実家(宿)へ帰らせていただきます
次の日になり、シエナは日の出とともに目を覚ます。
「ん~…っ!久々によく寝れました!」
ぐい~っと背伸びをしてベッドから起き上がり、軽い柔軟体操をする。
意識を失うようにして眠りについた時、広間にいたような記憶があるが、しっかりとベッドで寝ていたところを見て、「きちんと自分の足でベッドまで向かったのかな?」と、シエナは少しだけ意識を失う前の事を思い出せずにいた。
もちろん、眠りについた時はルクスの胸の中であり、ルクスがお姫様抱っこをしてシエナをベッドまで運んだのである。
バルバロッサが「ボクが連れていく!」と、途中ルクスと言い争いをしたのだが、深い眠りについていたシエナはその騒がしい様子でも目を覚ます事はなかった。
ぐっすりと、3日ぶりに熟睡できたシエナではあったが、まともな食事をしていなく、栄養が足りなかった為か魔力は全体の5分の1程しか回復していなかった。
そのせいか、シエナの頭はずっしりと重く感じる。
ちなみに、シエナの回復した魔力量程度なら、ルクスであれば1~2時間ボーッとしているだけで回復する量である。
シエナは洗面などを済ませ、調理場へと向かう。
「おはようございます」
もはや料理人の1人としてカウントされているような感じで、シエナはごく自然に調理場へと足を踏み入れる。
「おはよう。おや?あまり顔色がすぐれませんね?」
「しっかりは寝れましたけど、まだ体力も魔力も回復しきっていませんからね…」
目の下にはうっすらとクマもできている。これがなくなるまでもう少し休まなければならないだろう。
「私は魔法は使えないのでわかりませんが、魔法使いの方が好んで食べてる果物があるので食べてみますか?」
「え?そんなのあるのですか?」
アルバ以外の魔法を使う人との交流があまりないシエナは、そんな果物があるのかと少し驚く。
そして料理長が持ってきた果物。それは野いちごが林檎くらいにでかくなった毒々しい程真っ赤な果物だった。
「あれ?この果物…どこかで見たような気が…」
料理長にお礼を言いながら、果物を受け取ったシエナは、あまり見ないような果物なのにどこかで見たような気がして首を傾げる。
「ネリーと言う名の果物です。なんでも、魔法が使えなくなるくらいに魔力が減った魔法使いが、これを食べると、やたらと頭がすっきりとしてくるそうですよ。味は不味くはないですが、美味しくもないです。ただ、程よい酸味があるのでサラダに使ったりしますね」
「そうなのですね。これ、1つ丸々もらっても良いのですか?」
料理長はどうぞどうぞとネリーを差し出す。
シエナはネリーをどこで見たかは後で思い出すとして、とりあえず食べてみることにする。
「う…確かに、美味しくはないですね。不味くもないですが」
一口食べ、そう呟いたところでシエナはネリーをどこで見かけたかを思い出す。
「あ、これ、スライム退治の時の湿地地帯で見つけた果物だ」
そういえば、そうだ。と、思い出す。
あの時食べたのは、完全な野生の果物だったからそんな味だと思っていたが、どうやらネリーは最初からこういう味なのだろう。と、シエナは食べながら思う。
食べてると、微妙な味わいの中に感じる程よい酸味が、疲れた頭を癒してくれてるような気分になってくる。
ネリーを完食したシエナは少しだけ頭がすっきりできたので改めて料理長にお礼を言う。
「ありがとうございました。少し気分も良くなりました」
ペコリと頭を下げてお礼を言ってくるシエナに、料理長は「どう致しまして」と返し、自分の作業へと戻る。
「ん~、あのネリーって果物、どうにかして品種改良で味の調節できないかなぁ」
不味くはないけれども、あと一押しがほしいところ、とシエナはネリーが少し勿体無い果物だと考える。
そして、他の料理人達に「何か手伝えることはないですか?」と聞いて、特に手伝えることがなかったシエナは館の外を散歩することにした。
しばらく散歩をしていると、寝起き時には重かった頭もやたらとすっきりしてきていた。
あまりにもすっきりしてきたので、シエナは自身の残魔力を測定してみる。
すると、充分に睡眠をとったにも関わらず、全体の5分の1程しか回復していなかった魔力は、いつの間にか全体の4分の1まで回復していた。
普段のシエナだとここまでの魔力の回復スピードはない。
「これは…明らかにネリーが原因でしょうね」
