料理は匂いも大事
「先ほどは大変失礼致しました」
あの後、テスタは一旦退室をして呼吸を整えて戻ってきた。
シエナの言う通り、焦りすぎていたのだと痛感させられて反省をしている。
「テスタ、焦らなくて良い。ヴィッツは港町として成功を収めている町なんだ。無理に発展させようとせず、ゆっくりと国に貢献してくれればそれで私達は助かるのだから」
ルクスが王族モードでテスタをフォローする。
実際、ヴィッツはヴィシュクス王国で他の国と貿易も兼ねている港町であるので、かなり助けられているのだ。
それをシエナの力で無理矢理発展させようとすると、変に歯車が狂ってしまう。
人の欲望は限りないので、他力本願で発展をしてしまうと、更に頼ってしまって自分自身で何もできなくなってしまう可能性だってある。
テスタに限ってそれはないとは思っているし、シエナも人を狂わすような知識を広めたりしないとは思っている。
だが、決して焦る必要はないのであった。
「はい、申し訳ございませんでした。最近、グラハムがかなりの高評価なので嫉妬してました…」
テスタは正直に打ち明ける。
テスタとグラハムは仲が悪いわけではなく、むしろ仲が良い。
しかし、それでも同じ領主として評価に差が出ればついつい嫉妬してしまうものでもある。
「シエナはここに移り住むことはないとは思うが、滞在してる間はシエナはここで勝手に色々作ると思うぞ?特に魚料理を」
そう言って、ルクスはシエナの方を見る。シエナはルクスと目が合うと「よくわかってるじゃないですか」といった表情をしている。
すでにいくつか作りたい魚料理のレシピを頭に思い描いていたのであった。
「魚料理は港町の専売特許のようなものですからね。他の港町と差を見せつけてやりましょう!」
シエナはやる気満々でそう言葉にする。
その後に「でも、なるべくなら広めてくださいね」とも付け加えていて、独占する事のないように注意をした。
その後、普通の雑談を交えつつシエナ達は紅茶を愉しむ。
「そういえば、変な噂を聞いていたのを思い出しました」
「変な噂?」
雑談の途中でテスタはしばらく前に流れていた噂を思い出し、本人がいるから真相を確かめるのにも丁度良いと考えていた。
「はい、今年の秋夏の頃に聞いた噂でして、とても信じられる内容ではないので何故そんな噂が急に?とは思ってましたが…」
少しだけ勿体ぶってテスタは自分の聞いた噂を語りだす。
若干、ルクスは嫌な予感がしていた。
「なんでも、ヴィシュクスの第一王子…つまり、ルシウス様が絶世の美女にプロポーズをして、振られたという噂です」
ルクスは「やっぱりか…」と項垂れ、シエナも少し気まずそうにしていた。
「えっと…」
ルクスはチラリとシエナの方を見て、頭をポリポリと搔く。
「俺がプロポーズをして、振られたのは事実、だ…。それで、相手はこのシエナなんだ」
テスタは口元を手で隠して驚く。流石にその噂は嘘だと思っていたし、仮に本当だったとしても、まさかシエナが相手だとは思ってなかったからである。
そして、周りにいる使用人達も、動きはしなかったが驚きに眼を見開いていた。
「え!?でも、絶世の美女だって…」
「噂には尾ひれ背ひれがつくものなんですよ…」
シエナは「どうせ私は美女でも美少女でもないですよーだ」と口には出してないが心の中で思ってむくれている。
シエナはどちらかと言えば地味な見た目である。決して美人というわけではない。
しかし、地味な見た目ではあるが、どことなく素朴な可愛さがあり、育ち方によっては将来有望である。
「俺はシエナが美女じゃなくても構わない。と、言う事で結婚しよう」
「それ、今このタイミングで言いますか!?」
まるで夫婦漫才のようなノリである。
「ルシウス様は、何故シエナの事を…?」
ルクスほどの立場であれば、どんな女性との結婚も可能であろう。なのに、何故わざわざただの平民、しかもそこまで美少女というわけでもない少女を…。そう考えるのは無理のない話しであった。
「う~ん…?俺も最初はグラハムからシエナの事を聞いて、どんな人物なのか会ってみたかっただけなんだよな」
ルクスは当時の事を思い返す。
