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宿屋シエナの調査

「シエナ、チャーチル様達が話したい事があるって」

「ん?なんでしょうか、すぐに行きます」

 共有部屋でアルバとあやとりをして遊んでいたシエナは、セリーヌから伝えられた用件に首を傾げながら立ち上がる。

 時刻としては夕方少し前なので、冒険者ギルド関係かな?と、シエナは思案する。


 それまでシエナと遊んでいたアルバは、シエナが行ってしまう事に少しだけ悲しい表情をしたが、すぐにキリッとした表情をして仕事休憩中のエルクに何か手伝える事がないかを聞いていた。

 最近、アルバは自主的に宿の手伝いを買って出るようになったのである。


 そんなアルバを視界の端におさめながら、シエナは共有部屋を出て、受付のある一階へと降りる。


「お待たせ致しました。ご用件をお伺いします」

「ん~…用って訳ではないのですが、ちょっとした報告をしておこうかと思いまして」

 チャーチル達は皆、微妙そうな表情をしていた。


 チャーチルが代表して口を開こうとしていたその時、大浴場の方から近所に住む常連の女性客がシエナのところへとやってくる。

「シエナちゃん、大浴場の方に…何か不審者がいるんだけど」

「え!?覗きか何かですか!?」

 不審者と聞いて、真っ先にシエナが思い浮かべたのは覗きをしている人であった。


「あぁ、私達も丁度その報告をしようと思ってシエナを呼んだんだ」

 出鼻を挫かれ、口をパクパクとさせていたチャーチルの代わりにマチルダが答える。

「ちなみに、覗きとかそういうのじゃないよ。…なんていうか…調査をしている人?」

 更にビショップが被せるようにして目撃した変な人の事を話し始めた。


「調査してる人?」

 シエナの復唱確認に、チャーチル達4人と常連の女性客はコクコクと頷く。

「ずっと服を着たままウロウロしてて、何かメモを取っていました」

「主に置かれている道具や、設備などを熱心に見ている様子でしたので、おそらくはココ(宿屋シエナ)の大浴場に注目した商人が、似たような商売を始めようとする為の調査ではないでしょうか?」

 チャーチルが少しだけ詳しい説明をした後に、アリスが更に詳しい観察内容・自己分析を語る。


「なるほどなるほど。わかりました!教えてくれてありがとうございました。今から直接行って、話しを聞いてみます」

 シエナはペコリと頭を下げてお礼を言うと、すぐに大浴場の方へと向かおうとする。


「私達はここで待機してるので、何かあったら叫んでください。すぐに駆けつけます」

 そう言って、チャーチルは剣に手をかける。

「だ、大丈夫ですよ…。とりあえず、剣から手を放してください」

 大浴場を利用しに来た街に住む一般客が驚いてしまうので、シエナはチャーチル達に武器を構えるのをやめてもらう。



 シエナが大浴場の方へと向かうと、出入り口の前の廊下で何やら興奮した様子で語り合っている男女が立っていた。

 お互いに何かが書かれた紙を見せ合いながら、宿屋シエナ内の大浴場の施設内の事を語り合っていて、その様子からシエナはこの2人が報告にあった不審者だとすぐに理解する。


「あの温風が出る道具見ましたか!?あんな道具初めてですよ!」

「それも凄いと思ったが、一番驚くべきところはあれだけの湯を常に掛け流している点だ!燃料費だってばかにならないはずなのに、この大浴場とやらの使用料があれだけ安いのは何か秘密があるに違いない!後でここの経営者に話しを聞かねば!」