そういえばスライム退治の後も夜通し歩き通していたのに、魔力が全く減っていなかったな。と、シエナは思い出す。
「もしも、ネリーの何らかの成分が魔力回復を促す物ならば、それを集中的に魔力回復用栄養ドリンクに使えば、即効性のある魔力回復薬が作れるかもしれないですね」
問題はどの成分が重要なのか、だ。
その後、シエナは色々と思考をしながら散歩を続け、子犬の鳴き声のようなお腹の鳴りが、ぐぎゅるるる…と、完全に腹ペコを訴える音に変化した辺りで館の中へと戻り、朝食を食べるのであった。
「シエナ。約束していた薬なんだけど…」
朝食を食べ終わった後、レクスから声をかけられたシエナはその内容に顔を青くする。
「わ、忘れてました!しまったどうしよう…素材が足りないです」
「あぁ、いや。薬はやっぱりいらないよって言おうと思ってたんだ」
焦るシエナに、レクスは漢方薬はいらないという事を告げる。
「よろしいのですか?」
シエナからすれば、今から急いで素材を集めて煎じないといけないので、作らなくて良いのは物凄く助かることである。
「あぁ、別に父上に薬を土産として渡す、と約束しているわけでもないからな。それに、一応はこの粉ももらっているし」
そう言って、レクスはカカオの粉末の入った小瓶を取り出す。
「それに、あのチョコレートやココアがあるんだったら、薬なんて土産にしてもしょうがない。更にはオルゴールも作ってもらったからな」
そんな中に薬があっても、あまり目立たないだろう。
それに、薬は滅多なことでは使うことがないし、何ヶ月も保存できるわけでもない。
土産として渡したところで、持ち腐れになる可能性が高いのだ。
それでもカカオを薬として土産にしようとしていたのは、他国からの輸入品である物珍しさからであり、それよりも珍しい物があるのであれば、薬など必要なかったのだった。
「だから、薬は必要ない」
「わかりました」
シエナは約束は守るタイプであるが、わざわざいらない物を作ろうとは思わないので、本人も必要ないと言っているのでそれに甘えることにする。
「あ、そうだ。じゃあ、クーラーボックスを代わりに差し上げますね」
シエナは、持ってきていた大小2つのクーラーボックスの内、調理場に置いている小さいクーラーボックスをレクスにあげることにした。
大きい方は、魚介類を詰め込んで持ち帰る為に持ってきていた物なのであげる事はできない。
だが、小さい方は特にあげても問題ない。少しだけ、料理人達が残念がるだろうが…。
外は気温がかなり高く、クーラーボックスのように冷やせる物がないと、きっと王都へ移動している途中でチョコレートは溶けてしまうだろう。
熱でチョコレートが溶けると知らないレクスが王様へ献上しようとして、チョコレートが全部溶けていたなんてなったらそれはそれで可哀想である。
なので、シエナはチョコレートを溶かないようにするためにもクーラーボックスをあげることにした。
シエナは、レクスの商人仲間に魔法が使える者がいるかの確認をし、クーラーボックスの使い方を説明する。
高出力で使用しない限りは、シエナが込めた魔力だけでも1週間は持つが、万が一ということもある。
ついでに、チョコレートが熱で溶けるという説明などもして、シエナはクーラーボックスを手渡した。
「これもすごいな…。今のように暑い季節は特に役立ちそうだ」
「このクーラーボックスと冷凍機能付き冷蔵庫という物は、テミンの領主であるグラハム様に設計図と共にお渡しする予定なので、いずれは国王様にも献上はされると思います」
「他にもあるのか!?本当にここに来てから驚きの連続だな…いやいや、王都へ帰る前にヴィッツで兄さん達と会えて良かったよ」
レクスは、船着き場でルクスと出会わなければ、テスタの館には顔を出さずにそのまま王都エインリウスへと向かう予定であった。
それを急遽予定変更をして良かったと心から思う。
「ただ、今はこのクーラーボックスや冷蔵庫にはスライムを利用してるんですよ。だいぶ魔晶石の使い方にも慣れてきたので、もしかすると、スライムなしでも作れるかもしれないので、今はあまり大量生産はしてほしくはないですねぇ」
魔晶石を利用し、凍らせたスライムで内部を冷やしているだけなので、中はかなり結露しやすくなっている。