宿屋シエナ近くの曲がり角でぶつかって出会った事、怪我をさせてしまったお詫びに家まで運ぼうとお姫様抱っこをした事、そしてすぐに怒らせてしまった事…。
許してくれなさそうな態度であったのに、その後すぐに許してくれて、更に冷たい茶と美味しいお菓子を出してくれた事。
魔力を帯びた見たこともない剣(刀)を所持し、今までにない建築素材の作り方を教えてくれた事。
公園で一緒に見た景色や雑談、そしてシエナの穿いていた下着…。
ルクスはそれを思い出して顔を赤くした。
そして宿屋に戻った後に出されたアップルパイを美味しいと言った時に見たシエナの微笑み。
(そういえば、その時だよな…。シエナに不思議な感覚を覚えて惚れてしまったのって)
下着の件だけを省き、ルクスはそれをテスタに説明する。
シエナは、自分に惚れた経緯を一緒に聞かされていたので若干顔を赤くしていた。
「それで、部屋に戻ってしばらく悶えた後、急に居てもたってもいられなくなってシエナにプロポーズしたんだ」
「え!?出会って1日でですか!?」
それにはテスタも驚きであった。
「いや、ほんとあの時はシエナに迷惑かけたなぁ…。ごめんな」
「い、いえ…。その、凄く嬉しかったですし」
ティレルはルクスの精神面が少し大人っぽくなっている事に驚いた。
以前までなら取り乱して混乱したり、謝り慣れてなかったりしたのに、今はかなり落ち着いた様子である。
男と言う生き物は、どの世界でも好きな女性ができると張り切る生き物である。
好きな人の為に一生懸命に頑張るというルクスの行動は、彼を一歩大人に近づけたのであった。
「…まだ、諦めてないからな。逆にシエナが『宿屋を辞めるので結婚してください』って言うくらい惚れさせてやるからな!」
ルクスの言葉にシエナは驚きつつも頬を赤く染めて「期待しています」と嬉しそうに呟いた。
「そろそろ本格的な話し合いをしませんか?」
それからもお茶を飲みながら歓談を続けていたシエナ達であったが、1時間程経過したところでティレルが痺れを切らした。
本来の目的は調査であり、あまり時間を無駄に過ごすわけにはいかないのである。
「そうですわね。では、昼食までの間に少し本格的な会議をしましょう」
今がいくら楽しい時間で名残惜しいとはいえ、テスタは領主としてやるべき事はしっかりとやらなければならない。なので、ティレルの提案に賛同する。
「では、申し訳ないですがシエナはしばらくの間客室にでもいてください」
テスタがそう言うと1人の使用人がすぐにシエナを客室に案内しようと近寄る。
シエナは近づいてきた使用人に「真っ白で丈夫な厚紙数枚と染料はありますか?」と訊ねながら立ち上がり、一緒に応接室を出ていく。
「さて、ではまず被害の状況ですが…」
シエナが応接室から出ていき、扉が閉められるとすぐにテスタは話し合いを開始するのであった。
「このような物で大丈夫でしょうか?」
客室の一室に案内されたシエナは、使用人の1人が持ってきた厚紙と染料を手渡され、「はい、問題ありません」と笑顔でお礼を言った。
一体何をするのか気になる使用人は、シエナがテーブルに着いて厚紙に絵を描き始めたのを見て「なんだ、子供のお絵かきか」と興味を失くして少し離れた場所で待機する。
シエナは厚紙に地球で使われている文字の一部と、この世界の数字や絵柄を書き加えていき、均等の大きさになるように切っていく。
全部で54枚のカードが出来上がると、今度は何も描かれていない真っ白な裏面に、同じ柄で模様を描き始めた。
シエナの作っているのは『トランプ』であり、先日の台風のように暇を持て余しそうな時の為に作っているのである。
他のボードゲームもいずれ作ろうとは思っているが、この世界にはチェスに似たボードゲームが存在している為、若干の後回しである。
それに、トランプはワンセットだけでもあれば様々なルールで遊ぶ事のできる優れものなので、優先的に作っていて間違いはないだろう。と、シエナは考えていた。
紙製品なのですぐに使い物にならなくなったり、手描きなのでちょっとした模様の違いが出てしまってガンカードが出来てしまう可能性もあるが、そこは今は気にしないようにしている。
