楽しいデート?
ルクスとバルバロッサの決闘の日から3日が経過した。
ルクスはシエナとのデートの為に、仕事を前倒しして張り切っている。
バルバロッサは、次こそはルクスに勝つ為に、と昼間も訓練に明け暮れていた。
ティレルとケイトはルクスと共に仕事に行っている為、館にはいなく、テスタとフリートも、領主としての仕事がある為、執務室に籠りっぱなしであった。
そんな中、シエナはと言うと…。
「シエナお姉さま。今日はどんなおかしを作るのですか?」
バルバロッサの妹のベアトリーチェにベッタリと懐かれていた。
まるで孵りたてのカルガモの雛のように常にシエナに付いてまわるため、たまに様子を見る必要があった館のメイドは、困ったような表情をしておきながら内心では大助かりと思っているくらいである。
「そうですね。今日はシュークリームでも作りましょうか」
誕生日会のケーキから始まり、ベアトリーチェは毎日シエナに美味しいお菓子をせがんでいる。
特に、生クリームやカスタードクリームのようにとろける甘さのお菓子が大好物となっていて、生クリームがふんだんに使われたお菓子の時は幸せそうな表情をしていた。
「しゅぅくりぃむとはどんなおかしなのですか?」
「ベアトちゃんの大好きな生クリームとカスタードクリームを使ったお菓子ですよ」
シエナの言葉にベアトリーチェは天使のような笑顔で喜ぶ。
もちろん生クリームを使ったお菓子だけでなく、他のお菓子も喜んでいたが、やはり生クリーム製は格別なようである。
前日にはシエナの好物である小豆を使用したあんドーナッツをシエナは調理した。
もちろんベアトリーチェはあんドーナッツも「おいしい」と喜んで食べていたが、その表情には少し物足りなさが浮かんでいて、シエナは少しだけ悔しい思いをしていた。
レシピは当然、館の料理人達に渡してある。ただ、シエナが一つ不安に思っている事は、毎日のように甘い物ばかり食べていては将来が心配という事であった。
(なんか、バルバロッサ君といいベアトちゃんといい、偏食家なところがあるような気がするんですよねぇ…)
2人とも武闘派の両親に育てられている為に日々の運動量は問題ないが、あまりにも好物になったものばかりを食べる傾向が強い為、大人になった時に肥えてしまってるのではないかとシエナはつい想像をしてしまう。
このままでは成人病待ったなし状態なので、シエナは自分がテミンに帰るまでに少しでも改善できるようにしておき、それでも改善できなかった時にはきちんとテスタやフリートに注意をしておかなければならないな、と考える。
ベアトリーチェはシュークリームも大のお気に入りとなっていた。
口元をクリームで汚しながらも美味しそうに頬張るその姿は、現代日本であれば…いや、現代日本でなくても「おじさんのクリームも飲んでみないかい?」と危ない台詞を言いながら寄ってくるやばい輩がいそうなくらい可愛い姿であった。
しばらくすると、お茶休憩をしにテスタとフリートもやってきた。
テスタもフリートも、ずっと頭を使って仕事をしていた為か、甘いシュークリームを食べるなり癒されていくような安堵の表情をとる。
「疲れた時には甘い物が一番ですよね。ぁ、そうだ、少しお願いしたい事があるのですが」
珍しいシエナからのお願いにテスタは微笑みながら「なにかしら?」と答える。
「その、お化粧道具をいくつか貸していただけないでしょうか?」
テスタは「それくらい全然構いませんよ」と笑顔で答え、メイドにすぐに新品の化粧品を持ってくるように命令をする。
「シエナだったら私達にも知らない化粧品や化粧道具を持ってそうな気がするのですが、持ってないのですか?」
「知ってはいますけど、お化粧道具は1つも持ってないのですよ」
シエナ自身、まだ子供なので化粧をするにはまだ早いと思っている。
なので今まで化粧品に関してはあまり興味を持たなかったのだった。
「もしかして、明日のデートの為に?」
テスタが少し意地悪そうな表情で言うと、シエナは顔を赤くして照れる。