それがシエナにとっては残念でならない事なので、もっと本物の冷蔵庫などに近づけたいと日夜思っているのであった。
「氷魔法を使わずに氷が作れるなんて、凄い機能だな。ココアの中に入っていた氷も、このクーラーボックスで作ったのか?」
「いえ、それは私の魔法です」
「なんと!シエナは氷魔法が使えるのか。北の国のノーイッシュ王国出身ならわかるが、肌の色を見てもわかるが、明らかにノーイッシュ王国出身ではないのに、使えるとは…」
レクスの言ったノーイッシュ王国は、ヴィシュクス王国よりも北部にある雪山に囲まれたとても寒い地域である。
雪や氷に囲まれて育った人々は、氷のイメージが安易であるのか、魔法を使える者の半数以上が氷魔法を使用する事ができるのである。
肌の色は、雪焼けによって浅黒い者が多く、それがそのまま遺伝した為か、生まれた時から色黒の人種が多く存在する地域なのであった。
また、寒さに耐える為か、ほとんどの人が少しふくよかな体型でもある。
ちなみに、ヴィシュクス王国とノーイッシュ王国は、友好国であり、ヴィシュクス王国からは木材や衣類、食物を、ノーイッシュ王国からは鉱石などをお互いにやりとりしている。
ヴィシュクス王国は、全く山がないというわけではないが、ほとんどが平地の国であり、鉱山の数も限られている。
逆に、ノーイッシュ王国は、鉱山がかなり多く、ヴィシュクス王国で流通している硬貨の原材料である金や銀、銅はほとんどがノーイッシュ王国からの輸入に頼っているのであった。
その見返りとして、ヴィシュクス王国は木材や衣類や食物を格安でノーイッシュ王国とやりとりしているというわけである。
シエナの肌は、透き通るような白さの肌であり、ノーイッシュ王国に住む人々とは明らかに人種が違い、更に体型は痩せ細っている。
極寒のノーイッシュ王国では相当な厚着をしないと耐えられないだろう。
そんなシエナが、氷魔法を使えるというのがレクスにとっては驚きであった。
ヴィシュクス王国で氷魔法を使える人間は、あまりいない。
使用できる者のほとんどが、ノーイッシュ王国で長年暮らしてきた移住者であり、生粋なヴィシュクス王国民で氷魔法を使える者は、宮廷魔術師くらいしか見た事がなかったからであった。
(シエナの魔法の実力がどれくらいかはわからないが、この道具を見てわかる通り、かなり実力があると見て間違いないだろう…。兄さん達の話しを聞いてみてても、他にも色々と凄い道具を発明しているし…これは父上に報告するべきだな)
ルクスの報告とは別に、レクスはシエナの利用価値を父である国王に報告するべきだと判断する。
ルクスはシエナと結婚をしたい自分の為。レクスは国の発展の為。
どちらにせよ、国王がシエナに興味を持つ事は間違いないのであった。
それから1時間程の時間が過ぎ、テスタの館の前にはレクスの仲間である商人達が集まっていた。
皆、出発の準備は万端であり、後はレクスがシエナから受け取った荷物を積み込むだけである。
「それじゃあ、父上や母上によろしくな」
半年以上親の顔を見ていないルクスは、レクスに「自分は元気に仕事しています」というメッセージを託す。
もっときちんと仕事をしていればテミンやヴィッツだけでなく、近隣の村や町ももっとしっかりと見て廻れるのだが、ルクスはそれを「冒険者としての活動が何気に大変なんだ」という言い訳をしている。
しかし、ルクスの冒険者のランクは2のレベル8であり、受けられる依頼もそこまで大変な物はないのであるが…。
そんなルクスからのメッセージに、ヴィシュクス国王両陛下が思わず苦笑いするのは数日後の話しである。
きちんと、ティレルとケイトが第一王子であるルクスよりも国王の命令を優先し、ありのままの報告をしている事を、ルクスは知らない。知らぬが仏である。
「それではテスタッチョ。世話になった。シエナも良い土産を作ってくれてありがとうな」
レクスは、見送りをしているヴィッツ家の代表であるテスタに挨拶をし、今回一番の収穫であったシエナにお礼を言う。
ヴィッツ家の面々は、笑顔で「またいつでもいらしてください」と挨拶をし、シエナは無理矢理オルゴールを作らされた事を少し根に持っている為、少し不貞腐れながら「どういたしまして」とそっぽを向く。
そんなシエナの様子に、レクスは「王族相手でもこの態度が出来るこの娘はある意味大物だな。…体は小物だけど」と、心の中で思いながら苦笑する。