シエナが3枚目のトランプの裏面に模様を描き始めようと手を伸ばしたところで客室のドアがノックされる。
「シエナ様、昼食の準備が整いましたので食堂の方へご案内します」
執事の1人がドアの向こう側からシエナに告げると、シエナはパッと顔を明るくさせ、パタパタとドアの方へ向かって歩き出す。
そんなシエナの様子を見ていた使用人は、「無邪気で可愛らしい子供だな」と、微笑んでいた。
「さっきは何をしてたんだ?」
食堂に案内されて席についたシエナに、ルクスは行動を訊ねる。
「遊び道具を作ってました。完成したら一緒に遊びませんか?」
ルクスが「楽しみにしてるよ」と返事をすると、シエナはどんな食べ物が出てくるのかとソワソワとしはじめた。
貴族の館での食事は初めてであり、普段はどんな物を食べているのか…。それが気になるばかりである。
「シエナ…先に行っておくけど、シエナの方が普段良い物を食べてるからな…」
やたらとソワソワしていたシエナの様子から、シエナの気持ちを察したルクスはコソッとシエナに耳打ちをする。
そんなルクスの言葉にシエナは「え!?貴族なのに!?」と、目を見開いて信じられないと言った表情で驚いている。
「…去年よりマシになってると良いんだが…」
そんなルクスの呟きに、シエナは一抹の不安を感じるのであった。
それから数分後にシエナ達の前に並べられた料理は、見た目だけなら非常に美味しそうであった。
真っ白でもちもちしていそうなパンに、大きなオーク肉のステーキ、アサリのような貝の入ったスープに同じ貝が使われたパスタのような麺、溶けたチーズの掛かったそら豆のようにでかい、しかし茶色の豆を煮た料理が並べられている。
昼食にしてはやたらと豪華であり、普段であれば、それを見ればシエナの涎は大洪水を起こしそうなものであるが、何故かシエナは悲しそうな表情をしている。
そして、ルクスも少し落ち込んだ表情で下を向いていた。
(…ルクスさんの言っている意味がわかりました)
シエナは視線だけでルクスに話しかける。ルクスも、シエナと視線が合うと諦めたように首を振る。
何故、こんなにも2人が落ち込んでいるのかと言うと、それは臭いが強烈であったからだ。
特に、ルクスは鼻がよくて敏感な為に、その臭いに少しだけ吐き気を覚えている。
臭いの発生源は主に貝の入ったスープからであるが、チーズの掛かった煮豆からも変な臭いが漂ってきている。
分厚いオーク肉のステーキからもオーク特有の生臭さが漂っていて、シエナはそれだけで「中が生焼けなんじゃ?」と不安になっていた。
オーク肉のステーキの隣には、人参とブロッコリーで色とりどりに盛り付けをされていて美味しそうなのであるが、他から漂ってくる臭いのせいで逆にそれが残念に思えてならない。
地球のある国の料理も、日本では高級料理扱いされているが、実際に現地に行ってみると意外にも臭いが強烈な店が多く、そしてあまり美味しくない。
日本にある、その国の料理店は、ほとんどが日本人の好みに合わせて味付けがされているのであり、現地の店だとほとんどが日本人の舌に合わないのだ。
そして、シエナ達の目の前に並べられている料理…それらも、現地であるヴィッツの人達にとっては何も臭いも感じず、美味しい料理なのであるが、シエナ達にとっては臭いが強烈であまり美味しくない物であった…。
「皆さん、どうなされましたか?」
誰も料理に手を付けようとしない様子に、テスタが首を傾げる。
シエナは、ルクスが「海鮮系の料理はあまり好きでない」と言っていた理由を理解した。
初めて食べた海鮮系の料理がこのような臭いであったり、あまり美味しくなければそれは流石に好きになれないだろう。
「…これ、貝を塩茹でとかしてますか…?」
塩茹でをするとしないとでは生臭さに結構な違いが出てくる。
塩は高級品であるのでただの臭い取りとして使う人はこの世界にはあまりいないだろう。
シエナの質問に、料理人の1人が「塩茹で?」と言った表情でシエナを見ていた。
シエナは口で深呼吸をしてから、意を決して料理を口にする。
臭いだけならば慣れれば大丈夫、と思っての事であり、味が良ければ問題ないと思っての行動だった。
