう冒険しないと思ってたのに、すぐにどっか行くんだから!」
黄昏の女神亭へと入ると、青い髪を揺らしたディータがシエナに怒鳴り声を挙げる。
この時のディータは、シエナが自分の宿を建設し始めたので危なっかしい冒険には出かけないと信じていた。
それにも関わらず、シエナはフラフラとどこかへ冒険へ出かけてしまう。
無事に戻ってくる度に安堵のため息を吐くが、長い期間顔が見れないと心配で心配でたまらなく、シエナが顔を出す度に怒鳴り声を挙げるようになったのである。
「そんな怒鳴らないでよ~…ほら、笑顔笑顔。一緒にやってみようよ。らんらん…」
「るー♪ ってやるかバカ!!」
鋭いノリツッコミを入れてディータはシエナの頭を叩く。
その息の合った漫才に、エルクとアンリエットは目を丸くして苦笑する。
「こちらの方は?」
シエナとのやり取りを優先していたディータは、ある程度のシエナとの絡みを終えて満足してから、シエナの後ろに立つエルク達について訊ねる。
「私の連れだよ。とりあえず、一人部屋1つと、えっと、三人部屋はなかったよね。四人部屋を1つ良い?空いてる?」
「空いてるけど…まあ、いっか。お母さ~ん」
色々気になる事はあったが、ディータはシエナが連れてきた人物なので大丈夫だろうと考えを投げ出す。
「本来ならわたし達がお金を払わなければいけないところを…本当に申し訳ありません。そしてありがとうございます」
「困った時はお互いさまです。それに、1つ頼みたい事もありますので」
「頼みたい事…ですか?わたしにできる事ならばなんでもします!」
命の恩人であるシエナの為ならば、エルクもアンリエットも出来る限りの事は尽くそうと考えていた。
「とりあえず、明日になったら私と向かってほしい場所があります」
「わかりました。どちらに?」
「それは明日のお楽しみです」
知らない街なので、秘密にされてもあまり意味のない事なのでは?と、エルクは思ったが口に出さずに「わかりました」と答えた。
次の日になり、エルク達は自分達が暮らしていたステンザード領に比べ、遥かに大きい街並みを眺めながらシエナの後ろをついて歩いていた。
賑やかな商店街を抜け、住宅が多く集まる地域に入り、歩を進める。
しばらく歩き通し、最後の曲がり角を曲がったところでシエナが今まで見た事もない笑顔で目的の場所へ向かって走り出した。
「ここです!ここが目的地です!」
くるりと振り返り、エルク達に見せたかったものを見せるシエナ。
そこは、大きな木造の建物が現在進行形で職人たちの手で建設されている場所であった。
「お、シエナの嬢ちゃん。久しぶりだな」
「親方さん、お久しぶりです!」
建設現場から1人の髭面の男性がやってきてシエナに挨拶をする。
「嬢ちゃんの図面の通りに建設しているが、本当に良かったのか?陽の光が入り込まない場所が何箇所もできてるが」
「大丈夫です。きちんと照明を設置しますので」
「まあ、俺達は言われた通りに建設するだけどよ…今までやったこともない製法だから色々と不安があるんだよ」
男は髭を弄びながら「後から文句言わねぇでくれよ」と念を押す。
「文句なんてつけないですよ。見た感じばっちりです!良い腕してますねぇ」
シエナは満面の笑みで建設途中の建物に満足していた。
「シエナさん、ここは?」
そして、取り残されているステンザード一家がシエナに質問をする。
「ここは、私が生まれる前から夢に見てた宿屋を建てている場所です!」
生まれる前から、という言葉にエルク達は「言い間違いかな?」と思いながら、その建設中の宿屋を見る。
「立派な宿屋ですね」
「はい!それで、私の頼み事なのですが」
シエナはすぐに本題に入り込み、真っすぐにエルクの目を見た。
「エルクさん。この宿屋が完成したら、うちで働いてくれませんか?」
シエナは、エルク達が目を覚ましてからの一連の行動を見て、「この人なら自分が不在時でも宿屋を任せられそうだ」と考えていたのだった。
「よろしい、のですか…?」
エルクとしては、これから働き口を探さねばならないので、それが真っ先に見つかるのならば願ったり叶ったりである。
「えぇ。宿が完成する前には従業員を募集しようと思ってまして、一番悩んでいた総支配人の枠をエルクさんに任せてみたいって思ったんです」
シエナの言葉に、エルクは宿を見上げる。
(こんな立派な宿屋で…命の恩人の元で働けるなんて…)
エルクは宿を見上げていた視線をシエナに移し、真剣な表情をしながらゆっくりと頭を下げる。
「こんなわたしでよろしければ、是非、雇ってください」
「ありがとうございます!これからもよろしくお願いしますね」
そう言って、シエナは笑顔で握手を求め、エルクはそのシエナの手を硬く握る。
(これからもし、どんなに大変な事があっても、わたしはこの娘を絶対に裏切らない。この娘の為にこれからこの宿で頑張ろう!)
