ココアとチョコレート③
「それで、チョコレートとココアってのはどれくらいで出来そうなんだ?」
何度か謝り倒してようやくシエナから許してもらったルクスは、シエナに進捗状況を訊ねる。
「ココアは完成しました。チョコレートは、今からもう少し手間のかかる工程が残ってますので、まだまだ時間がかかりそうですね」
そこでシエナは思い出したかのように黒い粉の入った瓶を取り出す。
「レクスさん、とりあえずカカオの実を磨り潰して粉末状にしただけの物です。これが隣の大陸で薬として飲まれている状態ですね。これだけの量ですが、先にこちらを差し上げます」
全部をチョコレートにする必要はないので、シエナはある程度の量を別に分けて瓶に詰めていた。
「へぇ、これが薬なのか」
シエナから瓶を受け取ったレクスは色んな角度からカカオの粉末を観察する。
「とりあえず、かな~り苦いですけど味見してはいかがですか?」
シエナの言葉に、レクスは「確かに、父上に渡す前に味を確認しておくべきか」と瓶の蓋を開ける。
普通であれば、きちんと毒見役を通したりするのであるが、身分を隠して旅をしてきた癖もあり、レクスはなんの疑いもなく、スプーンで小さじ一杯ほどのカカオの粉を掬って口に含んだ。
「ん!?っげほ!に、にがっ!苦すぎる!!」
あまりの苦さにレクスは咳込む。苦いと言っても、そんなに苦くはないと思っていたのだった。
こうなる事が予測できていたシエナが、すぐに水の入ったコップをレクスに差し出すと、レクスはそれを受け取ってすぐに飲み干す。
「そんなに苦いのか?」
水を飲んでも渋い表情をしているレクスに、ルクスが質問をする。
「苦いなんてもんじゃないですよ!兄さんも味見してみたらわかりますって!」
「嫌だよ。俺、苦いの嫌いだし」
ピーマンの苦味ですら嫌いなルクスは味見を断る。
「父上も苦いの嫌いだったよな…こんなに苦いのを自分は渡そうとしていたのか…」
カカオの粉末の苦さに、レクスは自分が土産として渡そうとしていた事を後悔しだす。
「まあ、良薬は口に苦しって言うじゃないですか」
一応、シエナはフォローを入れる。
現代日本の薬は、苦い薬が苦手な人の為に、糖分を含んだ甘い被膜で糖衣していたりして比較的飲みやすくなっているが、当然この世界にそんなものはないので、ほぼ全ての薬が苦いのである。
そして、まだ薬の方がマシかもしれないレベルで、カカオの粉末は物凄く苦かった。
「持ってきている薬草でちょっとした胃腸の調子を整える薬と頭痛薬くらいなら煎じる事ができます。苦さもこの粉末に比べたらそこまで苦くない漢方薬なら作れますので、今度あげますね」
落ち込んでいるレクスに、シエナは約束でもある漢方薬を渡す事を告げる。
その後は、シエナが料理人達に教えていたあさりのような貝とチャードを使用した醤油ベースの和風パスタを昼食として食べ、シエナはチョコレート作りを再開する。
「さて、と…」
シエナは朝に作っていたカカオマスを、45℃前後湯煎にかけながら更に磨り潰すようにする。
この作業も地味に大変で、少しでも水が入るとチョコレートが固まらなくなるし、そもそも溶けるまでかなりの時間を要してしまうのである。
料理人達も、シエナから説明を受け、同じ作業をしていく。
また、しばらくの間、調理場ではゴリゴリという無機質な音だけが響くのであった。
ある程度の時間が経過した頃、シエナのカカオマスに変化が表れ始める。
それまではただの粉状だったカカオマスが、ドロドロの液状化を始めたのである。
カカオに含まれていた脂分が溶け始めたのだった。
「よし、あと少しです!」
まだまだやる作業は多いが、変化が出てきた事によりシエナも思わず喜色の声を挙げる。
その声を聞いて、料理人達もシエナのボウルを覗き込み、「あんな感じになれば良いのか」と、同じ作業を繰り返す。
やがて全てのカカオマスが同じように液状化をする頃には、シエナも料理人達も皆額に汗を滲ませていた。
実際には額どころではなく、体全体が汗でびっしょりではあるが…。
それからも黙々と作業を続け、途中でシエナがカカオバターを投入、しばらくゴリゴリと磨り潰した後に砂糖と粉乳を投入する。
今回、シエナはカカオ分が40%前後のミルクチョコレートのみを作ろうとしていた。
ビターやブラック、ハイミルクでも良いのだが、やはり最初はミルクチョコレートが一番だろうと考えてである。
温度計という便利な道具がないので、湯煎の温度の調節が大変であったが、ボウルの中にあったカカオマスは、すでに固まる前のチョコレートと化していた。
「これは…冬ならチョコフォンデュが食べたくなってきちゃいますね」