 2人は、真後ろに近づいたシエナに気付く様子もなく、手元のメモを見て大浴場の設備を話し合っている。

「あの~…?」

 シエナはおそるおそる声をかける。しかし、2人は全く気付く様子もなく、今度は浴槽に使われていた木材の話しをし始めた。


「恐れ入ります。お客様?」

 声をかけても気付く様子がなかったので、シエナは2人の肩に触れて声をかける。

 2人は突然背後から肩に手を置かれた事に驚いて文字通り飛び上がった。

「び、びっくりした…。…こほん、これは失礼しました。通路を塞いでしまってましたね。どうぞ」

 そう言って、男は廊下の端に寄って道を開ける。


「あ、いえ。違います。通りたい訳ではございません」

 男は「大浴場の利用客じゃないのか?」と首を傾げる。

「申し遅れました。わたくし、当宿屋の経営者(オーナー)のシエナと申します」

 シエナはペコリと頭を下げて挨拶をする。

 2人は驚きに目を見開いて、目の前の少女(シエナ)を見る。


「噂では聞いていたが、まさか本当にこんな小さな子が経営者とは…ウチの息子にも見習ってもらいたいものだ」

 男は家業も碌に手伝わずに遊び廻っている自分の息子の事を思い出してため息を吐き、その後すぐに背筋と服をピッと伸ばしてから頭を下げる。

「挨拶が遅れました。私はテッツ・オーズミという者です。二番街区でオーズミ商会を営んでおります」

 テッツと名乗った男性は、シエナと同じ栗色の髪をした利発そうな顔立ちの30歳前後の男性であった。


 オーズミ商会と聞いて、シエナは「かなり大きな商会じゃないですか!」と、驚きの声を挙げる。

 シエナは滅多に利用する事はないが、オーズミ商会は主に冒険者を相手にした武器や防具、冒険に役立つ消耗品などを取り扱っている商会で、テミンの街で冒険者をやっている者であれば知らない人はいない、という程の大きな商会である。

 シエナに驚きに、テッツは「まあ、私も先代から受け継いだばかりの若輩者ではありますが」と、謙遜をしていた。


「私はそこで雇われていますメローナです。孤児でしたので家名はありません」

 メローナと名乗った女性は赤色の髪をした20歳前後の見た目の女性であった。


 挨拶も済んだ事なのでシエナは本題に入ろうかと思ったが、丁度大浴場から利用客が出てきた光景を見て、「この場で立ち話も良くないな」と感じ、受付前の休憩スペースで話し合いをする事にした。

 受付前に戻ると、そこにはチャーチル達4人が律儀にも待機していた。

 シエナが報告をしてくれたお礼を言うと、チャーチル達もどうやら問題はなさそうだと判断をし、食堂へと向かう。



 休憩スペースに設置されているソファーに座り、シエナ達は話し合いを開始しようとする。

 すぐにセリーヌが冷たいミルクココアと小豆を使ったパウンドケーキをテーブルの上に並べる。シエナはセリーヌにお礼を言ってから、ミルクココアを口に少しだけ含み、喉を湿らせる。

 程よい甘さのミルクココアにシエナの口角が緩み、それを見たテッツとメローナもおそるおそるミルクココアに口を付ける。


「こ、これはなんと美味い飲み物なんだ!香りも良く、味もまろやかでほんのりと甘い!こんな飲み物があったとは!」

 テッツはすぐにシエナにミルクココアについて質問をしようとするが、今、この場に座ったのは何の為なのかを思い出し、質問をするのはその話し合いを終えてからにしようとすぐに考え直した。


「テッツ様!このパンとても美味しいです!」

「あ、それはパウンドケーキというお菓子で、パンに似てはいますけどパンではないですよ」

 大体の材料は一緒なので、初めて見る人には柔らかくて甘いパンにしか思えないかもしれないが、使用している材料の中にベーキングパウダーが混ざっている為に、シエナは訂正をしていた。

 ベーキングパウダーは、まだあまり広まっていない少し特殊な材料なのである。


「えぇ、これも本当に美味ですね。飲み物とお菓子の質問もしたいところですが、先に本題に入りましょう」

 テッツもフォークを使って小さく切ったパウンドケーキを食べ、もう一度ミルクココアを飲んでから真剣な表情をする。


「そうですね。では…。オーズミ商会の方が、それも商会主であるテッツさんが何故、この宿へ?」

 シエナも居住まいを正して真剣な表情をして質問をする。

「私達がここへ来たのは、調査の為です」

「調査…ですか?」

 チャーチル達が言っていた通り、2人は調査をしている人であった。後は、それが何の目的の為の調査なのかを確認しなければならない。

 シエナは、その質問をそのままぶつける。


「ここ最近になって、主に女性冒険者が三番街区に流れているという情報を耳にしました。ほとんどが住宅街である三番街区に何故?という疑問から、二番街区区長であるカイエン様が、私に調査の指示を出されたのです」