こうしてエルクは、宿屋シエナで雇われる形となった。
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「そして今に至るという訳です」
エルクの話が終わると同時に拍手喝采が巻き起こる。
誰もが涙を流して感動していて、エルク達の命の恩人であるシエナを揉みくちゃにするようにして褒めちぎっていた。
「そんな事があったのですね…お辛かったでしょう…」
アリスがエルクの傍まで寄って喋りかける。
エルクはそんなアリスの目を見て優しく微笑むと…。
「えぇ、領地を追い出された事は辛い思い出です…ですが、そのおかげでこうしてシエナさんと出会えた事は幸運だと思っています」
もしも、領地を追い出されずにグバンの男の下で扱き使われたままになっていたとすれば、今手にしている幸せはなかっただろう。
「今はこうして、家族と共に家族のような人達に囲まれて幸せに過ごせています。殺されてしまった父の為にも、わたしはアルバを幸せにしてみせる。そして、命の恩人でもあるシエナさんの助けとなり、シエナさんも幸せにしてみせます」
エルクの言葉に、冒険者達に頭をぐしゃぐしゃに撫でられているシエナが微笑んだ。
「…どうか、幸せに過ごしてください」
エルクの決意にアリスも優しく微笑み、頭を下げる。
そんなアリスの行動にエルクは心の中で「やはり、貴女はアリスティア様…」と呟き、こうして手にした幸せの場で、彼女の事も優しく見守っていこうと心に誓うのだった。
「エルクさん達にあんな壮絶な過去があるなんて知らなかったよ。親元で穏やかに暮らしながらここで働けてる何気ない日常が、どれだけ恵まれているか再確認できたなぁ」
食堂の営業が終了し、全ての客がいなくなった店内で、後片付けをしながらリアラが呟いた。
「そうだね。何気ないかけがえのない日常こそが本当に幸せな時なんだよね」
それに同意するようにシエナが返す。
シエナも、宿屋シエナこそがこの世界でようやく手に入れる事ができた幸せの場所である。
そしてそこで一緒に働いてくれる仲間達と共に、これからも穏やかな日々を過ごしていこうと改めて心の中で思う。
「あ~あ、私も久しぶりにパパとママに会いたくなっちゃった。シエナちゃん、今度長めのお休み頂戴」
「構いませんよ。村まで護衛についていきましょうか?」
リアラの言葉とエルク達の過去を聞き、親元を離れて住み込みで働いているミリアは久しく会っていない両親の事を想う。
「護衛付きの乗合馬車に乗っていくから大丈夫だよ」
「そうですか。でも、気を付けてくださいね。絶対に無事に帰ってきてね」
「それ、しょっちゅう冒険に出かけるシエナちゃんが言う~?」
その返しにシエナは苦笑いしかできなかった。
そして、シエナ達が楽しそうにお喋りをしながら後片付けをしている時、宿屋シエナの3階の一室で、ステンザード一家は穏やかな時を過ごしていた。
「今日もお疲れ様、あなた」
「あぁ、アンリエットもいつもありがとうな」
ベッドで健やかに眠っているアルバの頭を優しく撫でながら、エルクは愛しい妻からの優しい口づけを受ける。
「これからも、この場所を守っていこう。アルバが立派な大人になっても」
食堂での話を聞いていなかったアンリエットにとって、エルクのその宣言はあまりに唐突なものである。
しかし、アンリエットもシエナに救われて居場所を与えてもらった瞬間からずっと同じように考えていた事なので、その言葉に優しく頷くだけである。
「愛してるわ、あなた…」
「俺もだよ…アンリエット…」
2人は優しく抱き合い、熱い口づけを交わすのだった。




