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海苔

 次の日の昼、シエナは卸売市場を訪ねていた。

 昨日の約束通りに体に異常がなかったかを確認してもらう為である。

 市場に来ているのはシエナだけであり、ルクス達の姿はない。

 この日は、完全にシエナの単独行動である。


 出かける前に、テスタやルクスから「絶対に変な物は食べない事、怪しい人に声をかけられてもついていかない事」と約束をさせられてようやく1人で出かけられたのである。


 市場では、タコとイカを食べたシエナと漁師に全く異常が見られなかった為、昨日食べなかった漁師達がその日も網にかかっていたタコとイカを試食していて、口々に「このグロテスクな見た目でこんなに美味いとは思わなかった」と語り合っている。


「このイカの一夜干しを、マヨネーズにつけて食べると美味しいですよ」

 イカを開いて目玉や腸を抜き、吸盤を擦り取って塩水に浸けた後に串などを刺して1日干しておいた一夜干しを、シエナは火で炙ってから漁師達に試食させる。


「な、なんというか…アレな臭いがするな」

 スルメイカがイカ臭いのは当然である。

 男にとって嗅ぎなれたような嗅ぎなれてないその臭いに、漁師達は少しだけ食べるのを躊躇うが、一度食べてしまえばもう止まらない。

「なんだこれ!うますぎるだろ!」

「この歯ごたえにこの良い感じのしょっぱさがたまんねぇ!」

「なんか無性にエールが飲みたくなってきた!」


 漁師達は細く割いたスルメイカに群がってその味と歯ごたえを堪能する。

「あ、ちなみにイカは食べ過ぎるとお腹が緩くなるので気を付けてくださいね」

 流石に今この場にある量ではお腹が緩くなる事はないとは思うが、今までイカを食べた事のなかった人達なので、もしかすると少量でも腹を下してしまうかもしれない。

 注意するに越したことはないので、シエナは念の為にも忠告をしておくのであった。


 その後は、市場の調理場を借りてタコ足とイカゲソの唐揚げなどを作ったりして、シエナは更にタコとイカの良さを広めていく。

 どちらもかなり好評であり、毎回大量に網に引っ掛かるそうなので、ヴィッツではタコとイカは蟹に次ぐ海産物となりそうであった。



「テスタさんは気に入ってくれるかな?」

 料理用にタコとイカをいくつか、そしてテスタへのお土産としてスルメを数枚確保し、シエナは帰路へつこうとする。


「新入り!このロープの海藻、しっかり洗い落としておけよ!」

 少し離れた場所からそんな声が聞こえてきてシエナはふら~っとどんな海藻なのかを見に行く。

「…え?これってもしかして…」

 ゴシゴシとロープについた海藻を洗って取り除いている青年の隣に立ち、シエナは海藻を見て驚きの声を出す。


 ロープに付着している海藻、それを見た途端にシエナの頭の中にある食べ物の名前が思い出される。

 普通なら思い出せないような、見ただけでは何なのかもわからないようなものであっても、ほんの少しの些細なきっかけさえあれば、シエナは唐突に思い出される事が多い。


「これって、『海苔』じゃないですか!」

 時期外れであり尚且つ見ただけではそれは海苔とはわからないほど小さくロープに付着した海藻。しかし、それを見た瞬間に海苔を思い出したのであれば、それは確かに海苔なのだろう。

 シエナはふと、その辺りに船舶している船を見る。


(か、牡蠣(かき)っぽい貝殻が船首にぶら下がってる!)

 シエナには用途は不明であったが、黒ずんでいる牡蠣のような貝殻が紐に通されてどの船にも何本もぶら下がっていた。

 おそらくはその貝殻に海苔の胞子が入り込んでいるのだろう。

 波にさらされて、その貝殻はたまに海に浸けこまれている。


(あの貝殻から海苔の胞子が出て、船と港を繋ぐロープに付着して繁殖してるんですね!これは思わぬ大発見です!)