普通なら不敬罪にあたってもおかしくない態度である。
そして、レクスは商人仲間に号令を出し、ヴィッツを出発した。
レクス達の姿が完全に見えなくなった頃、シエナ達は全員館の中へと戻る。
見送りに参列していた使用人達はそれぞれの持ち場へと戻っていき、テスタとフリートは領主の仕事をする為に書斎へ、ティレルとケイトは「弟があれだけ頑張ってるんだから、兄であるルクスももう少し頑張らないとな」と、ルクスを引っ張って調査の仕事に駆り出そうとする。
「兄より優れた弟がいたって良いじゃないか!それよりも俺はレクスのせいでここ4日間シエナと満足に話せてないんだ!シエナと戯れたい!」
そんなルクスの叫びに、シエナが「自分の仕事も満足にこなせない人と話す事は何も…」と呟くと、ルクスは「さぁ、仕事張り切って頑張るか!」と手の平を返して張り切りだす。
「ルクスもやる気を出した事だし、丁度レミウス様も出発をされたタイミングだ。俺達もそろそろヴィッツ近辺の村を見て廻らないとな。今日は準備を整えつつ仕事をして、明日出発としよう」
ティレルの言葉にルクスはギョッとした表情を取る。
決して忘れていた訳ではないが、まさかこのタイミングで提案されるとは夢にも思ってなかったからだ。
「そうね。早めに終わらせないと、いつまで経っても帰れなくなるからね」
ケイトもティレルに賛同をする。
そんな3人の様子を見て、シエナは…。
「そういえば、もうヴィッツに来てから20日くらいは経ってますよねぇ。最初はほんのちょっと海の幸を堪能して帰る予定だったのに、いつの間にか結構長居しちゃいました」
一応、宿の皆にはそれなりに長く滞在をするかもしれない旨は伝えてあるし、料理教室も休みにしていた。
しかし、それでも長く滞在し過ぎたとシエナは考える。
「そろそろディータと遊ぶ約束の日も近づいてますし、これ以上迷惑になるわけにもいかないですし…。うん、私も明日、実家の宿へ帰りますね」
思い立ったが吉日と言わんばかりに、シエナは即決する。
本当は今すぐ発っても良いのだが、道中の事を考えると、せめて半分以上は魔力を回復させておきたかった。
それに、帰る前に大量に新鮮な海の幸を買いに行かなくてはいけない。なので今日は今から買い物にして、明日出発にしようとシエナは決めたのである。
「えぇ!?ちょっと待ってよ!」
「シエナおねえさま!行かないでください!」
ルクス達との話しが終わった後に、シエナと遊ぼうと思って待機していたバルバロッサとベアトリーチェがすぐにシエナを引き留めようとする。
バルバロッサの止め方は、「そんな突然の別れは嫌だ!」的な雰囲気なのはシエナも感じられたが、ベアトリーチェの「行かないでください」と言う言葉にシエナは少しだけ引っかかりを覚える。
(あれ?普通、「帰らないでください」じゃ…?)
すでにベアトリーチェの中では、シエナはこのテスタの館の一員として数えられていたのであった。
「ん~…ごめんね。でも、もう決めた事だから。また、時間があったら遊びに来るからね」
シエナは少ししゃがみ込んでベアトリーチェと目線を合わせ、頭を撫でる。
バルバロッサとはほとんど身長が一緒なので、そんな事はしない。
当然、ルクスも今のシエナの発言を聞いて慌てふためいていた。
ルクスはてっきり、自分達がテミンへ戻る時までシエナが一緒に居てくれるものだと勝手に勘違いをしていたのである。
そして、シエナを引き留められそうな良い案がないかと考え、1つ該当する案を思い出す。
「か、蟹!カニはどうするんだ!?」
「あ~…でも、蟹の季節までまだふた月近くもありますよね。その季節になったらまた来ようかな」
蟹も食べたいが、今回のシエナの目的はあくまでも海の幸を堪能する事であった。
その目的自体はすでに達成されているし、テミンとヴィッツはそこまで距離が離れているわけではない。
全魔力の4分の1程の魔力があれば、魔法で脚力強化をして全力疾走すれば数時間でシエナはテミンとヴィッツを往復できる自信があるので、来ようと思えばいつでも来れるのである。
なので、ルクスによるシエナの引き留めはいとも簡単に失敗に終わるのだった。
それからも、メイド達や他の使用人達、料理人達、更にはテスタやフリートにまでシエナは引き留められる事となったが、シエナはテミンへ帰ると決めた事を曲げる事はなかったのであった。