「あらあら、照れちゃって可愛いわね。私が教えてあげたいですが、あいにくあまり時間が取れないですので、メイド達にお化粧の仕方を教えるように言っておくわね」
テスタの申し出に、シエナは「あ、化粧の仕方は知ってるので大丈夫ですよ~」と答える。
当然、それは前世からの知識である。
「あら?そうなの?……逆に、私達にも知らない化粧方法があるなら是非教えてくださいね」
テスタは、何故化粧の仕方を知ってるのかという疑問はすぐに投げ出し、少しの思案の後に「もしかすると今よりも良い化粧の方法があって、それを知っているのかも」と考え、すぐに切り出す。
テスタももう、かなりシエナに慣れてきたのであった。
5分程の時間が経った頃、メイド達が新品の化粧品や化粧道具の入った箱を持ってシエナのところへとやってくる。
地球にある化粧品に比べると格段にグレードの下がる物ばかりであったが、組み合わせで代用が可能な物ばかりであり、シエナはこれなら問題なく化粧をする事が可能だな、と考える。
「…あれ?アイラッシュカーラーが、ない…」
いくつか化粧道具を物色している時に、一番欲しかった道具が見つからずにシエナは肩を落とす。
「なんですか?そのアイラッシュカーラーとは?」
アイラッシュカーラーとは、まつ毛を上方向や下方向にカールさせるハサミのような形をした化粧道具であり、日本では「ビューラー」と言う商標名で呼ばれているのが一般的である。
目が小さく見える人でも、アイラッシュカーラーを使用してまつ毛をカールさせる事により、目をぱっちりと大きく見えるように変化させる事のできる道具である。
シエナは、日本での呼び名などの話しは伏せてどんな用途で使われる道具かを説明する。
「へぇ、そのような道具は見た事もなかったですわね」
シエナの目は、元々ぱっちりと大きく見えて可愛らしい目ではあるが、ほんの少しだけの変化をもたせたいと思っていたのである。
なので、他の化粧道具よりも何よりアイラッシュカーラーが欲しかったのであった。
「まあ、指で出来ない事もないですし、スプーンとかで代用できるからいっか」
すぐさま代案を考え、他に不足している道具がないかを確認していくシエナであった。
そういった1日を過ごし、シエナはルクスとのデートの日を迎えた。
「…一緒に館を出れば良かったのに、なんで待ち合わせなのだろうか?」
ヴィッツの町の広場にて、ルクスは普通の町人の服装でシエナを待っていた。
前日の夕食後の魔法の特訓が終わった時に、シエナに「明日は午前10時に広場で待ち合わせにしましょう」とシエナに言われ、何故待ち合わせなのかと疑問に思いながらもそれを承諾したのであった。
待ち合わせの30分以上前からルクスは待っていて、シエナが来るまでの間、ずっとそわそわとしていた。
しばらくすると、ルクスの視界に真っ白なワンピースに身を包んで小さな白いハンドバッグを手に、可愛らしいリボンの付いた大きな麦わら帽子を被ったシエナが近寄ってくるのが見えた。
恰好だけでもすでに可愛いのであるが、顔が見える距離まで近づいたところでルクスはシエナに違和感を感じる。
その違和感は、決して悪い物ではなく、普段よりも段違いに可愛く見える違和感であった。
その違和感の正体は、シエナのナチュラルメイクである。
素朴な可愛さを持つシエナは、元が決して悪くない為、それを引き立てる自然なメイクをする事により美少女へと変貌を遂げるのである。
そしてそれは、傍目から見れば化粧をしているとはわからないレベルであり、ルクスが違和感を感じられたのは普段のシエナをよく観察していたからであった。
「ごめんなさい。待ちましたか?」
「い、いや…全然待ってないよ!い、今来たところさ!」
ルクスはかなり早くから待っていたが、それでもまだ待ち合わせの時刻前である。
シエナが嬉しそうに微笑み、ルクスはそんなシエナの表情に胸の高鳴りを抑えきれずにいた。
(やった!一度はやってみたかったシチュエーションをする事ができました!)
