さようなら、ヴィッツ
「寂しくなりますわ…」
名残惜しそうにテスタが呟く。
「また遊びに来ますよ」
そんなテスタにシエナはまるで友達かのように返す。
海の幸をクーラーボックスやリアカーに積めるだけ積んだシエナは、テスタの厚意でお別れ会を開いてもらい、沢山のご馳走を堪能してから一日熟睡をした。
栄養補給も出来、しっかりとした睡眠もとれ、更には魔力回復効果が非常に高いネリーを食べていた事により、通常だと魔力の全回復に2~3日は有するシエナもあっという間に魔力が全回復していた。
出発の準備自体は前日にできていた為、シエナは昼前にテスタの館を発つ事を決めていた。
そしてシエナの目の前に広がる光景…。
それは、館の人間全てがシエナの見送りに来ていたのである。
「シエナさんのおかげでヴィッツも産業の幅が広がりそうです。ありがとうございます。またいつでも遊びにきてください」
「こちらこそありがとうございます。何か困った事がありましたらテミンの三番街区にあります宿屋シエナまで連絡をいただければすぐに駆けつけます」
フリートとシエナは握手を交わす。
フリートは、蟹の季節以外はあまり盛り上がらないヴィッツも、これで通年盛り上がりを見せられるかもしれないとシエナに感謝をしていた。
そして皆が見ている目の前ではあるが、シエナにだけ聞こえるように耳打ちをする。
「…料理に関しても感謝しています。ヴィッツの料理は少し匂いも味付けも独特でしたので、別の町から入婿として来た私は慣れるまでが大変でしたので…」
シエナが来た事により、館の料理人達は料理の幅がかなり広がっている。
今まで独特な味付けだけに拘っていた料理人達も、今では本当に美味しいと思える味付けを模索し始めているくらいである。
更にフリートは、王都邸だけでなく、ヴィッツの町の料理店にもシエナから得られた料理の知識の情報を下ろすつもりである。
町全体の食文化レベルを引き上げ、冒険者や観光客などを呼び寄せるつもりなのである。
これまでテスタの館のパーティーに招待されたり客人として招かれていた者達は、今まで生臭さや味付けが原因で料理にはあまり手を付けていなかった。
それが、次にテスタの館へ招待された時に驚く事となる。
料理はどれも洗練された味付けとなっていて、食欲の沸いてくる匂いとなっている。
更に、デザートも見た目からして可愛らしい生クリームがふんだんに使われたケーキや、数年後にはヴィッツの特産品となるチョコレートなど、今までと全く違う方向性に驚く事となる。
結果、ヴィッツは限定された季節だけでなく、いつでも盛り上がりを見せる港町へと発展をしていく事となり、他国からの貿易も、今後はより一層上手くいく事となるのであった。
現在のフリートは、未来のヴィッツが非常に栄える事となるなど想像もついていないが、それでも、今までと比べると良くなるという想像はついていた為、改めてシエナにお礼を言う。
そして、いつまでも自分ばかりがシエナを独占していたら悪いと思い、一歩後退する。
「シエナおねえさま…また遊びに来てくださいね…」
「うん、美味しいお土産持って遊びに来るからね」
ベアトリーチェはギュッとシエナに抱き付き、シエナは優しくベアトリーチェの頭を撫でる。
「ボクはもっと強くなってシエナに相応しい男になるよ」
「しれっと何を言ってるんですか。私に相応しいとか以前に貴族として相応しい人間になってください」
まだ素養も身に付け始めたばかりであろう事から自覚するのはもう少し先になるだろう。
(そういえば、一般市民の通う学校とかはないにしても、貴族向けの学園とかはないのかな?)
