ルクスの特訓
夕食を食べ終わった少しの休憩の後にシエナとルクスは剣の訓練場へと向かった。
ルクスの魔法の特訓の為である。
「身体強化の魔法は、筋肉と一緒で使えば使うほど効果は上がります。しかも、消費魔力は反比例して抑えられていきます」
特訓を始める前に少しの座学をしていて、シエナは自分の経験をそのまま語る。
「魔法を使わずに筋トレをして、筋肉を付けた上で魔法を使えば更なる効果も得る事が可能です。私は少し魔法に頼り切ってるので、筋肉自体は少ないですけど」
街に住む一般的な成人男性が40キログラムまで持ち上げられるとして、通常の冒険者は70キログラム、シエナは10キログラム、ルクスは50キログラムまで持ち上げる事ができる。
一般的な成人男性は日々の生活を街の中で過ごしている為、基本的に重たい荷物を持つ事などあまりない。
無意識に使用している強化魔法も、1.1倍ほど強化されれば良いと言っていいほどである。
冒険者は、普段から重い剣や鎧、荷物を持っての冒険をしていて、時にはモンスターや魔物との戦闘を挟んで経験を積んでいる。
剣や槍は重たい物で3キログラムほどあり、それを振り回す為の筋力や、槍などの実際に手に持つ部分と先端までの長さに差があるものだと余計に重く感じる物もある。
それらを自由自在に扱う冒険者は、一般的な成人男性と比べるとかなり力持ちといえるだろう。
ルクスは、無意識に使用している強化魔法で1.5倍ほど強さを引き上げる事ができており、ティレルやテスタ、ランクの高い冒険者は2倍、もしくはそれ以上も引き上げる事ができている。
ただ、それはあくまでも戦闘中における無意識によるものなので、日々の生活では効果が表れる事は滅多にない。
そしてシエナは強化魔法を自在に使いこなしている為、現段階でなんと最大40倍の強化が可能になっている。
一般的な成人男性が最大44キログラムまで、ルクスが75キログラムまで、冒険者達が140キログラムまで、シエナが400キログラムまで物を持ち上げる事が可能である事を見ればかなり破格な効果であり、意識的に日々使用をしている為、更に効果は伸ばされていっているが、元々のシエナの筋力が低い為、上昇具合は微量といったところではある。
これで仮にシエナが筋肉を付けて、強化魔法無しで25キログラムまで持ち上げる事が可能になれば、1トンもの質量の物を持ち上げる事が可能になるが、シエナは元々成長がかなり遅いうえに筋肉が付きにくい体質なので難しい話しであった。
なので、代わりにシエナは身体強化魔法をもっと使いこなせるように努力しているのである。
そもそも、40倍の強化だけで見ればかなり強く思えるが、それを補う為の魔力がシエナには備わっていない。
シエナが最大出力で身体を強化すれば、人類で最強の力を発揮する事が可能である。
が、それも1分か2分持てば良い方である。
ほんの2~3倍であれば何時間も状態を維持する事は可能であるが、強化する倍率が高ければ高いほど消費魔力はもちろん跳ね上がり、シエナの少ない魔力ではあっという間に底をついてしまうのであった。
魔力自体も、使えば使うほど筋肉と同じで微量ではあるが上昇していく。
逆に使わなければ衰えていってしまう。
そしてシエナは魔力の上がり幅も通常の人と比べるとかなり低い。
元々シエナ自体、魔力が上がりにくい性質ではあるが、別にも理由がある。
シエナは気付いていないが、その原因はシエナの魔法の使い方にある。
シエナはいかにして消費魔力を少なく、効果を高める効率的な使い方をするか模索して使用しているのだが、それだと魔力を上げる為のトレーニングになっていないのである。
わかりやすい例を説明すると、毎日腕立て伏せを20回する人と、地面に手を付かずにただの腕の曲げ伸ばしをしているだけの人くらいの差があり、どちらがより筋肉が成長するかなど一目瞭然であろう。
シエナの魔法の使い方はもちろん後者であり、魔力を上げる為の負荷があまりかかっていないのである。