そして、シエナの微笑みはやってみたかったシチュエーションを達成できた事による微笑みである事を知らないルクスは、ある意味幸せ者であった。
「それでは、行きましょうか」
シエナがそっと手を伸ばし、ルクスと手を繋ぐ。
ルクスは一瞬だけ驚いたが、優しくシエナの手を握り返して歩き始めた。
そして、シエナとルクスのデートは始まった。
最初こそは、ガチガチに緊張をしていたルクスであるが、ある程度すると落ち着きを取り戻し、ほぼ普段通りにシエナと接していた。
それでも、やはりデートという特別なシチュエーションな為に、少し浮ついた気持ちではある。
「わ、あの人達見てみて」
「うわ、2人共すっごい美形…羨ましいなぁ」
少しすれ違った瞬間でも感じられるが、遠目から見るだけでもシエナとルクスは周囲が羨むほどの美形であった。
シエナに関してはメイクによって作られた美形ではあるが、それも含めてのシエナの実力である。
ルクスは周囲から聞こえてくる声に聞き耳をたて、気分を良くしていた。
(ふふふ、周りの人達も俺達の事を美男美女のお似合いの恋人だと思っているんだろうな)
若干、自惚れが含まれているが、ルクスが美形である事は事実である。
が、ルクスの思いとは裏腹に、周囲の反応は少しだけ別の方向と傾いていた。
「仲の良い兄妹ねー。2人共あれだけの美形なら、両親もさぞかし美形なんでしょうね」
そんな感じの会話が、そこかしこから聞こえ始め、ルクスは心の中で「ですよね~…」と呟いて肩を落とすのであった。
それからも行くところ行くところで、シエナ達はあまり似てない兄妹だと思われ続けていた。
似てはいないが、美形である共通点から「きっと両親のどちらかが違うのよ」と言った勝手な噂までたてられる程である。
ルクスは完全に開き直り、兄妹と思われようがシエナとのデートを楽しむ事だけに集中を始めた。
そしてそれは正しい判断であった。
もし、これでシエナと兄妹ではないと言う事を説明していたものならば、その瞬間にルクスは周囲から「少女趣味の変態」との烙印を押されているところであったのだった。
シエナ達は、小物を取り扱ってる店であったり、アクセサリーショップなど様々な店を見て回る、ウィンドウショッピングのようなものを楽しんでいた。
もちろん、2人は別にお金がないわけでも時間がないわけでもない。
ただ、特にこれといった欲しい物はない、けど、見ていて楽しい物を見て回ってデートを満喫しているのである。
「そろそろお昼にしようか」
太陽の位置がだいぶ高くなってきたところで、ルクスが昼食を切り出す。
「そうですね。どこで食べましょうか?」
待ってましたと言わんばかりにシエナはお腹を擦る。
「良い店を知ってるんだ。そこにしよう」
そう言って、ルクスは店のある方向を指差して歩き出す。
調査の仕事の間は、いちいち館に帰ってから昼食をとると言った事はせずに毎日外食であった。
その時に、他の飲食店と比べると生臭さもなく、海の町にしては珍しい肉料理中心の美味しい店をルクスは偶然にも発見したのであった。
「他の店も不味いわけではないんだけど、どうにも生臭さがあってなぁ…」
店に向かってる途中の雑談で、ルクスはヴィッツの料理の愚痴を零す。
「結構血抜きとかが不完全ですからね。それにヴィッツ特有の調味料が加わってるせいで生臭いのかもしれないですね」
テミンにある飲食店でも、若干の生臭さが感じられる店はいくつもあったのをシエナは思い出す。
食べてみた感じではそれは狩猟した直後に血抜きをしていない可能性が高いと判断していて、それだけでこの世界の食文化レベルが低い事が窺われるとシエナは考えていた。
「血抜きってそんなに重要なのか?」
「重要ですよ!すぐにするとしないとで鮮度も生臭さも段違いです!」
いつまでも血を抜かずにいると雑菌が繁殖したりして鮮度が落ちてしまい、生臭さが染みついてしまうのである。
店に到着するまでの間、シエナはルクスに血抜きの重要性を語るのであった。
店に到着し、ルクスが入ろうとしたところでシエナは動きを止める。
「?どうした?」