しかし、食べてみた貝のスープはなんというか…あまり味がしなく、その中でも感じた味は、今まで感じた事のないような独特な味をしていた。
「………」
シエナはポロポロと涙を零して悲しんだ。
そんなシエナの様子にテスタと料理人はギョッとして驚く。
「ど、どうされたのですか?」
心配になった料理人の1人がシエナに訊ねると、シエナは「なんでもありません…」と呟いて、オーク肉のステーキを切りはじめる。
「………」
臭いから察せられた通り、中は生焼けであった。
シエナは寄生虫の存在などが怖くなり、とてもじゃないがそのオーク肉のステーキには手がつけられないと感じる。
切ったばかりのオーク肉を放置し、シエナは今度は貝のパスタに手をつけてみる。
生臭さを我慢しながら口にしたパスタは、味としてはまあまあであり、食べられない事はない。
しかし、素材が悪くないだけに色々と残念に感じている。
チーズの掛かった煮豆は、これは無理にチーズをかけずに塩茹でした煮豆だけにしていた方がマシなんじゃないかと感じていて、勿体なく感じている。
真っ白でもちもちしたパンだけは普通に美味しく食べる事ができた。ジャムか何かがほしいところであるとシエナは思っている。
シエナは「この料理は出来損ないだ。食べられないよ」と言いたい気持ちを我慢しながら、オーク肉以外の料理を食べ始めた。
(貴族って、もっと美味しい料理を優雅に食べているのだと思ってました…)
シエナはしょんぼりとしながら黙々とパンをメインに料理を食べていき、チラリとルクスの方を見てみる。
ルクスは未だ料理に手付かずの様子で、助けを求めるような目でシエナの方を向いた。
(…ルクスさんの様子からするに…ヴィッツが特別なだけかもしれないですね)
シエナはルクスの視線を無視する。ルクスは覚悟を決めてスープを一口飲んでみたが、すぐにしかめっ面をしていた。
「ダメだ!我慢できない!」
ルクスが立ち上がってテスタの方を見る。
「すまないテスタ。去年までは我慢してたけど、今年はもう無理だ!…シエナ、助けてくれ!」
ルクスが直接シエナに助けを求めると、ケイトも同じように「シエナ…助けて…」と呟く。
ティレルは無言だったが、もしかすると心の中では助けを求めていたのかもしれないとシエナは感じる。
「ど、どうされたのですか?」
テスタは何事かと驚く。
「テスタ、正直に言うが気を悪くしないでほしい」
ごくりとテスタは喉を鳴らす。
「料理が…不味い…あと、臭いがキツイ…」
決して不味い訳ではないがルクスにとっては苦手な食材が多い為、そう答える。
ルクス達はここ数日でシエナの料理に慣れ過ぎていた。
シエナの料理を知らない状態であれば、現在出されている料理は少し臭いがキツイ程度の料理だと感じていただけだろう。
しかし、もはや遅かった。
匂いだけでも食欲を刺激し、濃い味で食べる度に頬がジーンとなるような美味しい料理を、ルクス達は台風の前日から続けて食べていた。
もう、舌が完全に肥えてしまっているのである。
昨日の網焼きも、シエナが手を加えた瞬間に何倍にも美味しさは跳ね上がった。
もはや、シエナの料理なしでは生きていけそうにないとも感じている。
「も、申し訳ございません!」
テスタは焦ってルクスに頭を下げて謝罪をする。
そして、顔を上げた後に料理人達の方を睨むと、料理人達は顔を真っ青にしていた。
国の第一王子に「料理が不味い」と言われた。それが何を意味するか誰もわからない訳でもない。
「わ、私達はどうなっても構わないので、どうか!どうか家族だけは…!」
料理人達は自分達の家族に累が及ばないように懇願する。
その様子から、ルクスは「え?」と目を丸くした後にポンと手を打った。
「いやいや、別に死刑とかそういうのはしないよ。ただ、俺達にはここの料理はちょっと合わないだけだから、シエナに手を加えてもらいたいと思って…」
それだけでも充分死刑宣告を喰らったような気分である。
テスタもショックを受けていて放心していた。
「…この空気の中、私はこの料理に何かしらの手を加えないといけないのですか…?」
シエナはシエナで、突然のルクスの無茶ぶりに、気まずい思いをしているのであった。