ちなみにアルバは、シエナから効率の良い魔法の使い方を教わっている為、他に魔法が使える人達からすれば魔力の上がり幅は小さいが、シエナと違って物凄く効率の良い使い方をする事ができず、ある程度のところで妥協しているのでシエナよりも魔力の上がり幅は大きい。
そして、元々の魔力がシエナの10倍近く保有している為、シエナはアルバにかなりの差を付けられているのであった。
そしてルクスは魔法が使えないのに関わらず、保有魔力はシエナの30倍を持っている。
シエナの魔力が100だとすると、ルクスは3000。圧倒的な差である。
しかし、シエナが40倍の身体強化をして、1秒につき1の魔力の消費だとすると、ルクスは無意識の1.5倍で1秒につき1の消費。
もしもルクスが40倍の身体強化が可能であったとすると、1秒間に60もの魔力を消費する事となる。
そして、シエナは完全に魔力が空になるまで魔法を使用する事ができるが、シエナ以外の人間はどんなに魔法を使いこなす人であっても、保有魔力の半分を切るとほとんどの人が魔法を使用する為の集中力がなくなってしまう為、ルクスが40倍の身体強化の魔法を使用するとなると、25秒しか持たないのである。
そして、倍率が高ければ高いほど消費魔力は桁違いに上がってしまう為、5秒持てばマシなレベルとなる。
逆にシエナは、倍率が低いものほど、ほぼノーコストで使用できているといえる。
上記はわかりやすいように簡単な例を挙げているだけであるので、実際には仕様はかなり異なるが、シエナと他の人達の魔力数と魔法の使い方にはこれだけの差があるという事がある程度には理解できるはずである。
シエナは、その説明をもっと掻い摘んでなるべくわかりやすいようにルクスに説明をする。
更に、それはあくまでも筋力強化に関する説明だけであるので、これに防御強化、敏捷強化などと言った別の身体強化を付与するとなると、その分消費魔力は上がってしまうという事も付け加えて説明をする。
筋力強化に1の魔力を消費し、防御強化にも1の魔力の消費を同時に行った場合、単純計算であれば2の魔力の消費となるが、実際にはかなりの集中力が必要となり、2どころか10の消費にだってなり得るのである。
食事をしながら本を読むと、どちらかが、もしくはどちらもが疎かになってしまうように、人は2つの事を同時に行おうとするとそれだけ集中力が散漫になってしまう。
どちらも集中して行おうとすると、それだけ集中するのに時間がかかってしまうので消費魔力も跳ね上がってしまうという例である。
「も、もっと単純にただ身体を強化できるのかと思ってたけど…色々複雑なんだな」
魔力を自在に操れるようになれば、簡単に身体を強化できると思っていたルクスは、シエナの説明を聞くなりげんなりとする。
「この世界の魔法は、理解からのイメージ力が全てですからねぇ…。呪文の詠唱とかで使えればもっと色んな人が魔法を使えるのでしょうけどね」
単純にイメージをしても、理解ができていなければ魔法は使う事ができない。
完全に魔法が使えないという事はないが、理解をしていない状態で魔法を使用しても、それはただのハリボテなのである。
「呪文の詠唱?なんだそれ?」
「魔法を使う為の言語プログラムみたいなものです。言葉にして読み上げるだけで理解をしていなくても魔法が使えるという素晴らしいシステムです」
シエナの説明に、ルクスは「げんごぷろぐらむ?なんだそりゃ」と首を傾げる一方であった。
「え~っと…魔法を発動させるための言葉を決めておくって感じですかね」
シエナは少しだけ考える素振りを見せて、「こんな感じです」と言って実際に詠唱をしてみせる。
『火よ 大粒の塊となりて 我の前に その姿を 示せ』
シエナが呟くようにして手を前に出すと、シエナの手の平の上にはこぶし大ほどの大きさの火の玉が浮かび上がった。
「これに更に『目の前の 敵を 焼き尽くせ』などの言葉を付与する事によって、火の攻撃魔法の詠唱が完成したりするって感じですね」
「おぉ!言葉にするだけで使えるって便利じゃないか!」
実際にシエナが詠唱して見せた事により、ルクスの期待は高まる。