不審に思うルクスであったが、シエナはすぐに「いえ、なんでもないです」と言って笑い、入店をする。
店に入ったところで、給仕をしている女の子が新しく入店してきた客であるシエナ達を見て、驚愕の表情を浮かべる。
そして何やら焦った表情で厨房へと駆け込んで行った。
「た、大変です!1人団体様が来店です!」
シエナ達からは姿は見えないが、先ほどの給仕の女の子と思われる大きな声が厨房の方から聞こえてきて、直後に「ガッシャーン」という鉄製の何かや皿が落ちて割れる音が響いてくる。
「ん~…やっぱり覚えてましたか…」
シエナは頬をぽりぽりと搔きながら、テーブルに着こうと奥へと進む。
ルクスは一体何があったのかとシエナと厨房のある方を交互に見ていた。
シエナとルクスがテーブルに着こうとしたところで、給仕の女の子が慌ててやってくる。
「そ、その…すいません!今日はまだ陽も高く、あまり食べられると…」
「あ~…大丈夫です。今日は前みたいには食べずに常識の範囲内で食べますので」
給仕の女の子はシエナの言葉を聞いてホッとため息をつく。
「…何かあったのか…?」
ルクスは質問をしながらも、何があったか少し予想がついていた。
「実は、ちょっと前にこの店に1人で来た事があって、その時に店の在庫がほぼ空になるくらい暴食してしまったのですよ」
シエナも常にテスタの館にいるわけではなく、たまに1人で町をブラついてたりする。
その時に美味しそうな匂いに釣られてこの店へと入店し、食欲のままにこの店に置かれていた食材をほぼ食べ尽くしたのであった。
更に追加注文をしようとしたシエナに対し、店側は「もう勘弁してください…」と頭を下げてシエナを帰らせた経緯から、シエナは少しだけこの店に来にくくなっていたのであった。
ルクスは、予想はついていたけれども、店の在庫を食べ尽くせるシエナのお腹の容量の方が驚きである事を苦笑する。
店としては普通は売り上げが上がるので問題はないのだが、料理が追いつかないくらい忙しくなった事と、食材がなくなってしまった為にその後来店した客に「食材がないので店じまい」と説明して謝らなければいけなくなった事から、近辺の飲食店に「栗色の髪の小柄な女の子には気を付けよ」と注意勧告をしたほどである。が、他の飲食店はその話をあまり信じてはいなかった。
料理店なのに料理が提供できないとなると信用問題にも関わってしまうので、それはそれでしょうがない話である。
まさか、1人の小さな女の子が食材を全部食べ尽くしたなど誰も信じないだろう。
「美味しかったですねぇ。…本当はもうちょっと食べたかったですけど…まあ、迷惑はかけれないですからね」
ランチメニュー的な物があったので、それを1人前食べたシエナは、名残惜しさを感じつつも店を後にした。
会計はルクスが持つとの事だったので、それも含めての遠慮だったのだが、それでも少し食べたりないとシエナは感じていた。
「まあ、この後も色々食べ歩きとかしようか。ほら、串焼きなんかの出店もあるみたいだぞ」
ルクスは流石に満腹なので、もうしばらくしないとこれ以上は食べる事はできないが、シエナが他にも色々食べる事で幸せになれるのであれば、と、食べ歩きに誘う。
2人は出店や露天商が集まる広場へと向かい、そこで午前と同じように物を見てまわったり、出店で食べ物や飲み物を購入して食べ歩き(主にシエナのみ)を始めた。
「…さっきから、どこかから女の子の泣き声が聞こえるんですけど…」
数分前から、シエナの耳には女の子の泣き声が聞こえていた。
「ん?そうか?…あ、ほんとだ、微かだけど確かに聞こえるな」
シエナに言われて耳を澄ませたルクスも女の子の泣き声を聞く。
「こっちからですね。行ってみましょう」
耳に魔力を集中させ、聴覚を強化したシエナは泣き声のする方向を探る。
少し歩いたところで他とは少し雰囲気の違う人だかりの出来ている露店が見えてきて、シエナとルクスはそこから泣き声がしているのだと確信する。
「え~ん、返してよー!それはパパの形見なんだからぁ~」
「だからさっきから言ってるだろ!そんなのは知らん!これは俺が見つけた物なんだ!」