 そこでシエナはヴィッツの海が、日本の有明海と似たような環境である事を理解する。


「磯の匂いがキツイって事は、それだけ栄養も豊富…海苔を養殖するにはもってこいじゃないですか!」

 これは帰ってからテスタに海苔の養殖について相談をしなければならない、とシエナはやる気に満ち溢れる。

 海苔の養殖に成功すれば、今まで作れなかった海苔が必須の料理を作る事ができる。

 特に、シエナは手巻き寿司が食べたいと思っていたのであった。


 急に現れた少女が、ロープについている海藻を見て叫び声を挙げたり大喜びする様子を見ていた青年は、ポカンとしてしまって完全に手が止まってしまい、様子を見に来た自身の親分に怒られてしまうのであった。




「海苔の養殖をしましょう!」

 帰ってきたばかりのシエナに話があると言われて自分の執務室へと通したテスタは、突然言われた訳の分からない事に混乱してしまう。

「え?…その、『のり』と言うのはなんなのでしょうか?」

 もちろん、テスタは理解できない為に質問をする。


「海藻の一種です!味自体はほとんどないですが、香り豊かで色んな料理に使用できる素晴らしい海藻です!」

 生の海苔は、日本人にしか消化できないのでそれはシエナも諦めるしかない。

 あくまでもシエナは日本人としての前世の記憶を持った完全なる別人なのだから。


 しかし、乾燥させた海苔であれば、どんな人種でも消化が可能である。

 シエナは、テスタに乾燥させた海苔の素晴らしさを語り、海苔の養殖方法を説明していく。


 前世で海苔の養殖方法をインターネットで見ていた事が役に立ったとシエナは歓喜していた。

 思い出された海苔の知識の中に、養殖方法も鮮明に思い出されていて、ヴィッツの環境であれば良質な海苔を養殖する事が可能だからである。


 安定して売れるようになるまではコストパフォーマンスは悪いだろうが、海苔が売れるようになれば儲ける事も可能である。

 そういった部分もシエナは正直に話し、テスタの説得を試みる。


「なるほど、湿気さえなければそれなりに保存は効く、と…」

 かなり難しい話しであり、テスタの表情は渋い。

 海苔で儲けようと思えば、かなりの量を養殖しなければならない。

 その量を養殖しようと思えば、それだけ人手も必要であるし、場所も必要である。

 あまりに場所を使い過ぎても、漁師達の邪魔となってしまうので、テスタとしてはあまり乗り気にはなれない。


 シエナは胸の前でまるで祈るようなポーズをとって目を潤ませる。

 テスタはそれを見て怯んでしまった。


(う~ん…場所も人員もあまり割けないし、売れるかどうかもわからない物を長期間に渡って作るのはちょっと…でも…)