落ち込むバルバロッサを横目に、シエナは学校はないのかと考える。が、なかったとしても自分ではどうする事もできない為、考えないようにした。
「シエナから教わった調理方法はどれも素晴らしいものでした。これからもより一層腕を磨きます」
料理人達を代表して、料理長がシエナに挨拶をする。
「頑張ってください。たまにレシピをまとめた手紙を送りますので、是非試してみてください」
料理が広がるのは大歓迎なので、シエナは宿に帰った後もたまに料理のレシピをまとめてみようと考える。
「シエナちゃんいなくなると寂しい…このサラサラな髪をいじれないなんて…」
やたらとシエナの髪を気に入っているメイドが、シエナの髪の毛に頬擦りをする。
少し前までアシメントリーだったシエナの髪の毛は、このメイドの手によって今では綺麗に揃えられていた。
それからも、シエナはテスタの館の皆に話しかけられ、笑顔で応える。
「次にテミンに行くのは、秋冬の季節くらいになると思うから、その時に絶対にヤヨイちゃんのところに行こうね!」
ケイトは力いっぱいシエナとハーピーの岩場、もといヤヨイの所へ行く約束を持ちかける。
「もちろんです。一緒にお土産の肉まんを作りましょうね」
シエナからの聞き慣れない料理名に、料理長が反応するが、いずれレシピがもらえる事を信じて話しに割り込まない事にしていた。
「一体どんな特訓をしていたかはわからないが、ルク…ルシウス様がシエナと特訓するようになってから見違えるほど強くなった。…感謝の気持ちもあるが、少し悔しいな…複雑な気分だ」
ルクスが特訓したのは剣ではなく身体強化の魔法であるが、意識的に魔法が発動できるようになり、飛躍的に強くなった為、結果として剣の腕も上がっていたのである。
それまでは剣の手ほどきをしていたのはティレルなので、自分の教え方が悪かったのではないかと少しだけ落ち込んでいる。
「ティレルさんが基本をしっかり教えていたからこそですよ。基本ができていないと、どれだけ強くても私みたいに無茶苦茶な戦法になって、余計な体力を使うだけですから」
一応シエナはフォローを入れる。
そして、自覚しているのなら、何故剣を覚えないのかと同時にツッコまれるのであった。
最後にそわそわしながら待っていたルクスの方へとシエナは振り返る。
ルクスはしばらく会えなくなる分、一番最後に一番多くシエナと会話をしようと待っていたのだった。
「ルクスさんのお仕事は、大切な公務なのですからサボってばかりいてはダメですよ。もしサボっていたって報告を受けたら話しかけられても無視しますから」
シエナは、物凄い笑顔でルクスよりも先にそう告げる。
「が、頑張るよ…。ってか、俺が話しかける前に出鼻を挫かないでくれ…」
「ふふ、ごめんなさい。つい意地悪したくなっちゃいまして」
シエナは舌をペロっと出す、所謂テヘペロをする。
「可愛いから許す」
シエナのテヘペロを見たルクスとバルバロッサはメロメロになっていた、効果は抜群である。
その後、ルクスは待っていた分、他の人よりも長くシエナとの雑談を楽しむ。
「ん…そろそろ出発したいと思います」
シエナとしても若干名残惜しくはあるが、あまり長引くと昼になってしまう。なので、シエナは少し無理にでも話しを中断する。
「…そっか。じゃあ、気を付けてな」
「本当に、護衛も何もいらないのですか?」
ルクスが一歩下がって見送りに入ろうとしたところで、テスタが最後の確認としてシエナに話しかける。
シエナがテミンに戻ると決めてから、テスタはすぐに護衛を用意しようとしていた。
だが、シエナはその申し出を断り、1人で帰る事を告げたのであった。
「はい、平気です」
「そう…気を付けてね…いくら強いって言っても油断はしちゃだめよ」
食後の雑談でルクスやティレルがシエナの強さを語ったりしていた事もあり、テスタは渋々ながらもシエナが1人で帰路に着く事を承諾する。
ヴィッツ近辺でクラーケンを除いて一番強い魔物は火蜥蜴であり、それを単独で討伐する事のできるシエナは、1人でも問題ないと言える。