周りにいる野次馬に混ざって、シエナとルクスは様子を窺う。
「わ、見てください。あんなに大きな魔晶石は中々ないですよ」
暴れる女の子を片手で抑える商人のもう片方の手には、ソフトボールほどの大きさを持つ魔晶石が握られていた。
「それはパパがダンジョンで見つけてきた物なんだからぁ!一昨日、家から盗まれた物なんだからぁ!」
女の子は泣きながらなんとかして父親の形見の魔晶石を取り戻そうと暴れようとする。
「だから、知らないって言ってるだろ!そんな証拠はどこにある!?ないだろ!?えぇ!?」
商人は我慢できなくなったのか女の子を殴り飛ばす。
「…うぅ、盗まれた魔晶石の底には、うっすらと△の形をした傷があるんだもん…その魔晶石で間違いないんだもん…」
殴り飛ばされた女の子は、ぐすぐすと鼻をすすりながらも立ち上がり、商人の手で遮られ誰からも見えないはずの自分だけが知っているという目印を指摘する。
元々、このサイズの魔晶石は滅多にある物じゃない。その上に女の子の提示した証拠が確認できればそれはこの女の子の父親の形見で間違いないだろう。
そう思った別の第三者が「見せてみろ」と近寄ったところ、商人の男は「近寄るんじゃねぇ!そんなものはない!」と言って魔晶石を両手で隠す。
「あの行商人、他の町でもあまり良い噂聞かない奴だよな」
「あぁ、盗難事件が出た時には必ず奴がいるとも言われてるしな」
他の行商人達のヒソヒソ話しにシエナは聞き耳を立てていた。
(ふむ、これはあの商人は盗難事件の最有力容疑者ですね。それに小さな女の子を殴り飛ばすなんて許せません!)
シエナは人ごみをすりぬけながら商人の方へと向かう。
「そんなにこの石が欲しいなら買えば良いだろ!5万リウスで売ってやるさ!」
商人の男はそう言って笑う。
5万リウスはかなりの大金である。小さな女の子がポンと出せるお金でもない。
いや、その辺の小金を貯めこんでいる商人ですらすぐに出せる金額でもないのである。
ただ、魔晶石はその辺の宝石よりも高価な代物であり、更にこの大きさからすると5万リウスでも実は安い方であった。
通常の魔晶石はビー玉サイズで1万リウスはくだらない。更に、魔晶石は砕いたとしてもそのバラバラになった破片が普通に魔晶石として使用する事ができるので、この魔晶石は50万リウスという値段をつけても問題がないくらいのサイズであった。
それに誰も気が付かないのは、魔晶石自体が高額で品薄な為にあまり出回らないから気付けなかっただけである。
「じゃあ、私が買いましょう」
そう言って、シエナはハンドバッグから金貨の詰まった巾着袋を取り出し、その中から大金貨を5枚取り出して行商人がテーブル代わりに使用している木箱の上にバンと叩きつけるようにして置いた。
「…え?」
周囲は静まり返った。
泣いていた女の子よりも少し年上くらいの女の子が急に現れ、5万リウスという大金を何の惜しげもなく出す姿に驚いてしまったのである。
更に驚くべきは、大金貨を取り出した巾着袋には、それ以上の金貨が詰まっていると見てわかる状態であり、何故こんなにも幼い少女がそんな大金を持っているのかと周囲の人間は目を丸くしていた。
「どうしました?5万リウスで売ってくれるんですよね?」
本当はこの容疑者を縛りあげ、罪を認めさせて女の子に謝罪をさせたいと思っていたが、お金ですぐに解決できるのであればそれはそれで問題ないとシエナは考えたのである。
あくまでも最有力容疑者なだけであり、盗んだ証拠は何一つない。
魔晶石に女の子の言っていた△の傷があっても、それはこの商人が盗んだという証拠ではない。
商人が5万リウスで売ると言った発言を聞いたシエナは、近寄っている最中に考えていた縛り上げの案を捨て、お金ですぐに解決できるこの方法を取ってすぐに女の子に父の形見を返してあげるほうが先決だとも思ったのであった。
「あ、あぁ…まいどあり…」
あまりの突然の出来事に、商人の男も絶句したまま魔晶石をシエナに手渡そうとする。
しかし、その時にシエナの持つ巾着袋を見て、ある悪だくみを思い浮かべ、手渡そうとした魔晶石を引っ込めた。