 テッツの言葉にシエナはふむふむと頷く。



 ちなみに、テミンの街の区長は全員が貴族である。

 テミンの街の全体は、総合的な代表の上級貴族であるグラハムが取り仕切っているが、グラハムだけではここまで大きくなってしまった街を管理するのはかなりの手間と時間がかかってしまう。

 そこで、領地を持たない下級貴族がグラハムの補佐を務め、4つに分けられたテミンの街のそれぞれの区の長を受け持っているのである。

 もちろん、然るべき功績などを収めていけば、中級貴族と成って別の村や町を個人の領地として治める事もできるようになる。


 言わば、国王が会長で領主は支社長、区長は部長や課長などといった日本企業のような感じであり、業績を上げていけばそれだけ昇進できると言った具合である。

 管理を間違えば国全体がブラック企業のようになりそうであるが、そこはヴィシュクス王国の為人を信じるしか他ない。



 突然の貴族からの調査依頼が入っていた事にシエナは少しだけ驚くが、質問は後回しにして話しを聞く事に集中をする。

 この間、メローナはパウンドケーキを大事そうに少しずつ少しずつ食していて、全く会話には加わっていなかった。


「その調査自体はすぐに終わりました。三番街区にあるこの宿屋に女性冒険者が流れていただけの事。冒険者がより良い宿を見つけ、そこに拠点を移す事は珍しい事ではありません」


「ただ、冒険者ギルドから距離も離れてしまい、冒険に便利な消耗品や道具が売られている店が多く集まる二番街区から拠点を移すには、余程の理由がない限りは考えられない事です」


 冒険者はその誰もが、良い依頼を受けたいと思っている。

 それは当然の事である。


 誰が好き好んで実りの薄いやりたくもない依頼を受けたいというのか。

 そして、実りが良く、やりがいのある依頼は競争によって勝ち取られるものである。

 朝一番に冒険者ギルドに駆け込み、依頼の貼られているボードを確認する為には、なるべくギルドから近い宿を拠点としないとその競争に負けてしまうのである。


 更に、冒険に役立つ道具が売られている店が最も多く集まるのは二番街区である。もちろん三番街区や四番街区にもない事はないが、欲しい物が置いてなかったり微妙に値段が高かったりと、わざわざ店が遠くなる三番街区や四番街区を拠点にするメリットがあまりないのである。

 ただ、四番街区には簡易宿泊施設と同じくらいの値段の安宿が多く存在するので、鍵が付いてなくても個室に泊まりたいと思っていたり、あまりお金を持っていない駆け出しの冒険者達はそちらを拠点に置く事は珍しくはない。


 駆け出しの冒険者は、そもそもが受けられる依頼の種類が採取依頼などといった競争のない依頼なので、朝一番にギルドに駆け込む必要もないからというのも理由であるが。



 それらの理由で、冒険者の多くは二番街区に存在する宿を主に拠点としている。

 テッツの言った通り、余程の理由がない限りは遠くなって不便にもなる三番街区の宿を拠点にしようとは思わないのである。


「そして、その理由もすぐに判明しました」

 宿屋シエナ前に置いてある看板を見ればわかる通り、宿屋シエナには他の宿にはない大浴場という施設があった。


 貴族向けの高級宿なら、風呂付きというのは珍しくはないが、その料金はかなり高めである。

 近場に水を確保できる水場がなければ、水代や運搬費だってかかるし、水を湯にする為の、木を燃やすなどしての燃料費だって多く発生してしまう。

 その為、風呂付きの宿の風呂代というのは500~1000リウスもかかってしまう。内装に拘っているところやサービスが良いところに関してはその倍以上の宿だって存在する。

 ただ、貧乏貴族でない限りは基本的には貴族はお金に困ってないので、それくらいの金額はポンと出す。

 だからこそ、貴族向けの高級宿はその運営が可能なのであった。


 しかし、宿屋シエナの大浴場の使用料金はかなり安い料金である。

 風呂のみの利用は10リウスであり、日本円に換算するとおよそ2500円と高額ではあるが、この世界の物価価値などに換算すると10リウスで利用できるのはかなり格安なのである。