 テスタは悩みに悩んだ。

 目の前のシエナのポーズが可愛い事と、このまま断るのも可哀想だという色んな想いが入り混じり、正確な判断は下せそうになかった。


「お願いします!ほんの少しの量、ヴィッツの人々で食べれるだけの量でも良いので!」

 どうにもテスタの反応が渋い事に、シエナはシエナで焦っている。

 このまま断られれば、この世界で海苔を食べる事はほぼ一生不可能となりそうであるからだ。

 ならば、最初は少量の養殖にしてもらい、実際に海苔を食べてもらったり他の人々の反応を見てからでも遅くはないと、シエナは説得を始める。


「…今すぐには答えは出せれないわ。少し時間を頂戴」

 一旦、時間を置いてじっくり考えるべきだと判断し、テスタはシエナとの会話を切り上げる。

 シエナは、今まで自分の食べ物に関する案が通らなかった事はなかったので内心ショックを受けていた。


 シエナはがっくりと肩を落とし、執務室を出ようとする。

「あ、そうだ。テスタさんって食事時には果実酒を少ししか飲んでないようですが、お酒は好きですか?」

「お酒ですか?嗜む程度には好きですね」

 テスタの返答に、シエナは少しだけ「う~ん…」と唸る。


「どうされましたか?」

「いえ、お米で作ったお酒を持参してますので、お酒が好きだったらプレゼントでもしようかと思いまして」

 シエナは、日本酒を2本ヴィッツへと持ってきていた。

 1本は、調理場に料理用としてそのまま置いていて、もう1本は未だにリアカーに積まれたままである。


「お米で作ったお酒ですか。それは興味がありますわ」

 ちなみに、シエナは料理人達にはライスワインと紹介していたが、シエナの作った日本酒はライスワインと呼ぶには少し辛味と雑味がある。


 この世界の米は、日本の米と違って一粒一粒がでかい。

 そして、やはりというか日本の米と違って品質があまり良い方ではないので、どれだけ手間暇をかけても普通酒のレベルを超える事ができないくらいであった。


 シエナとしては、もちろん純米大吟醸酒レベルの物を作りたいとは思っている。

 思ってはいるが、純米大吟醸酒レベルの日本酒を作ろうと思ったらそれだけ素材も良い物を使わなければならないし、手間暇もかけなければならない。


 手間暇はかける事ができても、素材は良い物がない。

 純米大吟醸酒レベルはおろか、吟醸酒すら作るのは難しいだろう。

 結局、シエナは普通酒レベルの日本酒で我慢をするしかないのであった。

 それでも、この世界に元々存在していた酒と比べると、かなり美味しい酒なのではあるが…。


「では、イカで作りましたスルメという酒のつまみに最適な物と一緒に…そうですね、夕食後にでも出しましょうか」

「わかりました。楽しみにしています」


 そのやり取りを終えて、シエナは執務室を退室する。

「海苔…かぁ。あの娘が言うなら人気が出るのかもしれないですけど…実物が目の前にないと、やはり判断は中々下せられませんわね」

 テスタは、シエナと話しながらメモをしていた海苔の養殖手順に目を落とすとどうするべきかと頭を抱えるのであった。




「シエナさん、このタコ…と言うのはどのように調理すれば…」

 夕食にタコの料理を作ろうと、シエナは調理場へと赴く。

 クラーケンの子供と恐れられてたうえに見た目がグロテスクなタコを見て、料理人達は顔を引き攣らせている。

「そうですねぇ…。ジャボレヌエイスのように、足を細かく刻んだのを入れて炊き上げましょう」

 ようするにタコ飯である。


「あとは唐揚げだったり、茹でたのをサラダと一緒に混ぜたりしましょうか。あ、ジャガイモと一緒ににんにく炒めするのもアリですね」

 それからも、シエナはタコを利用した様々な料理を思い出しては「これも作りたい、あれも作りたい」とうんうん唸る。


「そういえば、今朝のトビウオを浸けてた水を使ったスープ、あれは非常に好評でしたね。いつもと同じスープだったはずなのに、美味しさが段違いでした」

 料理長の言葉に、シエナはそうでしょう。と笑顔である。

「出汁を使用するのと使用しないのでは、かなり美味しさに差が出てきます。ヴィッツではほとんどの料理にあごだしが合うと思いますので、どんどん使っていくと良いですよ」

 ちなみに、タコ飯にもあごだしは使う予定であった。



 その日の夕食では、タコを使った料理がズラリと並び、テスタですらドン引きであったが一口食べてしまえばそれはもう止まらない勢いであった。

「いや~…まさかクラーケンの子供があんなに美味いとは…」

「クラーケンの子供じゃなくて、タコです。似てはいても別種です」

 食後の雑談は、食べ終わったばかりのタコ料理の話題で持ち切りであった。


「これがお米で作りましたお酒、ライスワインです」