「…?どうしました?売ってくれるのでは?」
差し出された魔晶石を商人が引っ込めた事をシエナは不審に感じた。
「いや、売るのは構わないんだが、ただ売るだけじゃつまらないと思ってな」
商人はニヤニヤと勿体ぶった態度をとる。
シエナが「何が言いたいんですか?」と睨み付けるようにして言うと、商人は不敵に笑い。
「一つ賭けをしよう。君が勝てばこの魔晶石は無料であげよう。…しかし、君が負けた時には倍額…10万リウスを払ってもらう。どうだ?」
「なるほど、それで勝負の内容は?」
シエナは勝負を受けるとは言わずにまずは内容を確認しようとする。
「そうだな…ちょっと待ってろ」
商人は顎に手を当てて「う~む」と唸りだす。そして、何かを閃いたような表情をして商品を入れている箱から何かが入った風呂敷を取り出してそれを広げた。
風呂敷からは、川辺に落ちているような丸く平べったい小さな石がごろごろと出てきた。
「私はこれくらいの綺麗な石を集めるのが趣味でしてね。これを利用しようと思う」
シエナが頭の上で「?」を浮かべていると、男は更に不敵に笑う。
「この石は丁度100個ある。これを…そうだな、1個から3個を交互に取り合って、最後の1個を取ってしまった方が負け。そんな勝負はどうだ?」
「1個から3個取り合って、最後の1個を取った方が負け…?」
シエナは勝負の内容を再確認する為にも聞き返す。
「そうだ。まあ、最初の内は適当に取り合う形になるだろうが、石の数が多い方が少し長く遊べて楽しめるしそれくらいは些細な事だろう」
シエナは首を傾げて「う~ん…」と唸る。
「シエナ、やめた方が良い。そんな勝つか負けるかわからない勝負で万が一負けたら、大金を捨てる事になるんだぞ」
人ごみをかき分けてやってきたルクスが、シエナに勝負を断るように助言をする。
「そう、ですね…。私としても5万リウスならまだしも、負けて10万リウスはちょっと痛手です」
「おやおや、せっかく勝つか負けるかハラハラできる勝負なのに逃げるのですか?」
安い挑発だとは誰もが見てわかった。しかし、だからこそカチンとくるものがある。
「む、良いでしょう。受けてたってやりますよ!」
挑発に乗ったシエナに、商人は心の中で大笑いをした。
(ギャハハハ!馬鹿め!勝つか負けるか?そんな訳ないだろ!この遊びには必勝法があるんだよ!)
四則演算もロクに発達していないこの世界で、この商人はたまたまこの石取りゲームの必勝法に気付いたのである。
そして、今まで色んな町であたかも今思いついた遊びと称してカモから金を巻き上げていっていたのであった。
「もう一度確認です。石を取る個数は1個から3個で、それを交互に取り合っていって、最後の1個を取ってしまった方が負け。それで間違いないですか?」
「あぁ、間違いない」
「取る順番とかはどうします?」
「そうだな…。そっちが決めていいぞ」
商人の言葉にシエナは再度「う~ん…」と唸る。
そしてルクスと向き合い「先と後、どっちが良いと思います?」と相談を始める。
(ぷくく…やっぱ子供だな。これはもしも俺が後になってもすぐに調整がかけられるな)
商人は笑いを堪えるのに必死だった。
もちろん、賭けの対象になっている魔晶石はこの商人が盗んだ物である。
盗んだ物なので、元手はタダであり、それで10万リウスと言う大金が苦もなく手に入るのであれば笑いが止まらなくなるだろう。
(しまったなぁ。あんな挑発で受けるくらいの子供だったなら、20万リウスくらい吹っかけておけばよかった)
そしてすぐに勝った後にでももう一度勝負を吹っかければ良いか、と考えるのであった。
「それで、どっちから先に取るんだ!?」
イラついたような演技で商人が怒鳴ると、シエナは「わ、今決めるんで待ってください」と言って、銅貨を1枚取り出した。
そして、銅貨を親指で弾き、地面に落ちた面を見て答える。
「表か。じゃあ、私が先に取ります!」
「いいだろう。じゃあ、勝負開始だ!」
シエナと商人は石を挟んで座り合い、石取りゲームを開始するのであった。