 更に、宿泊する人へのセット割引的なものを利用すると、9リウスと更に安くなる。


 いくらなんでも安すぎるし、もしかすると風呂桶に湯を張っただけのものを風呂と称する詐欺紛いの事をやっているのではないかと考えたテッツは、大浴場を利用していたと思われる客を呼び止めて話しを聞く。

 すると、誰もが笑顔で宿屋シエナの風呂を称賛していた。


 この時点では、テッツはまだ宿屋シエナの大浴場がどんなものかは見ていなかった。

 利用客から聞いた内容は、どれも信じられないような事ばかりであった。

 しかし、誰に聞いても同じような答えしか返ってこない点から、それは真実なのだろうとは考えていた。


 そして、テッツはそれをそのままカイエンへと報告をし、カイエンは少しだけ思案した後に納得を示した。


 女性冒険者ももちろん朝一番にギルドに駆け込んだりもする。

 しかし、女性専用依頼という存在があるからか、あまり急がなくてもそれなりに実りの良い依頼というのは受けられるのである。

 依頼者が女性であったり、商家のお嬢様の護衛依頼であったりと、女性でないと受けられない依頼は少なくない。

 そして、女性冒険者は男性冒険者と比べるとその数は少なく、依頼者は普通の依頼料よりも多く報酬を用意している。

 そうしないと、誰も依頼を受けてくれなかったり、女性冒険者が別の稼ぎの良い依頼を受けてしまうからである。


 結果、男性冒険者と違って女性冒険者は、良い依頼が夕方頃に行っても受けられる事は多々あるのである。流石に夕方頃に依頼を受けに行く者はあまりいないが…。

 急ぐ必要がないのであれば、少し遠くとも良い拠点を選びたい。

 治安も良く、施設も充実していて料理も美味しい。必然的に女性冒険者が宿屋シエナのある三番街区へと流れるのは当然の事であった。


 カイエンは、テッツの報告からそれを悟って納得したのである。

 ただ、流れた理由を納得はしても、大浴場という施設が備えられているという点はやはりテッツと同じように疑問に感じていた。

 それ故に、カイエンは新たに『宿屋シエナの大浴場の調査』をテッツに依頼したのである。


 調査の結果によっては、二番街区に大浴場の施設を建設しようと考えていて、その為の土地もすでに当たりをつけている。

 テッツも、商人としてそれが儲け話に繋がるかもしれないと考えていて、乗り気であった。

 そう言った経緯である。



「なるほどなるほど~。それでウチの大浴場を調査していたという事なんですね」

 調査をしていた理由と、貴族であるカイエンがわざわざ調査を依頼した理由を知り、シエナは納得をする。

「えぇ、つきましては、是非とも水の確保の方法及び、燃料費の秘密などを教えていただきたいとお願いしたい次第でございまして。もちろん、情報提供料や技術料などもお支払い致します」

 テッツはシエナに頭を下げ、その秘密を教えてほしいと懇願する。


「別に秘密ってほどの事ではないですよ?水は地下水脈から汲み上げてるだけですし、お湯を沸かす方法だって、湯沸かし器という物をすでにグラハム様にも伝えているくらいですし」


 湯沸かし器は、それなりに早くテミンの領主であるグラハムに教えていた技術ではあるが、その技術はまだ広まっていない。

 グラハムも王へと報告、シエナが作った見本品と設計図を献上しているが、魔晶石という特殊材料を使用するその技術は、王都の技術者を大いに悩ませ、解明に至っていないのである。


 特に技術者を悩ませているのが、刻み込まれた文字である。

 シエナが作った見本の基盤となる部分には、日本語で、それも平仮名やカタカナ、漢字で文字が刻まれている為、この世界の人間では到底内容が理解できない文字なのであった。

 魔道具に刻む文字は、魔道具をどういった用途で発動に至らせるかをイメージして刻むだけなので、別に日本語でなくともアーネスト大陸語で刻めば良いだけである。

 ただし、アーネスト大陸語はたった一つの単語でさえ長い文字となってしまうので、それを刻もうと思ったら基盤となる金属板がそれだけ大きくなってしまう。

 設計図にもそれの説明書きはしてあるので、後は技術者がしっかりとイメージをして刻めば良いだけなのであるが、それでもやはり日本語が気になってしまっていたのであった。


 ちなみに、日本語を理解していなくとも、全く同じ文字を用途をイメージしながら刻めば効果は発揮される。

 この世界の魔法も魔道具の作成も、要はイメージ力が全てなのであり、それこそイメージをしながらであれば象形文字であろうと黒歴史になりそうなオリジナル言語であろうとも効果は発揮されるのである。