ただ、それでもやはり心配ではあるのであった。
「それよりも、素敵なドレスと化粧箱をありがとうございます。大人になったら活用させていただきますね」
シエナは前日の夜に、テスタから餞別としてドレスと化粧品の入った化粧箱を貰っていた。
ドレスは今のシエナの体型からすると大きいのであるが、テスタはシエナがまだ子供なのできっと成長できると信じてプレゼントしたのである。
ドレスは薄い水色で、ウェディングドレスが少しだけ身軽になったような感じのドレスであり、テスタが成人前に一度着たきりのドレスであった。
本当は、きちんとシエナを採寸して大きさを合わせるか新品のドレスを作ろうかと思っていたのであったが、突然のシエナの出立と言うこともあって、急いで引っ張り出した物である。
十数年前の型落ちドレスではあるが、丁寧に保存されていたので今すぐにでも着れる程綺麗であり、テスタもサイズが合うのであれば自分がもう一度着てみたかった、と思っている程の素敵なドレスであった。
改めてシエナは、見送りに来てくれた皆にお辞儀をして「ありがとうございました」とお礼を言う。
「それでは、また」
皆に見送られながら、シエナはリアカーを引いて出発をした。
(この潮の香りともしばらくはお別れですね)
ルクスにとっては天敵な磯臭さも、シエナにとっては大好きな匂いの一つであった。
それからシエナは、脚力を強化して若干早歩きでテミンへの街道を歩く。
途中、すれ違った冒険者に「なんでこんな小さな子が一人で…」と驚かれもしたが、冒険者の証であるタグ(しかもシエナはシルバータグ)を見えるように首から下げていた為、声をかけられる事はなく会釈程度ですれ違う。
途中、昼休憩を挟みながら数時間かけてシエナは街道を進む。
「さて…蜥蜴の岩場までやってきましたね」
テミンとヴィッツ間にある少々厄介な岩場である蜥蜴の岩場である。
が、シエナは少しだけ期待を込めて涎を垂らす。
「前の時はアリスちゃんの事もあって、倒した大蜥蜴や火蜥蜴を放置して撤退しちゃいましたからね。もし、大蜥蜴や火蜥蜴が出たらそれで少し早めの夕食です」
若干取らぬ狸の皮算用ではあるが、出没しなければその時は持ってきていた食料を食べるだけである。
蜥蜴肉は脂肪分が少ないのか若干の硬さがあるが、鶏肉のササミ肉のようにさっぱりとしている。
硬さはあってもそれとは裏腹に繊維にそえば肉は簡単にほぐれる。なのでメイン料理だけでなくサラダやシチュー、唐揚げにも良く合うのであった。
「ささみにく@たべたい」
シエナはそんな独り言を呟く。
火蜥蜴は一度食べた事があるので、その時の事を思い出しているのだろう。シエナの口はもう蜥蜴肉を欲していた。
普通であれば、厄介な魔物が出現するポイントは、出遭わぬようにすぐに通り過ぎるべきである。
しかし、シエナはどうしても蜥蜴肉が食べたくなっていた。
『ピュイィィィィィイイイ!』
あろうことか、シエナは岩場のど真ん中で指笛を吹く。
音に釣られて蜥蜴が出てこないかと期待しての事であるが、通常であればただの自殺行為である。
岩の上にぴょんとジャンプで登って、周囲を確認する。
すると、今のシエナの指笛に反応したのか、辺りをキョロキョロと見渡している大蜥蜴が岩と岩の間に立っていた。
じゅるり…。
「獲物はっけーん!」
涎を垂らしながらシエナは魔剣ルフランを抜き、大蜥蜴に向かって走り出す。
大蜥蜴はシエナの姿を見るなり、一瞬だけビクッと反応をする。
爬虫類の表情などわかるわけないが、これが人間であればギョッとした表情をしていただろう。
一瞬驚いていた大蜥蜴は、向かってくるシエナをすぐに獲物として見定めた。
通常であれば鳴き声を挙げて仲間を呼ぶところであるが、見つけた獲物は弱そうな小ぶりな獲物である。
ならば独り占めしよう。
本能でそう考えた大蜥蜴は、大口を開けてシエナに向かって走りだす。
数分後、大蜥蜴は見事に綺麗な肉塊へと変貌を遂げていた。
次の話は残酷な描写やグロテスクな表現が出てきますので、苦手な方はごめんなさい。