思わずシエナは涎を垂らしそうになる。
しかし、ここまで来たならばあとはもう型に流し込み、冷えて固まるのを待つだけである。
シエナは調理場にある良さげな型を色々と見繕い、それらにチョコレートを流し込む。
板チョコレートみたいな型は流石になかったが、完全な板状になるような型は沢山あったので主にそれを使用する。
溝がないのは残念であるが、固まった後にでも食べやすいサイズに切れば良いだけなので、問題はない。
後は固まるまでクーラーボックスに入れておくだけである。
全ての作業を終え、シエナがエプロンと三角巾を外すと、料理人達も「やっと終わった~」と言わんばかりに安堵のため息を漏らす。
「あとは固まるまで待つだけです。そうだ、味見も兼ねて一足先にアイスココアを頂きましょう」
ふぅ、とシエナも息を吐いていそいそとアイスココアの準備を始める。
真夏である今の季節、一番暑い時間帯、そんな中にシエナが魔法で作った氷の入った甘くて冷たくて美味しいアイスココア。
料理人達はその冷たさと程よい甘さに感動を覚える。
シエナがそのアイスココアにミルクを混ぜ、ミルクココアを堪能していると他の料理人も真似をしたり、逆に水を少なめにして飲んでみたりと、色々試しはじめていた。
「このココアパウダーってのは、生クリームを使ったお菓子に少しふりかけると良さそうですね」
「甘いお菓子だけじゃなくて何か他の料理にも使えそうだな」
ワイワイと料理人達は舌で感じたココアの味から想像を膨らませ、ココアパウダーの使い道を自分達で模索し始める。
シエナがテスタの館に来る前までは、ヴィッツの伝統的な料理ばかりしか作れていなく、更にそれをアレンジすらしようとしていなかった彼らであったが、数日間、シエナから直接教わったり、見て覚えたりした事で、自分達で色々と使い道を考えられるレベルまで引き上がっていた。
シエナもそんな料理人達の様子に嬉しさから微笑む。
地球を参考にすると、技術的な文化レベルは中世の頃よりも高いのに対し、食の文化レベルは何故か低いこの世界。
しかし、少しきっかけを与えると、まるで水を得た魚のように皆がメキメキと腕を上げていく。
たまに物凄く訳のわからない料理を作ってしまう事もあるが、失敗なくして成功などあり得ないので、そこは仕方のないことである。
が、今この場でシエナは先に釘を刺しておかなければならない事があった。
「決して、ボルシチという料理に、ココアパウダーと味噌ペーストは入れないでくださいね!」
ここにいる料理人達全員が聞いた事もない料理名、及び調味料を急に忠告し始めたシエナに、全員が首を傾げ、頭の上で「?」を浮かべるのであった。
「お待たせ致しました!これよりカカオを使用した新作のお菓子と飲み物を披露したいと思います!」
シエナが宣言し、そして自分で拍手をすると、ベアトリーチェも続いて嬉しそうにパチパチと拍手をする。
昼食時に生クリームを使用したお菓子ではないとは聞いていたが、シエナの「とっても甘くて美味しいお菓子ですよ」の説明に期待に胸を膨らませていたのである。
他の皆もとりあえず拍手をすると、シエナは満足げに胸を張り、焦らす事なくチョコレートとココアを披露する。
「な、なんだこれ…?」
チョコレートを見て、一番に口を開いたのはルクスであった。
思った事をつい口にしてしまうルクスは、見た目だけならあまり食欲の沸かないような茶色の物体に皆が思っていながらも黙っていた事を声に出してしまう。
全員の前にサイコロ程の大きさに切られたチョコレートが10粒乗った皿と、氷の入った冷たいアイスココアが配られると、シエナはレクスの方を向く。
「あの物凄く苦い粉を飲んだレクスさんなら、このチョコレートとココアを味わえばきっと驚きますよ」
そう言って、シエナはレクスに食べるように促す。口には出していないが、その態度は「さあ食べろ」とまるで命令をしているようであった。
「ぼ、ぼくが一番最初に食べるの!?」
全員の視線がレクスに集まる。
初めて見る食べ物、飲み物を前に、一番最初に王族に食べさせようとするのはいかがなものかとは思われるが、他の者達はすでにシエナの作る珍しい料理とお菓子に慣れてしまっている為、かなり警戒心は薄れている。
ルクスに至っては、先ほどはつい思った事を口に出してしまっていたが、それでもシエナの作る物なら当然美味しいのだろうな。と、絶対の信頼を寄せていた。
ただし、訓練場で飲んだ栄養ドリンクは除く。
レクスはチョコレートに手を伸ばそうとして、すぐに手を引っ込める。
それを何度か繰り返し、助けを求めるようにして兄のルクスの方を見る。
「食べないのか?だったら俺が最初に食べよう」