 その結果、未だに王都でも湯沸かし器の普及は全く進んでおらず、その技術も広まっていなかったのだった。

 逆に、魔晶石を使わない技術であれば──例を挙げるなら独立懸架式馬車は、設計図と実物を確認して理解ができればすぐに技術者が再現、むしろ更に良いアレンジを行えるくらいであった。



「湯沸かし器と言う物も気になりますが、水の確保…地下水脈から汲み上げてると仰ってますが、井戸から汲み上げるのだってかなりの労力を必要とするではないですか。あれだけの量の水を汲み上げようと思ったらどれだけ桶を垂らせば良いのか…」


「え?桶なんて垂らさなくても良いじゃないですか?」

「え?」


 なんとも話しが噛み合わないな、と、シエナとテッツは首を傾げる。


 テッツは地下水脈まで井戸を掘り、そこに桶を垂らして水を汲むという方法を想像しているが、シエナの発言はそんな事は全くしないという発言であった。

 すでに自分の理解の範疇を越えていると自覚をしているテッツは、その時点でシエナの井戸水の確保の方法が、特殊な方法であると当たりを付け、立ち上がる。


「シエナさん。是非、井戸を見せていただけないでしょうか?」

「え、えぇ。構いませんよ」


 そう言って、シエナも立ち上がると、それまでパウンドケーキに夢中で話を全く聞いていなかったメローナが、何事かと2人を交互に見て混乱していた。



 受付横から庭へと通じるドアをくぐって、シエナ達は庭へと出る。

 庭に出てすぐに見える井戸の前まで移動をし、シエナはそこで立ち止まり、テッツはそれに気づかずに立ち止まったシエナの方を振り向いて首を傾げた。

「どうしましたか?井戸はどちらに…?」

「え?いや、目の前にあるじゃないですか」


 テッツの目の前にあるのは、不思議な形をした青銅の置物であった。

 ただ、その青銅の置物の下には、確かに他の場所でも見かけられる井戸のような形に組まれた加工された石が置いてある。

「ん、んん?」

 丸く設置された石の上には板が敷かれていて、その上に青銅の置物。

 テッツが板をめくって中を覗き込んでみると、それは確かに井戸であった。


「この、不思議な形の置物はなんでしょうか?」

「え?普通に手押しポンプですよ?」

 さも当然のようにして答えるシエナが首を傾げると、意味がわからないテッツも一緒になって首を傾げる。


「もしかして、手押しポンプを見た事ないですか?」

 そう言って、シエナは手押しポンプの取っ手を掴んでピストンを上下に動かす。

 すると、手押しポンプから水が勢い良く吐き出された。


「おぉ!これは凄い!わ、私にもやらせていただけないでしょうか?」

「はい、どうぞ」


 テッツはまるで子供のようにして、手押しポンプを体験してはしゃぐ。

 メローナも不思議そうにして手押しポンプを観察していた。


「テッツさん達は手押しポンプを見た事はないのですか?」

「ないですね。井戸に桶を垂らして引っ張り上げるか、滑車を使って引っ張り上げるかのどちらかの井戸しかないです。ヴィシュクス王国にこのような井戸があるという事は私の知る限りはなかったはずです」


「う~ん…?私が産まれた村は、村の中心に手押しポンプの井戸があったから、普通に普及されてるものかと思ってましたけど…」

 シエナは頭に指を当てて記憶を辿る。

 あまり思い出したくない事まで少し思い出してしまったが、確かに自分が産まれた村の中心には手押しポンプ式の井戸があったと記憶をしていた。


 更に、宿屋で働いている皆も特に驚いた様子もなく普通に手押しポンプ式井戸を使用していたので、あるのが普通だと思っていたのだ。

 それは、宿のあちこちで驚くべきところが多すぎたせいで、手押しポンプ式井戸を見た時にはすでに驚きは通り越してしまっていたからであるのをシエナは知らない。



 そして、シエナが産まれた国は、ヴィシュクス王国よりも技術力が優れている国であったという事を、今のシエナは気付いていなかった。

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