 30分程の雑談の後、シエナは日本酒とスルメイカを持ってきた。

 スルメイカの臭いは、やはりというか特に男性陣が顔を(しか)めていた。


「へぇ、透明なお酒ですのね。お酒って言われなかったら水だと思ってしまいそう」

 この世界にも透明なお酒はいくつか存在しているが、種類が多い訳でもなく、数もそんなに多くないので透明なお酒と言うのは珍しい部類なのである。

「まあ、飲む直前に匂いでわかるとは思いますけどね」

 テスタは銅のコップに注がれた日本酒の匂いを嗅いでうっとりとした恍惚の表情を浮かべる。


「これは良い香りのお酒ですわね。随分と冷やされてるようですが、冷やして飲む物なのですか?」

「いえ、様々な飲み方がありますよ。今は暑い時期なので冷酒にしましたが、冬なんかの寒い時期なんかは燗酒(かんざけ)にするのが良いです。体がポカポカして温まります」

 自分以外の全員のコップに日本酒を注ぎ終わると、シエナは指先に火の魔法を起こしてスルメイカを炙り、細く割いていく。


「まあ、火魔法を操れるのですね。シエナはなんでもできて凄いですわ」

 テスタの褒め言葉に、シエナは照れつつも「昔はたったこれだけの火魔法ですら、すぐに魔力切れで使えなかったなぁ…」としみじみとしている。


「さ、どうぞお召し上がりください」

 スルメを割き終わり、シエナは皆にどうぞと手を広げる。


「まあ、こんなに美味しいお酒は初めてですわ。少し辛味がありますが、すっきりと飲みやすい」

「シエナ!この酒、それ以外にはもうないのか!?」

 テスタが味に驚いている間に、あまりの美味しさからか一瞬にしてコップの中の酒を飲み干したティレルは、酒の在庫はもうないのかを確認する。


「今は、ここにあるこの1本と調理場に置いてある1本だけですね。テミンの私の宿でしたら、そこそこの在庫がありますけど」

「っく…今この場にはそれだけなのか…。シエナ、この酒の作り方、絶対に広めるべきだ!いや、むしろ広めてくれ!頼む!」

 ティレルは必死に懇願する。

「それは全然構いませんよ。むしろ、こちらからお願いしたいくらいですし」

 そうなると、どうやって広めるべきか、とシエナは悩む。


 今までシエナが日本酒を広めてなかったのは、単純に広めるツテがなかったからである。

 料理は料理教室で簡単に広められているし、便利な道具は領主のグラハムやそれで儲けたいと思っている商人が広めてくれていたからである。


「それなら、俺が何か所か口利きをしよう。シエナの広めてくれる物にハズレはないからな。俺も安心して広める事ができる」

 シエナの事を信用しきっているルクスは、すぐにティレルとどこの商会が良さげかの相談を始める。


 テスタは、今のルクスの「ハズレはない」という言葉にシエナの方を振り向く。

「シエナ、昼間の海苔の養殖の件、引き受けましょう。…と、言ってもやはり初めの内は少量での生産となるとは思いますが」

 ルクスの言葉を聞いていなければ、テスタはまだしばらくは決めかねていただろう。

 しかし、シエナの広めてくれる物にハズレがないのであれば、海苔だって成功を収めてくれるはずだ、と思い切って決断したのである。


「ほ、本当ですか!やったぁー!」

 シエナは両手を揚げて喜んだ。

「ん?どうしたんだ?」

 シエナが喜んでいる事は自分も知りたい。と、ルクスはティレルとの話し合いを中断する。


「はい!海苔と言う海藻の養殖をテスタさんが引き受けてくださったんです!これで海苔が出来上がれば、海苔が必須の料理が作る事ができます」

 シエナは本当に嬉しそうにしていて、ルクスはそんなシエナの笑顔を見て微笑んでいた。


「良かったな。海苔ってのがどんなのかはわからないけど、出来上がった時には是非俺にもそれを使った料理をご馳走してくれよ」

「はい!一番のオススメは手巻き寿司という料理です。酢を混ぜたご飯に色んな具材を挟んで、海苔で巻いた料理なんですよ。これが美味しくて美味しくて…」

 手巻き寿司の味を思い出したのか、シエナは涎を垂らす。


「はは、楽しみにしておくよ」

 ルクスは喜んでるシエナの頭をぽんぽんと撫でると、真面目な顔付きをしてティレルとの話し合いを再開する。


 テスタはケイトと一緒に日本酒をちびちびと飲みながら、スルメイカを食べて「これ、このお酒に合いますね」と雑談をしていた。

 そしてシエナは、ティレルがあんなにも日本酒を気に入ったのは予想外ではあったが、日本酒を飲ませる事によって、テスタから海苔の養殖の許可をもらえると思っていた為、皆から見えない角度で心の中で『計画通り』と、あくどい表情をしているのであった。

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