そう言って、ルクスがチョコレートに手を伸ばそうとしたところで、ルクスに対抗するかのようにしてバルバロッサが「いやいや、ボクが最初に食べますよ」と、ルクスを制止する。
それを皮切りにテスタが「いえいえ私が」、フリートが「甘い良い香りがするな、私が一番初めに食べよう」、ベアトリーチェが「わたし、早く食べてみたいですわ」と言い、シエナは「お?この流れは!?」と期待を寄せる。
それから全員が「自分が自分が」と挙手をして最初に食べようとし、シエナが期待を込めてレクスを見ると…。
そこにはただ皆を傍観するだけのレクスが佇んでいた。
結局、一番最初にチョコレートを食べたのはベアトリーチェだった。
ベアトリーチェはチョコを食べたその瞬間に「あまくてまろやかで、おいしくてうっとりしますわ」と、頬に両手を当てて目を輝かせる。
見る人が見れば、目がしいたけ、と表現されるほどの輝きで、その表情はとても幸せそうであった。
「なんか、どこかの地方の苺のキャッチコピーみたいですね」
そう呟いたシエナの表情はどことなく暗い。
先ほどのやり取りで、レクスが「じゃあぼくが!」と挙手をして全員が「どうぞどうぞ」と言う展開を期待していたのに、それが不発に終わってしまったからである。
(何か、私が「この展開は!?」って期待した時って、大抵不発に終わってますよね…)
日本では馴染みのある王道展開も、流石の異世界では通用しない。
シエナはそれを再認識するのであった。
それはそれとして、チョコレートとココアは大絶賛であった。
皆が美味しそうに食べているのを見て、レクスもドキドキしながら1粒口に含むと、その甘さに感動を覚えた。
「あの苦い粉がこんなにも美味しい物になるなんて!」
思わずもう1粒、もう1粒とレクスはパクパクとチョコを食べる。
そんなレクスの様子に、シエナは「ね?カカオを私に売って良かったでしょ?」とドヤ顔をした後に微笑む。
「このココアって飲み物も美味しいですね」
優雅にココアを飲むテスタは、程良い甘さのココアにうっとりとしている。
紅茶とはまた違った香りと飲みごたえ、そしてその甘さに日々の事務作業による頭の疲れも思わず吹き飛んでいた。
そうして皆がチョコとココアを堪能し、チョコが半分程食べたのを見計らって、シエナはチョコのもう一つの食べ方を話す。
「噛んで食べるのも良いですけど、舌で舐めるようにして溶かして食べるのも美味しいですよ」
シエナの言葉に全員がすぐに実践をし、食べ方一つで一味違ったチョコの風味に驚きを隠せずにいた。
「いつかは生チョコレートだったりトリュフだったり色んなチョコ作ってみたいなぁ」
シエナもチョコを食べながら他のチョコレートのレシピを思い返す。
「このチョコレートだけじゃダメなのか?」
「ダメって訳じゃないですけど、やっぱり色々作ってみたいじゃないですか。でも、原材料のカカオが…」
今回カカオが手に入ったのは、別の領地で、それもたまたま珍しく他国から輸入されてきた物を父である国王への土産としてレクスが仕入れてきたからであり、かなりの偶然である。
次にその領地がカカオを輸入するとも限らないし、輸入されても在庫が少なければあまり多くのチョコやココアを作る事はできない。
更に、輸入をしている他領はヴィッツの遥か南方であるので、シエナが個人的に手に入れようと思ったら日数がかなりかかってしまうのであった。
「シエナ、このココアとチョコレートのレシピはウチの料理人達には?」
「もちろん教えましたよ。チョコが固まるのを待つまでの間に、紙にも書いて渡してます」
フリートの質問に、シエナは即座に答える。
フリートは「ふむ…」と顎に手を当てて何かを思案する。そして…。
「テスタ。ヴィッツでもカカオを輸入し、このチョコレートとココアを生産、販売をしてみないか?」
「奇遇ね。私もそれを考えていたところよ」
2人は同時にシエナを見る。
「シエナ。ヴィッツでチョコレートとココアを作らせてもらえないだろうか?」
あくまでも、この2つを生み出したのはシエナなので、2人はシエナに許可を求める。
「もちろん良いですよ!」
シエナとしても、願ったり叶ったりなので、即答をする。
「ありがとう。色々と打ち合わせもしたい事もあるから、後で時間を空けててもらえないか?」
もちろん、それは価格の設定であったり、他の用途や保存方法など、色々ひっくるめてであり、シエナもそれを理解している為に「わかりました」とすぐに返事をする。
その様子を眺めていたレクスは、シエナにかなりの興味を示すようになり、過去にルクスも思った事もある「非常に価値のある少女」と、商人らしい勘定をしていた。