「い、いや…これは詠唱に見せかけただけですので…この世界には呪文の詠唱というシステムはないです。今のはあくまでもこんな感じ、という例を見せただけです」
シエナが答えると、ルクスはがっくりと肩を落とす。
詠唱をすれば、自分も魔法が使えるかと思ったからであった。
「あ、でも、言葉にして読み上げるってのは悪くないかもしれないですね」
シエナはふとそう考える。
車を運転していて、曲がり角を曲がる時に右、左、右と安全確認をする時も、ただ目で見るだけだと、『見たつもり』なだけの行動で実際に見えていない時がある。
しかし、そこで指を差しながらしっかりと声に出しながら目視して、『右よし、左よし、右よし』と呼称をすると、きちんとそれに集中している為にしっかりと見えている。
それと一緒で、火の攻撃魔法を使いたいとなった時に、自分の頭の中だけでイメージをするよりも、具体的にどんな魔法が使いたいかを声に出すと、イメージを補助する効果が表れるかもしれない。
そして、詠唱は決まった詠唱ではなく、自分がイメージしやすい言い回しを考えれば良いだけなのでシエナは名案だと考えた。
後に、この『詠唱をする』と言うシステムは、一見すると手間がかかっているように見えるが、今まで魔法が使えなかった人達にも魔法が使えるようになるという便利さを兼ね備えている事が発覚し、この世界の魔法は飛躍的な進化を遂げる事となる。
流石に全人類が使えるようになった、という訳ではなく、今まで1000人に1人魔法が使えていた、というところが、100人に1人魔法が使えるようになった、と大幅に増えたくらいではある。
最初から魔法が使えていた人も、詠唱をする事により消費魔力が少なく、威力が上がると言ったことで詠唱をするようになったり、詠唱を行わない代わりに『魔法名だけ唱えて魔法を使う』だけでもその効果は上がるので、この世界の魔法は「完全詠唱して使う」「詠唱破棄をして魔法名だけで使う」「完全無詠唱で使う」と言った、3パターンが確立されていくのであった。
「まあ、ともかくルクスさんは魔力を自在に操れるようにならないと意味がないですもんね。まずは魔力を操る練習をしていきましょう」
ともあれ、自分の魔力を操り、基本的な魔法が使えるようにならないと話しにならない。
ルクスはこくりと頷いて、目を瞑って自分の体に流れる魔力の流れを感じ取ろうとする。
流れ自体は感じ取れる、しかし、それをどうやって操れば良いのかがわからない。
ルクスが悪戦苦闘していると、シエナはため息をついてルクスの手に触れる。
「し、しょうがないですねぇ~、また胸を貸してあげますよ」
通常であれば、『胸を貸す』や『胸を借りる』という用語は、戦闘訓練などで上位の者が下位の者の相手をする、という意味であるが、シエナの言う胸を貸すは本当に意味で胸を貸すという意味であった。
そして、若干であるがシエナはむしろルクスに胸やお尻を触られたいという下心があった。
「いいのか?無理しなくてもいいんだぞ?」
ルクスはなるべく紳士的に答えるが、内心はめちゃくちゃ触れたい気持ちで一杯であり、表情もその下心は隠せていないような期待に満ちた表情であった。
シエナは無言のまま、ルクスの手を先日のように自分の胸へと運ぶ。
ぺたりとルクスの手がシエナの胸へと触れる。
ルクスの魔力は瞬時にして手へと集中され、シエナはなんとも言えない『ビビビッ』とくるような感触を覚える。
「ん…」
少しくすぐったく、温もりが気持ち良いルクスの手の平に、シエナは思わず甘い声を出す。
ルクスはその声に思わず興奮した。
「きゃっ!?」
ルクスはシエナに抱き付き、シエナは驚きから珍しく可愛らしい悲鳴を上げる。
お互いの胸がぶつかり合い、お互いに相手のドクンドクンと鳴っている心臓の音が聞こえる。
ルクスは右腕をシエナの腰に回し、左手でシエナの頭を押さえてギュッとシエナを抱きしめる。
そのあまりの力強さに、シエナは前にもあったように全身の力がくたりと抜ける。
(え!?今の俺の魔力の流れ、そしてシエナの魔力の流れ…!!)
シエナの体の力が抜けた際に感じたシエナの魔力の流れ、そして、逆に強くなった自分の魔力の流れ、そこからルクスは何かを感じたのか驚いた表情をする。
ルクスはシエナの体を離し、単独で魔力を操る事に挑戦し始める。
シエナはぺたりとその場に座りこみ、ボーッとした表情でルクスを眺めていた。
(さっきの感覚…それを自分1人で…)
目を瞑り、神経を研ぎ澄まし、ルクスは自分の体に流れる魔力の一部を見えない手で掴み取る。
そして、それをそのまま右手の位置へと持ってくるイメージをする。
少しの間ボーッとしていたシエナは、意識がはっきりすると同時に驚きに目を見開く。
「わ!魔力操れてるじゃないですか!」
シエナの言葉にルクスは目を開く、しかし、目を開いた瞬間に集中力が途切れ魔力の流れはいつも通りとなってしまう。
「っく…もう一度だ…」
今度は目を開いた状態で、先ほどの感覚を思い出しながら集中をする。
シエナは祈るようなポーズを取り、固唾を飲んで見守っている。
ほんの少しだけ、ルクスの魔力の流れが止まり、そしてすぐに何事もなかったかのように動き出す。
それを何度か繰り返しているうちに、いつの間にかルクスの魔力は半分ほどとなっていた。
魔法として使わなくても、魔力を集中して操ればそれだけ魔力は減っていくのである。
「…なんだ?さっきまで少しは動かせてたのに、なんだか全然集中できない…」
特に動き回っていた訳でもないのに、ルクスは額や背中に汗水流していて、急に魔力が動かせなくなった事に焦りを覚える。
「魔力が少なくなって集中力がなくなったんですね。今日はこれくらいにしておきましょう」
しかし、ルクスは「せっかくコツが掴めてきたんだ」と続けたいという意思を見せる。
「でも、魔力が足りないですよ。あ、そうだ」
シエナは自分の腰の巻いてるベルトに付いてる4本の金属の小さな水筒の1つを取り出す。
「これ、物凄く苦くて不味いですけど、飲んだらほんの少しだけ魔力が回復しますよ」
いつも冒険に出かける時に必ず持ち歩くその水筒には、様々な生薬であったり栄養のある食べ物を煎じて、自分の魔力と共に溶かし込んだどろりとした液体が入っている。
中に含まれるシエナの魔力自体はルクスには吸収できないが、ちょっとした滋養強壮の栄養ドリンク剤として飲めばほんの少しの魔力の回復は図れるはずである。
「ありがとう。飲んでみるよ」
ルクスは礼を言ってシエナから水筒を受け取り、蓋を開ける。
中からは青臭いような変な臭いが漂ってくる。
主に入っているのが薬草関係なので、その臭いではあるが、かなり混ぜられている為に独特な臭いになっているのであった。
「うっぷ…」
鼻の良いルクスはその臭いに吐き気を覚えてしまう。
「…あの、本当に物凄く不味いので、無理して飲もうとしなくても大丈夫ですからね?」
吐きそうなルクスの背中を擦りながら、シエナはルクスの顔を覗き込む。
この魔力を回復させる手段の1つは、本当に不味い。
できる事ならシエナも飲みたくないほどの物である。
いつの日か、美味しくて魔力が凄く回復できる代物にしたいとは思っているが、他の世界にもそういった魔力回復薬はなかった為、かなり試行錯誤を繰り返して作っていて、やはり今も不味いうえにほんの少ししか魔力は回復しない未だに未完成品なのである。
ルクスは鼻を抓んでなるべく味わう事がないように一気に飲み干そうとする。
「ぶっほぁ!まっずぃぃぃぃいい!!」
そして盛大に吹き出した。
床に飛び散る緑色のどろりとした液体…。
流石のシエナも、これで「食べ物を粗末にした!」と言ってキレる事はない。
むしろ、自分が食べ物を弄んでいる感があるので落ち込んでいる方である。
「あ~…やっぱ不味いですよね」
ハンカチを取り出して、ゲホゲホと咳込むルクスの口周りをシエナは拭きはじめる。
「し、シエナが作った物だから、不味いって言われてもそこまで不味くないと思ってた…これは…なんだ…これは…?」
あまりの不味さにルクスは涙目になっていて、自分が何が言いたいかもわからなくなってきていた。
「これだけどろりと濃厚なんだから、ピーチ味にでもできれば良いんですけどねぇ…」
そして四角の紙パックに入れてストローを刺して飲みたいとシエナは思っている。
ただのジュースであれば作れない事はないだろうが、わざわざどろりとしたジュースにする必要はない。
「ごめん、これは無理…」
ルクスは水筒の中にまだ残った液体をなるべく見ないようにしながら蓋をして、シエナに手渡す。
シエナは床に飛び散った液体をハンカチで拭き取りながらルクスから水筒を受け取り、腰のベルトに差し込む。
「まだ、あと3本残ってますよ」
「ごめん、まじで勘弁して」
シエナの冗談に、ルクスは本気の表情をしてその場にへたり込むのであった。




